若狭彦神社
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若狭彦神社・若狭姫神社 | |
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若狭彦神社(若狭彦神社 上社) 若狭姫神社(若狭彦神社 下社) | |
所在地 |
上社:福井県小浜市龍前28-7 下社:福井県小浜市遠敷65-41 |
位置 |
上社:北緯35度27分57.9秒 東経135度46分42.5秒 / 北緯35.466083度 東経135.778472度 下社:北緯35度28分44.1秒 東経135度46分48.3秒 / 北緯35.478917度 東経135.780083度 |
主祭神 |
上社:彦火火出見尊 下社:豊玉姫命 |
社格等 |
式内社(名神大2座) 若狭国一宮 旧国幣中社 別表神社 |
創建 | (伝)和銅7年(714年) |
本殿の様式 | 三間社流造 |
例祭 |
上社:10月10日 下社:3月10日 |
地図 |
若狭彦神社︵わかさひこじんじゃ︶は、福井県小浜市にある神社。式内社︵名神大社︶、若狭国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
上社・下社の2社からなり、上社︵小浜市龍前︶を﹁若狭彦神社﹂、下社︵小浜市遠敷︶を﹁若狭姫神社︵わかさひめじんじゃ︶﹂という。別称として郡名から﹁遠敷明神﹂とも呼ばれる。
概要[編集]
小浜市中心部から南東の多田ヶ岳山麓に鎮座する。上社︵若狭彦神社︶・下社︵若狭姫神社︶の2社からなるが、総称として﹁若狭彦神社﹂または﹁上下宮﹂と呼ばれる。 神紋は﹁宝珠に波﹂。これは彦火火出見尊︵山幸彦︶が龍宮で手に入れた潮を自在に操る潮盈珠・潮乾珠に因む︵山幸彦と海幸彦を参照︶。 若狭彦神社は畳・敷物業の神ともされ、現在はインテリア関係者の信仰も集める。若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされ、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、乳神様とよばれる大銀杏などがある。現在はほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐している。祭神[編集]
祭神は次の2柱[1] 若狭彦神社︵上社︶祭神 ●彦火火出見尊︵ひこほほでみのみこと︶ - ﹁若狭彦神﹂として祀る。 若狭姫神社︵下社︶祭神 ●豊玉姫命︵とよたまひめのみこと︶ - ﹁若狭姫神﹂として祀る。歴史[編集]
概史[編集]
社伝では、二神は遠敷郡下根来村白石の里に示現したといい、その姿は唐人のようであったという。和銅7年︵714年︶9月10日に両神が示現した白石の里に上社・若狭彦神社が創建された。翌霊亀元年︵715年︶9月10日に現在地に遷座した。白石の前鎮座地には、若狭彦神社境外社の白石神社がある。下社・若狭姫神社は、養老5年︵721年︶2月10日に上社より分祀して創建された。 国史では、天安3年︵859年︶に﹁若狭比古神﹂の神階が正二位勲八等に、﹁若狭比咩神﹂の神階が従二位にそれぞれ昇叙された旨が記されている。 延長5年︵927年︶成立の﹃延喜式﹄神名帳では若狭国遠敷郡に﹁若狭比古神社二座 名神大﹂と記載され、2座が名神大社に列している。 中世には上社が若狭国一宮、下社が二宮とされた。 明治4年 (1871年)に近代社格制度において国幣中社に列された。 元々は上社が祭祀の中心であったが、室町時代ごろから下社に移った。中世には社家の牟久氏が京の官人や有力御家人と結びつき、広大な社領を有した。神階[編集]
