田付七太
田付 七太︵たつけ しちた、慶應3年9月1日[1]︵1867年9月28日︶ - 昭和6年︵1931年︶5月31日[1]︶は、日本の外交官。駐ブラジル大使、駐オランダ公使、駐チリ公使。
経歴[編集]
山口県出身。坪井宗一の三男として生まれ、田付景賢の養子となった[2]。養父の景賢は田付景澄の子孫で幕末の軍事奉行。1896年︵明治29年︶に東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した[2]。領事官補として元山、漢城に、外交官補としてフランスに勤務[1]。フランス公使館三等書記官、同二等書記官、フランス大使館二等書記官、同一等書記官、外務書記官・大臣官房人事課長、ロシア大使館参事官、フランス大使館参事官を歴任した[1]。1917年︵大正6年︶、駐チリ公使となり、アルゼンチン、ペルー、ボリビア各国の公使も兼任した[1]。1920年︵大正9年︶、駐オランダ公使に転じ、1923年︵大正12年︶には駐ブラジル大使に就任した[1]。 1927年︵昭和2年︶より海外移住組合聯合会理事長を務めた[1]。- ^ a b c d e f g 「故元特命全権大使田付七太勲章加授ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113089100
- ^ a b c d 大衆人事録 1930.
参考文献[編集]
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 「故元特命全権大使田付七太勲章加授ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113089100