日本の高校野球
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大会[編集]
日本高等学校野球連盟主催大会への参加資格は大会参加者資格規定第5条第1項に基づき﹁その学校に在学する男子生徒で、当該都道府県高等学校野球連盟に登録されている部員のうち、校長が身体、学業及び人物について選手として適当と認めたもの﹂に限られている[1]。したがって女子の試合出場は不可能である。マネージャーおよび監督としての登録は可能であり、2007年の秋季千葉県大会地区予選では鎌ケ谷の斎藤友夏莉が監督としてベンチ入りした例がある。男子硬式[編集]
全国大会︵男子硬式︶[編集]
選抜高等学校野球大会、全国高等学校野球選手権大会の2大会を総称して﹁甲子園大会﹂あるいは単に﹁甲子園﹂と呼ぶ。通常、新入学生︵1年生︶の選手は夏の大会のみしか出場できない︵春の大会は新学期の2年生、3年生の選手のみとなる︶ため、甲子園出場のチャンスは3年間で最大5回になる。 明治神宮野球大会・高校の部︵神宮︶ 出場校数10 毎年11月に開催される。秋季地区大会で優勝した10チームによるトーナメント大会で新チーム最初の全国大会。出場校は基本的に翌年のセンバツにも出場するため、センバツの前哨戦としての意味合いも強い。 本大会での優勝校所属地区は翌年のセンバツの一般選考枠の出場枠を1つ多く獲得できる特典がある︵明治神宮枠→但し2003年の第34回大会以後︶。2007年の第38回大会では決勝進出の両地区に翌2008年のセンバツ出場枠が与えられた︵記念大会のため︶。 1982年から1998年まで東北・北海道と中国・四国は隔年での出場であり、1999年まで秋季大会の日程の都合上地区によっては優勝校が出場するとは限らなかったためかつては招待試合の色彩が濃く、出場校が主力選手を温存することがあった[注 1]。 選抜高等学校野球大会︵春の甲子園、センバツ︶ 出場校数32︵記念大会では34ないし36︶ 毎年3月下旬から4月上旬にかけて開催される。秋季地区大会の成績などを参考に選抜された一般選考28校および明治神宮枠1校︵明治神宮枠は獲得地区の一般枠を増枠する︶の29校、特別選考の21世紀枠3校の計32校で行われるトーナメント大会。2003年から2008年までは希望枠が1校存在した︵21世紀枠は2校︶。地区大会の成績や選考次第では同一府県から2校以上の出場する場合もある︵一般枠のみで3校選出はしないこととなっており、3校出場は21世紀枠を含めた場合に可能︶。開催回数の下1桁が0ないし5となる回は記念大会として行われ、通常より出場校が増やされる。 優勝校には大紫紺旗が贈られる。 全国高等学校野球選手権大会︵夏の甲子園、選手権︶ 出場校数49︵記念大会では55、第100回記念大会では56︶ 毎年8月に開催される。各府県1校ずつ、北海道と東京都がそれぞれ2校︵南北海道・北北海道、東東京・西東京︶の合計49校によるトーナメント大会。6月中旬から7月下旬︵雨天順延で8月にずれ込む場合もある︶にかけて行われる地方大会を勝ちあがった学校が出場できる。開催回数の下1桁が0となる回は記念大会として行われ、通常より出場校が増やされる︵なお、現行の49代表制となる以前は、下1桁が5の回にも記念大会が行われていた︶。 国民的行事と呼ばれるほど、ときには社会現象となるほどの盛り上がりを見せる学生スポーツ最大の大会で、優勝校には大深紅旗が贈られる。 国民体育大会︵国体︶・硬式の部 出場校数12︵2022年からは8︶ 毎年10月に開催される。選手権で成績上位の高校から選考された11校︵2022年からは7校︶と開催地枠1校によるトーナメント大会で、シーズン最後の全国大会。日程の余裕がないため、雨天中止が続いた場合には、ダブルヘッダーの実施や同時優勝になることもある[注 2]。選抜高等学校野球大会の事実上の予選である秋季地区大会の最中に行われることになるため、そちらを優先し、明治神宮野球大会や選抜高等学校野球大会や全国高等学校野球選手権大会の高校野球三大大会とは違い、3年生のみで参加する高校も多い。また、公開競技であるため成績は天皇杯に加味されない。地方大会︵男子硬式︶[編集]
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男子軟式[編集]
全国高等学校軟式野球選手権大会︵軟式選手権︶ 出場校数16 毎年8月、夏の甲子園終了後に兵庫県立明石公園第一野球場を主会場に開催される。ブロック︵北海道、北東北、南東北、北関東、南関東、東京、北信越、東海、近畿、大阪、兵庫、東中国、西中国、四国、北部九州、南部九州︶各1校、合計16校によるトーナメント大会。7月上旬から8月上旬にかけて行われる地方大会、ブロック大会を勝ち上がった学校が出場できる。 国民体育大会︵国体︶軟式の部 出場校数10 硬式の部同様毎年10月に開催される。選手権で成績上位の高校から選考された9校と開催地枠1校によるトーナメント大会。硬式同様日程の影響を受ける場合があり、2008年は決勝に進出した両校優勝となった。 全国高等学校定時制通信制軟式野球大会 全国高等学校定時制通信制軟式野球連盟などの主催、文部科学省や高野連などの後援。定時制高校と通信制高校を対象とした大会で毎年7月に地方予選が行われた後、8月に全国大会が明治神宮野球場など東京都内の球場で行われている。女子硬式[編集]
高校女子硬式の大会において、現在、日本高等学校野球連盟は大会運営などに関わっていない。連盟および主要3大会については﹁全国高等学校女子硬式野球連盟﹂を参照。女子軟式[編集]
全国高等学校女子軟式野球選手権大会 全日本女子軟式野球連盟の主催。毎年8月に行われるが、参加校数が少なく地方大会はない。ルールや運営[編集]
特別ルール[編集]
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- 選手のベンチ入り最大人数
- 硬式男子
適用大会(予選) | 登録人数 | 主な理由 |
---|---|---|
1915年 夏・第1回~ 1928年 春・第5回 |
制限は無し。 | |
1928年 夏・第14回~ 1978年 春・第50回 |
14 | 当時、監督と選手11人には諸経費が支給されており、資金が潤沢な学校は多くの選手を登録できることから学校間の不均衡を無くす為。 |
1978年 夏・第60回~ 1993年 夏・第75回 |
15 | 全49代表制になり出場校が増えた事による。 |
1994年 春・第66回~ 2003年 春・第75回 |
16 | 投手の負担軽減の為。 |
2003年 夏・第85回~ 2023年 春・第95回 |
18 | 選手の負担軽減の為。 |
2023年 夏・第105回~ | 20 | 選手の負担軽減の為。 |
- コールドゲームの規定
- 全国大会では7回表のイニングが終了しないと、コールドゲームは成立しない。この場合、点差は考慮せず、主に天候(降雨)によるものである。
- 地方大会では大量の点差が開いた際、コールドゲームを成立させる規定がある。以前、コールドゲームの規定は各都道府県連が独自に制定していたが、1998年、100点差以上の点差がついた試合[5]を受け2000年の大会から5回10点差以上、7回7点差以上でコールドゲームを成立するよう全国でルールを統一した。地方大会の決勝戦や全国大会は点差によるコールドゲームの規定はないが明治神宮野球大会では規定がある。
主催[編集]
中継[編集]
春の選抜高校野球、夏の全国高校野球共にNHK地上波テレビ放送、及びNHKラジオ第1で全国中継がされる︵国会中継などの特別編成により別媒体での放送あり︶。このうちNHK地上波テレビ放送は時間帯によってNHK総合とNHK Eテレのリレーで放送される。原則として、午後0時台︵土曜日は大河ドラマ再放送の関係で午後1時台も︶は定時番組の視聴者確保のため、午後6時台は夕方の定時ニュース放送のためEテレにリレーする︵国会等特殊番組のために本来総合で流すべき時間帯にEテレへ臨時移動する場合もある。選抜期間中は、大相撲春場所のため、幕内の時間に合わせてEテレヘリレーする。後述︶。 リレー中継のきっかけとして、1974年︵昭和49年︶に開催された第56回全国高校野球選手権大会﹁鹿児島実業対東海大相模﹂の準々決勝の試合が延長戦にもつれ、午後7時以後定時番組を放送する都合で総合テレビでの放送を打ち切ることになってしまい︵ラジオ第1は定時ニュースを休止して中継を続けた︶、視聴者からNHK鹿児島放送局に抗議の電話が相次いでしまい、急遽7時のニュースを終えた同7:20から、NHK大阪放送局から裏送りをしてもらう形で、鹿児島向けの中継のみを行った[9]。これがきっかけで、あくる1975年の第47回選抜高校野球選手権大会以後、総合-教育︵Eテレ︶の相互リレーを行うことになった。 その他、毎日放送/毎日新聞社系列のGAORAでも全試合を全国に中継し[注 3]、決勝は近畿ローカル︵決勝進出校の地元局がネットする場合あり︶でMBSテレビでも生中継されている︵2002年までは全日程を放送していたが、後述の夏の大会とは違い、近畿地区の各独立テレビ局︵非ネット︶とのリレー中継は実施していない[注 4]︶。 また、夏の全国高校野球は近畿地区では全国高校野球選手権大会中継として朝日放送テレビ︵ABC︶でも中継される。これは夏の全国高校野球が朝日新聞社主催のためである。なお昼の一部の時間帯は近畿地区の各独立テレビ局とのリレー中継となる。BSではBS朝日4Kで、CSはスカイAで朝日放送テレビ制作の中継がノーカットで放送される︵スカイAは当日ディレイ放送︶。また朝日放送のホームページでインターネット配信によるライブ映像が無償で視聴できる。決勝戦と表彰式︵閉会式︶はテレビ朝日系列全局で放送されていたが、2015年の大会より同試合の地上波放送がネットワークセールス枠からローカルセールス枠へと変更されたことに伴い、同年はテレビ朝日のみ中継がされず、翌年以降は一部の系列局と衛星放送での放送となっている︵BSは2021年まではBS朝日でも放送されていたが、2022年からはBS朝日4Kのみでの放送になった[10]︶。 2010年夏の大会まではNHK衛星第2放送︵1984年-1986年は衛星第1放送︶でも放送された。当初は地上波との同時中継だったが、のちに開会式、開幕戦、決勝戦と、東京都と沖縄県の代表の試合に限り放送されるようになった。これは東京都の小笠原諸島と沖縄県の大東諸島に地上波の中継局がなかった[注 5]ことによるものである。 この他、独立テレビ局のある県ではその県の予選大会も中継され、地区大会の準決勝以上となると地元のNHKテレビ(放送エリアが複数地区にまたがる地区では総合テレビで愛知県大会、Eテレで岐阜県大会というようにチャンネルを分けて放送している。決勝も同様)が放送し、地区大会の決勝戦はNHKテレビに加えて地元のテレビ朝日系列局による中継も行なわれる場合がある。 なお、民放テレビでの中継は1957年 - 1958年の2年間、大阪テレビ放送︵現在チャンネルとしては朝日放送テレビが系譜︶が春・夏を通して独占して放送していた。大阪テレビは現在の朝日放送、毎日放送が合弁出資し、新聞社資本も朝日・毎日双方から受けていた関係による。 特殊例 ●NHKでは国会中継と大規模災害︵2011年東日本大震災など︶、及び夏季オリンピックと高校野球の日程が重複した場合、本来総合テレビ・ラジオ第1で放送すべき時間帯の放送はそれらを優先し、教育テレビ︵Eテレ︶とFM︵一時期ラジオ第2︶に迂回して放送する。特に、2016年8月9日のNHKラジオにおける夏の甲子園中継は、長崎平和祈念式典とも開催が重複する影響が出たため、10:55-11:30まで、ラジオ第1が﹁長崎平和祈念式典﹂、FMが﹁リオ五輪競泳決勝種目中継﹂を優先し、この間の高校野球中継が休止となる事態が発生した。 ●夏の甲子園に関しては、夏季五輪開催期間中、ジャパンコンソーシアム加盟各局持ち回り・JC協賛企業各社提供の五輪中継のために、本来朝日放送テレビで流すべき時間帯の放送が全くできず、BS・CS︵当日ディレイ︶、または関西県域局向けのリレー中継だけという日もあった。審判員[編集]
高校野球の審判員は高校野球審判員という資格が必要であり、各都道府県の野球連盟の審判部に登録されている高校野球審判員の中から各都道府県高野連理事の推薦により、甲子園に出場する審判が選ばれている。そのため審判員は元高校球児など野球経験者が多いが全てボランティアである。記録[編集]
春夏連覇・夏春連覇[編集]
春の選抜大会で優勝した年の夏の全国大会で優勝することを春夏連覇という。また、夏の全国大会で優勝した翌年の春の選抜大会で優勝することを夏春連覇という。春夏連覇や夏春連覇をすると、優勝校には2つの優勝旗が同時期に置かれることになる。過去に12例がある。初出場・初優勝[編集]
第1回は含まない。
開催年 | 大会 | 学校 | 備考 |
---|---|---|---|
1916年 | 夏・第2回 | 慶応普通部(東京) | |
1917年 | 夏・第3回 | 愛知一中(愛知) | |
1919年 | 夏・第5回 | 神戸一中(兵庫) | |
1923年 | 夏・第9回 | 甲陽中(兵庫) | ここまでセンバツ開始前 |
1931年 | 夏・第17回 | 中京商(愛知) | |
1934年 | 春・第11回 | 東邦商(愛知) | 春夏通じて初出場 |
1936年 | 夏・第22回 | 岐阜商(岐阜) | |
1949年 | 夏・第31回 | 湘南(神奈川) | ここから戦後・春夏通じて初出場 |
1950年 | 春・第22回 | 韮山(静岡) | 春夏通じて初出場 |
1953年 | 春・第25回 | 洲本(兵庫) | 春夏通じて初出場 |
1954年 | 春・第26回 | 飯田長姫(長野) | |
1955年 | 夏・第37回 | 四日市(三重) | |
1961年 | 春・第33回 | 法政二(神奈川) | 前年夏にも優勝し、夏春連覇達成 |
1964年 | 春・第36回 | 海南(徳島) | 春夏通じて初出場かつ最後の出場(2006年3月閉校[注 6]) |
1965年 | 夏・第47回 | 三池工(福岡) | 春夏通じて初出場・以後は甲子園未出場 |
1967年 | 春・第39回 | 津久見(大分) | |
1968年 | 春・第40回 | 大宮工(埼玉) | 春夏通じて初出場 |
1968年 | 夏・第50回 | 興国(大阪) | |
1971年 | 夏・第53回 | 桐蔭学園(神奈川) | 春夏通じて初出場 |
1972年 | 春・第44回 | 日大桜丘(東京) | 春夏通じて初出場 |
1973年 | 春・第45回 | 横浜(神奈川) | |
1976年 | 春・第48回 | 崇徳(広島) | |
1976年 | 夏・第58回 | 桜美林(東京) | |
1984年 | 春・第56回 | 岩倉(東京) | 春夏通じて初出場 |
1985年 | 春・第57回 | 伊野商(高知) | 春夏通じて初出場 |
1988年 | 春・第60回 | 宇和島東(愛媛) | |
1991年 | 夏・第73回 | 大阪桐蔭(大阪) | 夏の選手権大会、史上最速の創部4年目[注 7] |
1995年 | 春・第67回 | 観音寺中央(香川) | 春夏通じて初出場 |
