筑波大学附属中学校・高等学校
(筑波大学附属高等学校から転送)
筑波大学附属中学校・高等学校 | |
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筑波大学附属中学校・高等学校校門 | |
北緯35度43分0.4秒 東経139度43分51.8秒 / 北緯35.716778度 東経139.731056度座標: 北緯35度43分0.4秒 東経139度43分51.8秒 / 北緯35.716778度 東経139.731056度 | |
過去の名称 |
高等師範学校尋常中学科(旧制) 高等師範学校附属尋常中学校(旧制) 高等師範学校附属中学校(旧制) 東京高等師範学校附属中学校(旧制) 東京高等師範学校附属中学校・高等学校 東京教育大学附属中学校・高等学校 |
国公私立の別 | 国立学校 |
設置者 | 国立大学法人筑波大学 |
校訓 |
中学:「強く・正しく・朗らかに」 高校:「自主・自律・自由」 |
設立年月日 | 1888年 |
開校記念日 | 9月11日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード |
C113110000041 中学校) D113110000021 (高等学校) | (
高校コード | 13003G |
所在地 | 〒112-0012 |
外部リンク | 筑波大学附属中学校・高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
筑波大学附属中学校・高等学校︵つくばだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Junior and Senior High School at Otsuka, University of Tsukuba︶は、東京都文京区大塚一丁目にある共学の国立中学校・高等学校。通称は﹁筑附︵つくふ︶﹂、﹁附属︵ふぞく︶﹂[注釈 1][注釈 2]。
概要[編集]
1888年︵明治21年︶に高等師範学校︵官立︶の尋常中学科として江戸幕府直轄の昌平黌跡に設立されて以来、130年以上の歴史を有する国立の進学校。旧制中学校であった戦時中には、当時の文部省の指定に基づき、特別科学学級が設置された[1]。 1950年より男女共学となり、現在は中学校、高校ともに外部からの入学を受け入れているが、完全な中高一貫校ではなく、中学から高校へは、内部連絡入試を経て、男女それぞれ上位80名が進学できる。内部連絡入試に合格した者は、他校を受験することはできない。1学年の生徒数は中学205名、高校240名である。なお、中学では学年の3分の2程度、高校では3分の1程度が附属小学校からの内部進学者である。また、筑波大学の附属校であるが、同大学への内部進学枠は存在しない。 中学校には制服があり、男子は、明治期創設の学習院中・高等科と似た、海軍兵学校︵現‥海上自衛隊幹部候補生学校︶学生服型︵ネイビーブルー。セーラー服同様に着丈が短く、詰襟で前合わせもホック留め、前合わせ・襟・袖に黒の蛇腹リボン装飾の上着。昔の海軍士官型でもある。日本海海戦の写真参照。同型は巣鴨中学校・高等学校が採用︶、女子はセーラー服である。過去の男子制服には帽子も付帯し、古い時代には登下校時、校門守衛所を通る際に脱帽し、帽子を脇に抱えて礼をするなどの着用義務があったが、現在は随意である。 高校もかつては中学と同じ制服を使用したが、1970年︵昭和45年︶2月に生徒自治会および教員委員会の決定によって服装既定が廃止され、現在は私服である。 中学は﹁強く、正しく、朗らかに﹂を、高校は﹁自主、自律、自由﹂をそれぞれモットーとする。 現役生は、自校のことを﹁筑附﹂や﹁筑波﹂と称することが多いが、まだ東京教育大学附属時代の卒業生がいることや、脚注2 の理由があり、卒業すると、単に﹁附属﹂と呼ぶことが多い。沿革[編集]
「東京高等師範学校#附属学校」も参照
●1872年 - 神田昌平黌︵かんだしょうへいこう︶跡︵現‥湯島聖堂︶に官立の師範学校を創設
●1888年 - 高等師範学校に尋常中学科を設置︵本校の創立︶
●1896年 - 高等師範学校から分離し、高等師範学校附属尋常中学校となる
