近江高等学校
近江高等学校 | |
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北緯35度17分0.5秒 東経136度15分31.5秒 / 北緯35.283472度 東経136.258750度座標: 北緯35度17分0.5秒 東経136度15分31.5秒 / 北緯35.283472度 東経136.258750度 | |
過去の名称 | 近江實修工業學校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人近江育英会 |
併合学校 | 近江高等女學校 |
校訓 | 誠実・勤勉 |
設立年月日 | 1938年4月1日 |
創立記念日 | 11月5日 |
創立者 | 夏川嘉久次 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 アカデミー グローバル探究 アドバンス 総合→プロスペクト 商業科 キャリア |
学校コード | D125320200011 |
高校コード | 25503D |
所在地 | 〒522-0002 |
滋賀県彦根市松原町大黒前3511-1 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
近江高等学校︵おうみこうとうがっこう︶は、滋賀県彦根市松原町大黒前にある私立高等学校。スクールカラーは琵琶湖の青。2018年︵平成30年︶11月に創立80周年を迎えた。
夏川嘉久次
本校の前身のひとつである﹁近江実習工業学校﹂創立者の夏川嘉久次︵1898-1959︶は、昭和期に活躍した実業家。郷土の繁栄のため琵琶湖の水を利用した事業として、﹁八幡製糸﹂︵滋賀県八幡町宇津呂村。創業西川重威・岡田八十次︶から購入した屑繭や屑糸を用いて絹糸紡績をおこなう﹁近江絹綿﹂の創業者・夏川熊次郎の次男として彦根市に生まれ、彦根中学校︵現滋賀県立彦根東高等学校︶を中退して、1918年に父の会社︵1920年に﹁近江絹糸紡績﹂と改称。現オーミケンシ︶に入り、1930年に急逝した父親に代わって社長に就任し、大手紡績会社に成長させた[1][2][3][4]。1938年に近江実習工業学校を設立。1959年没する。
もうひとつの前身﹁近江高等女学校﹂の設立者は財団法人近江育英舎[5]。
教育方針[編集]
私学としての独自性をもち、生徒の進路希望・能力・適性に応じ、豊かな個性と明朗闊達で誠実・勤勉な人物を育て、もって将来社会の発展に貢献できる人材を育成する。教育目標[編集]
●自らを重んじ、他を敬愛する精神を涵養する。 ●真理を学び、叡智を深める。 ●身体を鍛え、気力を養う。 ●自治と協力・奉仕の精神を培う。沿革[編集]
●1938年︵昭和13年︶4月1日 - 初代理事長・夏川嘉久次が彦根市西馬場町︵元近江絹絲紡績・彦根工場敷地内︶に近江實修工業學校創立 ●1941年︵昭和16年︶12月5日 - 彦根市長曽根町に近江高等女學校創立 ●1942年︵昭和17年︶1月8日 - 彦根城内に近江實修工業學校移転 ●1948年︵昭和23年︶3月20日 - 学制改革により近江實修工業學校および近江高等女學校を併合し、近江高等学校︵定時制︶を創立、工業科・普通科を置く ●1952年︵昭和27年︶3月10日 - 商業科︵定時制︶設置 ●1956年︵昭和31年︶11月5日 - 普通科︵全日制︶設置 ●1958年︵昭和33年︶12月10日 - 家政科︵全日制︶設置 ●1960年︵昭和35年︶3月7日 - 商業科︵全日制︶設置 ●1982年︵昭和57年︶3月17日 - 金亀校舎から松原新校舎へ全面移転 ●1988年︵昭和63年︶10月20日 - 教育研究棟完成 ●1989年︵平成元年︶11月22日 - 夏川記念会館︵教育ホール︶完成 ●1991年︵平成3年︶6月27日 - 第2グラウンド完成 ●2005年︵平成17年︶8月24日 - 白帆会館︵セミナーハウス︶、青和寮︵学生寮︶完成 ●2006年︵平成18年︶4月1日 - 第2青和寮︵学生寮︶完成創立者[編集]
学科・コース[編集]
