高知城前停留場
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高知城前停留場* | |
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停留場外観、奥に下り伊野方面行きのホーム | |
こうちじょうまえ Kochijo mae | |
◄大橋通 (0.2 km) (0.2 km) 県庁前► | |
北に高知城がある | |
所在地 |
高知県高知市本町 北緯33度33分30.62秒 東経133度32分2.13秒 / 北緯33.5585056度 東経133.5339250度座標: 北緯33度33分30.62秒 東経133度32分2.13秒 / 北緯33.5585056度 東経133.5339250度 |
所属事業者 | とさでん交通 |
所属路線 | 伊野線 |
キロ程 | 0.8 km(はりまや橋起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1904年(明治37年)5月2日 |
高知城前停留場︵こうちじょうまえていりゅうじょう︶は、高知県高知市本町にあるとさでん交通伊野線の路面電車停留場。
歴史[編集]
当停留場は1904年︵明治37年︶、警察前停留場︵けいさつまえていりゅうじょう︶の名で開業した[1]。とさでん交通の前身である土佐電気鉄道の創業より存在する停留場である。停留場名はその後本町公園通停留場︵ほんまちこうえんどおりていりゅうじょう︶に改称されるが、1944年︵昭和19年︶にいったん営業を休止[1][2]。1950年︵昭和25年︶に公園通停留場︵こうえんどおりていりゅうじょう︶の名で復活し、1978年︵昭和53年︶より高知城前停留場と称するようになった[1][2]。高知城前と改称する前は隣の県庁前停留場で下車して高知城へ向かう観光客が多く、名称変更は観光客への案内のためだったとされる[3]。年表[編集]
●1904年︵明治37年︶5月2日‥土佐電気鉄道本町線の開通にあわせて警察前停留場として開設[4]。 ●時期不詳‥本町公園通停留場に改称[1]。 ●1944年︵昭和19年︶4月1日‥休止[4]。 ●1950年︵昭和25年︶8月5日‥公園通停留場として停留場の復活が認可される[4]。 ●1978年︵昭和53年︶4月1日‥高知城前停留場に改称[1]。 ●2010年︵平成22年︶8月‥乗り場を交差点先に移設し、バリアフリー化。 ●2014年︵平成26年︶10月1日‥土佐電気鉄道が高知県交通・土佐電ドリームサービスと経営統合し、とさでん交通が発足[5]。とさでん交通の停留場となる。構造[編集]
高知城前停留場は伊野線の併用軌道区間にあり、道路上にホームが設けられている。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように置かれている[6]。ただし互いのホーム位置は東西方向にずれており、東にはりまや橋方面行きのホーム、西に伊野方面行きのホームがある[6]。周辺[編集]
高知城は停留場の北、徒歩5分の距離にある[7][8]。隣の大橋通停留場との間の軌道沿いには日本銀行高知支店や高知本町郵便局が立地する[7]。- 百十四銀行高知支店・伊野支店
- 高知県立文学館
- 高知県立公文書館
- 高知県立高知城歴史博物館
- NTT西日本高知支店
- ザクラウンパレス新阪急高知
- 商工組合中央金庫高知支店
- 国道32号
- 「高知城前」バス停留所
- 高知放送
隣の停留場[編集]
脚注[編集]
(一)^ abcde今尾恵介︵監修︶﹃日本鉄道旅行地図帳﹄ 11中国四国、新潮社、2009年、60頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
(二)^ ab服部重敬︵編著︶﹃路面電車新時代 LRTへの軌跡﹄山海堂、2006年、296頁。ISBN 4-381-01816-8。
(三)^ ﹃路面電車はゆく 高知﹄高知新聞社、1998年、88頁。ISBN 4-87503-268-4。
(四)^ abc﹃土佐電鉄が走る街 今昔﹄98・156-158頁
(五)^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通‥﹁再出発﹂ ﹁便利な市民の足に﹂高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
(六)^ ab川島令三﹃四国・九州ライン 全線・全駅・全配線﹄ 第2巻 四国西部エリア、講談社︿︻図説︼ 日本の鉄道﹀、2013年、41,92頁。ISBN 978-4-06-295161-6。
(七)^ ab﹃土佐電鉄が走る街 今昔﹄31頁
(八)^ “電車軌道路線図” (PDF). とさでん交通. 2017年5月14日閲覧。
参考文献[編集]
- 土佐電鉄の電車とまちを愛する会『土佐電鉄が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2006年。ISBN 4-533-06411-6。