2004年 | 春・第76回 | 済美(愛媛) | 春夏通じて初出場。春の選抜大会、史上最速の創部3年目 上甲正典監督は宇和島東時代に続いて2度目の初出場・初優勝達成 |
2013年 | 夏・第95回 | 前橋育英(群馬) |
四大会制覇[編集]
高校野球主要四大大会(年間スケジュール順に神宮・選抜・選手権・国体)全てを制覇した高校は以下の8校である。年は初優勝した年度。
学校 | 神宮 | 選抜 | 選手権 | 国体 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
帝京 | 1986年 | 1992年 | 1989年 | 1987年 | |
横浜 | 1997年 | 1973年 | 1980年 | 1980年 | 1997 - 1998年に初の年間四大大会制覇[注 8]。 |
報徳学園 | 2001年 | 1974年 | 1981年 | 1978年 | |
早稲田実 | 1976年 | 1957年 | 2006年 | 1977年 | |
日大三 | 2010年 | 1971年 | 2001年 | 2011年 | 2010 - 2011年に選抜以外の三大会制覇 |
高松商 | 2015年 | 1924年 | 1925年 | 1958年 | 公立校の達成は初。1958年の国体は同時優勝。 |
中京大中京 | 2019年 | 1938年 | 1931年 | 1953年 | |
大阪桐蔭 | 2021年 | 2012年 | 1991年 | 2012年 | 2012年の国体は同時優勝。 |
最も遅い初記録[編集]
記録 | シーズン | 都道府県 | 大会 | 達成した学校 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
初出場 | 春 | 山形 | 1973年・第45回 | 日大山形 | |
夏 | 沖縄 | 1958年・第40回 | 首里 | ||
春夏通じて | 沖縄 | 1958年夏・第40回 | 首里 | 宮崎・沖縄は学制改革以前の出場が春夏通じて無い。 | |
初勝利 | 春 | 新潟 | 2006年・第78回 | 日本文理 | |
夏 | 滋賀 | 1979年・第61回 | 比叡山 | ||
春夏通じて | 山形 | 1973年春・第45回 | 日大山形 | ||
初ベスト8 | 春 | 新潟 | 2006年・第78回 | 日本文理 | 北北海道は未達成 |
夏 | 山形 | 2006年・第88回 | 日大山形 | ||
春夏通じて | 山形 | 2004年春・第76回 | 東海大山形 | ||
初ベスト4 | 春 | 福島・新潟・島根・佐賀が未達成 | |||
夏 | 富山が未達成 | ||||
春夏通じて | 新潟 | 2009年夏・第91回 | 日本文理 |
記録 | シーズン | 地区 | 大会 | 達成した学校 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
初ベスト4 | 春 | 北海道 | 1960年・第35回 | 北海 | |
夏 | 北海道 | 1928年・第14回 | 北海中 | ||
春夏通じて | 北海道 | 1928年夏・第14回 | 北海中 | ||
初決勝進出 | 春 | 東北 | 2001年・第73回 | 仙台育英(宮城) | |
夏 | 北海道 | 2004年・第86回 | 駒大苫小牧(南北海道) | ||
春夏通じて | 北海道 | 1963年春・第35回 | 北海(南北海道) | ||
初優勝 | 春 | 北海道・東北が未達成 | |||
夏 | 東北 | 2022年・第104回 | 仙台育英(宮城) | ||
春夏通じて | 東北 | 2022年夏・第104回 | 仙台育英(宮城) |
最も遠ざかってる記録[編集]
記録 | シーズン | 都道府県 | 大会 | 達成した学校 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
選抜出場 | 新潟 | 2014年・第86回 | 日本文理 | ||
選抜出場(一般枠) | 新潟 | 2014年・第86回 | 日本文理 | ||
勝利 | 春 | 佐賀 | 2000年・第72回 | 佐賀商 | |
夏 | 鳥取 | 2014年・第96回 | 八頭 | ||
春夏通じて | 新潟 | 2017年夏・第99回 | 日本文理 | ||
ベスト8 | 春 | 鳥取 | 1981年・第53回 | 倉吉北 | 北北海道はベスト8進出経験なし |
夏 | 鳥取 | 1956年・第38回 | 米子東 | ||
春夏通じて | 鳥取 | 1981年春・第53回 | 倉吉北 | ||
ベスト4 | 春 | 福島・新潟・島根・佐賀が未達成 | |||
夏 | 富山が未達成 | ||||
春夏通じて | 鳥取 | 1981年春・第53回 | 倉吉北 |
記録 | シーズン | 地区 | 大会 | 達成した学校 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
ベスト4 | 春 | 東北 | 2012年・第84回 | 光星学院(青森) | |
夏 | 東海 | 2014年・第96回 | 三重(三重) | ||
春夏通じて | 四国 | 2018年夏・第100回 | 済美(愛媛) | ||
決勝進出 | 春 | 中国 | 2003年・第75回 | 広陵(広島) | |
夏 | 四国 | 2004年・第86回 | 済美(愛媛) | ||
春夏通じて | 四国 | 2016年春・第88回 | 高松商(香川) | ||
優勝 | 春 | 北海道・東北が未達成 | |||
夏 | 北信越 | 1928年・第14回 | 松本商(長野) | ||
春夏通じて | 中国 | 2003年春・第75回 | 広陵(広島) |
地域事情[編集]
- 春は福島・新潟・島根・佐賀の4県が一度もベスト4に入っていない。夏は富山県が一度もベスト4に入っていない。
- これまで春夏ともに一度も優勝したことがないのは青森・岩手・秋田・山形・福島・新潟・富山・石川・滋賀・鳥取・島根・宮崎の各県である。このうち山形・富山・島根の各県は春夏ともに一度も準優勝したこともない。
- また、山形・福島・新潟・富山・鳥取の各県は春夏の甲子園に加え、国体や明治神宮大会でも一度も優勝したことがない。
- ※いずれも2024年3月現在
北海道[編集]
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1963年 | 春・第35回 | 北海(南北海道) | 準優勝 | 0-10 | 下関商(山口) |
2004年 | 夏・第86回 | 駒大苫小牧(南北海道) | 優勝 | 13-10 | 済美(愛媛) |
2005年 | 夏・第87回 | 駒大苫小牧(南北海道) | 優勝 | 5-3 | 京都外大西(京都) |
2006年 | 夏・第88回 | 駒大苫小牧(南北海道) | 準優勝 | 1-1(延長15回引き分け) 3-4(再試合) |
早稲田実(西東京) |
2015年 | 春・第87回 | 東海大四(南北海道) | 準優勝 | 1-3 | 敦賀気比(福井) |
2016年 | 夏・第98回 | 北海(南北海道) | 準優勝 | 1-7 | 作新学院(栃木) |
地区 | 春 | 夏 | ||
---|---|---|---|---|
優勝 | 準優勝 | 優勝 | 準優勝 | |
北北海道 |
0 |
0 |
0 |
0 |
南北海道 |
0 |
2 |
2 |
2 |
合計 | 0 | 2 | 2 | 2 |
東北[編集]
甲子園大会ではかつて東北地方以北からは優勝校が出なかったため、関東の高校が優勝して﹃箱根の関﹄を越えて以降は、歴史上の関所になぞらえて優勝旗が﹃白河の関﹄を越す・越さない、と象徴的に表現されてきた。 しかし2004年・夏の大会において、駒大苫小牧︵南北海道︶が全国制覇を成し遂げると、それまでの最北だった作新学院︵栃木︶を大きく更新し、優勝旗は白河の関どころか一気に津軽海峡をも渡り、高校野球史上初めて北の大地に達することとなった︵北海道の欄参照︶。駒大苫小牧の優勝後、白河市長が苫小牧市長宛てに祝福の手紙を送っている[14]。 東北地方の高校は、2019年春までに春夏合計で12回︵春3回・夏9回︶も決勝戦まで勝ち進んでいながら、1度も優勝したことは無かったが2022年夏、仙台育英高校が初優勝を果たした。東北地方の学校が優勝していなかった原因については、北海道と同様の不利を挙げられることがある。実際、降雪期から隔たった秋季に行われる国体や明治神宮大会は、優勝校を出すことに成功している。国体でも1952年に盛岡商︵岩手︶が、明治神宮大会では1977年に東北︵宮城︶が、それぞれ東北勢として初優勝している。甲子園の決勝進出も2000年代に入って急増しており、地理的な不利は解消されつつあると見ることもできる。 また、1970年代以降に東北自動車道や東北新幹線などといった高速交通網が相次いで整備され、首都圏の強豪校との練習試合や東北地方以外に在住している有力選手を獲得することが容易に出来るようになったほか、2004年に発生した球界再編の影響により宮城県にプロ野球球団の東北楽天ゴールデンイーグルスが創設され、東北野球界の裾野が広がったことも東北地方の高校野球レベル向上に貢献したと指摘する識者もいる[15]。 白河関跡に建立されている白河神社は2009年以降、東北代表の6校に白河関の通行手形を送っているほか[16]、2022年夏に仙台育英︵宮城︶と聖光学院︵福島︶が準々決勝に進出した際は東北勢の優勝を祈願する参拝客が東北各県から訪れた[17][18]。2018年夏に金足農︵秋田︶、2022年夏に仙台育英︵宮城︶がそれぞれ決勝戦に進出した際は白河市が白河関跡において、パブリックビューイングを行っている[19]。 また、マスコミ各社は新幹線で帰仙する仙台育英の選手団が新白河駅を通過する瞬間を空撮し、白河神社にも取材が訪れていた[20]。神社から新幹線は見えないが、宮司が新幹線が走っているあたりを見つめる光景などもニュースで放送された。 青森県 青森勢の初の決勝進出は1969年夏の三沢。決勝では松山商と延長18回引き分け再試合の激闘を繰り広げ、準優勝。 2011年は光星学院が青森勢としては夏選手権で42年ぶりに、さらに翌2012年春選抜では再び光星学院が青森勢として史上初の決勝進出をそれぞれ果たしたものの、いずれも決勝戦で敗れ準優勝に終わった。ただしこの2大会の間に開催された明治神宮大会では青森勢として初の神宮大会優勝を成し遂げている。 さらに、同2012年夏も光星学院が3季連続で甲子園大会の決勝戦に進出。3季連続の決勝進出は、1983年夏から1984年夏のPL学園以来28年ぶりとなった。また、対戦相手は奇しくも同年春選抜優勝の大阪桐蔭︵大阪︶とだったが、同じ年の春夏の甲子園大会で決勝戦が同一カードとなるのは史上初だった。﹁三度目の正直﹂での優勝を目指した光星学院だった。その2012年夏の大会決勝戦を前に光星学院︵現・八戸学院光星︶の仲井宗基監督は﹁いつまでも︵マスコミから︶白河の関と言われないように結果を出したい﹂とコメントするほどであった[21]。しかし、又しても大阪桐蔭に敗れて3季連続の準優勝に終わり、悲願の全国制覇はならなかった。 秋田県 秋田勢は秋田中が1915年夏の第1回全国中等学校優勝野球大会に決勝に進出し準優勝。東北勢としては唯一、学制改革前の大会で決勝に進出している。 平成に入ると、1998年から選手権大会では13年連続初戦敗退という状況が続いた。 2018年夏に金足農が秋田勢として103年ぶりの決勝進出。決勝では大阪桐蔭に敗れるも、準優勝を果たす。 選抜では1960年の秋田商のベスト4が最高成績。 岩手県 2009年春に花巻東が決勝に駒を進めたが、紫紺旗を長崎にもたらした初の高校である清峰に敗れ、準優勝。翌日の一部スポーツ紙には﹁津軽海峡は渡ったけどまだ越えられない白河の関﹂という見出しがつけられた[22]。 選手権での最高成績はベスト4に進出した盛岡中︵1917年・1919年︶花巻東︵2009年・2013年︶。 山形県 山形県のみ、東北の県の中で春夏とも決勝進出経験が無く、2005年春の羽黒、2013年夏の日大山形のベスト4が最高成績である。2004年春に東海大山形がベスト8に進出するまで春夏通じてベスト8進出もなく、47都道府県で唯一20世紀にベスト8進出がなかった。 1985年夏に出場した東海大山形がKKコンビ擁するPL学園に7-29の惨敗を喫している。 宮城県 仙台育英︵1989年夏・2001年春・2015年夏︶・東北︵2003年夏︶と2021年以前は4度決勝に進出しながら接戦の末、何れも準優勝に終わっていたが、2022年夏、仙台育英が初めて甲子園での優勝を果たした。また、仙台育英、東北ともに明治神宮大会では複数回優勝を達成しており、特に東北は優勝4回と神宮大会最多優勝記録を持つ[注 9]。仙台育英は2023年夏も決勝に進出したが、慶応に敗れて連覇はならなかった。 福島県 2007年より2019年まで選手権大会は聖光学院の独占状態になっていた。福島勢の最高成績は、1971年夏の磐城の準優勝。2022年夏に聖光学院が県勢51年ぶりにベスト4に進出した。 2022年夏に仙台育英が優勝してからは、次は﹁勿来の関越え﹂を実現させようという呼びかけがネット上である[23]。 東北 日本海側 東北の内陸部にある﹁白河の関﹂に対して日本海側には﹁鼠ヶ関﹂があるが、﹁白河の関越え﹂に対して﹁鼠ヶ関越え﹂が意識されることはほとんどない。2022年夏に仙台育英が優勝してからは、次は﹁鼠ヶ関越え﹂を実現させようという呼びかけがネット上である[24]。 東北地方の日本海側の学校の決勝進出は過去2回。1915年夏の第1回大会の秋田中と、2018年夏の第100回大会の金足農で、いずれも秋田県。山形県はまだ決勝進出経験はなく、青森県の決勝進出は過去4回あるがいずれも太平洋側の市の学校で、青森市を中心とした青森県日本海側の決勝進出経験はない。開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1915年 | 夏・第1回 | 秋田中(秋田) | 準優勝 | 1-2 | 京都二中(京都) |
1969年 | 夏・第51回 | 三沢(青森) | 準優勝 | 0-0 (延長18回) 2-4 (再試合) |
松山商(愛媛) |
1971年 | 夏・第53回 | 磐城(福島) | 準優勝 | 0-1 | 桐蔭学園(神奈川) |
1989年 | 夏・第71回 | 仙台育英(宮城) | 準優勝 | 0-2 | 帝京(東東京) |
2001年 | 春・第73回 | 仙台育英(宮城) | 準優勝 | 6-7 | 常総学院(茨城) |
2003年 | 夏・第85回 | 東北(宮城) | 準優勝 | 2-4 | 常総学院(茨城) |
2009年 | 春・第81回 | 花巻東(岩手) | 準優勝 | 0-1 | 清峰(長崎) |
2011年 | 夏・第93回 | 光星学院(青森) | 準優勝 | 0-11 | 日大三(西東京) |