●若狭彦神 ●天安3年︵859年︶1月27日、従二位勲八等から正二位勲八等 ︵﹃日本三代実録﹄︶ - 表記は﹁若狭比古神﹂。 ●若狭姫神 ●天安3年︵859年︶1月27日、正三位から従二位 ︵﹃日本三代実録﹄︶ - 表記は﹁若狭比咩神﹂。境内[編集]
若狭彦神社︵上社︶[編集]
●本殿 - 福井県指定有形文化財。 ●楼門︵随神門︶ - 福井県指定有形文化財。[注 1] ●神門 - 福井県指定有形文化財。楼門(随神門)
神門
陰陽石
若狭姫神社︵下社︶[編集]
●本殿 - 福井県指定有形文化財。 ●楼門︵随神門︶ - 福井県指定有形文化財。[注 1] ●神門 - 福井県指定有形文化財。 ●能舞台 ●社叢 - 福井県指定有形文化財。楼門(随神門)
神門
能舞台
主な祭事[編集]
千年杉と神門の前で行われた棒振りの演舞
右側の青と赤の衣装の者は棒振りの演舞を行っている。
文化財[編集]
重要文化財︵国指定︶[編集]
●太刀 銘 宗□︵伝宗近︶︵工芸品︶ 平安時代の作。寛政7年︵1795年︶に奉納された。刃長79.1センチメートル。明治45年2月8日指定[4]。 ●詔戸次第︵乾元二年卯月廿一日︶1巻︵古文書︶ 鎌倉時代、乾元2年︵1303年︶の書写の祝詞。昭和48年6月6日指定[5]。福井県指定文化財[編集]
●有形文化財 ●若狭彦神社︵上社︶本殿・神門・随神門3棟︵建造物︶ - 昭和54年2月6日指定[6]。 ●若狭彦神社︵下社︶本殿・神門・随神門・社叢3棟︵建造物︶ - 昭和54年2月6日指定[7]。小浜市指定文化財[編集]
●有形民俗文化財 ●奉納船と神体船 - 市内各神社に残る7船のうち弁才船模型︵海幸丸︶。平成21年8月21日指定[8]。 ●天然記念物 ●若狭彦神社︵下社︶オガタマノキ - 昭和45年10月29日指定[9]。現地情報[編集]
所在地 ●若狭彦神社︵上社︶‥福井県小浜市龍前28-7 ●若狭姫神社︵下社︶‥福井県小浜市遠敷65-41 交通アクセス ●西日本旅客鉄道︵JR西日本︶小浜線 東小浜駅から ●若狭彦神社まで‥徒歩約30分 ●若狭姫神社まで‥徒歩約10分 周辺 ●若狭神宮寺 ●鵜の瀬脚注[編集]
注釈
出典
(一)^ 境内説明板。
(二)^ “海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群”. 文化庁. 2020年9月19日閲覧。
(三)^ “遠敷(おにゅう)祭り ”. 小浜市 商工観光課. 2022年2月3日閲覧。
(四)^ 太刀︿銘宗□︵宗近︶/﹀ - 国指定文化財等データベース︵文化庁︶
太刀 銘 宗□︵伝宗近︶1口︵小浜市ホームページ﹁若狭小浜のデジタル文化財﹂︶。
(五)^ 詔戸次第︿乾元二年卯月廿一日/﹀ - 国指定文化財等データベース︵文化庁︶
紙本墨書詔戸次第1巻︵小浜市ホームページ﹁若狭小浜のデジタル文化財﹂︶。
(六)^ 若狭彦神社︵上社︶本殿・神門・随神門︵小浜市ホームページ﹁若狭小浜のデジタル文化財﹂︶。
(七)^ 若狭彦神社︵下社︶本殿・神門・随神門・社叢︵小浜市ホームページ﹁若狭小浜のデジタル文化財﹂︶。
(八)^ 奉納船と神体船7件︵小浜市ホームページ﹁若狭小浜のデジタル文化財﹂︶。
(九)^ 若狭彦神社︵下社︶オガタマノキ︵小浜市ホームページ﹁若狭小浜のデジタル文化財﹂︶。
関連図書[編集]
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、65頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、355-356頁
- 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、116-117頁
- 『神道の本』学研、1992年、218頁