「右翼」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
154行目: | 154行目: | ||
* [[宗教右派]] |
* [[宗教右派]] |
||
* [[ネット右翼]] |
* [[ネット右翼]] |
||
* [[右翼トロツキスト陰謀事件]] |
|||
[[Category:政治|うよく]] |
[[Category:政治|うよく]] |
||
[[Category:政治思想|うよく]] |
[[Category:政治思想|うよく]] |
2008年8月21日 (木) 16:14時点における版
この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。(エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。) |
政治上の右翼︵うよく︶とは、必ずしも同列に並べることは出来ないが、民族主義者、王党派、反共主義者や保守勢力の総称である。右派︵うは︶とも。
概説
フランス革命後の議会で、議長席から見て右側の席を保守派が占めた事から由来する。基本的に右翼は社会主義や共産主義など左翼思想に激しい敵愾心をもつが、現代の右翼には左翼思想に強い影響を受けた存在もある。例えば、ナチズムに代表されるファシズムであるが、ファシズムを右翼と見る見方もあるが、反対にナチズムに代表されるファシズムを﹁社会主義の亜流﹂として"左翼"と見る見方もある。 色では白で表現される事が通例だが、特にファシストはファシスト党のシンボルカラーから黒で表現される事が多い︵通常、黒はアナキストのカラーである︶。ナチスは共産革命色とされる赤も使用した。またスタイルの一つとしてナチス式敬礼がある。右手を前方に突き出すものである︵左翼に定式はないが、左手を握り拳にするものもある︶。 自民族に対する人種的優越論を持ち出して民族主義に走る傾向が多く、国内に住む少数民族、移民や外国人労働者の排斥を訴える排外主義など、極端に過激な政治思想を持つ右翼の事を極右と呼ぶ。 欧米におけるプアホワイトの事例のように、国内の低取得者が現状に対する不満から、マイノリティーや移民などの攻撃し易い勢力に怒りの戈先を向ける事から発生する右翼運動も多い。日本の右翼
ここでは右翼の運動や思想よりも、保守的右派と総称し得る傾向について概説する。したがって個々の運動や組織の中には、必ずしもここで述べられていることに該当せず、そればかりかむしろ正反対に近い右翼があることも忘れてはならない。新右翼とよばれる潮流は、新左翼と共闘するなど、概して従来の右翼のスタイル・思想と様相を異にする。同様に、戦前の右翼は農本主義であり、国家社会主義とも複合していたことから、左翼と協調することがしばしばあった。また左翼の敵対者に対するレッテルと言う意味合いの場合もあるので注意を要する。歴史
日本の右翼が思想的に起源を主張するのは近世の国学である。しかし、通常国学を右翼と呼ぶ人は少ない。 近代に入り、日本各地で自由民権運動が発生し、激しい反政府運動が盛り上がった。政府はこれをしばしば公権力とともに任侠集団をけしかけて自由民権運動を取り締まったり集会を妨害した。明治時代の末になると社会主義思想が日本にも波及してきた。政府はこれに自由民権運動以上の拒否反応を示し、公権力と任侠集団で取り締まりや妨害を行った。これらの任侠集団は明治元勲たちとも結びつきが強く、社会主義に反対し、国家を擁護する政治団体を結成した。これが﹁任侠右翼﹂の起源である。 1920年代、世界恐慌が日本にも波及してくると、国学の系統を引く日本の保守思想家の中には社会主義から強い影響を受け、﹁国家社会主義﹂という新思想を止揚したグループも現れた。この潮流はやがて戦時体制という形で事実上取り入れられた。 