ベルギー(英語表記)Belgium

翻訳|Belgium

改訂新版 世界大百科事典 「ベルギー」の意味・わかりやすい解説

ベルギー
Belgium



Koninkrijk België, Royaume de Belgique, Kingdom of Belgium 
30528km2 
20101088 
Bruxelles8 
 
Belgian franc19991Euro

西西65.5km7324/km219899Belgae18

 西1830

西=KempenLeieDenderNeteRupel100mHaysbaye100mCondroz100200m200m500mBotrange694m

 沿4西

FlamandWallon10西MouscronLanaye西

 wallon1960調調57%32%85%6419607.3%2.6%EupenSt.Vith60.6%1831198019633姿使

 1690%1830

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西553︿1058919︿

122西NATO西2EECEURATOMEU

 199545900306002800125009581993NATO9394

==沿21960便便Zeebrugge=3YKKSIDEMAR22%728014.3%25.9%7.4%1994

 20%321100t6232綿

22.9%2.9%2.550ha西27%1ha71%EC46%22.7%80%

1950196060%36.8%23.4%199325.2%14.3%698kWh60.2%23.3%1.9%12.9%1.7%

貿1994GDP52%47%41%貿EU74.9%73.5%199220.2%20.1%19%16.1%13.2%17.7%1.1%2.6%10%貿0.1%0.45%37.3%15.3%32%12.1%12.5%12.7%27.5%19822223%5.5%EU

 貿3貿90%197619965295SABENA199019238019936410

1851Caisse Générale d'Espargne et Retraite1929127412640070%119181962

 34%1970

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16171830Charles De Coster1827-791881Jeune BelgiqueHendrik Conscience1812-831838C.2J.É.Lenoir


1830便19

 181625Francois-Joseph Navez1787-1869Gustave Wappers1803-74Henri Leys1815-6919Henri de Braekeleer1840-88Guillaume Vogels1836-9619Henri Evenepoel1872-99︿1884︿

 1901-1419George Minne1866-19411︿

 202︿Latemse schoolConstant Permeke1886-195220Sint-Martens-LatemValerius de Saedeleer1867-19411︿Jacob Smits1855-1928Victor Servranckx1897-19651917Louis van Lint1909- 



1830

 10Jacques de Liège1260-1330121314Missa Tornacensis151616Tylman Susato1500-6164Pierre Phalèse1510-7617Abraham van den Kerkhoven1618?-1701Gioseffo Zamponi?-1662Pietro Antonio Fiocco1650-1714collegium musicum18170019183043François Gevaert1828-1908Peter Benoît1834-190120Paul Gilson1865-1942Joseph Jongen1873-19531921Paul Collaer1891-198919581960


12︿︿13845154317

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1750=調1789-909517891806綿

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1914141923303239調1929Rex36404431934-5145EEC601960EEC

 7077︿Egmond1988


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルギー」の意味・わかりやすい解説

ベルギー
べるぎー
Kingdom of Belgium 英語
Koninkrijk België オランダ語
Royaume de Belgique フランス語
Kőnigreich Belgien ドイツ語


西西3052810542000200610752009使Koninkrijk BelgiëRoyaume de BelgiqueKőnigreich Belgien

 EUNATO()西EU()

 1831La Brabançonne


自然

地形・地質的には、国土は大きく三分される。

(1)北部低地 北海に面する約65キロメートルの海岸には砂丘が発達し、その内側には高度5メートルまでの海岸平野があり、ポルダー(干拓地)地域となっている。さらに内陸には、標高5~50メートルの砂質のフランドル平野が広がる。この平野は北フランスからオランダ南部に連なるもので、北フランスに発するスヘルデ川(スケルデ川)の水系に属する。また平野の東部には標高50~80メートルのケンペン台地があり、台地の南部はケンペン炭田となっている。