2012年 | 春・第84回 | 光星学院(青森) | 準優勝 | 3-7 | 大阪桐蔭(大阪) |
2012年 | 夏・第94回 | 光星学院(青森) | 準優勝 | 0-3 | 大阪桐蔭(大阪) |
2015年 | 夏・第97回 | 仙台育英(宮城) | 準優勝 | 6-10 | 東海大相模(神奈川) |
2018年 | 夏・第100回 | 金足農(秋田) | 準優勝 | 2-13 | 大阪桐蔭(北大阪) |
2022年 | 夏・第104回 | 仙台育英(宮城) | 優勝 | 8-1 | 下関国際(山口) |
2023年 | 夏・第105回 | 仙台育英(宮城) | 準優勝 | 2-8 | 慶応(神奈川) |
地区 | 春 | 夏 | ||
---|---|---|---|---|
優勝 | 準優勝 | 優勝 | 準優勝 | |
青森 |
0 |
1 |
0 |
3 |
岩手 |
0 |
1 |
0 |
0 |
宮城 |
0 |
1 |
1 |
4 |
秋田 |
0 |
0 |
0 |
2 |
山形 |
0 |
0 |
0 |
0 |
福島 |
0 |
0 |
0 |
1 |
合計 | 0 | 3 | 1 | 10 |
関東[編集]
人口の多い神奈川県と東京都の優勝回数が他県より圧倒的に多い。関東の学校が全国制覇を成し遂げ優勝旗がその学校にもたらされることを、江戸時代の交通の難所︵あるいは関所︶になぞらえ﹁箱根の関を越える﹂と表現することがあった。初めて﹁箱根を越した﹂のは1916年の夏の大会の慶応普通部︵東京[注 10]︶、その後1949年の夏の大会の湘南︵神奈川︶が達成した。 1916年夏に慶応普通部の優勝から湘南の優勝まで33年間の空白があるが、これが関東勢︵東京都含む︶にとって最長である。 春の優勝は1957年の早稲田実︵東京︶が最初となった。以後、1962年に作新学院︵栃木︶が史上初の春夏連覇を達成し、ここで関は箱根から白河に移った。2004年夏に駒大苫小牧︵南北海道︶が優勝するまでの間、最北端の優勝校だった。 2023年春に山梨学院︵山梨︶が優勝したことで、関東大会に参加する7県すべてで甲子園での優勝経験があることになった︵千葉は選抜、山梨は選手権で優勝経験がない︶。地区 | 春 | 夏 | ||
---|---|---|---|---|
優勝 | 準優勝 | 優勝 | 準優勝 | |
茨城 |
1 |
2 |
2 |
1 |
栃木 |
1 |
2 |
2 |
1 |
群馬 |
1 |
2 |
2 |
0 |
埼玉 |
2 |
2 |
1 |
2 |
千葉 |
0 |
3 |
3 |
3 |
東京[注 11] |
3 |
4 |
1 |
2 |
東東京[注 12] |
2 |
4 |
2 |
1 |
西東京[注 12] |
0 |
1 |
4 |
0 |
神奈川 |
7 |
4 |
3 | |
山梨 |
1 |
0 |
0 |
0 |
合計 | 18 | 24 | 25 | 13 |
- 茨城県
茨城県勢の優勝は3回(夏2回、春1回)だが、いずれも木内幸男率いるチーム(取手二及び常総学院)によりもたらされたものである。
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1984年 | 夏・第66回 | 取手二 | 優勝 | 8-4 (延長10回) |
PL学園(大阪) |
1987年 | 夏・第69回 | 常総学院 | 準優勝 | 2-5 | PL学園(大阪) |
1994年 | 春・第66回 | 常総学院 | 準優勝 | 5-7 | 智弁和歌山(和歌山) |
1999年 | 春・第71回 | 水戸商 | 準優勝 | 2-7 | 沖縄尚学(沖縄) |
2001年 | 春・第73回 | 常総学院 | 優勝 | 7-6 | 仙台育英(宮城) |
2003年 | 夏・第85回 | 常総学院 | 優勝 | 4-2 | 東北(宮城) |
- 栃木県
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1959年 | 夏・第41回 | 宇都宮工 | 準優勝 | 2-8(延長15回) | 西条(愛媛) |
1962年 | 春・第34回 | 作新学院 | 優勝 | 1-0 | 日大三(東京) |
1962年 | 夏・第44回 | 作新学院 | 優勝 | 1-0 | 久留米商(福岡) |
1976年 | 春・第48回 | 小山 | 準優勝 | 0-5 | 崇徳(広島) |
1986年 | 春・第58回 | 宇都宮南 | 準優勝 | 1-7 | 池田(徳島) |
2016年 | 夏・第98回 | 作新学院 | 優勝 | 7-1 | 北海(南北海道) |
- 群馬県
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1936年 | 春・第13回 | 桐生中 | 準優勝 | 1-2x | 愛知商(愛知) |
1955年 | 春・第27回 | 桐生 | 準優勝 | 3-4x(延長11回) | 浪華商(大阪) |
1999年 | 夏・第81回 | 桐生第一 | 優勝 | 14-1 | 岡山理大付(岡山) |
2013年 | 夏・第95回 | 前橋育英 | 優勝 | 4-3 | 延岡学園(宮崎) |
2024年 | 春・第96回 | 健大高崎 | 優勝 | 3-2 | 報徳学園(兵庫) |
- 埼玉県
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1951年 | 夏・第33回 | 熊谷 | 準優勝 | 4-7 | 平安(京都) |
1968年 | 春・第40回 | 大宮工 | 優勝 | 3-2 | 尾道商(広島) |
1993年 | 春・第65回 | 大宮東 | 準優勝 | 0-3 | 上宮(大阪) |
1993年 | 夏・第75回 | 春日部共栄 | 準優勝 | 2-3 | 育英(兵庫) |
2008年 | 春・第80回 | 聖望学園 | 準優勝 | 0-9 | 沖縄尚学(沖縄) |
2013年 | 春・第85回 | 浦和学院 | 優勝 | 17-1 | 済美(愛媛) |
2017年 | 夏・第99回 | 花咲徳栄 | 優勝 | 14-4 | 広陵(広島) |
- 千葉県
千葉県勢の決勝戦進出は春夏通じて過去9回(夏6回、春3回)。春の決勝戦進出は過去3回有るが、いずれも準優勝に終わっている。なお、夏選手権では1967年と1975年に習志野、1974年に銚子商がそれぞれ全国制覇を達成した。
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1965年 | 夏・第47回 | 銚子商 | 準優勝 | 0-2 | 三池工(福岡) |
1967年 | 夏・第49回 | 習志野 | 優勝 | 7-1 | 広陵(広島) |
1974年 | 夏・第56回 | 銚子商 | 優勝 | 7-0 | 防府商(山口) |
1975年 | 夏・第57回 | 習志野 | 優勝 | 5x-4 | 新居浜商(愛媛) |
1981年 | 春・第53回 | 印旛 | 準優勝 | 1-2x | PL学園(大阪) |
1992年 | 夏・第74回 | 拓大紅陵 | 準優勝 | 0-1 | 西日本短大附(福岡) |
1995年 | 春・第67回 | 銚子商 | 準優勝 | 0-4 | 観音寺中央(香川) |
2000年 | 夏・第82回 | 東海大浦安 | 準優勝 | 6-11 | 智弁和歌山(和歌山) |
2019年 | 春・第91回 | 習志野 | 準優勝 | 0-6 | 東邦(愛知) |
- 山梨県
山梨県勢は、春は4回、夏は3回ベスト4に進出していたが、2022年夏までに決勝戦へ進出することがなかった。2023年春に山梨学院が決勝へ進出し、かつ決勝でも勝利したことで全国制覇を達成している。
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
2023年 | 春・第95回 | 山梨学院 | 優勝 | 7-3 | 報徳学園(兵庫) |
- 決勝関東対決
関東勢同士の決勝戦は春3回・夏1回の計4回ある。また1987年夏・1993年夏・2015年夏はベスト4に関東勢が3校進出した。
開催年 | 大会 | 優勝校 | 結果 | 準優勝校 |
---|---|---|---|---|
1962年 | 春・第34回 | 作新学院(栃木) | 1-0 | 日大三(西東京) |
1972年 | 春・第44回 | 日大桜丘(西東京) | 5-0 | 日大三(西東京) |
1980年 | 夏・第62回 | 横浜(神奈川) | 6-4 | 早稲田実(東東京) |
1992年 | 春・第64回 | 帝京(東東京) | 3-2 | 東海大相模(神奈川) |
東海[編集]
東海4県(愛知県、岐阜県、三重県、静岡県)は、いずれの県も春夏の両方で優勝経験がある。 東海勢の夏の優勝は、2009年の中京大中京以来ないが、かつては中京商(現・中京大中京)の夏3連覇や、1933年から1941年にかけて春の選抜で東海勢(愛知県、岐阜県)が9大会連続決勝進出し、その内8大会で優勝している。 岐阜県は県岐阜商が戦前からの伝統ある名門校で、春3回優勝,夏1回優勝を誇る(岐阜県の優勝は春夏とも全て県岐阜商が成し遂げている)。 三重県は春夏とも優勝は1回ずつで、静岡県は春4回優勝・夏1回優勝している。
東海勢の近年の全国大会では、2019年の春の選抜で東邦が5度目の優勝を果たし、同年の明治神宮野球大会では中京大中京が優勝している。
- 愛知県
愛知県は、中京大中京が春夏最多11度の優勝,夏最多7度の優勝,春夏通算最多136勝,春最多58勝,夏最多78勝,史上唯一の夏3連覇,夏春連覇,春夏連覇を誇り、同じ愛知県の東邦も春最多5度の優勝記録を持ち、中京大中京と東邦の2校だけで甲子園200勝以上しているかなりの強豪県である。 特に東邦は、春に滅法強く夏は準優勝が最高成績であるため、「春の東邦,夏の中京」と地元ではいわれている。ただし、中京大中京は東邦に次ぐ春優勝4回(準優勝4回)と、春最多勝利数を誇っているため、春夏ともに強いといえる。
愛知県の強豪校である中京大中京,東邦,愛工大名電,享栄は「愛知私学4強」と呼ばれている。愛知私学4強のうち、享栄のみ春夏とも甲子園優勝・準優勝の経験がない。愛知県:春【優勝11回、準優勝8回】、夏【優勝8回、準優勝1回】、春夏通算【優勝19回、準優勝9回】。
地区 | 春 | 夏 | ||
---|---|---|---|---|
優勝 | 準優勝 | 優勝 | 準優勝 | |
静岡 |
4 |
0 |
1 |
6 |
愛知 |
11 |
8 |
8 |
1 |
岐阜 |
3 |
4 |
1 |
4 |
三重 |
1 |
0 |
1 |
1 |
合計 | 19 | 12 | 11 | 12 |
北信越[編集]
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1919年 | 夏・第5回 | 長野師範(長野) | 準優勝 | 4‐7 | 神戸一中(兵庫) |
1924年 | 夏・第10回 | 松本商(長野) | 準優勝 | 0-3 | 広島商(広島) |
1926年 | 春・第3回 | 松本商(長野) | 準優勝 | 0-7 | 広陵中(広島) |
1928年 | 夏・第14回 | 松本商(長野) | 優勝 | 3-1 | 平安中(京都) |
1930年 | 夏・第16回 | 諏訪蚕糸(長野) | 準優勝 | 2-8 | 広島商(広島) |
1954年 | 春・第26回 | 飯田長姫(長野) | 優勝 | 1-0 | 小倉(福岡) |
1978年 | 春・第50回 | 福井商(福井) | 準優勝 | 0-2 | 浜松商(静岡) |
1991年 | 春・第63回 | 松商学園(長野) | 準優勝 | 5-6x | 広陵(広島) |
1995年 | 夏・第77回 | 星稜(石川) | 準優勝 | 1-3 | 帝京(東東京) |
2009年 | 夏・第91回 | 日本文理(新潟) | 準優勝 | 9-10 | 中京大中京(愛知) |
2015年 | 春・第87回 | 敦賀気比(福井) | 優勝 | 3-1 | 東海大四(北海道) |
2019年 | 夏・第101回 | 星稜(石川) | 準優勝 | 3-5 | 履正社(大阪) |
地区 | 春 | 夏 | ||
---|---|---|---|---|
優勝 | 準優勝 | 優勝 | 準優勝 | |
長野 |
1 |
2 |
1 |
3 |
新潟 |
0 |
0 |
0 |
1 |
富山 |
0 |
0 |
0 |
0 |
石川 |
0 |
0 |
0 |
2 |
福井 |
1 |
1 |
0 |
0 |
合計 | 2 | 3 | 1 | 6 |
近畿[編集]
滋賀県を除く5府県は春夏の両方で最低2度優勝経験があり、かなりの強豪地方である。近畿地方の高校同士の決勝戦も何度か行われている。中でも大阪府は春夏とも10回以上優勝している。 兵庫県も強豪県であり、本州の高校の他に、淡路島にある兵庫県立洲本高等学校が優勝を果たしている。但馬地区からは出場校が出ていない。 和歌山県も智弁和歌山を中心に複数の高校が優勝している強豪県である。 奈良県の優勝回数は春夏各2回と上記3府県よりやや少ないが、智弁学園や天理などが実力を見せている。 京都府は龍谷大平安が夏3度制しており、他校より圧倒的に強い。甲子園には京都市内の高校が出場することが多いが、丹波地区にある福知山成美高等学校も実力を見せている。 滋賀県 甲子園のお膝元である近畿地方に属するものの、滋賀県勢は近畿勢で唯一2022年現在春夏とも優勝校がない。滋賀県はかつて夏選手権大会の区分が、1915 - 1972年まで京都府︵京津・京滋大会︶と、1974 - 1977年まで福井県︵福滋大会︶と、各2府県と合わせての代表だったが、滋賀県勢の出場が非常に少なかった[注 15]。滋賀県勢が夏の大会でようやく初勝利を挙げたのは1979年・第61回大会の比叡山で、47都道府県では最後であった。2001年・第83回大会、夏選手権で近江が春夏通じて滋賀県勢初の決勝進出を果たしたが、決勝では日大三に敗れて準優勝となった。春選抜は、2022年・第94回大会で補欠校から急遽出場した近江が決勝進出も、決勝では大阪桐蔭に敗れて準優勝となった。開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
2001年 | 夏・第83回 | 近江 | 準優勝 | 2-5 | 日大三(西東京) |
2022年 | 春・第94回 | 近江 | 準優勝 | 1-18 | 大阪桐蔭(大阪) |
- 大阪府
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1916年 | 夏・第2回 | 市岡中 | 準優勝 | 2-6 | 慶応普通部(東京) |
1934年 | 春・第11回 | 浪華商 | 準優勝 | 1-2x | 東邦商(愛知) |
1937年 | 春・第14回 | 浪華商 | 優勝 | 2-0 | 中京商(愛知) |
1946年 | 夏・第28回 | 浪華商 | 優勝 | 2-0 | 京都二中(京都) |
1949年 | 春・第21回 | 北野中 | 優勝 | 6-4 | 芦屋(兵庫) |