敗戦により、GHQは日本の﹁国家主義思想﹂を抑制し、左翼思想を開放した。しかし、冷戦の開始とともにGHQは﹁逆コース﹂へ転換、左翼思想を抑制する政策を取る。これにより、多くの右翼団体が登場した。この時期、街宣車による街宣活動というスタイルが登場し、多くの右翼団体が取り入れた。しかし街宣活動は思想や主張を訴える手段から活動資金を得る手段に変質し、多くの国民から反感と拒否反応を買った。また、保守的な教条を持つ宗教団体が保守政党を支援することが多くなる。中には教団が直接政治団体を結成したり、教団の信者が中心となり教団の強い支援を受けて団体を結成するケースが見られ、﹁宗教右翼﹂と呼ばれる。宗教右翼の中には岸・安倍親子と結びついた統一教会のように、有力政治家とコネクションを持つことがある。 冷戦末期になると、従来の任侠右翼による街宣活動に反発を持つ右翼活動が、街宣車を用いず活動をするという﹁新右翼﹂という新しい潮流も見られるようになる。ただし、新右翼活動家の多くが宗教右翼出身者であり、新右翼は宗教右翼の変質拡大とも見られる。政治思想
日本の右翼は天皇を深く尊崇している事が特徴で、神道を(しばしば仏教と平行して)信仰していることが多い。特に﹁生長の家﹂など教派神道の影響を強く受けている。靖国神社問題においても内閣総理大臣、国務大臣の靖国神社への参拝を支持しており、参拝に抗議する中韓両政府や日本国内の反対勢力を批判している。左翼の一部が求めるマイノリティーに対する差別の撤廃や外交問題での﹁善隣友好﹂に対し、マイノリティー排撃、外交に対しては強硬姿勢を声高に主張している。右翼自身は自らを﹁保守派﹂﹁愛国者﹂と称する事が多い。また、日本で生まれ育った一部の在日コリアンが、日本の右翼として日の丸を掲げる街宣車で大音響を発しながら政治運動に身を投じる場合がある。 また、かつて左翼やマルクス主義者が知識人であった時代の名残か、文筆家や教職レベルの知識層には一般的に左翼が多いが、右翼はその限りではない。しかし近年、高度の知識と学識経験を積んだ右翼層も形成されており、思想としての右翼の見直しが図られている。しかしこれは街宣車で大音響を鳴らしながら走る団体などのことではなく、日本の右翼運動史を学術的に考察することである。活動内容
第二次世界大戦後の大衆の目に触れる右翼活動としては街宣が主で、街宣車を使って自分たちの政治的主張や軍歌や君が代などを流して回るなどの活動が挙げられる。なかには、軍歌を大音量で流し回る者もおり、近隣住民への迷惑行為になってしまうことも多い。また、彼らが敵視する組織︵中国大使館、韓国大使館、ロシア︵旧ソ連︶大使館、朝鮮総連関連施設、朝日新聞等︶の拠点や日本共産党の街頭演説会場、日教組および全教の全国集会会場に街宣車で押し掛ける手段に出る場合もある。国政選挙における左翼・革新系候補者の演説妨害や殴打、刃傷沙汰に及ぶこともある。 一方で、そのような威圧的行為で政治的主張を訴える運動方針を変え、一般の市民団体のような活動を行う右翼が増えている。NPO法人格を取る団体もある。署名運動などの平和的運動で政府を動かそうとしたり、政治的主張も国会議員のように駅前などでの街頭演説で訴える事が多くなった。街宣車に関しても、かつての﹁暗い、怖い﹂イメージの黒塗りの街宣車から、大衆からの支持が得やすい白塗りの街宣車へと変わってきている。 右翼団体は、犯罪者となる、暴力団・総会屋と関係を持つなど反社会的な側面を持つ場合が少なくない。猪野健治などの研究者は、大正期より博徒などの任侠は政界や財界との結びつきがあり、労働運動など左翼運動を攻撃してきたことを指摘する。公的な機関の調査としては、警察庁が作成した2004年の広報誌﹁焦点 警備警察50年﹂によると、1970年代以降に取り締まりを逃れる為、暴力団が新興の右翼団体を結成したとされる︵似非右翼、右翼標榜暴力団︶。