「クロアチア」の版間の差分
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=== ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 === |
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ユーゴスラビアの混乱状態は、[[ユーゴスラビア共産党|ユーゴスラビア共産主義者同盟]]が指導する[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルチザン]]によってユーゴスラビアが自力解放されることによって収束された。戦後、以前のユーゴスラビアの枠組みの中で国家の再建が目指され、以降このパルチザン闘争を主導した[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]の巧みなバランス感覚と、カリスマ性によって多民族国家[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]]は維持された。しかし、1980年にチトーが死去したことを皮切りに、幹部会システムの導入や経済状況の不安定化によって、各共和国・自治州において不満が噴出しはじめた。クロアチアはユーゴスラビア連邦政府に忠実な立場を取り続けたが、1980年代半ばから[[スロボダン・ミロシェヴィッチ]]を中心とするセルビア共和国とスロヴェニア共和国の対立が深まると、次第にスロヴェニアと歩調を合わせるようになっていった。
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=== 独立 === |
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[[東欧革命]]以降、旧東欧地域でそれまで[[一党独裁]]の地位にあった[[社会主義]][[政党]]が[[自由選挙]]を認め[[民主化]]の気運が高まると、ユーゴスラビアでもこれを認め[[1990年]]に戦後初の[[複数政党制]]による自由選挙が実施された([[:en:Croatian parliamentary election, 1990|Croatian parliamentary election, 1990]])。クロアチアではユーゴスラビアからの自立を掲げる[[フラニョ・トゥジマン]]率いる[[クロアチア民主同盟]](HDZ)が勝利し、政権を掌握。以降ユーゴスラビア・セルビアとの関係は険悪化の一途をたどっていった。 |
[[東欧革命]]以降、旧東欧地域でそれまで[[一党独裁]]の地位にあった[[社会主義]][[政党]]が[[自由選挙]]を認め[[民主化]]の気運が高まると、ユーゴスラビアでもこれを認め[[1990年]]に戦後初の[[複数政党制]]による自由選挙が実施された([[:en:Croatian parliamentary election, 1990|Croatian parliamentary election, 1990]])。クロアチアではユーゴスラビアからの自立を掲げる[[フラニョ・トゥジマン]]率いる[[クロアチア民主同盟]](HDZ)が勝利し、政権を掌握。以降ユーゴスラビア・セルビアとの関係は険悪化の一途をたどっていった。 |
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[[1991年]][[3月2日]]には、スラヴォニアの帰属︵西部に{{仮リンク|西スラヴォニア自治区|en|SAO Western Slavonia}}→{{仮リンク|クライナ・セルビア人自治区|en|SAO Krajina}}、東部に[[東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州]]︶をめぐってクライナ・セルビア人自治区軍<!--ユーゴスラビア連邦軍-->と{{仮リンク|クロアチア警察軍|en|Law enforcement in Croatia}}の間でにらみ合う事態となり、[[3月31日]]には[[プリトヴィツェ湖群国立公園|プリトビツェ湖群]]で両者が衝突し、死者を出す事態となった︵{{仮リンク|プリトビツェ湖群事件|en|Plitvice Lakes incident}}︶。クロアチアの独立を目指す準備は着々と進められており、5月19日には独立の可否を問う国民投票が実施され、93%の圧倒的多数が賛成票を投じた<ref group="注釈">セルビア系住民の大半は投票をボイコットした。</ref>。これを受けて[[6月25日]]、[[スロベニア|スロ |
[[1991年]][[3月2日]]には、スラヴォニアの帰属︵西部に{{仮リンク|西スラヴォニア自治区|en|SAO Western Slavonia}}→{{仮リンク|クライナ・セルビア人自治区|en|SAO Krajina}}、東部に[[東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州]]︶をめぐってクライナ・セルビア人自治区軍<!--ユーゴスラビア連邦軍-->と{{仮リンク|クロアチア警察軍|en|Law enforcement in Croatia}}の間でにらみ合う事態となり、[[3月31日]]には[[プリトヴィツェ湖群国立公園|プリトビツェ湖群]]で両者が衝突し、死者を出す事態となった︵{{仮リンク|プリトビツェ湖群事件|en|Plitvice Lakes incident}}︶。クロアチアの独立を目指す準備は着々と進められており、5月19日には独立の可否を問う国民投票が実施され、93%の圧倒的多数が賛成票を投じた<ref group="注釈">セルビア系住民の大半は投票をボイコットした。</ref>。これを受けて[[6月25日]]、[[スロベニア|スロべニア]]と同日に独立を宣言した。
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一方でクロアチア領内にも多く住む[[セルビア人]]は、クロアチアの独立に反対していた。この地域はクライナ・セルビア人自治区︵→[[クライナ・セルビア人共和国]]︶として、クロアチア政府による統治を拒否する構えを見せた。また、セルビア人保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに介入した。これに対抗したクロアチア軍は、9月半ばにはユーゴスラビア軍との全面衝突[[クロアチア紛争]]へと進む。結果[[1995年]]に戦闘が終結するまでに大量の死者とセルビア人[[難民]]を生み出した。
