![曖昧さ回避](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/Disambig_gray.svg/25px-Disambig_gray.svg.png) |
この項目では、一般的な「democracy」の訳語について説明しています。『社会契約論』などにおける「democracy」の訳語については「民主政」をご覧ください。 |
日本語で﹁デモクラシー﹂は通常、主に政体を指す場合は﹁民主政﹂、主に制度を指す場合は﹁民主制﹂、主に思想・理念・運動を指す場合は﹁民主主義﹂などと訳が分けられている。
なお政治学では、特に思想・理念・運動を明確に指すために﹁民主主義﹂のカナ転写である﹁デモクラティズム[9]﹂(英: democratism[10]︶が使用される場合もある。
なお、現代ギリシャ語ではδημοκρατία︵ディモクラティア︶は﹁民主制﹂を表すと同時に﹁共和国︵共和制︶﹂を表す語でもあり、国名の﹁~共和国﹂と言う場合にもδημοκρατίαが用いられる。
「民主」という語・「republic」など語義混在
編集
[11]民主という言葉は、伝統的な中国語の語義によれば﹁民ノ主﹂すなわち君主の事であり書経や左伝に見られる用法である。これをdemocracyやrepublicに対置させる最初期のものはウィリアム・マーティン︵丁韪良︶万国公法︵1863年または64年︶であり、マーティンは a democratic republic を﹁民主之国﹂と対訳していた。しかしこの漢訳は、中国や日本でその後しばらく見られるようになる democracy と republic の概念に対する理解、あるいはその訳述に対する混乱の最初期の現れであった。マーティンより以前、イギリスのロバート・モリソン︵馬礼遜︶の﹁華英字典﹂︵1822年︶は democracy を﹁既不可無人統率亦不可多人乱管﹂︵合意することができず、人が多くカオスである︶という文脈で紹介し、ヘンリー・メドハースト︵麥都思︶の﹁英華字典﹂︵1847年︶はやや踏み込み﹁衆人的国統、衆人的治理、多人乱管、少民弄権﹂︵衆人の国制、衆人による統治理論、人が多く道理が乱れていることをさすことがあり、少数の愚かな者が高権を弄ぶさまをさすことがある︶と解説する。さらにドイツのロブシャイド︵羅存徳︶﹁英華字典﹂︵1866年︶は﹁民政、衆人管轄、百姓弄権﹂︵民の政治、多くの人が道理を通そうとしたり批判したりする、多くの名のある者が高権を弄ぶ︶と解説していた。
19世紀後半の漢語圏の理解はこの点で一つに定まっておらず、陳力衛によれば Democracy は﹁民︵たみ︶が主﹂という語義と﹁民衆の主︵ぬし、すなわち民選大統領︶﹂という語義が混在していたのである。一方で日本では democracy および republic に対しては当初はシンプルで区別なく対処しており、1862年に堀達之助が作成した英和対訳袖珍辞書では democracy および republic いずれにも﹁共和政治﹂の邦訳を充てていた。これが万国公法の渡来とその強力な受容により﹁民主﹂なる語の併用と混用の時代を迎えることとなる。
こうして民主主義の正当性は高まり、最も独裁的な国家すら﹁自らこそが真の民主主義を体現している﹂と主張するようになり、民主主義の理念を否定する体制が事実上なくなった反面、﹁民主主義とは何か﹂が曖昧ともなっている[12]。言論NPOによると、アジアでは民主主義が後退している。2021年時点のエコノミスト・インテリジェンス・ユニット︵EIU︶の﹁民主主義指数﹂によると、完全な民主主義国家︵Full democracies︶に分類される国は、日本と台湾、韓国のみとなっている[13]。
民主主義の代表的な種類・分類には以下があるが、その分類や呼称は時代・立場・観点などにもよって異り、多くの議論が存在している。
直接民主制(direct democracy)
編集
スイス・グラールス州の州民集会。2014年。
