「アレクサンドロス3世」の版間の差分
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=== ギリシア出兵 === |
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[[紀元前338年]]、アレクサンドロスは一軍の将として父に従ってギリシア地方に出兵し[[カイロネイアの戦い]]で[[アテナイ]]・[[テーバイ]]連合軍を破る。これが彼の初陣であったが、このときアレクサンドロスは精鋭の騎兵を率いて[[アテナイ]]・[[テーバイ]]軍を壊乱させ、マケドニアの勝利に大きく貢献した。父ピリッポス2世はこれによってギリシア諸ポリスに{{仮リンク|コリント同盟|en|League of Corinth|label=ヘラス同盟}}(コリント同盟)を締結させ全ギリシアの覇権を握ると、続いて[[アケメネス朝|ペルシア]]東征を計画したが、[[紀元前336年]]に護衛の{{仮リンク|オレスティスのパウサニアス|en|Pausanias of Orestis|label=パウサニアス}}に暗殺された。 |
[[紀元前338年]]、アレクサンドロスは一軍の将として父に従ってギリシア地方に出兵し[[カイロネイアの戦い]]で[[アテナイ]]・[[テーバイ]]連合軍を破る。これが彼の初陣であったが、このときアレクサンドロスは精鋭の騎兵を率いて[[アテナイ]]・[[テーバイ]]軍を壊乱させ、マケドニアの勝利に大きく貢献した。父ピリッポス2世はこれによってギリシア諸ポリスに{{仮リンク|コリント同盟|en|League of Corinth|label=ヘラス同盟}}(コリント同盟)を締結させ全ギリシアの覇権を握ると、続いて[[アケメネス朝|ペルシア]]東征を計画したが、[[紀元前336年]]に護衛の{{仮リンク|オレスティスのパウサニアス|en|Pausanias of Orestis|label=パウサニアス}}に暗殺された。 |
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=== 東方遠征 === |
=== 東方遠征 === |
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⚫ | [[ファイル:Battleofissus333BC-mosaic.jpg|thumb|300px|イッソスの戦い, 左がアレクサンドロス, 右がダレイオス3世]] |
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⚫ | [[ファイル:BattleofIssus333BC-mosaic-detail1.jpg|thumb|愛馬[[ブケパロス]]に騎乗したアレクサンドロス (拡大図)]] |
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==== 小アジアの征服 ==== |
==== 小アジアの征服 ==== |
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==== エジプトの征服 ==== |
==== エジプトの征服 ==== |
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[[ファイル:Aleksanteri-Suuri-332-331.png|thumb|280px|left|前332年 - 前331年]] |
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==== ソグディアナ方面の占領 ==== |
==== ソグディアナ方面の占領 ==== |
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[[ファイル:Aleksanteri Suuri 331-323.png|thumb|280px|left|前331年 - 前323年]] |
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[[中央アジア]]方面へ侵攻したアレクサンドロスは、再び反乱を起こした[[スピタメネス]]を中心とする[[ソグド人]]による激しい抵抗に直面した。マケドニア軍は[[紀元前329年]]から[[紀元前327年]]まで[[ソグディアナ]]と[[バクトリア]]における過酷な[[ゲリラ]]戦([[:en:Sogdian Rock|Siege of the Sogdian Rock]])を強いられ、将兵の士気の低下を招いた。[[クレイトス]]殺害事件や近習による陰謀事件など、アレクサンドロスと部下たちの間に隙間が生じ始めるのもこの頃である。なおアレクサンドロスは[[紀元前328年]]に帰順したこの地方の有力者、[[オクシュアルテス]]の娘[[ロクサネ]]を妃とした。 |
[[中央アジア]]方面へ侵攻したアレクサンドロスは、再び反乱を起こした[[スピタメネス]]を中心とする[[ソグド人]]による激しい抵抗に直面した。マケドニア軍は[[紀元前329年]]から[[紀元前327年]]まで[[ソグディアナ]]と[[バクトリア]]における過酷な[[ゲリラ]]戦([[:en:Sogdian Rock|Siege of the Sogdian Rock]])を強いられ、将兵の士気の低下を招いた。[[クレイトス]]殺害事件や近習による陰謀事件など、アレクサンドロスと部下たちの間に隙間が生じ始めるのもこの頃である。なおアレクサンドロスは[[紀元前328年]]に帰順したこの地方の有力者、[[オクシュアルテス]]の娘[[ロクサネ]]を妃とした。 |
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==== インド遠征とスーサ帰還 ==== |
==== インド遠征とスーサ帰還 ==== |
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2013年12月27日 (金) 02:17時点における版
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アレクサンドロス3世 (アレクサンドロス大王) Ἀλέξανδρος Γ' (Ἀλέξανδρος ὁ Μέγας) | |
---|---|
マケドニア王国バシレウス | |
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在位 | 紀元前336年 - 紀元前323年 |
別号 |
ヘラス同盟(コリント同盟)の盟主 エジプトのファラオ ペルシアのシャーハンシャー |
出生 |
紀元前356年7月20日 ペラ |
死去 |
紀元前323年6月10日(満32歳没) バビロン |
配偶者 | ロクサネ |
スタテイラ | |
パリュサティス | |
子女 |
アレクサンドロス4世 ヘラクレス |
王朝 | アルゲアス朝 |
父親 | ピリッポス2世 |
母親 | オリュンピアス |
生涯
マケドニア王時代