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一方でクロアチア領内にも多く住む[[セルビア人]]は、クロアチアの独立に反対していた。この地域はクライナ・セルビア人自治区︵→[[クライナ・セルビア人共和国]]︶として、クロアチア政府による統治を拒否する構えを見せた。また、セルビア人保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに介入した。これに対抗したクロアチア軍は、9月半ばにはユーゴスラビア軍との全面衝突[[クロアチア紛争]]へと進む。結果[[1995年]]に戦闘が終結するまでに大量の死者とセルビア人[[難民]]を生み出した。
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その後、欧州委員会はクロアチアとの加盟交渉を終了し、同国のEU加盟を加盟27カ国に提案する方針を[[2011年]]6月に固めた。 |
その後、欧州委員会はクロアチアとの加盟交渉を終了し、同国のEU加盟を加盟27カ国に提案する方針を[[2011年]]6月に固めた。 |
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[[2012年]]1月22日の国民投票で3分の2の賛成を得、議会によるEU加盟条約の批准を経て、[[2013年]][[7月1日]]にクロアチアは正式にEUに加盟した<ref>{{cite news |title=クロアチアがEU加盟、28カ国体制に バルカン半島安定に前進 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2013-07-01 |url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/130701/erp13070107390001-n1.htm |accessdate=2013-07-01}}</ref>。28番目のEU加盟国であり<ref group="注釈">当時はイギリスも加盟していたため。2020年1月の[[ブレグジット]]により、参加国数は27カ国となった。</ref>、旧ユーゴスラビア構成国家での中では[[スロベニア|スロ |
[[2012年]]1月22日の国民投票で3分の2の賛成を得、議会によるEU加盟条約の批准を経て、[[2013年]][[7月1日]]にクロアチアは正式にEUに加盟した<ref>{{cite news |title=クロアチアがEU加盟、28カ国体制に バルカン半島安定に前進 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2013-07-01 |url=https://web.archive.org/web/20130703162104/http://sankei.jp.msn.com/world/news/130701/erp13070107390001-n1.htm |accessdate=2013-07-01}}</ref>。28番目のEU加盟国であり<ref group="注釈">当時はイギリスも加盟していたため。2020年1月の[[ブレグジット]]により、参加国数は27カ国となった。</ref>、旧ユーゴスラビア構成国家での中では[[スロベニア|スロべニア]]に続く2例目となった。
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2023年に[[ユーロ]]通貨を導入し<ref>{{Cite web |title=クロアチアがユーロ導入 20カ国目、経済効果期待 | 共同通信 |url=https://nordot.app/982542020199219200 |website=共同通信 |date=2023-01-02 |access-date=2023-01-02 |language=ja-JP |last=共同通信}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/07/9a74f5f13dca9b00.html|title=ビジネス短信: クロアチア、2023年1月からのユーロ導入が正式決定、シェンゲン協定にも参加の見通し|publisher=日本貿易振興機構|date=2022-7-14|accessdate=2022-7-29}}</ref>、[[シェンゲン協定]]にも参加した<ref>{{Cite web|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/12/fd742225e7c03e60.html|title=ビジネス短信: EU理事会、2023年1月からのクロアチアのシェンゲン協定参加を正式決定|publisher=日本貿易振興機構|date=2022-12-12|accessdate=2022-12-13}}</ref>。 |
2023年1月1日に[[ユーロ]]通貨を導入し<ref>{{Cite web |title=クロアチアがユーロ導入 20カ国目、経済効果期待 | 共同通信 |url=https://nordot.app/982542020199219200 |website=共同通信 |date=2023-01-02 |access-date=2023-01-02 |language=ja-JP |last=共同通信}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/07/9a74f5f13dca9b00.html|title=ビジネス短信: クロアチア、2023年1月からのユーロ導入が正式決定、シェンゲン協定にも参加の見通し|publisher=日本貿易振興機構|date=2022-7-14|accessdate=2022-7-29}}</ref>、[[シェンゲン協定]]にも参加した<ref>{{Cite web|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/12/fd742225e7c03e60.html|title=ビジネス短信: EU理事会、2023年1月からのクロアチアのシェンゲン協定参加を正式決定|publisher=日本貿易振興機構|date=2022-12-12|accessdate=2022-12-13}}</ref>。 |