(2)中部低位台地 フランドル平野の南につながる標高50~200メートルの波状の起伏のある黄土質の肥沃(ひよく)な地域である。北東フランスに発するサンブル川、ムーズ川(マース川)がこの台地を東西に直線的に切断しており、この河谷には北フランスからドイツのアーヘンに延びる石炭層がある。河谷の南は標高200~350メートルの丘陵地帯で、黄土と砂質土からなる。

(3)アルデンヌ高原 標高500メートル以上のヘルシニア山系片岩質の古期山地で、隆起準平原となっている。東部のボトランジュはこの国の最高点で694メートル。高原の南のベルギー領ロレーヌは標高が300~400メートルとなる。

 西岸海洋性の気候区に属し、偏西風の影響が内陸に広く及ぶ。気温の年較差は少なめであるが、年変異は大きい。年降水量は平野・丘陵部で800ミリメートル、アルデンヌ高原で1200~1500ミリメートル程度。ブリュッセルの平均気温は1月3.1℃、7月17.9℃で、年降水量は823.0ミリメートルである。国土が北緯50度前後に位置するため、冬は日が短くどんよりと薄暗い日が多い季節となる。

[川上多美子]

地誌

フランドル、中部丘陵地帯、アルデンヌ高原の三つに分けられる。

[川上多美子]

フランドル

海岸部は砂丘の耕地化が進み、ポルダーは牧場化されている。オーステンデ、ゼーブルッヘのような海上交通の要地もあり、海浜の保養地域ともなっている。第二次世界大戦後の地域開発政策や1960年代のエネルギー革命の影響で、ベルギー第一の貿易港で第二の人口を抱えるアントウェルペン(アントワープ)の郊外から、運河や高速道路など、交通網の発達した内陸部にかけての地域が発展した。この地域に、アメリカやEU諸国などの外国資本が石油化学、機械組立て、電子機器などの工場を建設し、北海臨海地域の大小工業団地とともに新たな工業地域として、いまでは南部のサンブル・ムーズ河谷にかわってベルギー経済の中心地域となっている。フランドル平野部は土地改良が進み、野菜、花などの園芸作物やジャガイモ、テンサイの栽培、養豚などの小規模集約的混合農業地域である。中世の毛織物工業の伝統がある地域だが、今日ではヘント(ガン)の綿および化学繊維、コルトライクの麻、北西部のじゅうたん製作などの繊維工業は不況に苦しんでいる。東部のケンペン台地はかつてヒースの茂る荒地であったが、20世紀初頭の炭田開発以来、亜鉛などの金属加工業や化学工業が発達した。政府の開発投資もあり、アントウェルペンとリエージュを結ぶアルベール運河沿いに外資系自動車工場などが進出し、発展の目覚ましい地域である。

[川上多美子]

中部丘陵地帯

西1960197019849IT


アルデンヌ高原

高原の約半分は針葉樹林で覆われ、冷涼・湿潤な気候でやせ地のため耕地は少なく、酪農、肉牛飼育、林業地域となっている。地形的に古代より交通・軍事の要衝であるため、中世から18世紀にかけて建設された要塞や貴族の城館が点在している。広大な森や渓谷美、伝統的な郷土料理とあわせ魅力的な観光地となっている。

[川上多美子]

歴史


183157使4貿121314151795111830退1831調1839

 1840187018852701997190820011960

 1948ECSCEECECEU西調


政治


183119702341993199119932使

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 2362610()

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 調EUNATO西200912EUEUHerman Van Rompuy1947 NATO退1967西38800143001600730019001370020091994PKO