1952年 | 夏・第34回 | 八尾 | 準優勝 | 1-4 | 芦屋(兵庫) |
1953年 | 春・第25回 | 浪華商 | 準優勝 | 0-4 | 洲本 |
1955年 | 春・第27回 | 浪華商 | 優勝 | 4x-3(延長11回) | 桐生 |
1961年 | 夏・第43回 | 浪商 | 優勝 | 1-0 | 桐蔭(和歌山) |
1963年 | 夏・第45回 | 明星 | 優勝 | 2-1 | 下関商(山口) |
1968年 | 夏・第50回 | 興国 | 優勝 | 1-0 | 静岡商(静岡) |
1970年 | 春・第42回 | 北陽 | 準優勝 | 4-5x | 箕島 |
1970年 | 夏・第52回 | PL学園 | 準優勝 | 6-10 | 東海大相模(神奈川) |
1971年 | 春・第43回 | 大鉄 | 準優勝 | 0-2 | 日大三(東京) |
1976年 | 夏・第58回 | PL学園 | 準優勝 | 3-4x(延長11回) | 桜美林(西東京) |
1978年 | 夏・第60回 | PL学園 | 優勝 | 3x-2 | 高知商(高知) |
1979年 | 春・第51回 | 浪商 | 準優勝 | 7-8 | 箕島(和歌山) |
1981年 | 春・第53回 | PL学園 | 優勝 | 2x-1 | 印旛(千葉) |
1982年 | 春・第54回 | PL学園 | 優勝 | 15-2 | 二松学舎大付(東京) |
1983年 | 夏・第65回 | PL学園 | 優勝 | 3-0 | 横浜商(神奈川) |
1984年 | 春・第56回 | PL学園 | 準優勝 | 0-1 | 岩倉(東京) |
1984年 | 夏・第66回 | PL学園 | 準優勝 | 4-8(延長10回) | 取手二(茨城) |
1985年 | 夏・第67回 | PL学園 | 優勝 | 4x-3 | 宇部商(山口) |
1987年 | 春・第59回 | PL学園 | 優勝 | 7-1 | 関東一(東京) |
1987年 | 夏・第69回 | PL学園 | 優勝 | 5-2 | 常総学院(茨城) |
1989年 | 春・第61回 | 上宮 | 準優勝 | 2-3x(延長10回) | 東邦(愛知) |
1990年 | 春・第62回 | 近大付 | 優勝 | 5-2 | 新田(愛媛) |
1991年 | 夏・第73回 | 大阪桐蔭 | 優勝 | 13-8 | 沖縄水産(沖縄) |
1993年 | 春・第65回 | 上宮 | 優勝 | 3-0 | 大宮東(埼玉) |
1998年 | 春・第70回 | 関大一 | 準優勝 | 0-3 | 横浜(神奈川) |
2008年 | 夏・第90回 | 大阪桐蔭 | 優勝 | 17-0 | 常葉菊川(静岡) |
2012年 | 春・第84回 | 大阪桐蔭 | 優勝 | 7-3 | 光星学院(青森) |
2012年 | 夏・第94回 | 大阪桐蔭 | 優勝 | 3-0 | 光星学院(青森) |
2014年 | 春・第86回 | 履正社 | 準優勝 | 2-6 | 龍谷大平安(京都) |
2014年 | 夏・第96回 | 大阪桐蔭 | 優勝 | 4-3 | 三重(三重) |
2017年 | 春・第89回 | 大阪桐蔭 | 優勝 | 8-3 | 履正社(大阪) |
2017年 | 春・第89回 | 履正社 | 準優勝 | 3-8 | 大阪桐蔭(大阪) |
2018年 | 春・第90回 | 大阪桐蔭 | 優勝 | 5-2 | 智弁和歌山(和歌山) |
2018年 | 夏・第100回 | 大阪桐蔭 | 優勝 | 13-2 | 金足農(秋田) |
2019年 | 夏・第101回 | 履正社 | 優勝 | 5-3 | 星稜(石川) |
2022年 | 春・第94回 | 大阪桐蔭 | 優勝 | 18-1 | 近江(滋賀) |
- 決勝近畿対決
近畿勢同士の決勝戦は春9回・夏9回の計18回あり全国最多である。また2017年春はベスト4に近畿勢が3校進出し、決勝戦は大阪勢同士の対戦。2021年夏はベスト4を近畿勢が独占した。
近畿対三重も1回ある(2014年夏第96回大会 大阪桐蔭4-3三重)(現在高校野球の地区分けでは三重は東海地区に分類される)。
開催年 | 大会 | 優勝校 | 結果 | 準優勝校 |
---|---|---|---|---|
1921年 | 夏・第7回 | 和歌山中(和歌山) | 16-4 | 京都一商(京都) |
1922年 | 夏・第8回 | 和歌山中(和歌山) | 8-4 | 神戸商(兵庫) |
1923年 | 夏・第9回 | 甲陽中(兵庫) | 5-2 | 和歌山中(和歌山) |
1946年 | 夏・第28回 | 浪華商(大阪) | 2-0 | 京都二中(京都) |
1948年 | 春・第20回 | 京都一商(京都) | 1-0 | 京都二商(京都) |
1949年 | 春・第21回 | 北野(大阪) | 6-4 | 芦屋(兵庫) |
1952年 | 夏・第34回 | 芦屋(兵庫) | 4-1 | 八尾(大阪) |
1953年 | 春・第25回 | 洲本(兵庫) | 4-0 | 浪華商(大阪) |
1961年 | 夏・第43回 | 浪商(大阪) | 1-0 | 桐蔭(和歌山) |
1970年 | 春・第42回 | 箕島(和歌山) | 5-4 | 北陽(大阪) |
1979年 | 春・第49回 | 箕島(和歌山) | 8-7 | 浪商(大阪) |
1981年 | 夏・第63回 | 報徳学園(兵庫) | 2-0 | 京都商(京都) |
1997年 | 夏・第79回 | 智弁和歌山(和歌山) | 6-3 | 平安(京都) |
2014年 | 春・第86回 | 龍谷大平安(京都) | 6-2 | 履正社(大阪) |
2017年 | 春・第89回 | 大阪桐蔭(大阪) | 8-3 | 履正社(大阪) |
2018年 | 春・第90回 | 大阪桐蔭(大阪) | 5-2 | 智弁和歌山(和歌山) |
2021年 | 夏・第103回 | 智弁和歌山(和歌山) | 9-2 | 智弁学園(奈良) |
2022年 | 春・第94回 | 大阪桐蔭(大阪) | 18-1 | 近江(滋賀) |
地区 | 春 | 夏 | ||
---|---|---|---|---|
優勝 | 準優勝 | 優勝 | 準優勝 | |
滋賀 |
0 |
1 |
0 |
1 |
京都 |
2 |
2 |
4 |
|
大阪 |
12 |
10 |
14[注 17] |
5 |
兵庫 |
6 |
4 |
7 |
3 |
奈良 |
2 |
0 |
2 |
1 |
和歌山 |
5 |
5 |
8 |
5 |
合計 | 27 | 22 | 35 | 24 |
中国[編集]
中国地方では人口の多い広島県の優勝回数が他県より圧倒的に多い。中でも広陵高校が春選抜を3度制しており、春の広陵と呼ばれるほど全国的にも有名である。山陰地方︵鳥取県・島根県︶の高校は甲子園大会優勝経験が未だ一度もない。岡山県勢は春は1965年に岡山東商業高校が優勝したものの、夏は1度もない。 山口県は春夏とも1回ずつ優勝している。2022年は下関国際が決勝に進出したものの、仙台育英に敗れて準優勝に終わった。 岡山県 岡山県は前述したように春は岡山東商が優勝しているが夏は1999年に準優勝した岡山理大付が最高成績である。また1970年代は複数の大会でベスト4まで進出しており、1969年には準決勝で玉島商が三沢に2-3で敗れている。広島・山口・兵庫・四国など強豪県に囲まれているため弱さが目立つものの人口・天候などによる理由は当てはまらない。 山陰 2022年春までの甲子園での通算成績は、鳥取が58勝103敗︵春‥20勝28敗、夏‥38勝75敗︶、島根は42勝95敗︵春‥11勝31敗、夏‥31勝64敗︶と大きく負け越している。 鳥取県・島根県については、草創期には何度か上位進出があるものの、日本高野連が公表している統計︵2014年度︶によると鳥取県の高校野球部員数は47都道府県で最少となっている。ただし島根県に関しては徳島県や高知県の方が部員数は少ない[25]。 2018年現在まで山陰地方から決勝進出を果たした学校は、1960年春で準優勝した鳥取の米子東のみである。また2003年夏では、島根の江の川︵現・石見智翠館︶が、島根県勢として80年ぶり︵80年前は松江中=現・松江北以来︶にベスト4に進出した︵準決勝戦、1-6で宮城・東北高校に敗退︶。 さらに鳥取県勢の夏選手権では、鳥取中・鳥取一中︵現・鳥取西。1916年・1920年・1924年・1929年︶及び米子東︵1956年︶と過去5回のベスト4進出が最高位。島根県勢の春選抜では、松江商︵1961年︶及び大社︵1983年︶のと過去2回のベスト8進出が最高位である。開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1960年 | 春・第32回 | 米子東(鳥取) | 準優勝 | 1-2 | 高松商(香川) |
地区 | 春 | 夏 | ||
---|---|---|---|---|
優勝 | 準優勝 | 優勝 | 準優勝 | |
岡山 |
1 |
0 |
0 |
1 |
広島 |
5 |
6 |
7 |
5 |
鳥取 |
0 |
1 |
0 |
0 |
島根 |
0 |
0 |
0 |
0 |
山口 |
1 |
0 |
1 |
7 |
合計 | 7 | 7 | 8 | 13 |
四国[編集]
四国4県も全て春夏の両方で最低1回優勝経験があり(徳島県のみ夏の優勝は1回で他は2回以上優勝している)、全国的にも強い地方と言える。
- 徳島県
徳島県だけは、2019年現在私立高校の甲子園出場がない。理由のひとつとして徳島県内に私立高校が3校しかなく、3校のうち硬式野球部があるのが生光学園1校だけということが挙げられる[26][27][28][29]。また、2013年夏に富山第一が富山県の私立高校として初めて甲子園勝利を収めたため、私立校の甲子園勝利がないのも徳島県のみとなった。
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1947年 | 春・第19回 | 徳島商 | 優勝 | 3-1 | 小倉中(福岡) |
1950年 | 夏・第32回 | 鳴門 | 準優勝 | 8-12 | 松山東(愛媛) |
1951年 | 春・第23回 | 鳴門 | 優勝 | 3-2 | 鳴尾(兵庫) |
1952年 | 春・第24回 | 鳴門 | 準優勝 | 0-2 | 静岡商(静岡) |
1958年 | 夏・第40回 | 徳島商 | 準優勝 | 0-7 | 柳井(山口) |
1964年 | 春・第36回 | 海南 | 優勝 | 3-2 | 尾道商(広島) |
1974年 | 春・第46回 | 池田 | 準優勝 | 1-3 | 報徳学園(兵庫) |
1979年 | 夏・第61回 | 池田 | 準優勝 | 3-4 | 箕島(和歌山) |
1982年 | 夏・第64回 | 池田 | 優勝 | 12-2 | 広島商(広島) |
1983年 | 春・第55回 | 池田 | 優勝 | 3-0 | 横浜商(神奈川) |
1986年 | 春・第58回 | 池田 | 優勝 | 7-1 | 宇都宮南(栃木) |
2002年 | 春・第74回 | 鳴門工 | 準優勝 | 2-8 | 報徳学園(兵庫) |
地区 | 春 | 夏 | ||
---|---|---|---|---|
優勝 | 準優勝 | 優勝 | 準優勝 | |
香川 |
3 |
3 |
2 |
1 |
徳島 |
5 |
3 |
3 | |
愛媛 |
4 |
3 |
6 |
5 |
高知 |
3 |
5 |
2 |
2 |
合計 | 15 | 14 | 11 | 11 |
九州・沖縄[編集]
九州・沖縄では1947年の夏の大会で小倉中︵福岡︶が優勝し、深紅の大優勝旗は初めて関門海峡を越え、それまでの最西だった松山商︵愛媛︶を更新した。小倉中学の春の選抜準優勝に続く夏の全国制覇は九州地区の中学校の野球熱を一段と高めた。この機運に乗って朝日新聞西部本社の運動部長芥田武夫は全国に先駆け、全国中等学校野球連盟九州支部を組織し、秋に第一回九州大会を鹿児島の鴨池球場で開催した。九州大会は大成功を収め、他の地域も翌秋から地区大会を開催するようになる。この秋の地区大会での成績が以後、春の選抜大会出場校を決める際の重要な選考基準になる [30]。2010年には興南︵沖縄︶が九州・沖縄勢として初めての春夏連覇を達成。 九州では宮崎だけが春夏通じて優勝がないが、2013年に延岡学院の準優勝経験があるほか1999年の明治神宮野球大会で日南学園が優勝している︵#宮崎県を参照︶[注 18]。九州のみで春夏共に優勝しているところは大分︵津久見が春夏共に1度優勝︶だけで、福岡・佐賀は春の優勝がなく、長崎・熊本・鹿児島は夏の優勝がない。開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1934年 | 夏・第20回 | 熊本工(熊本) | 準優勝 | 0-2 | 呉港中(広島) |
1937年 | 夏・第23回 | 熊本工(熊本) | 準優勝 | 1-3 | 中京商(愛知) |
1947年 | 春・第19回 | 小倉中(福岡) | 準優勝 | 1-3 | 徳島商(徳島) |
1947年 | 夏・第29回 | 小倉中(福岡) | 優勝 | 6-3 | 岐阜商(岐阜) |
1948年 | 夏・第30回 | 小倉(福岡) | 優勝 | 1-0 | 桐蔭(和歌山) |
地区 | 春 | 夏 | ||
---|---|---|---|---|
優勝 | 準優勝 | 優勝 | 準優勝 | |
福岡 |
0 |
3 |
4 |
2 |
佐賀 |
0 |
0 |
2 |
0 |
長崎 |
1 |
1 |
0 |
0 |
熊本 |
1 |
0 |
0 |
3 |
大分 |
1 |
1 |
1 |
0 |
宮崎 |
0 |
0 |
0 |
1 |
鹿児島 |
1 |
1 |
0 |
1 |
沖縄 |
3 |
0 |
1 |
2 |
合計 | 7 | 6 | 8 | 9 |
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1947年 | 春・第19回 | 小倉中 | 準優勝 | 1-3 | 徳島商(徳島) |
1947年 | 夏・第29回 | 小倉中 | 優勝 | 6-3 | 岐阜商(岐阜) |
1948年 | 夏・第30回 | 小倉 | 優勝 | 1-0 | 桐蔭(和歌山) |
1954年 | 春・第26回 | 小倉 | 準優勝 | 0-1 | 飯田長姫(長野) |
1962年 | 夏・第44回 | 久留米商 | 準優勝 | 0-1 | 作新学院(栃木) |
1965年 | 夏・第47回 | 三池工 | 優勝 | 2-0 | 銚子商(千葉) |
1988年 | 夏・第70回 | 福岡第一 | 準優勝 | 0-1 | 広島商(広島) |
2011年 | 春・第83回 | 九州国際大付 | 準優勝 | 1-6 | 東海大相模(神奈川) |
- 佐賀県
