茨城県立取手第二高等学校
茨城県立取手第二高等学校 | |
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北緯35度53分29.4秒 東経140度4分6.7秒 / 北緯35.891500度 東経140.068528度座標: 北緯35度53分29.4秒 東経140度4分6.7秒 / 北緯35.891500度 東経140.068528度 | |
過去の名称 |
茨城県北相馬郡北総実修学校女子部 茨城県取手実科高等女学校 茨城県立取手高等女学校 茨城県立取手女子高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 茨城県 |
校訓 |
考究せよ 忍耐せよ 実践せよ |
設立年月日 | 1922年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 家政科 |
学校コード | D108221700026 |
高校コード | 08160E |
所在地 | 〒302-0005 |
茨城県取手市東二丁目5番1号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
茨城県立取手第二高等学校︵いばらきけんりつ とりでだいにこうとうがっこう︶は、茨城県取手市東二丁目にある県立高等学校。
概要[編集]
実業系女学校を経て、戦後すぐ共学化された。卒業後の進路は就職が半数近くを占め、次いで大学︵四年制・短期の両方を含む︶と専門学校進学が20%ずつを占める。主な進学先は県内・近郊の私立大学、短期大学、専門学校などである。 ●募集定員 普通科120名、家政科40名進学地域[編集]
取手市内を中心におおむね北は土浦市、南は我孫子市、東は稲敷市、西は常総市の範囲に広がる。 常磐線沿線を中心に通学圏が広いが、当校のすぐ南が他県︵千葉県︶になることから南には狭い。 かつては越県入学が可能であったため、主に千葉県の常磐線沿線地域からの入学者もいた。沿革[編集]
●1922年 - 茨城県北相馬郡北総実修学校設立 校内に女子部を置く ●1925年 - 茨城県取手実科高等女学校創立 ●1940年 - 県移管認可 茨城県立高等女学校となる ●1948年 - 茨城県立取手女子高等学校に改組 ●1949年 - 男女共学を実施、茨城県立取手第二高等学校に改称 ●1984年 ●第66回全国高等学校野球選手権大会優勝 ●第39回国民体育大会で硬式野球部が優勝校歌[編集]
作詞は東京の作詞家西條八十、作曲は福島市の作曲家古関裕而の作品[1]。部活動[編集]
野球部は甲子園に春夏合わせて6回出場し、前述のとおり1984年夏の大会で優勝した経験を持つ。これは茨城県勢初の全国制覇であるが、この年の国体優勝をもって木内幸男監督が退任し︵常総学院野球部監督に就任︶、それ以降は甲子園に出場することはなくなった。著名な出身者[編集]
●松沼博久 - 元・プロ野球選手︵投手︶︵西武︶ ●松沼雅之 - 元・プロ野球選手︵投手︶︵西武︶ - 松沼博久の弟。 ●大野久 - 元・プロ野球選手︵外野手︶︵阪神 → ダイエー → 中日︶。東洋大学附属牛久高等学校の教員・野球部監督、オーストラリアでのコーチを経て、侍ジャパンU15コーチ。 ●吉田剛 - 元・プロ野球選手︵遊撃手︶︵近鉄 → 阪神 → OBC野球解説者、現在は実業家︶※ ●石田文樹 - 元・プロ野球選手︵投手︶︵横浜︶※ ●折原啓子 - 女優 ●沼田和利 - 牛久市長 ※は第66回全国高等学校野球選手権大会優勝メンバー脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
部活動実績 |
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