経済・産業


ECSC764036.212.62005退退23.920067.02008

 28.717.222.12.020061222006EU80

 貿貿GDP95912007貿2007430779004131630070貿EU

 GDP454580002007197519991EMU3200420082.3

 183519501926TGV()1220西便19156019842010001500EU20012002SN2007SN50142009


社会

国民は、北のオランダ語系(フラマン人)57.9%、南のフランス語系(ワロン人)31.8%、首都地域の両語系9.6%、第一次世界大戦後ドイツより割譲された東部のドイツ語系0.7%から構成されている(2003)。人口増加率は北において高く、南は停滞的である。今日ではオランダ語、フランス語、ドイツ語の3言語が公用語とされ、政府出版物は紙幣も含めすべてオランダ語・フランス語両語で表記されている。しかし国家独立時には、憲法上オランダ(フラマン)語、フランス(ワロン)語とも対等に認知されてはいたものの、当時人口数でも経済力でも南部優勢であったので、事実上フランス語が公用語とされた。その後、北部の人々の粘り強いフラマン語の公認化運動があり、1898年オランダ(フラマン)語も公用語とされた。

 その後も言語問題は続き、1950年代から争いが激化した。1963年の言語法による3言語地域の規定を経て、1967~1971年の憲法改正により、オランダ語地域、フランス語地域、ドイツ語地域、首都ブリュッセルの両語地域(ブリュッセルはオランダ語圏に位置するが、首都機能や経済活動上、フランス語系住民が増加している)と、4言語地域の画定が行われた。また国会は各言語地域の文化・教育行政の自治権を、上下両院の議員で構成される各文化評議会に与えた。1968年には、1425年創立のルーフェン(ルーバン)・カトリック大学のフランス語系部門が分離・独立して首都南方のフランス語地域へ移された。さらに1978年には再度の憲法改正が行われ、フランデレン(オランダ語地域)、ワロニー(フランス語地域)、ブリュッセル首都圏の3地域に、より大きな自治権を与えることになった。その後連邦制が1993年に発足し、言語共同体や地域共同体に多くの権限が与えられ、民族対立の解消のためさまざまな努力がなされているが困難をきわめ、政治の不安定が続いている。

 国民の経済的・文化的水準は高いが、1970年代以降は経済不況のなかで伸び悩み、1944年法制化された社会福祉の充実した諸制度も、国家の財政難を受けて見直しが検討された。教育は、1914年以来、6~14歳まで義務教育であったが、1983年に6~18歳に改められた。公立学校とカトリック系を主とする私立学校があり、教育の非宗教化や国家補助をめぐって両者は対立してきたが、1958年から補助は平等化された。中等教育機関は多様化している。高等教育機関には、ヘント、リエージュ、モンス、アントウェルペンなどの国立総合大学と、ルーフェン・カトリック、ブリュッセル自由、アントウェルペンなどの私立総合大学のほかに、多くの国立や私立の単科大学がある。宗教は、国民の約80%がカトリックで、ほかにプロテスタント、ユダヤ教徒、イスラム教徒などがいる。

[川上多美子]

文化

歴史的にオランダやフランスと同一視されることが多いが、ローマ時代からの歴史的風土であるうえ、ラテン、ゲルマン両民族の接点となっているため、両系統の文化が重層をなし、奥深く多様性に富んだものとなっている。国民性は、オランダ語系、フランス語系の区別なく、勤勉で常識を尊重し、自立心が強く、芸術に対する感受性が強い。

 中世には都市が繁栄し、富裕商人や貴族たちが保護者となってファン・アイク、メムリンク、ブリューゲル、ルーベンスなど、いわゆるフランドル派の画家を生み出した。また教会、市役所、同業者組合などの優れた建造物もこの時期にできたものである。科学技術の分野では16世紀の近代解剖学の父といわれるベサリウス、地図学者メルカトルも特筆される。

 独立後の美術分野ではクノップフ、アンソール、デルボー、マグリット、建築ではアール・ヌーボーの父といわれるオルタ、文学ではノーベル文学賞のメーテルリンク、今日世界三大音楽コンクールの一つとされるエリザベート(エリザベト)王妃国際音楽コンクール創設に尽力したエリザベート(エリザベト)皇太后、第二次世界大戦後の難民救済諸事業に対しノーベル平和賞を受けたピール神父らが注目される。