また、警察白書によると、1996年以降、述べ数百団体が数百台の街宣車を用いて全国各地で街宣活動を展開し、韓国大使館への車突入、韓国総領事館付近への火炎瓶投擲と言った過激な事件を惹き起こしている極右もいる。 攻撃対象は企業にも及ぶ。企業犯罪が発覚すると、街宣車で﹁抗議行動﹂をするのはお馴染みである。企業が﹁反省﹂し、その団体に﹁活動資金を提供﹂すると﹁抗議行動﹂は止む。しかし、このような不当要求に応じることは企業にとって反社会的勢力への資金提供歴という新たな弱みを握られることになるため、単独では応じずに暴力追放運動推進センターや警察に相談して対策を練るべきである。政治的主張
日本の右翼の主な政治的主張とよく言われるのが﹁国体護持﹂、﹁反共﹂、﹁反日教組﹂の三点セットである。団体名に“大日本”“護国”“︵天︶皇”“菊”といった字句が入る事からもこれが窺え、また“若い我々が旧体制を打破するのだ︵戦後民主主義の否定︶”という思想から“青年”を入れる団体もある。細かいところでは相違点を見せるがこの三点だけは共通している。また、憲法改正、大東亜戦争(太平洋戦争)の肯定・東京裁判否定︵いわゆる﹁YP体制打破﹂︶・靖国神社参拝の支持なども挙げられる。一部左翼と保守勢力が懸命に否定してきた日本人拉致問題などでの従来の日本政府の外交政策における慎重な姿勢や中国・韓国への﹃謝罪外交﹄、男女共同参画などの﹁伝統破壊﹂の内政政策を批判する。政党に関しては、戦後最大の保守的政党であり、長期間政権を保持している自民党︵特に党内の右派︶や、民主党の一部︵主に旧民社党系︶を支持している他、天皇親政の立場から議会制民主主義打倒を唱えたり独自の民族主義政党を組織する急進派も存在する。また、憲法改正論議では、アメリカによる押し付け憲法論・安全保障上の問題点等を主張して改憲を主張する。 対外的には、当事国や日本の左翼勢力が﹁その責任は日本政府にある﹂とする2005年の反日デモや前述の靖国神社問題、尖閣諸島の領土問題などから中国と台湾、同じく反日デモや靖国神社問題、竹島の領土問題などから韓国、日本人拉致問題などから北朝鮮、北方領土問題などからロシア連邦の5国を批判する事が多い。さらに反共のスタンスからベトナム、キューバ、親米の立場から中東諸国、パキスタン、東ティモールなども批判の対象となる。 ただし、米国や韓国に対しての認識は団体によって異なる。反共の立場から韓国を支持して来た右翼団体もあるが、冷戦終結後は靖国神社や歴史認識等を巡って、韓国の態度を批判する右翼が増えている。同様に、西側勢力にとって最大の脅威であったソビエト連邦が解体されたため、現状の日米安保体制は対米従属を推進させるだけだとして反米の立場を採った団体も在るが、中朝の軍事的脅威や、韓露と抱えている領土問題で日本が不利な立場に立たされている事を主張して、依然として親米の立場を採る団体も多い。 従来から反共のスタンスで中華人民共和国を否定し、中華民国を中国を代表する政府とするのが多くの右翼の立場であり、チベット独立運動、東トルキスタン独立運動を支持、若しくは支援している。しかし、近年は中華民国自体を否定し、、台湾独立運動を支援する動きも見られる。これら活動の大義名分として民主主義・人権・中国脅威論・民族独立などを唱えている。これは反ソ主義であったものの、ソ連崩壊で、叩くべき敵を失って攻撃対象を変えた為と見られる。故にロシアの行なっているチェチェン紛争などイスラム抑圧行為は見て見ぬ振りである。 高度成長期、多くの右翼が任侠団体と関係を持ち、労働運動を妨害したり総会屋など企業活動のダーティーな面を支えてきた経緯から、﹁基本的に日本人労働者の権利と利益を軽視し、大企業や大資産家の利権を守る事だけに専念している。﹂と左翼から批判を受けている。左翼が戦後の経済復興期に企業の足を引っ張りかねない労働運動を推進したことは右翼にとって不可解な出来事であった。