石塚祐輔
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石塚 祐輔︵いしつか ゆうすけ、1987年6月19日 - 、土浦三中→茨城県立土浦第三高等学校→筑波大学︶は、茨城県のスプリンター。ミズノ所属。
人物[編集]
中学時代は野球部に身を置いていたが、俊足をかわれて陸上の大会に参加していた。中3時の2002年にジュニアオリンピックの400mRの茨城県代表として3走を務め、チームの準優勝に貢献。中学時の100m自己ベストは11秒43、個人の実績は関東中学3位。 2003年、高校入学後は陸上部に所属。5月時点では高校の県大会でも入賞どまりであったが、7月に100mで10秒台、200mで21秒台に到達したのを皮切りに急成長。秋までにはそれぞれ10秒60︵高1歴代6位︶、21秒42︵参考︶、同年10月の国体で大会新︵21秒39︶で準優勝を果たすまでになった。このときの優勝者だった金丸祐三とは、以降に置いて大きな影響を及ぼし合うことになる。 以降、2004年のインターハイ2位、同年国体での6位入賞などの経験を重ね、2005年、インターハイ100mで自身初の全国制覇を果たす。同大会の200mでは金丸祐三と二強の一角を成すも劣勢を予想されていた。しかし、最終的には、金丸との高校生史上初の20秒台決戦を制し、100分の1秒差で優勝︵20秒79、大会新記録︶を果たした。茨城県勢としては都築政則、海老沢雅人に次ぐ3人目の快挙を成し遂げた。 同年の国体では3位であった。その後は地元の筑波大学に進学。 2006年、シーズン序盤は大学の実習中に足を捻挫して出遅れたが、7月の日本ジュニア選手権200メートル走で優勝して復活。世界ジュニア選手権代表入り。本戦では準決勝進出。また、この大会で彼は1600メートルリレー走の2走を務めたが、決勝で他選手と接触、バトンを落としてしまい涙を呑んだ。 2007年からはロングスプリントに本格参戦。日本選手権400mで第2位、世界陸上代表にも選ばれた。その世界陸上では予選で2走を務めた。 2008年日本選手権では3位入賞。2位までが北京五輪代表に選ばれたが、彼の代表入りはならなかった。主要大会成績[編集]
●2003年 ●国民体育大会 少年B200m 第2位︵21秒39、大会新記録︶ ●2004年 ●インターハイ 100m 第2位︵10秒60︶ 200m 準決勝3着︵21秒64︶ ●国民体育大会 少年A100m 第6位︵10秒73︶ ●2005年 ●インターハイ 100m 第1位︵10秒71︶ 200m 第1位︵20秒79、大会新記録︶、 ●国民体育大会 少年A100m 第3位︵10秒51︶ ●2006年 ●日本ジュニア選手権 200メートル走 第1位︵21秒06︶ ●世界ジュニア 200m 準決勝 5着︵21秒41︶ 1600mR︵2走︶第8位︵3分16秒61︶ ●2007年 ●日本選手権400m 第2位︵46秒15︶ ●世界陸上 1600mR︵2走︶予選2組4着︵3分02秒76︶ ●2008年 ●日本選手権400m 第3位︵46秒36︶ ●2009年 ●日本選手権400m 第3位 ●2010年 ●日本選手権400m 第2位 ●2011年 ●日本選手権400m 第3位 ●世界陸上 1600mR 出場 ●2013年 ●日本選手権400m 第3位 ●国民体育大会 成年400m 第1位︵46秒01︶自己ベスト[編集]
外部リンク[編集]
- 石塚祐輔 - 日本陸上競技連盟の選手名鑑
- 石塚祐輔 - ワールドアスレティックスのプロフィール(英語)
- TBS「世界陸上大阪」浪速の弾丸永遠のライバル 石塚祐輔
- ミズノトラッククラブ(MTC)石塚祐輔
陸上競技日本代表 - 出場大会 |
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