 代表的日刊紙にはオランダ語系、フランス語系の2紙があり、いずれも政党色が強い。そのほかドイツ語紙が1紙と郷土色をよくあらわす地方紙も多く発行されている。テレビ・ラジオ放送は国営放送が中心であるが、1977年以降3言語地域で分離独立し、各言語による放送が行われている。

[川上多美子]

日本との関係

日本とベルギーとの国交は、1866年(慶応2)の修好通商航海条約締結から始まったが、両国関係が緊密化するのは第二次世界大戦後のことである。EC発足以来、日本の自動車などの機械メーカーや商社が対ヨーロッパ戦略の要(かなめ)として進出し、152社(2008)が活動している。両国間の貿易額は双方にとっての重要性は少ないが、ベルギーから日本への輸出は2273億6000万円に対し、日本からの輸入は9293億4700万円であり(2007)、ベルギーの大幅な輸入超過となっている。日本の主要輸出品は一般機械、電気機器、乗用車、自動車部品など、ベルギーからの主要輸入品は医薬品、ダイヤモンド、電気機器、食品(チョコレート、ビール)、有機化合物などである。

[川上多美子]

『今来陸郎編『世界各国史7 中欧史』(1971・山川出版社)』『木内信藏編『世界地理7 ヨーロッパⅡ』(1977・朝倉書店)』『花見忠、J・デャモイエ著『ベルギー日系企業の労使関係』(1979・日本労働協会)』『栗原福也著『世界現代史21 ベネルクス現代史』(1982・山川出版社)』『日本貿易振興会編・刊『貿易市場シリーズ260 ベルギー』(1985)』『C・スィヤール著、谷昌親訳『ベルギーの美術』(1985・同朋舎出版)』『磯見辰典、黒沢文貴、桜井良樹著『日本・ベルギー関係史』(1989・白水社)』『森洋子著『ブリューゲルの「子供の遊戯」』(1989・未来社)』『宮下南緒子著『晴れた日のベルギー』(1994・丸善)』『栗原福也監修『オランダ・ベルギー』(1995・新潮社)』『ジョルジュ・アンリ・デュモン著、村上直久訳『ベルギー史』(1997・白水社)』『玉井美子・篠利幸著『ベルギーの小さな旅』(1997・東京書籍)』『下条美智彦著『ベネルクス三国の行政文化 オランダ・ベルギー・ルクセンブルク』(1998・早稲田大学出版部)』『森田安一編『スイス・ベネルクス史 新版世界各国史14』(1998・山川出版社)』『山田雅彦著『中世フランドル都市の生成 在地社会と商品流通』(2001・ミネルヴァ書房)』『A・フルヒュルスト著、森本芳樹、藤本太美子、森貴子訳『中世都市の形成 北西ヨーロッパ』(2001・岩波書店)』『アンドレ・ジョリス著、瀬原義生監訳、守山記生他訳『地域からみたヨーロッパ中世 中世ベルギーの都市・商業・心性』(2004・ミネルヴァ書房)』『小島健著『欧州建設とベルギー 統合の社会経済史的研究』(2007・日本経済評論社)』


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百科事典マイペディア 「ベルギー」の意味・わかりやすい解説

ベルギー

 
Royaume de BelgiqueKingdom of Belgium528km211042012Bruxelles1142012573290EuroPhilippe196020137Charles Michel20111018311993714041504(2015)GDP49762008GDP860020061.72001寿77.282.420093.82008100        西西西500m西西湿西︿ 181518311219931949西NATO1957EECNATOEU 西50EU貿貿1999 20102011貿201020111232201272012201372退20145N-VAPS101114438
1920  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルギー」の意味・わかりやすい解説