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3b/Alexander_and_Aristotle.jpg/250px-Alexander_and_Aristotle.jpg)
ギリシア出兵
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ac/BattleofIssus333BC-mosaic-detail1.jpg/220px-BattleofIssus333BC-mosaic-detail1.jpg)
東方遠征
小アジアの征服
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/84/Aleksanteri_Suuri_334.png/180px-Aleksanteri_Suuri_334.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/57/Battleofissus333BC-mosaic.jpg/300px-Battleofissus333BC-mosaic.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8f/Aleksanteri-Suuri-333.png/280px-Aleksanteri-Suuri-333.png)
エジプトの征服
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b1/Aleksanteri-Suuri-332-331.png/280px-Aleksanteri-Suuri-332-331.png)
ペルシア王国の滅亡
ソグディアナ方面の占領
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/70/Aleksanteri_Suuri_331-323.png/280px-Aleksanteri_Suuri_331-323.png)
インド遠征とスーサ帰還
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/44/AlexanderConquestsInIndia.jpg/200px-AlexanderConquestsInIndia.jpg)
バビロン帰還と大王急逝
帰還したアレクサンドロスは、バビロンにおいて帝国をペルシア、マケドニア、ギリシア︵コリントス同盟︶の3地域に再編し、アレクサンドロスによる同君連合の形をとることにした。また、広大な帝国を円滑に治めるためペルシア人を積極的に登用するなど、ペルシア人とマケドニア人の融和を進めた。この過程においてアレクサンドロスはペルシア帝国の後継者を宣し、ペルシア王の王衣を身にまといペルシア風の平伏礼などの儀礼や統治を導入していったため、自身の専制君主化とマケドニア人の反発を招いた。 バビロンに戻ったアレクサンドロスはアラビア遠征を計画していたが、ある夜の祝宴中に倒れ、10日間高熱に浮かされ﹁最強の者が帝国を継承せよ﹂と遺言し、紀元前323年6月10日に死去してしまった。死後のマケドニア帝国の行方
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7f/MakedonischesReich.jpg/300px-MakedonischesReich.jpg)
融合政策
アレクサンドロスは征服地にその名に因んでアレクサンドリアと名付けた都市を建設、軍の拠点として現地支配の基礎に置いた。帝国の公用語に古代ギリシア語を採用した。さらにペルシャ文化への融合に心を配り、自らダレイオス3世の娘を娶りペルシア人と部下の集団結婚を奨励し︵この集団結婚式においてマケドニア人の女とペルシア人の男が結婚する事例はなかった︶、ペルシア風礼式や行政制度を取り入れ代官に現地有力者を任命した。ヘレニズム文化
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b1/Alexander_1.jpg/220px-Alexander_1.jpg)
マケドニア軍の強さ
純朴で質素な生活を営んでいたマケドニア人は苦難に耐える良い兵士であり、ギリシア世界で伝統的であったファランクスの軽装化と盾の廃止による長槍の長大化、それに対応した編成に改良を加えたマケドニア軍は、当時の地中海世界において精強な軍隊であり、各々の将兵は軍務に誇りを持つ練達の兵士であった。また、アレクサンドロス自ら行軍中にあっても荷馬車に乗り降りして体を鍛錬したと伝えられる。彼は常に最前線で将兵と共に戦い、自らの頭部や胸部に重傷を負うことさえあった︵古代ギリシアにおいて司令官は後ろの安全な場所にいるのではなく、自ら剣戟に身をさらして戦う習慣があったため、これは取り立てて特別なこととは言えない︶。数々の戦場で危機を乗り切ったアレクサンドロスは神懸かった戦士であり、将兵から絶大な人気を得ていた。 このようなマケドニア遠征軍に対しペルシア軍は大軍を動員したが、当時は利害が絡み合う各国傭兵による混成軍であったことから士気が低く、相互に連携した行動を取る修練も欠いていた。このため、継戦能力が乏しく、敗走を開始すると建て直しが困難であった。アレクサンドロス暗殺計画
東方遠征中、酒に毒が盛られているのにアレクサンドロスが気付いたことにより、若手将校らによるアレクサンドロス暗殺計画が発覚したとされるが、記録によって事態経過の記述が全くバラバラかつ曖昧である。首謀者の1人として司令官の1人フィロタスの名前が挙がった。フィロタスは無実︵パルメニオンを筆頭とする旧臣とアレクサンドロスの亀裂により近衛兵を率いるフィロタスの粛清劇を招いたという説が有力︶を主張するが、彼の義兄弟らが拷問の末に自白したため、有罪の判決が下りフィロタスは処刑された。死後の伝承
逸話、エピソード
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伝説
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- ゴルディアスの結び目
アレクサンドロスと関わった人々
一族
部下たち(50音順)
敵対者
その他
脚注
- ^ プルタルコス「英雄伝」によると、史上最も優れた指揮官としてアレクサンドロス大王を挙げている
- ^ プルタルコス「英雄伝」によると、アレクサンドロスの銅像をみたカエサルは、自分の業績は、彼に比べればとるにたらないと言って泣いたという逸話がある
- ^ Mémoires de Napoléon Bonaparte, Louis Antoine Fauvelet de Bourrienne 1821 年は、ナポレオンに同行した秘書の回想録であるが、「アレクサンドロスはナポレオンが最も尊敬する偉人であり、同列に並べられることを常に願っていた。」「エジプト遠征時も、自分とアレクサンドロスを重ねていた」という趣旨の内容が度々登場する。
- ^ Ashrafian H. "The death of Alexander the Great--a spinal twist of fate." J Hist Neurosci. 2004 Jun;13(2):138-42. PMID 15370319.