直接民主主義は、集団の構成員による意思が集団の意思決定に、より直接的に反映されるべきと考える。直接民主主義の究極の形態は、構成員が直接的に集合し議論して決定する形態であり、高い正統性が得られる反面、特に大規模な集団では物理的な制約や、構成員に高い知見や負担が必要となる。また議員など代表者を選出する形態でも有権者の選択が重視され、議員は信任されたのではなく有権者の意思を委任された存在であり、有権者の意思に反する場合はリコールや再選挙の対象となりうる。
古代アテナイや古代ローマでは民会が実施された。現代ではイニシアチブ︵国民発案、住民発案など︶、レファレンダム︵国民投票、住民投票など︶、リコール︵罷免︶が直接民主主義に基づく制度とされ、都市国家の伝統を受け継ぐスイスやアメリカ合衆国のタウンミーティングなどでは構成員の参加による自治が重視されている。
間接民主制(indirect democracy)
編集
2007年フランス大統領選挙で投票する女性
間接民主主義(代表民主主義、代議制民主主義)は、主権者である集団の構成員が自分の代表者(議員、大統領など)を選出し、実際の意思決定を任せる方法・制度である。主権者による意思決定は間接的となるが、知識や意識が高く政治的活動が可能な時間や費用に耐えられる人物を選出する事が可能となる。選挙制度にもより、議員の位置づけ(支持者や選挙区の代表か、全体の代表か)、選挙の正当性(投票価値の平等性、区割りなどの適正性、投票集計の検証性など)、代表者(達)による決定の正当性(主権者の意思(世論、民意)が反映されているか)などが常に議論となる。
自由民主制(Liberal democracy)
編集
自由民主主義︵自由主義的民主主義、立憲民主主義︶は、自由主義による民主主義。人間は理性を持ち判断が可能であり、自由権や私的所有権や参政権などの基本的人権は自然権であるとして、立憲主義による権力の制限、権力分立による権力の区別分離と抑制均衡を重視する。古典的には、選出された議員は全員の代表であり、理性に従い議論と交渉を行い決定する自由を持つと考える。
アメリカ合衆国大統領アンドリュー・ジャクソン等による民主主義。選挙権を土地所有者から全白人男性に拡大し、猟官制や領土拡張を進めた。
草の根民主制(Grassroots democracy)
編集
市民運動や住民運動など一般民衆による民主主義。ジェファーソン流民主主義を源泉とし、フランクリン・ルーズベルトが提唱した[14]。
戦う民主主義(防衛的民主制度,Defensive democracy)
編集
「防衛的民主制」とは、第二次世界大戦後のドイツ等、共産主義(コミュニズム)やファシズムなど自由民主制を否定する言動の自由や権利までは認めない民主制度。(西)ドイツ連邦憲法裁判所は判決の中で「自由の敵には無制限の自由は認めない」と断じて、ドイツ共産党を1956年から強制解散させている[15]。
「アテナイ民主主義の父」と呼ばれるクレイステネスの像(オハイオ州議事堂)
レッジョ・エミリアにあるSPQRの紋章。共和制ローマの主権者である「元老院とローマの人民(市民)」を表す。
1215年に作られた、マグナ・カルタの認証付写本
『独立宣言』(ジョン・トランブル画)
1775年、アメリカ独立革命が発生した。北アメリカのイギリス植民地では、植民地への重税や植民地からの輸入規制等への不満から、ミルトン、ハリントン、ロックの理論を学び、基本的人権と代表制︵﹁代表なくして課税なし﹂︶を確立した。1776年 トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言では社会契約論、人民主権、抵抗権︵革命権︶が明文の政治原理として採用された。各植民地は憲法制定など共和国としての制度を整え、タウンミーティングなど直接民主主義の伝統が形成されていった。特にペンシルベニア、バージニア等の共和国憲法は、人民の意思の反映、議会の優位を強く打ち出し、連邦の強化は専制に繋がるものとして警戒された[22]。
独立戦争後の財政危機、無産階級の台頭による政治不安の中、有産階級は各植民地共和国の独立・自治を見直し、強力な中央連邦政府の樹立へ向かった。1787年採択のアメリカ合衆国憲法は、多数派の権力もまた警戒すべしとの考えから、権力分立の徹底と社会秩序の安定を重視し、議会の二院制、議会から独立した強力な大統領による行政権、立法に優位する司法権を確立した。この結果、ブルジョワジー中心の体制が確立した[22]。その後、ジェファーソン流民主主義とジャクソン流民主主義が2大潮流となり、また大衆社会による議会制度の形骸化を受けて草の根民主主義も提唱された。
われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。つまりすべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている、その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。その権利を保障するものとして、政府が国民のあいだに打ち立てられ、統治されるものの同意がその正当な力の根源となる。そしていかなる政府といえどもその目的に反するときには、その政府を変更したり、廃したりして、新しい政府を打ちたてる国民としての権利をもつ。 — アメリカ独立宣言 (1776年)
これまで英国の王が有していたすべての憲法の権威は、社会全体の共通の利益のため契約によって人民から由来し、人民が保持するものとなった。 — バージニア憲法 (1776年)
フランス1793年憲法
1789年からのフランス革命では、1791年憲法で人民主権、一般意思、主権の分割譲渡不可が明記された。更に1793年憲法︵ジャコバン憲法︶で、抵抗権、直接民主主義的要素などルソーの影響を強く受けた憲法が制定されたが、施行されずに終わった。
︵人および市民の権利の宣言︶
●第1条 人間は、自由かつ権利において平等として生まれ、かつ生存する。︵後略︶
●第3条 すべての主権の根源は、本質的に国民にある。︵後略︶
●第6条 法律は一般意思の表明である。すべての市民は、個人的、または彼らの代表者によって、その作成に協力する権利を持つ。︵後略︶
︵憲法[注1]︶
●第11条 主権は1つで、分割できず、譲り渡すことができず、かつ時効にもかからない。主権は国民に属する。︵後略︶
●第56条 フランスには、法律の権威に優越する権利は存在しない。国王は、法律によってのみ統治し、かつ国王が服従を強要することができるのは、ただ法律の名においてのみである。 — フランス1791年憲法[23]
︵人間および市民の権利の宣言︶
●第33条 圧政にたいする抵抗は、人間のほかの権利の当然の結果である。
︵憲法︶
●第7条 主権者人民は、フランス市民の総体である。
●第10条 主権者人民は、法律を審議する。 — フランス1793年憲法[24]
Polity IV プロジェクトの評価で8点以上となった国の数(人口50万人以上)、1800年から2003年まで[25]
民主主義(民主政、民主制)に関する議論は、その用語や概念自体に関する解釈を含めて多数の議論が存在するが、主な議論の要素には以下があり、各要素は相互に関連している。
民主主義では集団の重要な意思決定を構成員が行うため、構成員の正統性や範囲などが議論となる。民主主義は特定の範囲のもの︵同質性︶を平等に扱うため、全人類を範囲としない限り、その範囲外のもの︵異質性︶は区別し排除する事になる[59]。
古代ギリシアのポリスでは、市民はポリスの軍務を担える者とされ、そのため重装歩兵などの装備や軍務を自費で担える、一定資産を持つ成人男性の自由民のみが市民とされ、無産者、奴隷、女性、他のポリスからの移住者や子孫などは原則として除外された。しかしサラミスの海戦でガレー船の漕ぎ手が貢献すると無産市民も発言力を高めた。共和制ローマではローマ市民権が被支配民族や被支配地域に徐々に拡大され、アウグストゥス以降は兵役満期後の属州民の子供にも拡大され、更にアントニヌス勅令でローマ帝国内の全自由民に拡大された。
近代のブルジョワ民主主義による議会制民主主義では、﹁理性や教養を持つ市民﹂が議会で議論し決定するとされ、そのため﹁理性や教養を持つ市民﹂とされた有産階級の成人男性のみが参政権を持つ制限選挙が行われた。フランス人権宣言では全ての人間は普遍的に人権を持ち平等とされたが、以後も無産者、女性、植民地住民などは参政権は無く、各国で徐々に普通選挙や女性参政権、あるいは植民地独立などが進んだ。またフランス革命以降、多くの時代や地域で言語・民族・宗教などの社会的同質性によるナショナリズムを統合の理念とした国民国家が普及したが、その反面として少数民族、異教徒、外国人、難民などへの差別や排斥も発生している。現代の現実的な民主主義は国民的な同質性原理により、国民意識が普遍的人権より上位におかれている[59]。現代でも一部の植民地、保護国、属領などでは本国に対する参政権は無い。外国人参政権の範囲は国により対応が異なる。