ベルギー
Belgium

 
  Royaume de Belgique; Koninkrijk België
 3528km2
 115850002021
 

西西1815183012沿湿 7501000mm 60% 1% 35% 55%使西19201944EUEU西 NATOEU NATO  

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ベルギー」の解説

ベルギー
Belgie[オランダ],Belgium[英],Belgique[フランス]


141657164818181518302021993

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旺文社世界史事典 三訂版 「ベルギー」の解説

ベルギー
België

フランスの北東部,北海に面する立憲君主国。首都ブリュッセル
ベルギーの名は帝政ローマ時代からあったが,連続して使用されたのではない。中世〜近世ではフランドル,またはネーデルラントと称された。この国に関する最古の記録は『ガリア戦記』で,ローマ帝国時代には属州ガリアの一部であった。ゲルマン人の移動によりフランク王国領,9世紀後半からフランドル伯領となった。12〜13世紀から毛織物工業と国際商業が栄え,ブリュージュ・ガンなどの自由都市が発達した。イギリス・フランス間の百年戦争も,この地方の経済力の支配権争いが原因の一つであった。14世紀後半ブルゴーニュ公国領,15世紀後半にはハプスブルク家領になり,スペイン−ハプスブルク家の成立とともにスペイン領になり,ネーデルラントの南部10州を構成,オランダの独立後もスペイン領にとどまったが,スペイン継承戦争によりオーストリア領に移った。フランス革命・ナポレオン戦争ではフランスに占領され,ウィーン会議の結果,オランダに併合された。1830年フランスの七月革命の影響下に独立を宣言してレオポルド1世を迎え,31年ロンドン条約で独立が承認され,39年永世中立国になった。独立後,産業革命により工業が発展,労働運動も起こり,政治も民主化して,1913年に普通選挙が実現した。また海外植民にのり出し,コンゴを獲得。第一次・第二次の両世界大戦ではドイツに侵略され,中立を侵害された。大戦後は北大西洋条約機構(NATO)に加わり,ヨーロッパ共同体(EC)の中核的存在となり,ヨーロッパ連合に参加。オランダ・ルクセンブルクとともにベネルクス3国と呼ばれる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ベルギー」の解説

ベルギー

北西ヨーロッパに位置する国。漢字表記は白耳義。中世まではフランドル,オランダとあわせてネーデルラントとよばれ,1830年オランダの支配から独立,永世中立を宣言した。日本との外交関係は1866年(慶応2)締結の日白修好通商航海条約に始まる。翌年江戸幕府の正式な使節として徳川昭武が訪問。73年(明治6)には岩倉遣欧使節団が訪問し,ヨーロッパの模範国と高く評価。日本銀行の設立や帝国憲法の制定などに影響を与えている。関東大震災時には米・英につぐ援助金を送るなど親日的で,とくにベルギー王室と日本の皇室との交際は親密である。第1次・第2次大戦ではドイツに侵略されたが,戦後はNATOやEC,ついでEUに加盟。正式国名はベルギー王国。立憲君主制。首都ブリュッセル。

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世界大百科事典(旧版)内のベルギーの言及

【オランダ】より

…16世紀後半の建国以来ホラント州(現在の南・北ホラント両州)がこの国の政治,経済,文化の中心であったため,〈ホラントHolland〉とも呼ばれる。東は西ドイツ,南はベルギーと国境を接し,北と西は北海に面して長い海岸線を形づくる。国名のネーデルラントは〈低い国〉の意で,現在も国土の約4分の1は標高0m以下にある。…

【フラマン語】より

…ベルギー王国の北半分で話されるオランダ語の通称。ベルギーにおけるフランス語と並ぶ公用語であり,約550万人(1977)により使用される。…

【ベルガエ】より

…また,ベルガエの一部は前75年ころおよびカエサルのガリア征服の際,イングランド南部に渡り,カトゥウェラウニ族Catuvellauniを中心にローマのブリタニア侵略に抵抗した。なお現在の国名ベルギーはこの語に由来する。【後藤 篤子】。…

※「ベルギー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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