普通科 ●アカデミーコース︵特別進学コース︶ - 少人数で大学受験に特化したカリキュラムによる1日8限の授業を行うことで、難関国公立大学や最難関私立大学、医歯薬系大学への現役ストレート合格を目指す県内屈指の特進コース ●アドバンスコース︵準特進コース︶ - 2年次から医療系特進・理系進学・文系進学のいずれかを選択し、文武両道で難関大学進学を目指す準特進コース ●グローバル探究コース ●総合コース→プロスペクトコース ※2023年から名称変更する予定︵スポーツ系・教養系︶ - 2年次からスポーツ系・教養系のどちらかを選択し、学校設定教科も取り入れて明確な職業観を持って進学・就職に備えるコース 商業科
●キャリアコース︵観光ビジネス系・情報デザイン系︶ - 2年次から観光ビジネス系・情報デザイン系のどちらかを選択し、コンピュータや簿記などの上級資格の取得も目指しながら、専門的な知識や技術を学び進学・就職に備えるコース
クラブ活動[編集]
●★硬式野球 ●春の選抜大会に6回、夏の全国選手権大会に17回出場している。 ●2001年夏︵第83回全国高等学校野球選手権大会︶には滋賀県勢として初の決勝進出を果たした。 ●また2022年春︵第94回選抜高等学校野球大会︶は、当初は近畿地区の補欠校だったが、京都国際高等学校の出場辞退に伴い繰り上げ出場し、滋賀県勢として初のセンバツでの決勝進出を果たした[6]。 ●★柔道 ●インターハイや全国高等学校柔道選手権大会に出場している。 ●★バレーボール ●春の高校バレーに男子36回・女子13回、高校総体に男子39回・女子15回出場している。 ●★卓球 ●★陸上競技 ●ハンドボール ●★サッカー ●強化5年目で滋賀県代表として第99回全国高校サッカーに初出場した。 ●第102回全国高校サッカー選手権で、県勢としては野洲高校以来となるベスト4進出を果たし、初の国立行きを決めた。決勝では青森山田高校に敗れ準優勝に終わった。 ●テニス ●バドミントン ●弓道 ●★吹奏楽 ●華道 ●軽音楽 ●書芸 ●ダンス ●ESS ●新聞 ●放送 ★は強化指定部生徒会[編集]
●生徒会執行部 ●学級委員 ●文化委員 ●風紀委員 ●美化委員 ●厚生委員 ●図書委員 ●保健委員 ●体育委員 ●特活委員著名な出身者[編集]
詳細は「Category:近江高等学校出身の人物」を参照
野球[編集]
バレーボール[編集]
著名な教職員・関係者[編集]
- 多賀章仁(副校長・社会科、硬式野球部監督)
その他[編集]
- 2013年6月23日に体育館で歌のリレーでギネスに挑戦が開催された。1人が歌の1節を歌っていき次にリレーしていく方法で264人が「ABCのうた」を2回、「ほたるこい」を3回、「ハッピーバースデイ」を4回歌った。[7][8]
関連項目[編集]
脚注[編集]
(一)^ 夏川嘉久次︵読み︶なつかわ かくじコトバンク
(二)^ 夏川 嘉久次︵読み︶ナツカワ カクジコトバンク
(三)^ 筒井正夫, 藤栄剛, 柴田淳郎, 亀井大樹﹁士魂商才の精神と士魂商才館 第1部 近代日本資本主義の精神としての士魂商才︵筒井正夫︶ 第2部 士魂商才館と収蔵資料︵筒井正夫・藤栄剛・柴田淳郎・亀井大樹︶﹂﹃彦根論叢﹄第398巻、滋賀大学経済学会、2013年12月、12-49頁、CRID 1050282677716747264、hdl:10441/12388、ISSN 0387-5989。
(四)^ 近江絹糸紡績(株)﹃オーミケンシ外史 : 五十年のあゆみ﹄(1967.10)渋沢社史データベース
(五)^ 官報. 1941年12月29日
(六)^ “︻センバツ︼近江は初Vならず完敗 準決勝で死球を受けた山田陽翔は3回途中4失点で降板”. 日刊スポーツ. (2022年3月31日) 2022年3月31日閲覧。
(七)^ 歌のリレーでギネス挑戦 264人で 滋賀彦根新聞 2013年6月27日午前9時1分
(八)^ ギネスに挑戦!近江高等学校トピックス 2013年7月1日
外部リンク[編集]
部活動実績 |
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