蓬萊
蓬萊︵ほうらい︶とは、古代中国で東の海上︵海中︶にある仙人が住むといわれていた仙境の一つ。道教の流れを汲む神仙思想のなかで説かれるものである。
﹃山海経﹄における記述[編集]
中国最古の地理書﹃山海経﹄の﹁海内北経﹂に、﹁蓬萊山は海中にあり、大人の市は海中にあり﹂と記されている[1]。﹁市﹂とは蜃気楼のことで、九州や中部地方の日本海側ではしばしば目撃されるが、山東省煙台市の蓬萊区︵旧蓬萊県︶も蜃気楼の名所として古来より有名である[2]。五神山の一山として[編集]
仙人が住むといわれていた五神山の一つ。五神山には蓬萊の他に、﹁方丈﹂︵ほうじょう︶・﹁瀛洲﹂︵えいしゅう︶・﹁岱輿﹂︵たいよ︶・﹁員嶠﹂︵いんきょう︶があり、そのうちの﹁岱輿﹂及び﹁員嶠﹂は流れて消えてしまったとされている。東方三神山の一山として[編集]
また蓬萊は方丈・瀛洲とともに東方の三神山の一つであり、渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海︵渤海とも言われる︶にあり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。徐福伝説を記した司馬遷﹃史記﹄巻百十八﹁淮南衡山列伝﹂で記されている。 ●なお、他の二山の、﹁方丈﹂とは神仙が住む東方絶海の中央にあるとされる島で、﹁方壷︵ほうこ︶﹂とも呼ばれる[3]。 ●瀛洲はのちに日本を指す名前となった[3]。﹁東瀛︵とうえい︶﹂ともいう。北魏の太和11年︵487年︶、﹁瀛州﹂は、行政区分として制定される。 または台湾を指すとされる。台湾は、﹁蓬萊仙島﹂と中国語で呼ばれる自称がある。日本における蓬萊[編集]
日本では浦島伝説の一つ﹃丹後国風土記﹄逸文では﹁蓬山﹂と書いて﹁とこよのくに﹂と読み、文脈にも神仙などの用語が出てくること、田道間守の話や他の常世国伝承にも不老不死など神仙思想の影響が窺えることから理想郷の伝承として海神宮などと習合したとも思われる。 平安時代に、僧侶の寛輔が、﹁蓬萊山﹂とは富士山を指すと述べた[4]。 ﹃竹取物語﹄にも、﹁東の海に蓬萊という山あるなり﹂と記される[3]。求婚者の一人の車持皇子に難題として﹁蓬萊の玉の枝﹂を採取して持参することが課せられ、この玉の枝を巡る話が物語の一章をなす。また、富士山と結び付けられて言及されることがあり、謡曲の一つ﹃富士山﹄[5]には﹁然れば本号は不死山なりしを。郡の名に寄せて。富士の山とは申すなり。是蓬萊の。仙境たり﹂とあり、林羅山は﹁士峰元是小蓬萊﹂と詩に詠んだ[6]。 ほか、熊野、熱田などの霊山や仙境を蓬萊と呼ぶ[4]。脚注[編集]
- ^ 宮崎正勝「海からの世界史」角川選書、63頁
- ^ 同書64頁
- ^ a b c 宮崎正勝「海からの世界史」角川選書、68頁
- ^ a b 宮崎正勝「海からの世界史」角川選書、69頁
- ^ 『富士山』、謡曲三百五十番集入力
- ^ 堀川貴司「林羅山と富士山 ―中世から近世へ」、『山梨県立富士山世界遺産センター研究紀要 世界遺産 富士山』第3集、2019年