佐賀県は1994年夏に佐賀商(佐賀)が樟南(鹿児島)に、9回表に決勝の満塁ホームランで8-4で九州勢同士の決勝戦制して、佐賀県勢初優勝を達成。これは決勝戦史上初の満塁ホームランでもあった。さらに2007年夏では佐賀北が8回裏の逆転満塁ホームランで広陵(広島)に5-4で逆転勝利。佐賀北の優勝は「がばい旋風」と呼ばれた。
春は1955年大会で佐賀商(高田に1-4で敗退)と、1989年大会で龍谷(横浜商に2-13で敗退)のベスト8進出が現時点の最高成績である。
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1994年 | 夏・第76回 | 佐賀商 | 優勝 | 8-4 | 樟南(鹿児島) |
2007年 | 夏・第89回 | 佐賀北 | 優勝 | 5-4 | 広陵(広島) |
- 長崎県
2009年春に清峰(長崎)が初優勝。夏は1952年大会で長崎商、1976年大会で海星、2007年大会で長崎日大がベスト4進出(佐賀北に0-3で敗退)が現時点の最高成績である。
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
2006年 | 春・第78回 | 清峰 | 準優勝 | 0-21 | 横浜(神奈川) |
2009年 | 春・第81回 | 清峰 | 優勝 | 1-0 | 花巻東(岩手) |
- 大分県
1967年春に津久見(大分)が初優勝。夏は1972年に初優勝した。
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1967年 | 春・第39回 | 津久見 | 優勝 | 2-1 | 高知(高知) |
1972年 | 夏・第54回 | 津久見 | 優勝 | 3-1 | 柳井(山口) |
2021年 | 春・第93回 | 明豊 | 準優勝 | 2-3 | 東海大相模(神奈川) |
- 熊本県
1958年春に済々黌(熊本)が初優勝した。夏は熊本工が3度の準優勝があるが、まだ優勝がない。
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1934年 | 夏・第20回 | 熊本工 | 準優勝 | 0-2 | 呉港中(広島) |
1937年 | 夏・第23回 | 熊本工 | 準優勝 | 1-3 | 中京商(愛知) |
1958年 | 春・第30回 | 済々黌 | 優勝 | 7-1 | 中京商(愛知) |
1996年 | 夏・第78回 | 熊本工 | 準優勝 | 3-6 | 松山商(愛媛) |
- 宮崎県
宮崎県は2013年夏において、延岡学園が決勝進出(前橋育英に3-4で敗れ準優勝)するまで、九州で唯一決勝進出経験が無かった。春では、1984年大会で都城がベスト4進出(PL学園に延長11回・0-1xでサヨナラ敗退)が現時点の最高成績である。
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
2013年 | 夏・第95回 | 延岡学園 | 準優勝 | 3-4 | 前橋育英(群馬) |
- 鹿児島県
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1994年 | 夏・第76回 | 樟南 | 準優勝 | 4-8 | 佐賀商(佐賀) |
1996年 | 春・第68回 | 鹿児島実 | 優勝 | 6-3 | 智弁和歌山(和歌山) |
- 沖縄県
開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
---|---|---|---|---|---|
1990年 | 夏・第72回 | 沖縄水産 | 準優勝 | 0-1 | 天理(奈良) |
1991年 | 夏・第73回 | 沖縄水産 | 準優勝 | 8-13 | 大阪桐蔭(大阪) |
1999年 | 春・第71回 | 沖縄尚学 | 優勝 | 7-2 | 水戸商(茨城) |
2008年 | 春・第80回 | 沖縄尚学 | 優勝 | 9-0 | 聖望学園(埼玉) |
2010年 | 春・第82回 | 興南 | 優勝 | 10-5 | 日大三(東京) |
2010年 | 夏・第92回 | 興南 | 優勝 | 13-1 | 東海大相模(神奈川) |
離島[編集]
沖縄では夏の大会では1977 - 78年に宮古、1988年に八重山がそれぞれ県大会準優勝とあと一歩のところで甲子園出場を逃しているが、2006年夏に八重山商工が出場(同年選抜で沖縄県の離島勢として初めて出場した)し、2勝を挙げている。 八重山商工の他、沖縄本島以外の「島」からは久賀(現周防大島・山口:1962年春、1999年夏)、隠岐(島根:2003年春)、洲本(兵庫:1953年春、1975年夏、1986年春、2012年春)、佐渡(新潟:2011年春)、大島(鹿児島:2014年春、2022年春)、小豆島(現小豆島中央・香川:2016年春)、大崎(長崎:2021年春)が甲子園に出場している(八重山商工、大崎、大島(2回目)以外の2001年以降の出場校は何れも21世紀枠)。 離島による甲子園優勝は、沖縄本島を除くと1953年春の洲本のみである。
学校にまつわる記録・エピソード[編集]
外地からの参加[編集]
第二次世界大戦前は、日本領である台湾、朝鮮、満洲租借地といった外地の学校も予選および全国大会に参加していた(春は台湾のみの参加)。1921年の夏の第7回大会に釜山商(釜慶高等学校)(朝鮮)、大連商が外地の学校として初出場していた。準優勝した例もあったが戦後、台湾・朝鮮・満州らは日本領では無くなったため参加がなくなった。
開催年 | 大会 | 外地の学校 | 結果 | 対戦相手 | |
---|---|---|---|---|---|
1926年 | 夏・第12回 | 大連商 | 準優勝 | 1-2 | 静岡中(静岡) |
1931年 | 夏・第17回 | 嘉義農林(台湾) | 準優勝 | 0-4 | 中京商(愛知) |
少数部員の活躍[編集]
分校・連合チームの参加[編集]
日本高等学校野球連盟︵高野連︶の大会参加資格規定では、﹁参加チームは、その学校の代表であることを要する﹂としており、原則として1校1チームでの出場が求められるが、本校との距離等の問題で本校と同一チームと出来ない分校は高野連に単独加盟することができる[32]。この例が適用され、都道府県大会に参加した学校は複数存在するが、実際に全国大会に出場した経験を持つ学校は、1997年の選抜大会に出場した日高中津分校︵和歌山︶のみであり、夏の選手権大会に出場した分校チームはない。 また、1997年の規約改正で全国高等学校体育連盟の定めた指針に準じる形で、学校が統廃合される場合に限り各都道府県高野連の承認を得た上で、新旧学校による連合チームの出場が認められるようになった。同年の高知大会では高岡宇佐分校・高知海洋の連合チームが出場した。逆に野球部側の希望で連合解消もできる[注 20]。また、2011年には東日本大震災に被災して部員数が減少した高校同士による連合チームの出場を容認する特例措置を設けられていた[33]。2012年夏の選手権地方大会からは条件が大幅に緩和され、部員が8人以下の学校同士による連合チームの結成や部員を他校から借りるケースが認められるようになった[34][35][36]。 これらの形で各都道府県大会に出場する連合チームがあるが、春・夏の甲子園に出場した連合チームはまだない[注 21][注 22]。中高一貫校[編集]
中高一貫校では中学3年の夏の大会終了後に高校の野球部の練習に参加できる特例がある[37][38]。出場辞退[編集]
出場校の不祥事︵暴力事件やその他の問題行為、出場選手の期末試験免除等学校側の規約違反など︶により地方大会、及び全国大会の出場を辞退するケースがある。これらは後日高野連からの処分も受けることもある。また地方大会では規定人数未満などやむを得ない理由で出場を辞退したケースもある。全国大会では第8回の新潟商が出場直前に急病人が続出し、出場を辞退している。以下は選抜大会・選手権大会における全国大会出場決定後に辞退した学校の一覧。開催年 | 大会 | 校名 | 辞退の要因 | 代替出場校 | 代替出場校の成績 |
---|---|---|---|---|---|
1922年 | 夏・第8回 | 新潟商(新潟)[注 23] | 部員の急病による人数不足 | なし[注 24] | |
1935年 | 春・第12回 | 浪華商(大阪) | 兄弟校の経営トラブルと学校の不審火 | 中京商(愛知) | ベスト8 |
1939年 | 夏・第25回 | 帝京商(東京) | 未登録選手[注 25]の出場[注 26] | 早稲田実(東京)[注 27] | ベスト8 |
日大三中(東京) | 選手資格に抵触する選手の出場[39][注 28] | ||||
1952年 | 春・第24回 | 門司東(福岡) | 野球部員への期末試験免除 | 長崎商(長崎) | ベスト8 |
1958年 | 春・第30回 | 浪華商(大阪) | 一般生徒の恐喝事件 | 和歌山工(和歌山) | 初戦敗退 |
1965年 | 春・第37回 | 高知商(高知) | 野球部員の他校野球部員への傷害事件 | 今治南(愛媛) | 初戦敗退 |
1967年 | 春・第39回 | 津山商(岡山) | 応援団員の婦女暴行事件 | 倉敷工(岡山) | 初戦敗退 |
1971年 | 春・第43回 | 北海(北海道) | 一般生徒の暴力事件 | 芦別工(北海道) | 初戦敗退 |
1975年 | 春・第47回 | 門司工(福岡) | 一般生徒の住居侵入・婦女暴行未遂事件 | 佐世保工(長崎) | 初戦敗退 |
1984年 | 春・第56回 | 函館有斗(北海道) | 部員による乗用車でのひき逃げ事故 | 砂川北(北海道) | 初戦敗退 |
1987年 | 春・第59回 | 東海大浦安(千葉) | 引退した3年生部員による傷害事件 | 常総学院(茨城) | 初戦敗退 |
1992年 | 春・第64回 | 神戸弘陵(兵庫) | 野球部員の喫煙 | 育英(兵庫) | ベスト8 |
2000年 | 春・第72回 | 敦賀気比(福井) | 野球部員の無免許運転による事故 | 高岡第一(富山) | 初戦敗退 |
2005年 | 夏・第87回 | 明徳義塾(高知) | 野球部員の喫煙と部内暴力 | 高知(高知) | 初戦敗退 |
2006年 | 春・第78回 | 駒大苫小牧(北海道) | 卒業した3年生部員の飲酒・喫煙 | 北海道栄(北海道) | 初戦敗退 |
2021年 | 夏・第103回 | 宮崎商(宮崎)[注 23][注 29] | 部員のCOVID-19感染 | なし[注 30] | |
東北学院(宮城)[注 31] | なし | ||||
2022年 | 春・第94回 | 京都国際(京都) | 部員のCOVID-19感染 | 近江(滋賀) | 準優勝 |
広島商(広島)[注 31] | なし |
夏の甲子園専門[編集]
春の甲子園専門[編集]
春の出場のみという高校は、2022年夏現在、甲子園の出場回数は最高でも4回である。兵庫の三田学園、福岡の博多工がそれぞれ4度春の大会に出場しているが夏の出場はない。その2校と同じく春に4回出場した東京の二松学舎大付は、春は準優勝の経験がありながら夏は東京大会・東東京大会の決勝で10回敗れていたが、2014年に初出場︵以後は春夏ともコンスタントに出場︶。同じく東京の国士舘︵春10回[注 44]・夏1回[注 69]︶は2005年に夏の初出場を果たすまで春は7回出場し、夏の未出場校では最多だった。山口の岩国︵春7回・夏5回[注 70]︶は2000年まで春は6回の出場があったが、夏は2000年が初出場だった︵ちなみに春夏通算8回目の出場となった2003年夏にベスト8に進出するまで甲子園未勝利だった。春はまだ勝利がない︶。 博多工は過去3度夏の福岡大会決勝に進出するも、現在のところ夏の甲子園出場は実現できていない。他に和歌山の海南︵旧海南中、春14回[注 71]・夏4回︶や大阪の上宮︵春8回・夏1回[注 72]︶のように、春の出場回数の方が極端に多い学校は出場枠の多い大都市圏を中心に多数存在する。例えば神奈川の東海大相模︵春12回[注 46]・夏11回[注 73]︶は、2000年、2011年、2021年のセンバツを制覇したほか、1992年︵準優勝︶、1995年、2005年、2006年、2018年と近年もセンバツで好成績を残しているが、夏の甲子園は1977年の次の出場が2010年︵準優勝︶であった︵その後、2015年に優勝︶。 春夏両方の出場経験はあるが、勝利したのは春だけという高校も存在し、香川の丸亀城西︵旧丸亀商︶︵春9回・夏5回[注 74]︶、兵庫の県尼崎︵春4回・夏1回︶は春は7勝しているが夏の勝利はない。北海道の北照は︵春5回・夏5回[注 75]︶春はベスト8を2回経験しているが夏の勝利はない。和歌山の田辺︵旧田辺中︶︵春3回・夏1回[注 76]︶春は2勝しているが、夏の勝利はない。なお、和歌山の向陽︵旧海草中︶は出場回数は春15回・夏7回と倍の差があるが、勝利数は春7勝・夏14勝と逆転している。夏は1929年に準優勝、1939年・1940年は連覇を達成しているが、春はベスト8が最高である。 主に春に強い学校を﹁春将軍﹂﹁春の○○﹂﹁桜の○○﹂と呼ぶ。愛知の東邦︵旧東邦商︶、愛工大名電︵旧名古屋電工→名古屋電気︶、広島の広陵︵旧広陵中︶などが代表例である。 北海道 ●鵡川は春は2002年・2004年・2009年の3回出場があるが夏の出場はない。 関東 ●国学院栃木は春は4回出場しベスト4が1回、ベスト16が1回。夏は2回出場しベスト16が1回。2022年までは勝利がなかった。夏の栃木大会決勝では7度敗退している。 ●健大高崎は春は7回出場[注 46]し、優勝1回、ベスト4が1回、ベスト8が2回。夏は3回出場し、ベスト8が1回。夏の群馬大会決勝では5度敗退している。 ●浦和学院は春は11回出場し23勝で優勝1回。夏は15回出場し12勝でベスト4が1回。夏の埼玉大会決勝では6度敗退している。 ●山梨学院︵旧山梨学院大付︶は春は7回出場[注 44]し優勝1回。夏は10回出場で2勝。 東海 ●東邦は春は31回出場、夏は17回出場。甲子園通算77勝のうち約4分の3の58勝が春の勝利で、春は優勝が5回︵最多回数︶、準優勝が2回あるが、夏は優勝経験はなく準優勝が1回のみである。夏の東海大会と愛知大会の決勝では12度敗退している。 ●愛工大名電は春は10回出場。夏は15回出場。甲子園通算24勝のうち16勝が春の勝利で、春は2004年準優勝、2005年優勝と好成績を残すも、夏は1981年に3勝︵ベスト4︶、1988年に1勝を挙げた以降、平成に入ってから8度目の出場までいずれも初戦敗退。平成最後︵9度目︶の夏出場となった2018年にようやく1勝を挙げ、平成時代夏未勝利を免れた。令和では2度目の夏出場となった2022年に3勝︵ベスト8︶。夏の愛知大会決勝では11度敗退している。 ●県岐阜商︵旧岐阜商→長良→岐阜商︶は春は30回出場[注 46]し優勝3回。夏は30回出場し優勝1回。夏の三岐大会決勝と夏の岐阜大会決勝では7度敗退している。 近畿 ●近大付は春は7回出場し優勝1回。夏は5回出場で2勝。夏の大阪大会決勝では8度敗退している。 ●報徳学園は春は23回出場し優勝2回。夏は15回出場し優勝1回。 ●神戸国際大付は春は5回出場し、ベスト4が1回。