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== 政治 == |
== 政治 == |
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大統領は軍の最高司令官であり、[[議会]]の同意のもと[[首相]]を任命し、[[国家元首]]として外交政策に影響を及ぼすものの、主に儀礼的な役割を果たす<ref>{{Cite web |date=2019-11-14 |url=https://jp.reuters.com/article/croatia-election-presidential-idJPKBN1XO1AF |title=クロアチア、来月22日に大統領選実施へ |publisher=ロイター |accessdate=2019-11-14}}</ref>。[[ザグレブ]]の大統領宮殿の他、避暑地の[[ブリユニ|ブリユニ島]]と[[フヴァル島]]に邸宅を所有している。
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大統領は軍の最高司令官であり、[[議会]]の同意のもと[[首相]]を任命し、[[国家元首]]として外交政策に影響を及ぼすものの、主に儀礼的な役割を果たす<ref>{{Cite web |date=2019-11-14 |url=https://jp.reuters.com/article/croatia-election-presidential-idJPKBN1XO1AF |title=クロアチア、来月22日に大統領選実施へ |publisher=ロイター |accessdate=2019-11-14}}</ref>。[[ザグレブ]]の大統領宮殿の他、避暑地の[[ブリユニ|ブリユニ島]]と[[フヴァル島]]に邸宅を所有している。
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[[サボル (クロアチア議会)]]は[[2001年]]まで[[二院制]]を取っていたが、[[上院]](州議院)が廃止され、現在は[[一院制]]である。サボルの議員定数は100〜160人の可変で[[比例代表制]]によって選出される。任期は4年。[[本会議]]は1月15日から7月15日までと9月15日から12月15日まで行われる。 |
国会([[サボル (クロアチア議会)|サボル]])は[[2001年]]まで[[二院制]]を取っていたが、[[上院]](州議院)が廃止され、現在は[[一院制]]である。サボルの議員定数は100〜160人の可変で[[比例代表制]]によって選出される。任期は4年。[[本会議]]は1月15日から7月15日までと9月15日から12月15日まで行われる。 |
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2024年4月17日に総選挙が行われ、与党の[[クロアチア民主同盟]]が65議席を獲得し第一党の座を維持した。親ロシア的とされる[[ゾラン・ミラノヴィッチ]]大統領系の[[クロアチア社会民主党]]を中心とする中道左派連合は、42議席に留まった<ref>{{Cite web|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2024041800302&g=int|title=親欧州与党が第1党 大統領派野党に勝利―クロアチア総選挙‥時事ドットコム|website=[[時事通信社]]|date=2024-04-18|accessdate=2024-05-30}}</ref>。
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2011年12月4日、議会(1院制、定数151)選挙が行われ、野党・[[クロアチア社会民主党|社会民主党]]を中心とする中道左派連合の獲得議席数は78で、政権交代が確実となった。一方、与党・中道右派48議席にとどまり、大敗した。<ref>[http://www.asahi.com/international/update/1205/TKY201112050072.html クロアチア総選挙 野党連合が過半数の勢い] 朝日新聞 2011年12月5日</ref><ref>[http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2011/12/06/20111206ddm007030132000c.html クロアチア・スロベニア:バルカン2国で政権交代決まる 欧州債務危機影響] 毎日新聞 2011年12月6日</ref> |
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政府︵ヴラダ︶は[[副首相]]と14名の[[閣僚]]を率いる首相を首班とする。行政機関は予算案、法案の策定に責任を持ち、共和国の外交、内政を実行する。政府公邸はザグレブの[[:en:Banski dvori]]︵[[バン (称号)|バン]]の宮殿、[[クロアチア社会主義共和国]]時代には大統領府︶である。
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政府︵ヴラダ︶は[[副首相]]と14名の[[閣僚]]を率いる首相を首班とする。行政機関は予算案、法案の策定に責任を持ち、共和国の外交、内政を実行する。政府公邸はザグレブの[[:en:Banski dvori]]︵[[バン (称号)|バン]]の宮殿、[[クロアチア社会主義共和国]]時代には大統領府︶である。
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[[ファイル:Korzo Night.png|thumb|[[リエカ]]]] |