議会制民主主義︵代表制民主主義、間接民主主義︶では、選挙や議員の位置づけについて複数の潮流がある[54]。
アテナイでは、市民全員参加の民会や、選出された評議員による五百人評議会などがあった。共和制ローマでは、元老院と民会があり、現在の貴族院︵上院︶と庶民院︵下院︶の起源となった。
代表制原理には多数の議論がある。間接民主主義を重視する観点からは、有権者は適切と考える人物に投票し、選出された議員や大統領は全構成員の代表として信任されたとされ、自己の理性と知見に従い自由に議論し決定する。この観点からは、次の選挙まで議員の身分は保証され、次の選挙まで民意反映の機会もなく、選挙制度や政党は重視されない。他方、直接民主主義を重視する観点からは、理想は直接参加であるが、議員を選出する場合でも信任ではなく限定的な委任であり、議員が有権者の意思に反する場合にはリコール等も認められる。
近代の自由主義によるブルジョワ民主主義では権力による独裁を警戒し、当初の選挙は﹁理性と教養ある市民﹂とされた有産階級の成人男性のみによる制限選挙で、選出された議員は全体の代表として自由に議論でき、また権力分立として三権分立や二院制も採用された。この観点からは、普通選挙は無産階級による多数派支配が警戒された。ルソー、ワシントン、ジェファーソンらは政党否定論を唱えた[57]。しかし普通選挙が進展した大衆社会となり、階級対立など社会の同質性が低下して議会の形骸化が進展し、支持する勢力を議会に送り込むために選挙制度や政党、更には圧力団体の重要性が増大した。
人民の意思の反映︵人民主権︶をより重視する立場からは、普通選挙や女性参政権など公民権の拡大、議会の優越︵議会主義︶、直接民主主義的要素︵イニシアティブ、リコール、レファレンダム︶などが唱えられる。ジャン=ジャック・ルソーは議会制民主主義︵間接民主主義︶の欺瞞を主張し、フランス1793年憲法︵ジャコバン憲法︶は直接民主主義的要素を採用した。また多くの国や組織で、特に重要な意思決定にはレファレンダムが併用されるようになった。
ウラジーミル・レーニンは前衛党︵共産党︶が多数派の労働者・農民を代表するとして一党独裁を行った︵レーニン主義、党の指導性︶。またアドルフ・ヒトラーは自己をドイツ民族の指導者と主張して独裁を行い︵指導者原理︶、カール・シュミットはアドルフ・ヒトラーを最も民主主義的と評価した。これらの独裁を批判する立場や理念には、自由主義、多元主義、経験主義、保守主義や、法の支配、権力分立などがある。
デモクラシーは古代ギリシアの政体論の一分類として生れ、自由で平等な市民による相互支配が本質で、全市民による民会での意思決定だけではなく、公職は抽選により、民衆裁判への市民参加が重視された[60]。アリストテレスは、デモクラシーでは支配と服従の両方を経験する事が重要とした[60]。これに対して選挙は貴族政的な制度であり、選挙によって選出された代表者の意思決定を大幅に取り入れて、市民が代議士に政治を委ねる近代のデモクラシーは﹁自由な寡頭制﹂の面もあり、同じくデモクラシーと呼べるかは問題が残るが、しかし市民による自己統治の理念は現代でも重要な意味を持っている[60]。
民主主義は構成員全体による意思決定のため、全構成員による集会や、代表者による議会のいずれの場合でも、合意形成方法が議論となる。
大別して以下の決定方式がある。
●全会一致 - 全構成員または全出席者の賛成をもって決する。民主主義の理念上、最大の正統性が得られる。各構成員が拒否権を持つ事と同等で多数派による専制の懸念が無いが、説得や調整が重要となり、対立を含む議案では合意形成の困難性が高い。︵国際連盟の総会・理事会、国連安保理常任理事国の拒否権など︶
