「カシミール」の版間の差分
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
6行目: | 6行目: | ||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
後述のカシミール |
後述のカシミール紛争を抱える地域である。 |
||
パキスタンの[[実効支配]]地域は、[[ギルギット・バルティスタン州]]及び[[アザド・カシミール]]と呼ばれている。 |
パキスタンの[[実効支配]]地域は、[[ギルギット・バルティスタン州]]及び[[アザド・カシミール]]と呼ばれている。 |
||
17行目: | 17行目: | ||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
{{main|{{仮リンク|カシミールの歴史|en|History of Kashmir}}}} |
|||
カシミールの東側半分以上を占める[[ヒマラヤ山脈]]と[[カラコルム山脈]]に挟まれた一帯、[[ラダック]](および[[ザンスカール]])地方と[[バルティスターン]]地方は、元々[[チベット民族|チベット系]]の{{仮リンク|ラダック王国|en|Namgyal_dynasty_of_Ladakh|label=ラダック王国}}があったが、{{要出典範囲|date=2013年1月|[[1834年]]に最後の王[[:nl:Tsepal Namgyal|Tsepal Namgyal]]が[[シク教国]]に敗れ、[[:en:Stok]]に追放され、シク教国の支配下に入った。}} |
カシミールの東側半分以上を占める[[ヒマラヤ山脈]]と[[カラコルム山脈]]に挟まれた一帯、[[ラダック]](および[[ザンスカール]])地方と[[バルティスターン]]地方は、元々[[チベット民族|チベット系]]の{{仮リンク|ラダック王国|en|Namgyal_dynasty_of_Ladakh|label=ラダック王国}}があったが、{{要出典範囲|date=2013年1月|[[1834年]]に最後の王[[:nl:Tsepal Namgyal|Tsepal Namgyal]]が[[シク教国]]に敗れ、[[:en:Stok]]に追放され、シク教国の支配下に入った。}} |
||
24行目: | 26行目: | ||
{{要出典範囲|date=2013年1月|[[1846年]]、{{仮リンク|第1次シク戦争|en|First Anglo-Sikh War}}の{{仮リンク|ソブラーオンの戦い|en|Battle of Sobraon}}で、イギリスが[[シク教国]]を破り、{{仮リンク|ラホール条約|en|Treaty of Lahore}}を締結した。この条約をもって、[[ジャンムー・カシミール藩王国]]が成立し、カシミールのイギリス[[植民地]]統治が始まった。}} |
{{要出典範囲|date=2013年1月|[[1846年]]、{{仮リンク|第1次シク戦争|en|First Anglo-Sikh War}}の{{仮リンク|ソブラーオンの戦い|en|Battle of Sobraon}}で、イギリスが[[シク教国]]を破り、{{仮リンク|ラホール条約|en|Treaty of Lahore}}を締結した。この条約をもって、[[ジャンムー・カシミール藩王国]]が成立し、カシミールのイギリス[[植民地]]統治が始まった。}} |
||
=== カシミール |
=== カシミール紛争 === |
||
{{main|カシミール紛争|:en:Timeline of the Kashmir conflict}} |
|||
イギリス[[植民地]]統治下のインドでは、国内の様々な地域に大小無数に散在する[[藩王国]]をイギリスが間接的に統治していた。 |
イギリス[[植民地]]統治下のインドでは、国内の様々な地域に大小無数に散在する[[藩王国]]をイギリスが間接的に統治していた。 |
||
2013年1月12日 (土) 20:34時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/84/Kashmir_map_big.jpg/250px-Kashmir_map_big.jpg)
概要
後述のカシミール紛争を抱える地域である。 パキスタンの実効支配地域は、ギルギット・バルティスタン州及びアザド・カシミールと呼ばれている。 中華人民共和国の実効支配は、ラダック地方の東半にあたるアクサイチンとなっている。 インドの実効支配地域は、かつてジャンムー・カシミール藩王国︵1846年 - 1947年︶があった地域で、ジャンムー・カシミール州となっている。 インドの実行支配が及んでいるジャンムー・カシミール州を文化・宗教的に三つに分けるならば、カシミール渓谷地域︵ムスリム95%︶、ジャンムー地域︵ヒンドゥが過半数︶、ラダック地域︵仏教徒とムスリムがほぼ半数ずつ︶の西半の地域である。なかでもカシミール渓谷は自然の美しさと人間の暴力の酷さが同居する州の中心地である。 最大の都市は、避暑地として知られる夏の州都スリナガル︵シュリナガル︶で、インドのジャンムー・カシミール州の州都となっている。特にダル湖一帯が観光客であふれた。高級織物のカシミア︵英: Cashmere wool, カシミヤとも︶の語源で、カシミアはこの地域原産のカシミア・ヤギの毛から作られる。歴史
カシミール紛争
言語
カシミール人の言語はインド語派カシミール語などの諸語で、ラダックではチベット語西部方言に属するラダック語、バルティスターンではラダック語のバルティ方言が話される。宗教
住人の宗教はイスラム教が支配的であるが、この地域のイスラム教は、スーフィズムやヒンドゥーの影響を受けた非常に独特のものである。この世の全てのものが絶対神︵アッラー︶の化身であると考え、多神教との折衷的な汎神論的世界観を保有している。この世界観に基づき預言者を通じずに神との交信が可能であると考えられており、独特の神秘的儀式が多数存在している。 ヒンドゥー教徒とイスラムが対立するカシミール問題[要出典]の中では看過されがちであるが、チベット圏に属するラダック地方ではチベット仏教が信仰され、現在では最もよくチベット仏教の伝統を保存する重要な信仰拠点の1つとなっている。またバルティスターンは、チベット系民族でありながらイスラム教を信仰する特徴的な地域である。地震による影響
一部で﹁カシミール地震﹂とも呼ばれる2005年10月8日のパキスタン地震の後、同地は莫大な労力と巨額の復興費用を必要としている。脚注
- ^ 伊藤融「遥かなる「東洋のスイス」」/ 広瀬崇子・近藤正規・井上恭子・南埜猛編著『現代インドを知るための60章』明石書店 2007年 288-290ページ