[[ファイル:Korzo Night.png|thumb|[[リエカ]]]] |
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{{main|{{仮リンク|クロアチアの経済|en|Economy of Croatia}}}} |
{{main|{{仮リンク|クロアチアの経済|en|Economy of Croatia}}}} |
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IMFによると、[[ |
IMFによると、[[2024年]]の名目[[国内総生産|GDP]]は約880億ドルである<ref>{{Cite web |title=Report for Selected Countries and Subjects |url=https://www.imf.org/en/Publications/WEO/weo-database/2024/April/weo-report |website=IMF |access-date=2024-06-10 |language=en}}</ref>。一人当たりの名目GDPは13,401ドルで、旧[[ユーゴスラビア]]諸国の中では[[スロベニア]]に次いで2番目に高い。
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=== 鉱業 === |
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== 国民 == |
== 国民 == |
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=== 民族 === |
=== 民族 === |
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==== 日本語教育 ==== |
==== 日本語教育 ==== |
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[[2014年]]現在、[[ザグレブ大学]]と[[ザダル大学]]で日本語教育が行われている<ref>[http://www.hr.emb-japan.go.jp/documents_JP/2014-speech(3dec).pdf] 在クロアチア日本国大使館公式サイトにおける大使の挨拶、2014年12月22日閲覧。</ref>。 |
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=== 保健 === |
=== 保健 === |
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=== 食文化 === |
=== 食文化 === |
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Struklji 2.jpg|[[シュトゥルクリ (クロアチア料理)|シュトゥルクリ]] |
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[[サッカー]]はクロアチア国内で圧倒的に1番人気の[[スポーツ]]であり、[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国|旧ユーゴスラビア]]時代から数多くの世界的な名選手を輩出している。[[1992年]]にはサッカーリーグの[[プルヴァHNL]]が創設された。[[NKディナモ・ザグレブ|ディナモ・ザグレブ]]と[[HNKハイドゥク・スプリト|ハイドゥク・スプリト]]の[[ダービーマッチ]]である『[[ヴィエチュニ・デルビ]]』は、地域主義に根差した[[ライバル]]意識が強く、サポーター同士の衝突が頻繁に発生する。 |
[[サッカー]]はクロアチア国内で圧倒的に1番人気の[[スポーツ]]であり、[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国|旧ユーゴスラビア]]時代から数多くの世界的な名選手を輩出している。[[1992年]]にはサッカーリーグの[[プルヴァHNL]]が創設された。[[NKディナモ・ザグレブ|ディナモ・ザグレブ]]と[[HNKハイドゥク・スプリト|ハイドゥク・スプリト]]の[[ダービーマッチ]]である『[[ヴィエチュニ・デルビ]]』は、地域主義に根差した[[ライバル]]意識が強く、サポーター同士の衝突が頻繁に発生する。 |
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[[クロアチアサッカー連盟]](HNS)によって構成される[[サッカークロアチア代表]]は、[[FIFAワールドカップ]]には[[1998 FIFAワールドカップ|1998年大会]]で初出場を果たし、3位の好成績を収めた。さらに[[2018 FIFAワールドカップ|2018年大会]]では旧ユーゴ時代を通しても初となる決勝進出を果たし、[[サッカーフランス代表|フランス代表]]に2-4で敗れたものの準優勝に輝いた。[[キャプテン (サッカー)|キャプテン]]の'''[[ルカ・モドリッチ]]'''は、同大会で[[FIFAワールドカップにおける賞 #ゴールデンボール(大会最優秀選手)|ゴールデンボール]](最優秀選手)を受賞し<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/russia2018/news/201807160000024.html クロアチア・モドリッチ最優秀選手賞 ケーン得点王] - 日刊スポーツ、2018年7月16日</ref>、さらに同年には[[FIFA最優秀選手賞]]と[[バロンドール]]も獲得している<ref>{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20181204/872243.html|title=モドリッチがバロンドール初受賞で個人3冠!…メッシは12年連続トップ3逃す|publisher=サッカーキング|date=2018-12-04|accessdate=2020-02-26}}</ref>。 |
