柴田善三郎
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柴田 善三郎︵しばた ぜんざぶろう、1877年11月14日[1] - 1943年8月25日︶は、日本の官僚。静岡県磐田郡見付町︵現在の磐田市︶出身[2]。
経歴[編集]
佐藤善六の三男として生まれ、柴田家に婿養子として入る[1]。 ●第一高等学校、東京帝国大学卒業 ●和歌山県事務官、愛媛県事務官・警察部長、宮崎県内務部長、北海道庁拓殖部長、大阪府内務部長を歴任。 ●1919年︵大正8年︶ - 朝鮮総督府学務局長 ●1922年︵大正11年︶10月16日 - 1923年︵大正12年︶10月16日 - 第21代三重県知事︵官選︶ ●1923年︵大正12年︶11月25日 - 1926年︵大正15年︶9月28日 - 第22代福岡県知事︵官選︶ ●1926年︵大正15年︶9月28日 - 1927年︵昭和2年︶5月17日 - 第21代愛知県知事︵官選︶ ●1929年︵昭和4年︶7月5日 - 1931年︵昭和6年︶12月18日 - 第22代大阪府知事︵官選︶ ●1931年︵昭和6年︶12月18日 - 大阪府知事を依願免本官となる[3]。 ●1932年︵昭和7年︶5月26日 - 1933年︵昭和8年︶3月13日 - 斎藤実内閣の内閣書記官長 ●1932年︵昭和7年︶12月23日 - 1943年︵昭和18年︶8月25日 - 貴族院勅選議員親族[編集]
次男は水資源開発公団総裁を務めた柴田達夫。その他[編集]
脚注[編集]
公職 | ||
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先代 森恪 |
内閣書記官長 第32代:1932年 - 1933年 |
次代 堀切善次郎 |