夏は3回出場し、ベスト8が1回。夏の兵庫大会決勝では5度敗退している。 ●市和歌山︵旧市和歌山商︶は春は8回出場し準優勝1回。夏は6回出場しベスト4が1回。 ●箕島は春は9回出場し優勝3回。夏は8回出場し優勝1回。 中国・四国 ●倉敷工は春は11回出場、夏は9回出場。春と夏共にベスト4が2回。夏は2003年を最後に出場していない。夏の東中国大会と夏の岡山大会決勝では7度敗退している。 ●広陵は春は27回出場し3回の優勝があるが、夏は24回出場し準優勝4回で優勝はまだない︵1927年は高松商に1対5、1967年は習志野に1対7、2007年は佐賀北に4対5と、3度目までは丁度40年周期で準優勝していた。4度目の決勝進出となった2017年は花咲徳栄に4対14で敗れ、またも優勝ならず︶。夏の山陽大会決勝、夏の西中国大会決勝、夏の広島大会決勝では16度敗退している。 ●高松商︵旧香川商︶は春は28回出場し37勝で優勝2回、第1回大会優勝校。夏は22回出場し25勝で優勝2回。夏の四国大会決勝、夏の北四国大会決勝、夏の香川大会決勝では19度敗退している。 ●高知︵旧城東︶は春は21回出場し優勝1回、準優勝1回。夏は13回出場し優勝1回。夏は2009年を最後に出場していない。夏の高知大会決勝では18度敗退している。 ●土佐は春は8回出場し準優勝1回。夏は4回出場し準優勝1回。夏は1989年を最後に出場していない。夏の南四国大会と夏の高知大会決勝では12度敗退している。 九州 ●福岡大大濠は春は5回出場し2017年と2021年にベスト8に進出しているが、夏は3回出場でベスト8が1回。夏は1989年を最後に出場していない。その2017年春の甲子園に出場した三浦銀二や、3学年下の山下舜平大などプロ入りした好投手を複数輩出しており、﹁春は投手力﹂と言われる典型例とも言える。 ●東海大福岡︵旧東海大五︶は春は1985年・2017年・2024年の3回出場があるが夏の出場はない。 ●清峰は春は2回出場し準優勝が1回︵2006年︶、優勝が1回︵2009年︶あるが夏は3回出場しベスト16が最高である。また長崎県勢自体も夏はベスト4が最高︵2007年の長崎日大他︶である。 ●沖縄尚学︵旧沖縄︶は春は7回出場し優勝2回。夏は10回出場しベスト8が2回。夏の南九州大会決勝と夏の沖縄大会決勝では6度敗退している。野球部新設校の快進撃[編集]
新設の野球部︵主に女子校の共学化が多い︶が突如として地方大会や全国大会を勝ち進むことがある。選手権大会では、駒大苫小牧︵南北海道︶は1966年に、明野︵茨城︶は1979年に、共に創部3年目で出場した。選抜大会では、八千代松陰は1980年に、東筑紫学園は1993年に、上宮太子は2000年に、共に創部3年目で出場した。済美︵愛媛︶は創部2年目の2003年の夏までは目立った成績はあげられなかったが、その年の秋の四国大会でいきなり優勝し、2004年春の選抜でも快進撃は続き優勝、夏の選手権で準優勝︵共に初出場︶に輝いた。同様な例に、神村学園︵鹿児島︶の2005年春選抜準優勝などがある。また、2002年夏の選手権で、創部2年目でベスト8に進出した遊学館︵石川︶は実質創部1年4ヶ月後である。2011年春の選抜に出場した創志学園[注 77]︵岡山︶は前年春の創部後、全員1年生で秋季中国大会準優勝を果たし、創部2年目で甲子園出場となった。この記録は史上最速で全国大会に出場した記録である。しかし結果は初戦敗退に終わった。なお創志学園は2010年、2011年夏の岡山大会は初戦で敗退しており、2012年夏に初勝利を挙げるまで甲子園出場経験がありながら夏の地方大会未勝利という珍しい状況であった。 2016年・第98回選手権大会では、日本全国にキャンパスを展開する通信制高校クラーク記念国際の本部校︵北海道深川市︶が北北海道大会を制し2014年春の創部から3年目で、通信制高校としても初の夏の甲子園出場を果たした。なお同校は前述した創志学園の兄弟校でもある。 2014年・第96回選手権大会の秋田代表・角館︵2代目︶は角館︵初代︶と角館南が合併しこの年の4月に開校した。これにより﹁前身校に甲子園出場経験がない新設合併開校1年目の高校による夏の甲子園出場﹂が実現したが、合併相手の角館南は女子校であり、他の男女共学の高校とは合併していないため、秋田高野連発行のパンフレットでは角館︵初代︶の開校・創部年︵1925年開校・1931年創部︶が引き継がれている[注 78]。この事例を適用した場合、創部1年目…すなわち甲子園出場経験がない男子硬式野球部がある男女共学の複数の高校が合併し誕生した新設合併校の開校1年目での夏の甲子園出場、あるいは競技そのものに新規に参入した選手が全員1年生の高校の夏の甲子園出場は、未だかつてない︵2022年現在︶。都立高校と甲子園[編集]
都立高校は、夏の地区予選である東京大会が東西に分かれた1974年まで甲子園には出場できず、初出場したのはエース・市川武史を擁した1980年夏の国立とかなり遅い︵箕島に0-5で敗戦。現在も国立は西東京代表唯一の都立校である︶。その後城東が1999年と2001年の夏に、2003年夏にも雪谷が出場した。また、選抜高等学校野球大会においては西東京の日野が2002年、2010年、2017年の3大会に21世紀枠推薦校として選出され出場とはならなかったが、2014年には同じく21世紀枠として選出された東東京の小山台が初めて都立高校として出場した。しかし前述の夏の大会を含めいずれも勝利を挙げることは出来ていない。つまり100年近く続いている大会で東京都のみ公立高校が甲子園大会で勝利しておらず、長い甲子園大会の歴史とは裏腹に都立高校にとって甲子園は程遠い存在となっている。その理由として歴史的に東京では私立高校を多く抱えていることが大きい。よって都立高校に甲子園出場の可能性が出てくるだけでも都立の星と報道される場合が珍しくない︵都立高等学校参照︶。全国高等学校野球選手権大会︵夏の甲子園︶東京大会、東西東京大会では甲子園出場経験のある小山台︵1949年、2018年、2019年︶、雪谷︵2009年︶を含め、日比谷︵1946年︶、東大和︵1978年、1985年︶、日野︵2013年︶が準優勝し甲子園出場をあと一歩のところで逃している。町立、村立、組合立高校。株式会社立、通信制と甲子園[編集]
町立高校は、1993年の選抜大会で知内︵北海道…知内町立︶が出場している。市町村合併により、市立に転換することが多く、町立は15校︵北海道14校、福岡県1校︶、村立高校は北海道に3校しかない。 また県境をまたぐ通学圏を持つ学校は﹁組合立高等学校﹂と呼ばれ、利根商︵群馬…利根沼田学校組合立︶が第4回明治神宮野球大会︵高校の部初年度︶に出場している。 大智学園は通信制であるが、株式会社立の高等学校となっている。定時制・通信制高等学校の大会に出場経験はあるものの、甲子園・神宮大会などの出場経験はない。通信制高校では前述したようにクラーク国際が出場しているため、大智学園も高野連に登録すれば出場できると考えられる。身体障害者、特別支援学校の出場[編集]
日本学生野球憲章では都道府県の高等学校野球連盟に加入できない特別支援学校︵学校教育法の扱いが異なる︶の出場を認めていない。しかし1983年、﹃北城ろう学校高等部﹄が当時の高野連会長牧野直隆の計らいで特例として沖縄県予選に出場を果たした[注 79]。この話は戸部良也﹃青春の記録 遥かなる甲子園 聴こえぬ球音に賭けた16人﹄、小野卓司の﹃廃校の夏〜風疹児たちのプレイボール﹄︵講談社刊︶としてノベル化や映画化された。2015年秋からは鹿児島高等特別支援学校の選手が連合チームに参加している[40]ほか愛知県の豊川特別支援学校の生徒が5校連合チームに参加している。 また東京都立青鳥学園特別支援学校の久保田浩司教諭が特別支援学校の生徒に甲子園を目指すサポートをする﹁甲子園夢プロジェクト﹂を設立し、神奈川の慶応の練習に特別支援学校の生徒が参加[41]するなどの実績もある。連続出場・隔年出場・ブランク出場[編集]
夏の連続出場 和歌山中学︵現・桐蔭︶は1915年夏の第1回大会から1928年夏の第14回大会まで14年連続出場し、14年連続出場は現在でも甲子園史上最長記録である。戦後の連続出場最長記録は2007年夏から2019年夏までの聖光学院の13年連続である︵選手権大会が中止となった2020年夏も代替大会で優勝しており、これを含めれば14連覇である。2021年は福島大会の準々決勝で敗退。この年に出場したのは日大東北︶。 2011年までは1998年夏から2004年夏まで続いていた明徳義塾の7年連続が戦後の連続出場最長記録だった。2005年夏に8年連続出場を決めていたが不祥事による出場辞退で連続甲子園出場は止まってしまった。2012年に智弁和歌山が8年連続出場とし、戦後の連続出場を更新。これを2015年に聖光学院が9年連続とし上回った。明徳義塾はその後2010年夏から2017年夏まで8年連続出場した。7年以上の連続出場を2度達成したのは明徳義塾が史上初である。 春の連続出場 岐阜商・長良︵現・県岐阜商︶は1932年春の第9回大会から1951年春の第23回大会まで戦争による中断期間を挟んで15年連続出場し、15年連続出場は現在でも甲子園史上最長記録である。戦後の連続出場最長記録は1966年春から1971年春までの平安︵現・龍谷大平安︶の6年連続である。 春夏連続出場 和歌山中学は1915年夏から1929年春の第5回大会まで12季連続出場し、こちらも甲子園史上最長記録。戦後の連続出場記録は1986年夏の第68回大会から1990年夏の第72回大会までの福井商の8季連続出場。 隔年出場 花巻東は2005年夏から2015年夏まで奇数年のみの1年おきに出場という珍事が6回続いていた。6回というのは隔年出場の最長記録である︵2017年夏の出場を逃し隔年出場記録がストップしたが、2018年夏と2019年夏に初の連続出場を果たした︶。 ブランク出場 春の選抜で21世紀枠は松山東が82年後︵前回1933年、次回2015年︶、一般選考枠は県和歌山商が70年後︵前回1937年、次回2007年︶に出場。夏の選手権は関西学院が70年後︵前回1939年、次回2009年︶に出場している。兄弟校・系列校同士の対戦[編集]
私立学校で兄弟校又は系列校同士が対戦することもある。開催年 | 大会 | 試合 | 勝利校 | 結果 | 相手校 |
---|---|---|---|---|---|
1972年 | 春・第44回 | 決勝 | 日大桜丘(東京) | 5-0 | 日大三(東京) |
1983年 | 夏・第65回 | 1回戦 | 東海大一(静岡) | 13-1 | 東海大二(熊本) |
1997年 | 夏・第79回 | 2回戦 | 佐野日大(栃木) | 2-1 | 宮崎日大(宮崎) |
1999年 | 夏・第81回 | 1回戦 | 長崎日大(長崎) | 5-0 | 日大三(西東京) |
2002年 | 夏・第84回 | 3回戦 | 智弁和歌山(和歌山) | 7-3 | 智弁学園(奈良) |
2013年 | 夏・第95回 | 2回戦 | 日大山形(山形) | 7-1 | 日大三(西東京) |
2021年 | 春・第93回 | 1回戦 | 東海大相模(神奈川) | 3-1(延長11回) | 東海大甲府(山梨) |
夏・第103回 | 決勝[42] | 智弁和歌山(和歌山) | 9-2 | 智弁学園(奈良) |
選手・監督にまつわる記録・エピソード[編集]
大学野球経験者の出場・19歳以上での出場[編集]
甲子園6回以上出場[編集]
現在、1人の選手が甲子園に出場できる回数は最大5回まで。しかし、学制改革前は旧制中学が5年制のため6回以上甲子園に出場することが可能であり︵ここには学制改革が行われた直後の高校生を含む︶、理論上は1人の選手が10回出場することが可能だった。1人の選手による最多出場回数︵ベンチ入りを含む︶は岡村俊昭、波利熊雄、光林俊盛︵いずれも平安中、現・龍谷大平安︶の9回[44]、試合に出場した回数に限ると岡村と小川正太郎︵和歌山中、現・和歌山県立桐蔭高校︶の8回が最高[44]。田中雅治︵海草中、現・和歌山県立向陽高校、のち朝日軍︶は1937年夏︵ベンチ入りのみ︶から8季連続出場、1941年夏の第27回大会に出場すれば9季連続出場であったが、戦争の影響により同大会が地方大会途中で中止となったため叶わなかった[44]。また初期の選抜大会には年齢制限がなかったためか、小林政重︵松本商、現・松商学園︶は同大会に6回出場している[44]。甲子園5回出場[編集]
学制改革後に、5回すべてに出場した選手は堤達郎︵高松商・1977年〜1979年︶、荒木大輔︵早稲田実・1980年〜1982年、のちヤクルトスワローズ他︶、小沢章一︵早稲田実・1980年〜1982年、荒木と同期の選手︶、黒柳知至︵早稲田実・1980年〜1982年、同上︶、清原和博︵PL学園・1983年〜1985年、のち西武ライオンズ他︶、桑田真澄︵PL学園・1983年〜1985年、のち読売ジャイアンツ︶、梅田大喜︵明徳義塾・2002年〜2004年︶、鶴川将吾︵明徳義塾・2002年〜2004年︶、道端俊輔︵智弁和歌山・2009年〜2011年︶[44]、黒川史陽、西川晋太郎、東妻純平︵いずれも智弁和歌山・2017年〜2019年︶[45]の12人。堤、黒柳、東妻の1年夏はベンチ入りのみ。 そのうち清原和博と桑田真澄は史上唯一5季連続でベスト4以上に進出し、優勝2回、準優勝2回という記録を残した︵KKコンビ︶。荒木大輔は1年夏からエースとして5季連続で甲子園に出場したが1度も優勝することはできず、学制改革後唯一の甲子園5敗を記録した投手になった。野球留学[編集]