[[クロアチアサッカー連盟]](HNS)によって構成される[[サッカークロアチア代表]]は、[[FIFAワールドカップ]]には[[1998 FIFAワールドカップ|1998年大会]]で初出場を果たし、3位の好成績を収めた。さらに[[2018 FIFAワールドカップ|2018年大会]]では旧ユーゴ時代を通しても初となる決勝進出を果たし、[[サッカーフランス代表|フランス代表]]に2-4で敗れたものの準優勝に輝いた。[[キャプテン (サッカー)|キャプテン]]の'''[[ルカ・モドリッチ]]'''は、同大会で[[FIFAワールドカップにおける賞 #ゴールデンボール(大会最優秀選手)|ゴールデンボール]](最優秀選手)を受賞し<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/russia2018/news/201807160000024.html クロアチア・モドリッチ最優秀選手賞 ケーン得点王] - 日刊スポーツ、2018年7月16日</ref>、さらに同年には[[FIFA最優秀選手賞]]と[[バロンドール]]も獲得している<ref>{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20181204/872243.html|title=モドリッチがバロンドール初受賞で個人3冠!…メッシは12年連続トップ3逃す|publisher=サッカーキング|date=2018-12-04|accessdate=2020-02-26}}</ref>。[[2022 FIFAワールドカップ|2022年大会]]では[[サッカー日本代表|日本代表]]を[[PK戦]]で下した上で強豪[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]を破り、3位に入賞した。 |
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=== バスケットボール === |
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2024年6月28日 (金) 11:48時点における最新版
- クロアチア共和国
- Republika Hrvatska
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(国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:Lijepa naša domovino
私たちの美しい故国 -
公用語 クロアチア語 首都 ザグレブ 最大の都市 ザグレブ 独立 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国より
1991年6月25日通貨 ユーロ (€)(EUR)[注釈 1] 時間帯 UTC+1 (DST:+2) ISO 3166-1 HR / HRV ccTLD .hr 国際電話番号 385
国名[編集]
クロアチア語での正式名称はRepublika Hrvatska![Hr-Republika Hrvatska.oga](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8a/Loudspeaker.svg/12px-Loudspeaker.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/21/Speaker_Icon.svg/13px-Speaker_Icon.svg.png)
歴史[編集]
クロアチアの統一[編集]
同君連合[編集]
このことがハンガリー王ラースロー1世の介入を招き、次のハンガリー王カールマーンが、1102年クロアチア・ダルマチアの王として戴冠を受けた。これによって、クロアチア︵ここでのクロアチアはザグレブを中心とする地域︶とスラヴォニアはハンガリー王国との同君連合の枠組みの中に組み込まれた︵en︶。ハンガリー王はクロアチアに広範な自治を認め、その際におかれた太守︵総督︶はバン︵バーン︶と呼ばれた。オーストリア=ハンガリー帝国[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/66/Austria-Hungary_map.svg/220px-Austria-Hungary_map.svg.png)
ユーゴスラビア王国[編集]
1918年に第一次世界大戦の敗北からオーストリア・ハンガリーが崩壊。オーストリア・ハンガリーから離脱したスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国は、南スラブ民族による連邦国家の構成と言うセルビア王国の提案を受けて、セルブ=クロアート=スロヴェーン︵セルビア・クロアチア・スロヴェニア︶王国の成立に参加。1929年は国名をユーゴスラビア王国に改名した。しかしこの連邦国家にはクロアチア人側から、セルビア人に対して政府をコントロールしているのはセルビア人であるとする反発が大きく1939年にはこの不満を解消する目的で、広大なクロアチア自治州を設定したが、批判も多かった。クロアチア独立国[編集]
クロアチア自治州の設定だけでは満足しないクロアチア人勢力は、アンテ・パヴェリッチを中心として、クロアチアの独立を掲げる民族主義団体ウスタシャを設立。1941年反独クーデターによる親英政府打倒の為ユーゴスラビアに侵攻したナチス・ドイツの支援を背景として、クロアチア、ダルマチア、スラヴォニアとヴォイヴォディナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの一部に跨るクロアチア独立国を成立させる。それ以降、ユーゴスラビア共産党を中心とするパルチザンおよび旧ユーゴスラビア王国軍の成員を中心としたチェトニックとの間で凄惨な戦闘が繰り返される。クロアチア独立国内にはヤセノヴァツ強制収容所などの収容所が各地に建設され、大規模な迫害と虐殺を行っていた事でも知られる[4]。-
1939年に設置されたクロアチア自治州(地図中、赤地の版図)
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1941年に成立したクロアチア独立国