●1899年 - 高等師範学校附属中学校と改称
●1902年 - 東京高等師範学校附属中学校と改称
●1929年 - 長野県芦田村に高原寮︵現‥蓼科桐陰寮︶を設置
●1940年 - 小石川区大塚町56︵現在地︶の新校舎に移転
●1947年 - 学制改革により、東京高等師範学校附属中学校となる
●1948年 - 学制改革により、東京高等師範学校附属高等学校となる
●1949年 - 東京教育大学附属中学校・高等学校と改称
●1950年 - 高校1年より男女共学始まる
●1978年 - 筑波大学附属中学校・高等学校と改称
●1996年 - 中学・高校体育館完成
●2004年 - 国立大学法人筑波大学に移管
●2008年 - 創立120周年を迎え、記念式典が挙行される
●2014年 - 桐陰会館が竣工。文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール (SGH) の幹事校としての指定を受ける
●2018年 - 創立130周年を迎え、記念式典が挙行される
教育方針[編集]
中学校[編集]
育てたい資質として次の7つを挙げている。
(一)自主自律の精力
(二)強い意志とたくましい実践力
(三)積極的な創意と探究力
(四)広い視野に立つ正しい判断力
(五)明朗率直で誠実な態度
(六)集団生活における協力と責任
(七)人間愛にもとづく思いやりの心
高等学校[編集]
(一)自主・自律・自由をモットーとしています。 (二)全人的人間の育成という本校の伝統的教育精神を基盤として、知育、徳育、体育の調和をはかります。 (三)教科教育においては、特に、体系的かつ基本的な知識・技能・態度の修得の徹底を期しています。 (四)特別教育活動においては、計画的、実践的、協力的人間の育成と生徒の個性の伸長につとめます。 (五)生徒指導においては、生徒の個人的な現実の問題解決を援助するとともに、将来の進路の開拓を指導します。学校行事[編集]
中学校[編集]
●4月 - 入学式、始業式、総合健康診断 ●5月 - 修学旅行︵3年︶、校外学習︵1年‥社会科、2年‥理科、3年‥美術科︶ ●6月 - 前期中間考査 ●7月 - 黒姫高原生活︵2年︶、富浦海浜生活︵1年︶、夏休み ●8月 - 夏休み ●9月 - 教育実習期間、開校記念日、運動会、前期期末考査 ●10月 - 開学記念日、前期終業式、秋休み、後期始業式 ●11月 - 学芸発表会、委員長陣︵生徒会役員︶選挙、研究協議会、後期中間考査 ●12月 - 合唱発表会、生徒会総括、冬休み ●1月 - 冬休み、委員長陣所信表明、生徒会団体基本方針 ●2月 - 入学試験、学年末考査 ●3月 - ファイナルコース︵3年︶、卒業式、修業式、春休み高等学校[編集]
●4月 - 入学式、前期始業式、対面式、開成レース︵ボート部対開成高校定期戦︶ ●5月 - 校外学習︵2学年︶、生徒総会 ●6月 - 院戦︵対学習院総合定期戦︶、前期中間考査、進路説明会 ●7月 - 蓼科生活︵1学年︶ ●8月 - 各部合宿、学校説明会 ●9月 - 桐陰祭︵文化祭︶ ●10月 - 前期期末考査、前期終業式、後期始業式、スポーツ大会、学校説明会 ●11月 - 沖縄修学旅行︵2学年︶ ●12月 - 学年末考査︵3学年︶、後期中間考査︵1・2学年︶ ●1月 - 入学試験︵附属中学︶、柔道部・剣道部寒稽古 ●2月 - 百人一首大会、入学試験︵一般中学︶ ●3月 - 学年末考査︵1・2学年︶、卒業式、後期終業式、湘南戦︵サッカー部対湘南高校定期戦︶、各部合宿院戦︵対学習院総合定期戦︶[編集]