保護者と同居し中学校に在学していた都道府県から、公立・私立を問わず遠方の都道府県の特定の学校へ進学をする例、あるいは﹁スポーツ推薦﹂で他地域の高校へ進学する例が増えた。これらは一般的に﹁野球留学﹂と称されるが、高校野球における野球留学は﹁保護者が同居する自宅からの通学者以外の者﹂[46]、をいい、他の都府県の中学校出身の生徒であっても保護者が同居する自宅からの通学者は越境通学であり、地元の高校に進学した選手でも親元を離れ寮や下宿で生活をする者は全て野球留学となる。 これは戦前から佐藤平七︵育英商︶、沢村栄治︵京都商︶のように野球留学する例や、学校自体が多くないため仕方なく遠方の学校に進学し野球部に入部する例などがあった︵当時は進学を機に本格的に野球を始める例が多かった︶。1990年の第62回選抜大会で複数の出場校で選手の半数以上が県外の生徒だったことから、選抜大会終了後に行われた衆議院の文部教育委員会で社会党の沢藤礼次郎議員が野球留学について触れ、﹁こういうこと︵野球留学︶は果たして良いのか﹂と文部省に質問した[46]。文部教育委員会の議論を受け高野連は1990年5月、高校側から中学生の勧誘を戒める通達を出している[46]。 以前、高野連が県外から入学している生徒にその理由を尋ねたところ、﹁高校数・生徒数が少ない都道府県の学校に入学すれば、全国大会に出場する難易度が低くなる﹂ことを理由として挙げた生徒が一番多く、次に多かったのが﹁学校の環境や施設の充実、良い指導者︵監督︶がいるため﹂で、﹁学費や寮費の減免や高校側からの勧誘﹂は3番目、4番目に多い答えだった[47]。また2007年に行われた高校野球特待生問題有識者会議でも全国大会に出場する難易度が低くなることや学校の環境や施設の充実を理由に野球留学をすることは問題視していないことが明らかにされている[47]︵野球留学をしたからといってチームのレギュラー入りや全国大会出場が簡単に出来るわけではないので︶。 日本学生野球憲章で禁じられている︵教育基本法や学校教育法では禁止していない︶はずの野球による特待生制度が報じられたこともある[48]。2007年春には高野連と朝日新聞社が、特待生の糾弾と根絶をめざすキャンペーンを始めたが、有識者からの反対意見や、生活困窮者がやむを得ず学費や寮費の減免がある学校へ特待生として進学した現状を高野連も考慮[49]、結果として、高野連や朝日新聞の意図とは逆の方向に日本学生野球憲章が改変され、特待生は条件付きで容認することになった。ただし、前述の特待生の糾弾と根絶をめざすキャンペーンの対象は特待生全体ではなく、生徒たちを有力高校に斡旋し金銭を得ていたブローカーの問題や有力校からの勧誘を歓迎する一部の保護者たちであった[50]。また高野連は特待生制度の改革を理由とした転校者、退学者を出すことは改革の本末転倒になるとし十分な緩和措置を講じた結果、転校者、退学者は一人も出なかったとしている[49]。 公立校では体育科を設置しスポーツ推薦を行ったり、商業科など実業系の学科や総合学科に選手を集めるなどして強化を行っていた。また一般的に進学校とされる学校の中には秋田、静岡、今治西のように、一般推薦の中に﹁野球部枠﹂のある学校も存在する。強豪校の監督の中には福井商・北野尚文、池田・蔦文也︵蔦に関しては、徳島県教育委員会が池田高校の全日制と定時制を交互に異動させていた︶のように、教員でありながら長年にわたり同じ学校で指揮を執り続けるケースもある。また、観音寺中央が他県出身の中学生を3年次に地元中学に転校させたり、鵡川が同一都道府県における通学圏外の選手を多数入部させるなどしていた︵2002年春に21世紀枠で出場した際はベンチ入り16人中10人が地元・胆振支庁の出身ではなかった︶というケースもある。なお2000年代以降は、公立校の全国募集が一般的となっており[51]、進学の支障は無くなりつつある。プロ野球経験者による監督・指導[編集]
従来は蔦文也のようにプロ球団退団後1年間を経るなどすれば監督登録されることが可能だったが、1962年に規定改正︵柳川事件を参照︶が行われて以降、プロ野球経験者がアマチュア野球の監督に就任することは、相当な困難を伴うことになった︵高校野球では1984年に指導者としてのアマ復帰が可能となったが、元プロ野球選手が高校野球チームを指揮する場合、少なくとも高野連加盟の同一高校で10年以上教職員として教鞭をとった上で、日本学生野球協会主催の審査により高校野球指導者としての認定を受けなければいけなかった。その後1994年には5年、1997年には2年と短縮された[52]︶その後教員免許や教職経験が無くとも指導が出来るようにプロ・アマ間で検討が行われ[53][54][55][56]、2013年7月1日からは学生野球協会と日本野球機構が実施する学生野球資格回復研修会を修了し、学生野球協会の認定を得れば高校生の指導が可能となった[57]。 南海︵現ソフトバンク︶やロッテなど5球団で打撃コーチを歴任した高畠導宏は、高校野球の監督を目指し、日本大学教育学部・通信課程に入学。教員免許を取得したが指揮を執らず死去した。この話は高橋克実主演で、2008年1月~2月にかけて﹃フルスイング (テレビドラマ)﹂で放送された。- 監督として初出場した大会
開催年 | 大会 | 氏名 | 指揮を執った学校 | 最終所属球団 |
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1991年 | 春・第63回 | 後原富 | 瀬戸内(広島) | 東映フライヤーズ |
2008年 | 夏・第90回[注 80] | 佐野心 | 常葉菊川(静岡) | 中日ドラゴンズ |
2012年 | 春・第84回 | 大越基 | 早鞆(山口) | 福岡ダイエーホークス |
2015年 | 春・第87回 | 若林弘泰 | 東海大菅生(東京) | 中日ドラゴンズ |
夏・第97回 | 山本晳 | 大阪偕星(大阪) | 太平洋ドルフィンズ(KBO) | |
楠城徹 | 九州国際大付(福岡) | 西武ライオンズ | ||
榊原聡一郎 | 宮崎日大(宮崎) | 広島東洋カープ | ||
2016年 | 夏・第98回 | 竹本修 | 市尼崎(兵庫) | オリックス・ブレーブス |
2017年 | 春・第89回 | 小林昭則 | 帝京第五(愛媛) | 千葉ロッテマリーンズ |
夏・第99回 | 中村良二 | 天理(奈良) | 阪神タイガース | |
日下広太 | 三本松(香川) | 新潟アルビレックスBC(BCL) | ||
2018年 | 春・第90回 | 三浦正行 | 延岡学園(宮崎) | 横浜大洋ホエールズ |
2019年 | 春・第91回 | 中谷仁 | 智弁和歌山(和歌山) | 読売ジャイアンツ |
2020年 | 春・第92回[注 81] | 佐々木誠 | 鹿児島城西(鹿児島) | 阪神タイガース |
2021年 | 春・第93回 | 島田直也 | 常総学院(茨城) | 大阪近鉄バファローズ |
試合にまつわる記録・エピソード[編集]
勝利校の校歌演奏(斉唱)と校旗掲揚[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e3/High_school_baseball_in_Yokohama_Stadium_Japan_2007-1.jpg/250px-High_school_baseball_in_Yokohama_Stadium_Japan_2007-1.jpg)
甲子園の土[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/High_school_baseball_in_Hanshin_Koshien_Stadium2007-1.jpg/220px-High_school_baseball_in_Hanshin_Koshien_Stadium2007-1.jpg)
サイレン[編集]
日本のアマチュア野球では、その機能が設置されている野球場の場合、プレイボール時とゲームセット後の挨拶時に、ほとんどの場合モーターサイレンが吹鳴される。甲子園球場での高校野球大会では、春・夏を問わず球場の開場時間、プレイボールとゲームセット後に長吹鳴の、また試合直前のシートノック︵守備練習︶開始・終了時に短吹鳴のサイレンが吹鳴される。高校野球では決勝戦を除いて、最低でも1日に2試合を行うため[注 85]、試合待ちの選手や担当係員への伝達のためにサイレンが必要となっている。なお、降雨コールドゲームが成立した時のサイレン吹鳴はない。 アマチュア野球にモーターサイレンが導入された経緯については、詳しくわかっていない[73]。ただ、1937年第23回選手権大会は盧溝橋事件が始まった直後に開会されたため、試合の開始・終了はサイレンを使用せず、進軍ラッパが代用された。 その他、夏の全国高校野球選手権大会期間中の8月15日︵終戦の日︶の正午には、黙祷を行うため1分間にわたってサイレンが鳴らされる︵1963年の第45回大会から︶。2020年の交流試合でも行われた。ただし、正午が試合中でない場合はこの限りではなく、観客の安全面を考慮して試合開始直前に鳴らされており、2010年は12時7分、2014年は12時15分、2016年は12時6分に鳴らされた︵各年とも、3試合開催日の第2試合開始前︶。なお、当日の試合が中止になった時は黙祷は行われない。 100回記念大会ではレジェンド始球式と称して、大会期間中の第1試合前の全てにおいて始球式を行なったため、第1試合開始時にはプレーボールのサイレン吹鳴は行われなかった。地方大会での阪神甲子園球場の使用[編集]
兵庫県大会や近畿大会でもかつては阪神甲子園球場が使用されたことがあり、全国大会出場歴がなくても地方大会として同球場でプレーしたことのある学校や選手も存在する。 阪神甲子園球場が完成した翌年の1925年︵第11回︶から地方大会に使用されており、この年から1928年︵第14回︶までは兵庫県大会の試合全てが阪神甲子園球場で行われた[74]。兵庫県の球児は本大会より一足先に完成されたばかりの阪神甲子園球場でプレーしていた。その後も兵庫県内の球場事情や立地条件が重なり、たびたび阪神甲子園球場が県大会の予選会場として使用されてきた︵但し外野席は開放せず︶[74]。兵庫県高野連としても、甲子園が﹃聖地﹄という認識はなく、﹁どちらかと言えば、兵庫県としては明石が特別で、甲子園は﹃その他の県下の球場の一つ﹄﹂という認識であった[74]。 ただ、元々地方大会が行われる7月はプロ野球・阪神タイガースが全国大会期間中に遠征に出る︵いわゆる長期ロード︶前に集中して主催試合を行うことから地方大会の会場としての日程の確保が難しかった上に球場使用料の問題があったこと[74]、加えて後に︵淡路島も含めて︶兵庫県下各地に多数の野球場ができたことから、阪神甲子園球場を県大会で使用する必要性が薄れたことで頻度は徐々に減っていった。 元々﹁なぜ地方大会を甲子園でやるのか﹂という声はあったが、決定的だったのは、2004年の県大会で阪神甲子園球場が使用された当日[75]に試合をした学校がその日の全国放送の番組で取り上げられ、さらに試合風景として阪神甲子園球場が映っていたことだった[74]。放送翌日は兵庫県高野連に抗議の電話[注 86]が殺到したため、上記の2004年を最後に予選会場としては使用されていない[74]。甲子園練習[編集]
選抜・選手権ともに大会の開幕前に、出場が決まった全代表チームによる阪神甲子園球場での事前練習︵通称‥甲子園練習︶が行われる。大会開幕までに阪神甲子園球場のグラウンドの雰囲気を事前に確かめさせるという目的があり、大会開幕の概ね一週間前から、移動が容易な兵庫県や大阪府など主に近畿地方のチームから指名され順次行われている。1チームの練習に参加できる人数は選手・監督・部長・マネージャー等を含めて35人まで[76]、割り当て時間は概ね30〜50分程度[77]で、当日はバックネット裏の座席が開放されているため一般客も無料で練習風景を見学できる。ただし雨天などでグラウンドでの練習が中止となった場合は、代わりに隣接する室内練習場での調整となることもある︵室内練習場には一般客向けの見学スペースはないため、この場合は非公開となる︶。 なお、夏の選手権大会については、プロ野球阪神タイガースの公式戦日程との関係で、日にちによっては午前中のみとなる場合がある。また、1998年の第80回と2008年の第90回、2018年の第100回の各記念大会、および2015年の第97回︵高校野球誕生100周年記念︶では、それぞれ日程上の都合で甲子園練習が行われず、代わりに施設見学が行われた。第97回大会の施設見学会では出場チームごとに15分ずつの時間が与えられ[77]、通常の甲子園練習と同じ要領のユニフォーム、またはその学校の制服を着用してグラウンドに下りてもらっての確認作業︵ただし出場登録を済ませている選手に限る︶と、球場各施設を見学する形を取っていた。第100回記念大会も同様に、各チーム15分ずつの時間が与えられ、選手たちがユニホーム姿でグラウンドに下りてその雰囲気を確認するなどした[78]。春優勝校と夏優勝校の決戦試合[編集]
高校野球の全国大会は春と夏で年2回あるが、両大会の優勝校同士による決戦試合が1回行われたことがある。 1927年、春優勝校は和歌山中︵和歌山︶で夏優勝校は高松商︵香川︶だったが、阪神間のファンから﹁ホンマに強いのはどっちやろ。試合やらしてみればどうや﹂という声があがり[79]、同年11月6日に大阪の寝屋川球場で両校による決戦試合が行われた。この試合は7対4で高松商が和歌山中に勝利した。 翌年度のチームではあるが甲子園大会でも、1961年の選抜大会決勝で前年春優勝の高松商と前年夏優勝の法政二が対戦し、4-0で法政二が勝利し夏春連覇を果たした。放棄試合・没収試合[編集]
放棄試合・没収試合は全国大会での例はないが、地方大会で発生している。主な原因は一方的な試合展開による人数不足が原因であるが、下記のような例もある。新型コロナウイルス関連[編集]
サヨナラ四球に関するエピソード[編集]
野球規則では打者が安全進塁権を行使しなかった場合﹁進塁放棄︵野球規則4.09b/得点︶でアウトが宣告されることがある。また3アウト目と同時にホームを踏んでも、得点は認められないとあるため下記が発生したことがある。 ●1982年選手権高知大会決勝・高知商対明徳。9回裏高知商が押し出し四球でサヨナラ勝ちを収めたが、打者走者が一塁ベースを踏む前に球審がゲームセットを宣告するという審判団のミスがあった。後日、県高野連は審判団のミスを謝罪したうえで、再試合は行わない旨を表明した。 ●2007年選手権茨城大会準々決勝・竜ヶ崎一対水戸葵陵。9回裏、水戸葵陵はサヨナラ押し出し四球の後、勝利に大喜びのナインがベンチを飛び出して抱き合うなか、打者もその輪に加わる。同じころ、サヨナラ負けにうなだれる竜ヶ崎一ベンチでは部長が﹁打者が︵一塁に︶進塁してないぞ﹂と叫んでいた。その言葉に﹁まだ終わったわけじゃない﹂とナインは冷静さを取り戻した。これに対し、水戸葵陵の監督も慌てて打者へ一塁への走塁を指示したが進塁放棄でアウトが宣告されサヨナラ勝ちは幻と消えた。試合は延長12回、水戸葵陵が2度目の押し出しサヨナラ四球を選び勝利した[84]。 ●1973年選手権2回戦・作新学院対銚子商。延長12回作新学院の江川卓が押し出し四球を与えた試合においても、銚子商の打者が喜びのあまり一塁へ進塁しなかったのを見た斉藤一之監督が﹁走れ!﹂と打者に指示を出し、アウト宣告を危うく免れた例もある[84]。ナイターについて[編集]
高校野球では、デーゲームが圧倒的に多いが、稀にナイターが行われることもある。誤審に関するエピソード[編集]
ボールカウント、アウトカウントに関する誤審[編集]
●1961年選手権栃木県大会、宇都宮対馬頭、3回裏・二死後宇都宮高の打者が空振り三振をした後、ネット裏の審判員から﹁公式記録員のスコアブックでは三振前に四球になっている﹂と主審に注意、主審は三振を取消し、四球を宣告。納得がいかない馬頭側は抗議の意を示した。その後主審は﹁自分のゲージは四球になっていない﹂と主張、両チームのスコア・ブックも四球ではなく、打者も﹁2ストライク3ボールから6球目を空振りしたと思う﹂と主張したが、公式記録員の記録では三振前に四球となっていた。結局、当初の判定通り三振におさまったものの、﹁公式記録員や掲示板のスコア係を高校生に任せていた﹂ことから県高野連に対し運営の甘さを反省せよとの抗議が寄せられた[87]。 ●1982年選手権、益田対帯広農業で、9回表の益田の攻撃の際、1イニングで4アウトという珍事が発生した。誤審を招いた歴代優勝校ボード[編集]
見出しで﹁誤審﹂と報道[編集]