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国[編集]
独立[編集]
クロアチアのEU加盟[編集]
クロアチアの欧州連合︵以下EUとする︶加盟交渉は、2005年中にスケジュールが組み立てられ、2008年1月に発足したサナデル内閣は2010年のEU加入を目標とした。 ただし、クロアチアの加盟交渉の開始に当たってはオランダのハーグに設置されている旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷から訴追されているクロアチア軍退役将軍アンテ・ゴトヴィナの同法廷への引渡しが条件となっていた。これに対してはクロアチア国内の民族派からの抵抗が大きく当初2005年3月に予定されていた加盟交渉の開始は、この条件が満たされないことを理由に見送られることになった。同年10月3日から行われたEU緊急外相会議において、トルコ及びクロアチアに対する参加交渉の開始をめぐる議論が行われ、翌4日にクロアチアに対しての加盟交渉の開始が決定された。 当初クロアチアの加盟交渉開始の障害となっていたアンテ・ゴトヴィナは同年12月初頭にスペインのカナリア諸島で身柄を拘束され、ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に移送された。 2008年、クロアチアのNATO︵北大西洋条約機構︶への加盟が認められ[5]︵実際の加盟は2009年4月︶、軍事的に旧西側諸国の枠の中であると認識されるようになった。 その後、欧州委員会はクロアチアとの加盟交渉を終了し、同国のEU加盟を加盟27カ国に提案する方針を2011年6月に固めた。 2012年1月22日の国民投票で3分の2の賛成を得、議会によるEU加盟条約の批准を経て、2013年7月1日にクロアチアは正式にEUに加盟した[6]。28番目のEU加盟国であり[注釈 3]、旧ユーゴスラビア構成国家での中ではスロべニアに続く2例目となった。 2023年1月1日にユーロ通貨を導入し[7][8]、シェンゲン協定にも参加した[9]。政治[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/Vlada_RH.jpg/220px-Vlada_RH.jpg)
地理[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fc/Hr-map.png/250px-Hr-map.png)
地方行政区分[編集]
クロアチアは20地方(županije, županija - 単数形)と1直轄市(grad - 単数形)に分かれる。
経済[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/01/Korzo_Night.png/220px-Korzo_Night.png)
鉱業[編集]
クロアチアの鉱業は同国の経済において補助的な役割しか果たしていない。原油︵104万トン︶と天然ガス︵74千ジュール︶は同国のエネルギー消費量の数%をまかなうに過ぎない。金属鉱物資源は産出せず、塩などが見られる程度である。交通[編集]
道路[編集]
国道には1号線︵オーストリア国境〜ザグレブ〜スプリト︶、3号線︵ハンガリー国境〜ザグレブ〜リエカ︶、8号線︵リエカ〜ザダル〜スプリト〜ドブロブニク〜モンテネグロ国境︶などがあり、高速道路はA1︵ザグレブ〜ザダル〜スプリト〜プロツェ、E71︶、A2︵オーストリア国境〜ザグレブ、E59︶、A3︵スロベニア国境〜ザグレブ〜スラヴォンスキ・ブロド〜セルビア国境、E70︶、A4︵ザグレブ〜ハンガリー国境、E70=E65︶などが近年急激に整備されてきた。[14] 都市間の移動には中長距離バスが利用されていて、便利である。市内の移動には、バス、路面電車︵ザグレブなど︶、タクシーなどが利用できる。鉄道[編集]
航空路[編集]
クロアチア航空がある。空港はザグレブ(ザグレブ国際空港)、リエカ、スプリト、ドブロヴニクなどにあり、各社の航空機が発着している。
水路[編集]
国民[編集]
民族[編集]
言語[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0a/Croatian_dialects-ja.svg/200px-Croatian_dialects-ja.svg.png)
婚姻[編集]
婚姻時、改姓しない夫婦別姓も、配偶者の姓に改姓することも、複合姓とすることもいずれも選択が可能である[15]。宗教[編集]
教育[編集]
日本語教育[編集]
2014年現在、ザグレブ大学とザダル大学で日本語教育が行われている[16]。
保健[編集]
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治安[編集]
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人権[編集]
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マスコミ[編集]
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文化[編集]
ネクタイは元々がクロアチア人の風習であったことから、ネクタイを指す言葉が各国語で「クロアチア」を語幹に使っている例がある(フランス語: cravateやスペイン語: corbataなど)。
食文化[編集]
同国の料理は主に以下のものが知られている。
文学[編集]
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音楽[編集]
ディスコグラフィー[編集]
- "Songs & Dances from Croatia"(Zagreb Folk Dance Ensemble / Dr.Ivan Ivančan - Mentor / EUCD 1500, dinaton & ®©1900, ARC Music Productions Int.Ltd.[20])
- "Folk Music from Croatia"(Tamburaski Sastav "Veritas"(Tambura Ensemble "Veritas") / EUCD 1078, ARC M.P.Int.Ltd.)