- ^ Pearce, John M. S., "Fragments of Neurological History". Imperial College Press: 2003, p. 248. ISBN 1860943381
史料
一次史料
現存する史料
アレクサンドロスの評伝 ●アリアノス﹃アレクサンドロス大王東征記・インド誌﹄ 大牟田章訳 東海大学出版会、新版.岩波文庫上下 ●クルティウス・ルフス﹃アレクサンドロス大王伝﹄ 谷栄一郎・上村健二共訳 西洋古典叢書‥京都大学学術出版会 ●﹃プルタルコス英雄伝 ﹁アレクサンドロス﹂﹄ ちくま学芸文庫中巻、井上一訳、解説村川堅太郎 ●伝カリステネス ﹃アレクサンドロス大王物語﹄ 橋本隆夫訳、国文社︿アレクサンドリア図書館叢書7﹀ 通史 ●シケリアのディオドロス ﹃歴史集成﹄︵全40巻のうち神代を扱った最初の6巻が﹃神代地誌﹄として龍溪書舎から出ているが、2012年9月現在全訳はない︶ ●﹃帝京史学﹄においてアレクサンドロスの東征を扱った17巻の訳注が帝京大学教授森谷公俊によって連載されており、2012年9月現在三回目で、全118章のうち83章まで連載されている。ネットでも公開されており、無料で読める︵帝京史学︶。 ●ポンペイウス・トログス/ユスティヌス ﹃地中海世界史﹄第11-12巻 合阪学訳、西洋古典叢書‥京都大学学術出版会 アレクサンドロスを中心に扱ったものではないが、ある程度まとまった記述があるもの主な日本語文献
創作上におけるアレクサンドロス3世
書籍
●獅子王アレクサンドロス - 阿刀田高著 ●アレクサンドロスと少年バゴアス - メアリ・ルノー著 ●アレキサンドロス大王 陽炎の世界帝国 - ニコラス・ニカストロ著 ●幻想皇帝 アレクサンドロス戦記 - 荒俣宏の歴史小説。戦国末期、日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスが戦国大名の織田信長にアレクサンドロス3世の生涯を語りながら物語が進んでいく。 ●ヒストリエ - 岩明均の漫画。アレクサンドロス3世に仕えた書記官、エウメネスの物語。 ●アレクサンダー大王 -天上の王国- - 赤石路代の漫画 ●﹃アレクサンドロス 世界帝国への夢﹄ - 安彦良和の漫画映画
●アレキサンダー - アレクサンドロス3世の生涯を描いたオリバー・ストーン監督による映画。アニメ
●アレクサンダー戦記 - 上記の荒俣宏の小説を原作としたTVアニメ。だが設定が原作と大きく異なる。ゲーム
●アルシャードガイアRPG - 井上純弌・菊池たけしデザインのテーブルトークRPG。リプレイやシナリオ、読者参加企画を包含するプロジェクト﹁アルシャードトライデント﹂に重要キーパーソンとして登場する。関連項目
﹁アレクサンドロス﹂の異名を与えられた人物
●カール12世 - スウェーデン国王。﹁北方のアレクサンドロス﹂。 ●ナーディル・シャー - アフシャール朝初代シャー。﹁第2のアレクサンドロス﹂、﹁ペルシアのナポレオン﹂とも。 ●スカンデルベク - オスマン帝国に抵抗したアルバニアの民族的英雄。﹁スカンデル﹂はイスカンダル︵アレクサンドロス︶に由来する。 ●アラーウッディーン・ハルジー - ハルジー朝のスルタン。﹁第2のアレクサンドロス﹂。
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