ACTミニ・シアター
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種類 | 事業場 |
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市場情報 | 活動休止 |
略称 | ACT |
本社所在地 |
![]() 〒169-0051 東京都新宿区西早稲田3-14-2 早稲田通りビル2階 |
設立 | 1970年代 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | 映画の興行、フィルム・アーカイヴ |
代表者 | 沢健司 |
主要株主 | 有限会社アクト |
主要子会社 | ACT SEIGEI THEATER |
ACTミニ・シアター︵アクトミニ・シアター、1970年代 開館[1] - 2000年ころ 閉館︶は、かつて存在した日本の映画館である[2]。新作上映を中心としないいわゆる名画座であり、16mmフィルムベースによるサイレント映画以来のフィルム・アーカイヴを持ち、同アーカイヴ所蔵以外の作品も上映した。同経営によるACT SEIGEI THEATER[3]についても記述する。
略歴・概要[編集]
正確な年月日は不明であるが、1970年代のある時期、映画人を含めた人々の資金的支援を受けて開館する[1]。経営は沢健司を代表とする有限会社アクトである[2]。 同館が入居していた﹁早稲田通りビル﹂は早稲田通りに面しており、1969年︵昭和44年︶11月竣工の鉄骨6階建ての住居用も含めた雑居ビル[4]で、1階には早稲田通郵便局が現在も存在し、その右脇の階段を上ると入口があった[1]。客席に椅子席はなく、靴を脱いで入場し、カーペット敷のフラットフロアに座り、寝そべる形式なのが特徴であった[1]。プログラムとして﹁ACT﹂を会員・観客等を対象に発行・配布した[1]。 時期によって制度が異なるが、﹁ACT シネ・フレンド﹂という会員制度を設け、年会費によってフリーパス、半額等の特典があった[5]。 1977年︵昭和52年︶6月、映画雑誌﹃シネ・フロント﹄6月号に﹁ACTミニシアター訪問﹂として、穂積純太郎のルポルタージュにより同館が紹介される[6]。 1986年︵昭和61年︶には、フィルム・アーカイヴのほかに、今井正、新藤兼人、山田洋次、能登節雄ら映画人を世話人として、書籍等の資料をもつ映画資料館を開設した[1][7]。同時期に、前川つかさのマンガ﹃大東京ビンボー生活マニュアル﹄︵﹃モーニング﹄連載、1986年 - 1989年︶に、同館をモデルとしたとされるフラットフロアの映画館が登場する[1]。1988年︵昭和63年︶9月には、映画雑誌﹃シネマ・ジャーナル﹄7号に代表の沢健司がインタヴューされ、同館が紹介される[8]。 1986年︵昭和61年︶には、池袋にACT SEIGEI THEATERを開館、1994年︵平成7年︶9月には、雑誌﹃太陽﹄で紹介された[9]。 1990年代には、俳優・監督別の特集上映﹁日本映画をおもしろくした100人﹂を長期にわたり行なった[5][10]。 1999年︵平成11年︶には、池袋のACT SEIGEI THEATERが閉館。 2000年︵平成12年︶には、ACTミニシアター西早稲田本館が閉館した。データ[編集]
●所在地 : 169-0051 東京都新宿区西早稲田3-14-2 早稲田通りビル2階 [2][11] ●席数 : 40席 [2]︵座席はなく、フラットフロア [1]︶ ●代表・支配人 : 沢健司 [2] ●経営母体 : 有限会社アクト [2]上映したおもな映画[編集]
出典のみられるおもな映画である。 ●小津安二郎﹃大学は出たけれど﹄[10]、﹃落第はしたけれど﹄[10]、﹃生れてはみたけれど﹄[10]、﹃浮草﹄[10]、﹃小早川家の秋﹄[10] ●成瀬巳喜男﹃めし﹄[10]、﹃石中先生行状記﹄[10] ●杉江敏男﹃香港クレージー作戦﹄[10]、 ●坪島孝﹃クレージー作戦 くたばれ!無責任﹄[10] ●杉江敏男﹃無責任遊侠伝﹄[10] ●古澤憲吾﹃ホラ吹き太閤記﹄[10]、﹃クレージー大作戦﹄[10] ●衣笠貞之助﹃ある夜の殿様﹄[10] ●山本嘉次郎﹃馬﹄[10] ●市川崑﹃プーサン﹄[10] ●小林正樹﹃あなた買います﹄[10] ●鈴木清順﹃けものの眠り﹄[12] ●ロベルト・ロッセリーニ﹃アモーレ﹄[10]、﹃無防備都市﹄[10]フィルム・アーカイヴ[編集]