学習院高等科、学習院女子高等科との間で毎年6月に行われるスポーツの定期戦である。 1896年︵明治29年︶、旧制学習院中等科︵現‥学習院高等科︶との間で、柔道部と野球部の対抗戦が始まり[2]、その後、1904年から1940年の間に端艇部、陸上競技部、射撃部、水泳部が順次参加。1944年に戦況悪化のため中止後、1947年に再開。1948年に剣道、庭球、卓球が参加して、1951年に男子の定期戦総合化︵この回を第1回としている︶、1952年に女子の定期戦開始︵排球、籠球、庭球、卓球︶、1956年にすべての種目において男女合同化し、1966年︵昭和41年︶、全員参加のスポーツ大会となった。当時の種目は、男子が野球、柔道、籠球、排球、蹴球、卓球、硬式庭球、陸上、水泳、馬術、女子は籠球、排球、卓球、硬式庭球であった[3]。 現在は正式種目として、男女陸上、男女籠球、男女水泳、男女硬式庭球、男女排球、野球、蹴球、男女剣道、柔道、女子バドミントン、卓球、馬術、ボートがあり、その他に一般種目として年度によって、フットサル、ドッジボール、大縄や他競技のエキシビションマッチが行われることもある。 この6月のスポーツの定期戦は、筑波大学附属高校では﹁院戦﹂、学習院では﹁附属戦﹂の名で親しまれている[4]︵ただしボート競技は毎年4月に行われる[5]。︶。開成レース・湘南戦[編集]
開成高校とのボート部の定期戦である。1920年︵大正9年︶[2]、東京開成中学校︵現‥開成中・高︶とボートレース︵通称﹁開成レース﹂︶が始まり、現在も毎年4月に戸田漕艇場で行われる、日本で最も歴史を持つ[6]学校間定期戦である︵2021年現在、46勝46敗[7]︶。 伝統的な対校戦としては、1947年︵昭和22年︶から始まった対神奈川県立湘南高等学校サッカー部定期戦︵通称﹁湘南戦﹂︶もある[8][9]。文化祭その他[編集]
また、毎年9月には文化祭、﹁桐陰祭﹂が2日間に渡り開催される。 中華人民共和国の北京師範大学第二附属中学やシンガポールのホワチョン︵華中︶高校との短期交換留学も毎年行われている。校章・校歌[編集]
校章[編集]
1888年︵明治21年︶11月に五三の桐の校章が制定された。その桐章は、明治天皇の行幸の際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となった[10]。校歌[編集]
1902年︵明治35年︶、卒業生の穂積重遠︵10回1901年卒︶による提唱で、山根磐と宮島秀夫︵共に12回1903年卒︶が作詞し、鈴木米次郎︵本校の旧教官︶が作曲した﹁桐陰会会歌﹂が、校歌に当たるものとして制定され、現在に至るまで﹁桐陰会歌﹂の名で歌い継がれている[11]。部活動[編集]
中学校[編集]
●部活動‥男子水泳部 - 女子水泳部 - 蹴球部 - 男子硬式庭球部 - 女子硬式庭球部 - 排球部 - 野球部 - 陸上競技部 - 男子籠球部 - 女子籠球部 - ダンス部 - 剣道部 - バドミントン部 - 卓球部 ●研究会‥音楽研究会 - 化学研究会 - 電子電脳技術研究会 - 美術研究会 - イラスト研究会 - 天文研究会 - 鉄道研究会 - 演劇研究会 - アジアの子供の会 - 家庭科研究会 - 文芸研究会高等学校[編集]
●運動部‥野球 - 陸上競技 - サッカー - フットサル - 女子サッカー - バドミントン - バレーボール - 水泳 - 硬式テニス - バスケットボール - 柔道 - 剣道 - 弓道 - ダンス - ボート - ハンドボール - 馬術 - 卓球 ●文化部‥オーケストラ - 美術 - 英字新聞 - 化学 - クイズ研究 - 写真映画 - アカペラ - かるた - JAZZ研究 ●同好会‥TCA︵コンピュータ︶ - 演劇 - 文芸愛好会 - 軽音楽 - 数学 - 将棋 - ジャグリング - 書道 - ソフトテニス 野球部 ●野球部は、校名が東京高等師範学校附属中学校であった終戦直後の1946年︵昭和21年︶、全国中等学校野球予選都大会を勝ち抜き、第28回全国中等学校野球大会︵現‥全国高等学校野球選手権大会 - 夏の甲子園︶に、それまで私学が独占していた[12]東京代表の座を国・公立として初めて制し、ベスト4まで勝ち進んだ︵さらに同年の国体でも準優勝している︶。準決勝で浪華商業に敗れた際、佐々木迪夫監督が﹁さあ、5年生︵最上級生︶はいいから、他は自分のポジションへ行って土を取ってこい。来年、またここへ返しに来よう﹂と言い[13]、選手らが各ポジションの土を手ぬぐいに包んで持ち帰ったことが、この大会で敗れた高校が甲子園の土を持って帰ることのルーツの一説となっている。卒業生[編集]
著名な出身者[編集]
「筑波大学附属中学校・高等学校の人物一覧」を参照
同窓会[編集]
