畑山四男美
畑山 四男美︵はたやま しおみ、1884年︵明治17年︶7月13日[1] - 1971年︵昭和46年︶8月8日[1]︶は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。県知事、福岡市長。
経歴[編集]
高知県安芸郡羽根村︵現室戸市羽根町︶で、畑山亀喜代、岩の四男として生まれる[1]。第四高等学校を経て、1915年、東京帝国大学法科大学法律学科︵独法︶を卒業。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1916年、内務省に入り宮城県属となる。 以後、宮城県亘理郡長、佐賀県・岩手県・長野県の各理事官、岐阜県書記官、熊本県書記官・学務部長[2]、鹿児島県書記官・警察部長、同内務部長、大分県書記官・内務部長、北海道庁部長・土木部長などを歴任。 1933年7月、福島県知事に就任。1934年10月、福岡県知事に転任。1937年11月、同県知事を辞し退官した。その後、東京市教育局長を経て、1939年1月から1946年5月まで福岡市長を務めた。その後、公職追放となった[3]。脚注[編集]
参考文献[編集]
●歴代知事編纂会編﹃新編日本の歴代知事﹄歴代知事編纂会、1991年。 ●﹃高知県人名事典 新版﹄高知新聞社、1999年。 ●秦郁彦編﹃日本官僚制総合事典‥1868 - 2000﹄東京大学出版会、2001年。公職 | ||
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先代 河内卯兵衛 |
福岡市長 第15-16代:1939 - 1946 |
次代 三好弥六 |