下記のようなサイレント映画を中心とした16mmフィルム版のプリントを所蔵し、﹁古典映画コレクション﹂として、繰り返し低料金で上映した[5]。アーカイヴの現在の所在は不明である。- セルゲイ・エイゼンシュテイン『戦艦ポチョムキン』、『ストライキ』
- ジャン・コクトー『オルフェ』
- ロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』
- D・W・グリフィス『イントレランス』
- ルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』、『忘れられた人々』
- ルネ・クレール『幕間』
- トッド・ブラウニング『フリークス』
- ジャン・ルノワール『大いなる幻影』、『どん底』
- アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』
- ジュリアン・デュヴィヴィエ『舞踏会の手帖』
- フェデリコ・フェリーニ『カビリアの夜』
- ヴィットリオ・デ・シーカ『自転車泥棒』
- カール・テオドア・ドライヤー『裁かるゝジャンヌ』
- アルフレッド・ヒッチコック『暗殺者の家』
- ジョルジュ・メリエス『月世界旅行』
ACT SEIGEI THEATER[編集]
種類 | 事業場 |
---|---|
市場情報 | 消滅 |
略称 | SEIGEI |
本社所在地 |
![]() 〒171-0022 東京都豊島区南池袋1-13-21 和泉屋ビル地階 |
設立 | 1991年6月15日 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | 映画の興行 |
代表者 | 沢健司 |
主要株主 | 有限会社アクト |
ACT SEIGEI THEATER︵アクト セイゲイ シアター、1986年6月15日 開館 - 1999年 閉館︶は、かつて存在した日本の映画館である[3]。イギリスの映画監督デレク・ジャーマンの作品を特集したオープン記念企画﹁デレク・ジャーマン映画祭﹂で幕を開けた。
データ[編集]
●所在地 : 171-0022 東京都豊島区南池袋1-13-21 和泉屋ビル地階 [3][13] ●席数 : 50席 [3] ●代表・支配人 : 沢健司 [3] ●経営母体 : 有限会社アクト [3]関連事項[編集]
●早稲田通り ●早稲田大学 ●早稲田松竹 ●高田馬場東映劇場 ●高田馬場パール座関連書籍[編集]
●﹃大東京ビンボー生活マニュアル﹄、前川つかさ、講談社、文庫上 2005年 ISBN 4063721043、下 2005年 ISBN 4063721051註[編集]
(一)^ abcdefgh︿ACTミニシアター﹀の昼下がり 前篇、南陀楼綾繁、早稲田古本ネット、2010年11月14日閲覧。
(二)^ abcdef﹃映画館名簿 1999年版﹄、﹃映画年鑑 1999年版﹄付録、編集日本映画製作者連盟配給部会、発行時事映画通信社、1998年12月1日、p.29.
(三)^ abcdef﹃映画館名簿 1999年版﹄、p.32.
(四)^ 早稲田通りビル、クオラ不動産、2010年11月14日閲覧。
(五)^ abc高田馬場ACTミニシアター︵チラシ画像あり︶、女おいどん日記、2010年11月14日閲覧。
(六)^ バックナンバー 創刊号から300号まで、シネ・フロント、シネ・フロント社、2010年11月14日閲覧。
(七)^ ﹃キネマ旬報 1986年1月上旬号﹄︵第926号︶、キネマ旬報社、1986年1月、p.40.
(八)^ シネマジャーナル Vol. 7、シネマ・ジャーナル、2010年11月14日閲覧。
(九)^ ﹃太陽﹄第399号、平凡社、1994年9月、p.40.
(十)^ abcdefghijklmnopqrs︿ACTミニシアター﹀の昼下がり 後篇、南陀楼綾繁、早稲田古本ネット、2010年11月14日閲覧。
(11)^ ACTミニシアター、演劇ライフ、2010年11月14日閲覧。
(12)^ ACTミニシアター、電脳旋風児 映画が呼んでるぜ、2010年11月14日閲覧。
(13)^ ACT・SEIGEI-THEATER、演劇ライフ、2010年11月14日閲覧。
外部リンク[編集]
- ACTミニシアター - 演劇ライフ
- ACT・SEIGEI-THEATER - 演劇ライフ