●多数決︵過半数︶ - 全構成員または全出席者の、過半数をもって決する。効率的な意思決定が可能だが、多数派による専制となり議会が形骸化する、過半数で勝敗が分かれるため僅かな状況変化により結論が二転三転する、過半数形成のための駆け引きや取引が重要となる、などの懸念もある。︵古代アテナイの民会、多くの近代議会における通常の立法など︶
●多数決︵特別多数︶ - 全構成員または全出席者の、過半数よりも更に多い特定の数などをもって決する。特に重要な意思決定を慎重に行う目的で採用される︵国際連合憲章改正の発議[61]、硬性憲法の改正など︶
一般的には、議論による説得・妥協・交渉などを続けて全会一致となるまで合意形成を図る事が理想的だが、意見集約が困難で期限が求められる場合には多数決も採用される。しかし多数決は﹁多数派による専制﹂︵トグウィル︶ともなり、特に階級や民族など同質性が低い集団では、多数派と少数派が固定化し、議会における実質的な審議機能が低下すると、民主主義による全体の統合機能が形骸化する。
また自由な議論には言論の自由、多元主義、情報公開などが前提となるため、形式的には民主主義でもこれら前提が実質的には不十分な場合には非自由主義的民主主義などとも呼ばれる。自由主義や多元主義の観点からは、複数の意見が存在して議論や選択の余地がある事自体が健全であり、説得や状況によって現在の少数派も将来は多数派になる可能性が確保されている事が、議会や民主主義の統合機能には必要となる。
古代アテナイでは議論を行った後に、決着しない場合には多数決が行われた。モンテスキューは二院制による慎重な審議を主張し、ルソーは人民主権を重視して一院制を主張した。多くの近代憲法では、憲法改正など重要な意思決定には単純過半数より厳しい、半数を超える成立要件やレファレンダム要件などが定められている。
玉座のナポレオン1世。ナポレオン・ボナパルトはフランス革命戦争に際して軍事独裁政権を樹立し、国会の議決と国民投票を経てフランス人民の皇帝に即位した。
民主主義は構成員︵人民、民衆、国民︶による意思決定であるため、構成員全体の意思︵世論、輿論、民意、人民の意思︶が反映されるべきだが、それが正しいまたは適切であるか、更には世論とは存在し提示可能なものか、などの議論がある。
プラトンは民主主義は衆愚政治に陥ると考えた。マキャベリやヒトラーは、大衆は愚かであると考えた。ロック、モンテスキュー、ジェファーソンなどは自由主義の観点から多数派による専制を警戒し、権力分立が必要と主張した。
ジェームズ・ブライスは著書﹃近代民主政治﹄で、近代デモクラシーでは﹁世論﹂こそ政治が従わねばならない基準とした。またジャン=ジャック・ルソーによる一般意思も理想化された世論と言える[67]。
しかしアメリカ合衆国で選挙予測から始まった世論調査の進歩もあり、1922年 ウォルター・リップマンは著作﹃世論﹄で、世論は先入観によるステレオタイプ的思考に影響され、マスメディアが現実には情報を意識的・無意識的に取捨選択して大衆のステレオタイプ的思考を促進しており、世論は容易に操作され、変化されると述べた[67]。他方でポール・ラザースフェルドは著書﹃人々の選択﹄で、マスメディアによる投票者への影響は直接的ではなく間接的で、有権者はオピニオンリーダーとのパーソナル・コミュニケーションにより自らの意思を形成していく、と述べた[67]。
(一)^ 条文番号は編別ではなく通番。
(二)^ 意訳を含め、良い政体を民主政、悪い政体を衆愚政治とする出典も存在する︵浅羽 p57、など︶。
(一)^ “Democracy Index 2023 - Economist Intelligence”. www.eiu.com. 2024年2月15日閲覧。
(二)^ ab“Democracy | Definition, History, Meaning, Types, Examples, & Facts | Britannica” (英語). www.britannica.com (2024年4月3日). 2024年4月13日閲覧。
(三)^ abcdブリタニカ・ジャパン 2019, p. ﹁民主主義﹂.
(四)^ “公益財団法人 公益法人協会”. 公益財団法人 公益法人協会 (2021年10月1日). 2024年4月13日閲覧。
(五)^ weblio - democracy
(六)^ 平凡社 2019, p. ﹁民主主義﹂.