映画[編集]
1954年に設立されたプーラ映画祭や1999年に設立のモトヴン映画祭が有名であり、2003年からは首都ザグレブにおいてザグレブ映画祭(ZFF)が開催されている。
また、「ZagrebDox」と呼ばれる国際ドキュメンタリー映画祭が毎年2月下旬から3月上旬にかけてザグレブで開催される。
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建築[編集]
クロアチアはヨーロッパ諸国において建築の歴史が長い国の一国に数えられている。
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世界遺産[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/Dubrovnik-L04-1.jpg/220px-Dubrovnik-L04-1.jpg)
クロアチア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件ある。
祝祭日[編集]
日付 | 日本語表記 | クロアチア語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Nova Godina(ノヴァ・ゴディナ) | |
... | 復活祭および復活祭後の月曜日 | Uskrs i Uskršnji ponedjeljak(ウスクルス・イ・ウスクルシニ・ポネディイェルイェヤク) | 変動あり |
5月1日 | メーデー | Međunarodni praznik rada(メジュナロドニー・プラズニク・ラダ) | |
イースターより60日後 | 聖体の祝日 | Tjelovo (ティイェロヴォー) | 移動祝日 |
6月22日 | 反ファシスト闘争記念日 | Dan antifašističke borbe(ダン・アンティファシスティチュケ・ボルベ) | |
6月25日 | 国家の日 | Dan državnosti(ダン・ドルジャヴノスティ) | |
8月5日 | 解放の日 | Dan pobjede i Dan domovinske zahvalnosti(ダン・ポブイェデ・イ・ダン・ドモヴィンスケ・ザファルノスティ) | |
8月15日 | 聖母被昇天の祭日 | Velika Gospa(ヴェリカ・ゴースパ) | |
10月8日 | 独立記念日 | Dan nezavisnosti(ダン・ネザヴィスノスティ) | |
11月1日 | 諸聖人の日 | Dan svih svetih(ダン・スヴィ・スヴェーティー) | |
12月25日 | クリスマス | Božić(ボージチュ) | |
12月26日 | 聖ステファノ殉教者の祝日 | Sveti Stjepan(スヴェーティー・スティエパン) |
スポーツ[編集]
サッカー[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/12/England_Croatia_match_2018.jpg/240px-England_Croatia_match_2018.jpg)
バスケットボール[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a1/Arena_Zagreb_2009.jpg/220px-Arena_Zagreb_2009.jpg)
テニス[編集]
クロアチアはテニスも盛んであり、世界ランク2位を記録したゴラン・イワニセビッチからイワン・リュビチッチ、イボ・カロビッチ、マリオ・アンチッチ、マリン・チリッチと、常に長身のビッグサーバーを輩出するテニス大国である。2005年には国別対抗戦であるデビスカップで、イワン・リュビチッチとマリオ・アンチッチの2人を中心に世界一に輝いた。著名な出身者[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
- クロアチア関係記事の一覧
- 日本とクロアチアの関係
- クロアチアとセルビアの関係
- クロトラム - クロアチアの車輌製造メーカー・コンソーシアム
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府
- 観光
- その他