卒業生の集まりとして、旧制中学時代の1890年︵明治23年︶に設立された校友会﹁桐陰会﹂に名前の由来を持つ﹁桐陰同窓会﹂があり、毎年6月頃に東京丸の内の銀行会館において総会が行われる。2017年は銀行会館が改装工事中のため、東京神田の学士会館で行われた。
2005年11月7日号の﹃AERA﹄の特集記事﹁大学より高校力﹂において、全国の高校同窓会の中でも、戦後の人材の輩出力において、日本有数と紹介されている。また、月刊﹃文藝春秋﹄2005年5月号のビジネス臨時増刊号において、同誌の同級生交歓コーナーの登場人物の出身校別ランキングで、筑波大学附属駒場高校と併せ1位になった。
空撮による中学校・高等学校施設の全景
●施設は主に高校校舎・中学校舎、体育館、運動場・コート面、プール、武道館、桐陰会館などからなる。
●中学校舎は、中庭と育鳳館を囲むL字型の3階建てとなっている。
●高校校舎は、噴水のある中庭を持ったコの字型の3階建てとなっている。また、2003年度に情報実習室完成・空調設備設置。2005年度に校舎のバリアフリー化として多機能付トイレやスロープ、エレベーターを設置した。
●敷地内︵体育館前︶に標高27.47mの三等三角点を持つ。
施設[編集]
最寄駅[編集]
●東京メトロ有楽町線護国寺駅徒歩8分 ●東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅徒歩10分関連校[編集]
●東京高等師範学校 ●東京教育大学 ●筑波大学 ●筑波大学附属小学校 ●筑波大学附属駒場中学校・高等学校 ●筑波大学附属坂戸高等学校 ●筑波大学附属視覚特別支援学校 ●筑波大学附属聴覚特別支援学校 ●筑波大学附属大塚特別支援学校︵知的障害︶ ●筑波大学附属桐が丘特別支援学校︵肢体不自由︶ ●筑波大学附属久里浜特別支援学校︵自閉症︶ ●東京都高等学校一覧 ●東京都中学校一覧 ●旧制中等教育学校の一覧 (東京都)提携校進学制度[編集]
お茶の水女子大学附属中学校との提携校進学制度があり、平成29年度の導入以来、毎年度若干名の利用実績がある。2022年度入試で悠仁親王がこの制度を利用して入学することになった。2022年度が同制度の期限であったが、さらに5年間延長することが永田恭介筑波大学学長によって発表された[14]。提携校[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ ﹁附﹂の漢字表記について。一部の私立大学の附属学校が正式名称として﹁付属﹂の表記を採用しているが、本校は他の国立大学附属学校と同様に﹁附属﹂の表記が正しい。また、﹁附﹂は常用漢字に含まれるが、日本新聞協会の新聞用語懇談会が不使用を決めているため、新聞記事などでは固有名詞であるにもかかわらず﹁筑波大付属﹂などと表記されることが多い。
(二)^ ﹁附属﹂の略称について。本校および筑波大附属小は日本初の﹁附属学校﹂として明治時代に設立され、当時﹁附属﹂といえばすなわち︵旧制︶東京高師附属小・中︵つまり現在の筑波大附属小・中・高︶のことを指した。その名残で、他に様々な大学の附属学校が存在する今でも本校のことを﹁附属﹂と略する呼び方が残っている。
出典[編集]
(一)^ 佐々木元太郎、平川祐弘﹃特別科学組 - 東京高師附属中学の場合 <もう一つの終戦秘話>﹄大修館書店、1995年。
(二)^ ab2006国立学校フォーラム 筑波大学附属高等学校生徒によるHP (PDF)
(三)^ 院戦︵対学習院総合定期戦︶ | 筑波大学附属高等学校
(四)^ 第67回 総合定期戦︵附属戦︶が行われました | 学習院女子中・高等科
(五)^ 院戦(ボート)結果 | 筑波大学附属高等学校
(六)^ 開成レース | 筑波大学附属高等学校
(七)^ “勝敗数一覧 (開成レース)”. 筑波大学附属高校端艇部 Fuzoku-Rowing
(八)^ 湘南戦 | 筑波大学附属高等学校
(九)^ 第67回附属・湘南サッカー定期戦︵湘南戦︶ | 筑波大学附属高等学校
(十)^ ﹃創立百年史-筑波大学附属中学校・高等学校﹄より
(11)^ 桐陰会会歌
(12)^ [1]
(13)^ 三浦馨﹃﹁甲子園の土﹂ものがたり﹄明治書院、2009年。
(14)^ ﹁悠仁さまのご進学﹃大変光栄﹄筑波大学長 警備強化も﹂﹃産経新聞﹄2022年2月24日