(七)^ Demokratia, Henry George Liddell, Robert Scott, "A Greek-English Lexicon", at Perseus
(八)^ 杉田 p14
(九)^ “統一日報 : 歴史を変えた誤訳-‘民主主義’”. 統一日報. 2022年7月3日閲覧。
(十)^ “Democratism : Explaining International Politics with Democracy Beyond the State (New Horizons in International Relations series)”. 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア. 2022年7月3日閲覧。
(11)^ この項、︵陳力衛﹁﹁民主﹂と﹁共和﹂ : 近代日中概念の形成とその相互影響﹂﹃成城大学経済研究﹄第194号、成城大学経済学会、2011年11月、9-35頁、ISSN 03874753、NAID 110009557639。 ︶から、﹁民主﹂という語の履歴について解説する目的で引用した。
(12)^ abcd宇野p194-195
(13)^ “アジアの民主主義は生き残れるのか / 会員コラム / 特定非営利活動法人 言論NPO”. 特定非営利活動法人 言論NPO. 2024年4月13日閲覧。
(14)^ 草の根民主主義 - コトバンク
(15)^ 佐瀬昌盛 ﹃西ドイツ戦う民主主義 ワイマールは遠いか﹄PHP研究所、p167、1979年。ISBN 978-4569203171。
(16)^ ab宇野p28-29
(17)^ ab宇野p15-43
(18)^ 浅羽 p60-61
(19)^ 浅羽 p64
(20)^ 浅羽 p65-66
(21)^ 浅羽 p66-67
(22)^ ab浅羽p68-71
(23)^ 山本浩三、﹁一七九一年の憲法(一)訳﹂﹃同志社法學﹄11巻4号、同志社法學會、124-136頁、1960年1月20日、NAID 110000400935
(24)^ 山本浩三、﹁一七九三年の憲法(訳)﹂﹃同志社法學﹄11巻6号、同志社法學會、103-112頁、1960年3月20日、NAID 110000400948
(25)^ The Polity IV project
(26)^ United Nations General Assembly Session 62 Resolution 7. Support by the United Nations system of the efforts of Governments to promote and consolidate new or restored democracies A/RES/62/7 page 3. 8 November 2007. Retrieved 2008-08-23.
(27)^ ab佐々木 p15-21
(28)^ トゥキディデス﹃戦史﹄︵久保正彰訳、岩波文庫︶第2巻37、41より
(29)^ ab野上p30-46
(30)^ “民主主義が独裁政治へ転落する道とは 2400年前に指摘されていたシナリオ‥朝日新聞GLOBE+”. 朝日新聞GLOBE+. 2022年4月11日閲覧。
(31)^ ab佐々木 p31-36
(32)^ ab宇野p15-22
(33)^ ab野上p148-150
(34)^ 野上p131-132
(35)^ ab宇野p32-36
(36)^ 野上p12
(37)^ ab佐々木 p40-44
(38)^ 浅羽 p62-63
(39)^ ﹃ジョージ王朝時代のイギリス﹄ ジョルジュ・ミノワ著 手塚リリ子・手塚喬介訳 白水社文庫クセジュ 2004年10月10日発行 p.8
(40)^ ab浅羽 p63-65
(41)^ #中里 p185-201
(42)^ ab佐々木 p45
(43)^ #中里 p206-211
(44)^ ab浅羽 p65-66
(45)^ 野上 p66-69
(46)^ 浅羽 p75
(47)^ 浅羽 p75-76
(48)^ ab野上p55-58
(49)^ 野上p95
(50)^ ﹃国家と革命﹄ - 日本大百科全書(ニッポニカ)、世界大百科事典、他
(51)^ ウラジーミル・レーニン﹃国家と革命﹄第3章
(52)^ ウラジーミル・レーニン﹃国家と革命﹄第1章
(53)^ ab浅羽 p80-81
(54)^ abcdefgh浅羽 p80-89
(55)^ abc浅羽 p86-89
(56)^ abcdefghij浅羽 p89-97
(57)^ abcdef浅羽 p122-143
(58)^ 浅羽 p149-158
(59)^ ab佐伯 p103-109
(60)^ abc宇野p20
(61)^ 国連憲章の改正 - 国際連合広報センター
(62)^ ab浅羽﹃右翼と左翼﹄ p88-92
(63)^ 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,旺文社世界史事典 三訂版,百科事典マイペディア,デジタル大辞泉,世界大百科事典. “人民民主主義とは”. コトバンク. 2022年8月20日閲覧。
(64)^ 小項目事典, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典. “自由からの逃走とは”. コトバンク. 2022年8月20日閲覧。
(65)^ 山岸喜久治﹁ドイツ連邦共和国における政党禁止の法理﹂﹃早稲田法学﹄第67巻第3号、早稲田大学法学会、1992年2月、81-156頁、hdl:2065/2190、ISSN 0389-0546、CRID 1050282677444383744。
(66)^ abシュミット p114-125
(67)^ abc浅羽 p159-164
ウィキクォートに
民主主義に関する引用句集があります。