●倉敷工業対金光大阪︵2009年選抜︶ - 一死三塁の場面で倉敷工業がスクイズを敢行。突っ込んできた三塁走者に触球する際、ミットから球がこぼれ空タッチとなったが球審は正規触球後の落球としてアウトと判定。主将が抗議したが判定は覆らず。この判定に対し、試合を見ていた視聴者から抗議電話が殺到した。しかし試合は倉敷工業が延長12回サヨナラ勝ちし勝敗は左右しなかったが試合時間が長引く原因となった[91]。 ●花巻東対盛岡大付︵2012年選手権岩手大会決勝︶ -3回表、一死一・二塁の場面で盛岡大付の選手が放った左翼ポール付近の打球を審判が本塁打と判定。花巻東の伝令が﹁ファウルではないのか﹂と猛抗議するが、試合は3-5で花巻東が敗退した。この試合は同大会準決勝でアマチュア野球史上初となる最速160 km/hを記録した注目右腕・大谷翔平︵現ロサンゼルス・エンゼルス︶の最後の夏の甲子園出場をかけた試合だったため試合前から注目度が高く、この判定は全国的に知れ渡った。翌日のスポーツ紙は﹁大谷、誤審に泣く﹂﹁花巻東、誤審の前に消える﹂などと誤審と決めつける見出しを打ち、敗れた花巻東に同情する記事を掲載した[92]。また、この一件に関して、この年の全国選手権大会の閉会式において高野連会長奥島孝康が講評の中で﹁とりわけ残念なのが、大谷投手を甲子園で見られなかったこと﹂と述べた。この発言に対し、高野連に﹁盛岡大付を侮辱し、失礼ではないか﹂などの批判が寄せられたという[93]。 ●創志学園対玉野光南︵2016年選手権岡山大会決勝︶-9回表、一死一塁の場面で創志学園選手の自打球で投手前に転がったゴロを審判はインプレーと判断一度は併殺、試合終了を認めるが、創志学園側の猛抗議により審判が自打球と判定を覆す。試合はその後創志学園が逆転勝利を収め甲子園大会への出場を決めた。創志学園の監督は﹁相手がゲームセットまで行ってしまっているからかわいそうなことをしてしまった。大人がジャッジをつけてやっていかないといけない。相手︵玉野光南︶の気持ちを考えるとこれ以上は何もいえない﹂とコメント。岡山県高野連の審判委員長は﹁︵自打球かどうかの︶映像は確認していない。手際が悪かったことは認めます。両チームに対して失礼でした﹂と謝罪した[94]。幻の甲子園大会[編集]
太平洋戦争中の1942年8月、文部省主催(本大会のみ朝日新聞社ではなかった)の大日本学徒体育振興大会の一つとして、全国から16代表を集めて開催された。2010年8月のNHK「戦争と平和」特集で「幻の甲子園」として採り上げられた。
甲子園出場をした主な著名人[編集]
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プロ野球選手経験者を除く。また高校名は出場当時の通称学校名で記述している。
- 芸能人
名前 | 職業 | 高校名 | 出場大会 | 備考 |
---|---|---|---|---|
山本譲二 | 歌手 | 早鞆 | 1967・第49回夏 | |
美木良介 | 俳優・歌手 | 岡山東商 | 1974・第46回春、1975・第57回夏 | |
森永健司 | 俳優 | 広島商 | 1981・第63回夏 | |
レッド吉田(TIM) | お笑い | 東山 | 1983・第65回夏 | |
ゴルゴ松本(TIM) | お笑い | 熊谷商 | 1985・第57回春 | |
関泰章 | 俳優 | 帝京 | 1998・第80回夏 | |
とにかく明るい安村 | お笑い | 旭川実 | 1999・第81回夏 | |
宮田悟志(BREATHE) | 歌手 | 東北 | 2001・第73回春 | |
メイデン古茂田(孝行球児) | お笑い | 愛工大名電 | 2003・第75回春、第85回夏 | |
伊藤毅 | 俳優 スポーツアナウンサー |
桐生第一 | 2003・第85回夏 | エースとしてベスト4進出に貢献。 |
武田知大 | 俳優 | 鈴鹿 | 2004・第86回夏 | |
八木将康 | 俳優 | 駒大苫小牧 | 2005・第77回春 | |
安藤龍(元PureBoys) | 俳優、タレント | 静清工 | 2005・第87回夏 | |
いけ団地 | お笑い | 清峰 | 2006・第78回春[95]、第88回夏[96] | |
本川翔太 | 俳優 | 倉吉北 | 2006・第88回夏 | 大会第15号本塁打を放つ。 |
鈴田修也 | 俳優 | 彦根東 | 2013・第95回夏 |
- 放送局員
名前 | テレビ局名 | 役職 | 高校名 | 出場大会 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
萩元晴彦 | TBS | プロデューサー | 県松本中 | 1947・第29回夏 | |
林正浩 | TBS | アナウンサー | 桜美林 | 1973・第45回春 | 2016年3月で定年退職し、翌4月よりキャスト・プラス所属。 |
伊藤慶太 | NHK | アナウンサー | 秋田 | 1989・第61回春 | 決勝戦のテレビ実況を春2回、夏1回担当。 |
上重聡 | 日本テレビ | アナウンサー | PL学園 | 1996・第78回夏 1998・第70回春、第80回夏 |
第80回夏・準々決勝では、松坂大輔を擁する横浜高校と、 延長17回の死闘を演じたチームのエースである。 |
矢野勝嗣 | 愛媛朝日テレビ | 営業→記者 →営業 |
松山商 | 1996・第68回春、第78回夏 | 第78回夏決勝戦では、延長10回裏に右翼手で出場の直後、 いわゆる「奇跡のバックホーム」を演じてサヨナラ負けを阻止。 延長11回表に先頭打者として二塁打、決勝のホームを踏むなど、 優勝に大きく貢献した。 |
中村信博 | NHK | アナウンサー | 高松 | 2005・第77回春 | |
米澤太郎 | NHK | アナウンサー | 小山台 | 2014・第86回春 | |
石田旭昇 | 福岡放送 | アナウンサー | 東筑 | 2017・第99回夏 2018・第90回春 |
- 競輪選手
名前 | 期 | 高校名 | 出場大会 | 備考 |
---|---|---|---|---|
鈴木保巳 | 1 | 県立前橋 | 1948・第30回夏 | |
坂東利則 | 28 | 市立西宮 | 1964・第36回春 | |
宮内英雄 | 41 | 銚子商 | 1974・第56回夏 | 主将として選手宣誓も行った。 |
星川淳 | 41 | 東海大相模 | 1974・第56回夏 | |
岡本新吾 | 42 | 伊都 | 1975・第47回春 | |
佐古雅俊 | 45 | 福井 | 1976・第58回夏 | |
荒川博之 | 49 | 小山 | 1976・第48回春、第58回夏 | |
大井健司 | 50 | 平安 | 1980・第52回春 | |
南雲孝之 | 54 | 二松学舎大付 | 1982・第54回春 | |
工正信 | 55 | 広島商 | 1982・第64回夏 | |
澤田光浩 | 63 | 福井 | 1985・第67回夏 | |
森内章之 | 64 | 熊本工 | 1986・第58回春 | |
角田直樹 | 71 | 高崎商 | 1990・第72回夏 | |
合志正臣 | 81 | 熊本工 | 1995・第67回春 | |
阿竹智史 | 90 | 徳島商 | 1999・第81回夏、2000・第82回夏 | |
伊原克彦 | 91 | 福井商 | 1999・第71回春 | |
阿久津浩之 | 94 | 佐野日大 | 2001・第83回夏 | |
上田栄蔵 | 95 | 伊都 | 1995・第67回春、1996・第68回春 | |
矢口大樹 | 95 | 千葉経大付 | 2006・第88回夏 | |
高市訓但 | 97 | 済美 | 2005・第87回夏 | |
中井太祐 | 97 | 智弁学園 | 2007・第89回夏 | |
一ノ瀬貴将 | 98 | 長崎日大 | 2003・第85回夏 | |
西山圭二 | 100 | 徳島商 | 1999・第81回夏、2000・第82回夏 | |
大矢崇弘 | 107 | 早稲田実 | 2009・第81回春 | |
大石崇晴 | 109 | 報徳学園 | 2010・第92回夏 | |
金ヶ江勇気 | 111 | 有田工 | 2013・第95回夏 | |
菊池竣太朗 | 111 | 常葉菊川 | 2013・第85回春 | |
小原亮哉 | 113 | 東福岡 | 2007・第89回夏 | |
古賀勝大 | 115 | 福知山成美 | 2008・第90回夏、2009・第81回春 | |
宇佐見優介 | 115 | 聖光学院 | 2011・第93回夏 | |
中村翔平 | 117 | 鹿児島実 | 2011・第83回春 | |
土生敦弘 | 117 | 大阪偕星学園 | 2015・第97回夏 | |
真鍋顕汰 | 121 | 松阪 | 2012・第94回夏 |
- その他スポーツ選手
名前 | 競技 | 高校名 | 出場大会 | 備考 |
---|---|---|---|---|
歌川善介 | プロボクシング | 福島商 | 1966・第48回夏 | |
三迫将弘 | プロボクシング | 広陵 | 1969・第51回夏、1970・第42回春 | |
青柳公也 | プロゴルフ | 取手一 | 1972・第44回春、1973・第55回夏 | |
須藤聡明 | プロゴルフ | 取手一 | 1972・第44回春、1973・第55回夏 | |
渡辺司 | プロゴルフ | 日大一 | 1973・第45回春、第55回夏 | |
平石武則 | プロゴルフ | 東洋大姫路 | 1977・第59回夏 | |
桑田泉 | プロゴルフ | PL学園 | 1987・第59回春、第69回夏 | 実兄は桑田真澄 |
金丸義信 | プロレス | 山梨学院大付 | 1994・第66回春 | |
三井所尊春 | 競艇 | 佐賀商 | 1997・第79回夏 | |
北村晃一 | プロゴルフ | 桐光学園 | 2002・第73回春、第84回夏 | 父は弁護士北村晴男 |
郷州征宜 | キックボクシング | 東海大甲府 | 2004・第86回夏 | |
武蔵平順 | 大相撲力士 | 広陵 | 2007・第79回春・第89回夏[97] | |
安河内将 | 競艇 | 小城 | 2007・第79回春[98] | 國學院大學卒業後に競艇選手に転向 養成所時代にやまとチャンプとなる |
山川雄大 | 競艇 | 神港学園 | 2010・第82回春[99] | 実弟は山川和大 |
石丸海渡 | 競艇 | 今治西 | 2011・第93回夏[100] | |
田村ハヤト | プロレス | 前橋育英 | 2013・第95回夏 | 決勝戦で本塁打を記録 |
佐々木翔斗 | 競艇 | 龍谷大平安 | 2014・第86回春[101] | 優勝経験者初の競艇選手 |
- YouTuber
名前 | 高校名 | 出場大会 | 備考 |
---|---|---|---|
カズロー | 花咲徳栄 | 2001・第83回夏、2003・第75回春 | |
トクサン | 帝京 | 2002・第84回夏 | |
ミノルマン | 大阪桐蔭 | 2010・第82回春 |
- その他
名前 | 職業 | 高校名 | 出場大会 | 備考 |
---|---|---|---|---|
亀岡偉民 | 政治家 | 作新学院 | 1973・第45回春、第55回夏 | 出場当時は「小倉偉民」 |
韓裕 | 実業家 | 京都商 | 1981・第63回夏 | 準優勝時のスタメン |
有田真平 | 放送作家 | 海星(長崎) | 1989・第71回夏 | 実兄は有田哲平 |
シウマ | 占い師 | 沖縄水産 | 1996・第68回春 | |
なきぼくろ | 漫画家 | PL学園 | 2003・第85回夏 |
禁止事項[編集]
高校野球では高野連や文部科学省が通達を出し禁止あるいは自粛となった事例がある。この項の内容は2007年に行われた高校野球特待生問題有識者会議で明らかにされたものである。 野球大会の主催 昭和20年代後半、山梨県の高校が県下の中学校を集めて野球大会を主催し有力選手をスカウトしていた。その後、文部省が事務次官レベルで全国に通達を出し、上位︵高校︶の学校が下位︵小中学校︶の学校の大会を主催することを禁止した[102]。 佐伯通達 1955年、全日本ハワイ遠征の際、プロ野球関係者が選手たちの見送りに混ざり全日本の選手たちに﹁餞別﹂の名目で現金を渡していたことが発覚した[102]。当時の高野連副会長佐伯達夫はこの行為に激怒し高校球児はプロ野球の札束攻勢に惑わされてはいけないとの理由で﹁通達﹂︵佐伯通達︶を出した。佐伯は高校側に罰則を設け、それに違反した学校には連座罰則を課すという強い態度で臨んだ。問題提起[編集]
単なる高校部活動の対抗戦に留まらず、時には社会的関心を集めるほど人気の高い高校野球であるが、学校関係者や保護者、主催する高野連やマスコミに対し様々な角度から問題提起が行われている。 メディアの扱いに関する問題 学校の部活動の一つでしかない高校野球が、新聞やテレビなどのメディアにおいて、他のスポーツの部活動に比べて突出して扱われている︵あるいは他の高校スポーツの取り上げられ方が高校野球に比べて極めて少ない︶ことを問題視する意見がある。実際マスメディアは高校の部活動で全国大会を主催している野球、サッカー、ラグビー、バレーボールとそれ以外のスポーツの取扱れた方には違いがある。スポーツライターの相沢光一は、NHKが2010年夏の大会では約130時間にわたって全試合を完全中継した︵G・Eテレを合わせたテレビが朝9時、R1が朝8時から、一日最大10時間もの放送枠を設定し、通常の番組は全て休止︶のに対し、同じ高校の総合大会であるインターハイの放送時間はNHK Eテレで10時間のダイジェストに過ぎなかったことを指摘し、NHKは他スポーツの放送をもう少し増やしてもいいのではないかとの意見を述べている[107]。またネット上では﹁高校野球だけが地域代表じゃない、人気は主催する朝日新聞社や長時間放送をするNHKによる創作﹂﹁メディアと高野連が選手によるドラマを創り崇めている﹂という指摘もある[108]。これらのネット上の批判に対し、産経新聞記者の出崎敦史は高校野球の記事が多いのは書く側から言わせてもらえば﹁読みたい﹂という読者のニーズが多いからだと反論している[109]。 なお、新聞大手でも全国大会を主催する朝日新聞・毎日新聞と、両紙以外の中央紙では高校野球の扱いに対して著しい温度差がある。読売新聞はTwitterに高校野球専用のアカウントを開設する、隔月刊の﹁報知高校野球﹂を出すなどそれなりに力を入れているが、後述の報道干渉問題など、しばしばトラブルを起こしている。産経新聞・日本経済新聞は扱いが他紙と比べて少なく、特に産経新聞は審査室会議で処分対象になった指導者の実名を積極的に公表するなど高野連・学生野球協会と対立することがある。日本経済新聞に至っては個別の学校や選手をほとんど取材しない。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
- 高校野球全国大会歴代優勝校
- 高校野球全国大会の記録一覧
- 甲子園の名がつく高校生大会一覧
- クラブ活動
- スポ根
- 高校野球板
- マスターズ甲子園
- 野球漫画
- 野球を扱った作品一覧
- 今ありて - 選抜高等学校野球大会大会歌
- 栄冠は君に輝く - 全国高等学校野球選手権大会大会歌
- 全国高等学校軟式野球選手権大会
- 高校野球100年のものがたり