一貫して大企業の側に立って労働運動弾圧の手兵となり、企業の裏活動を支え、持ちつ持たれつの関係を築いた右翼にとって、バブル経済はまさに天国であった。多くの右翼が不動産業、建設業者と結託し、地上げ屋として活躍した。しかし、バブル景気崩壊と暴力団対策法の施行、総会屋への取り締まり強化などで右翼のシノギが急速に減り、多くの団体が経済的に困窮するようになり、かつて主流であった任侠右翼は衰退した。変わって直接ダーティーな集金をせず、上部団体から安定的に資金援助を受けやすい宗教右翼が台頭する。 メディアに対しては、リベラルな論調が多く、親中国・親朝鮮的な報道姿勢、1990年代の従軍慰安婦に関する一連の報道などから朝日新聞や、朝日に近い報道姿勢の毎日新聞に対しては批判的である。特に中国共産党が﹁広範な大衆の代表で進歩的な紙﹂と称えた朝日の論調は右翼の怒りを買い目の仇にされている。また地方紙では北海道新聞、中日新聞が敵視されている。保守的論調が多い読売新聞、中国共産党が﹁日本政府の宣伝機関﹂と批判した産経新聞に対しては、肯定的な考えを示すことが多いが、場合によっては批判することも少なくない。また、日本経済新聞に対しては、近年における大企業の中国への進出から、中国への肯定的な報道姿勢に敵対心を抱く傾向が見られる。日本経済新聞の論調である近代資本主義と、右翼の農本主義思想は相容れなく右翼の感情を逆撫でしている。逆に右寄りな報道姿勢で保守派の歓心を買おうと試みているメディアは、左翼から﹁営業右翼﹂と呼ばれる事がある。 右翼にとって日本はほぼ単一の﹁大和民族﹂によって形成された希有の存在であるとする﹁単一民族論﹂が国家観の根底である。﹁アイヌ人や琉球人といった少数民族もまた日本の一部分であり、日本文化を受容すべきであるとしている。よって、アイヌ語 や﹁スパイ言語﹂とされるウチナーグチはもちろん、方言の使用にも否定的である。歴史認識
歴史認識は国体護持の主張から皇国史観で、これから派生した自由主義史観が近年保守層に広まっている。大日本帝国の大東亜戦争︵太平洋戦争)について、﹁侵略戦争﹂として全面否定する左翼に比して﹁自存自衛の戦争﹂と肯定的に評価する。左翼側が歴史的事実とする南京大虐殺や従軍慰安婦の強制連行などは﹁根拠が希薄で捏造資料さえ出現する存否論争中のものであり、誇張されたプロパガンダ﹂と主張する。この為﹁左翼は暗黒史観主義者である﹂と批判し、一方の左翼側はこれに対抗して﹁右翼は歴史修正主義者である﹂として批判する。また、﹁教育の現場では日本の歴史の負の側面ばかりを誇張する自虐史観が子供達に教え込まれており、国旗国歌を蔑ろにする自国に誇りと自信を持てない教育がおこなわれている﹂と主張し、反戦教育を掲げる日教組等を批判する。 しかし、五一五事件、二二六事件などのクーデターを支持し、戦時体制を社会主義する立場から、大東亜戦争︵太平洋戦争︶に批判的な右翼も少なからず存在する。行動様式
右翼はその成り立ちから任侠などアウトロー出身の構成員が多い。しかし、街宣右翼の構成員は主に元暴走族や在日コリアンとも言われている。特攻服、入墨などの外見をまとい、﹁鮮人﹂﹁北鮮﹂﹁南韓﹂﹁露助﹂﹁支那﹂﹁中共﹂︵中華人民共和国を国家として認めず中国共産党の略称︶といった蔑称を用いる。軍歌を流し、日章旗とともに旭日旗や菊水旗を掲げる。ただし、近年はソフト路線により、こうした特徴もなくなりつつある。親米を強調する大日本愛国党は日の丸と共に星条旗を掲げていた。ビラは縦書きの楷書で記され、旧字体や文語体を好んで使用する。また、理論で訴える左翼と反対に情に訴える文が特徴である。 また、自己の政治活動は愛国運動であり、道路交通法や静穏保持法など各種法令を無視したり、高速道路料金の支払いを拒否する団体もある。さらに左翼の暴力事件には﹁憎むべきテロリズム﹂と否定的であるが、自己の暴力行為は肉体言語と呼んで肯定的である。 日本の右翼の大きな特徴のひとつは組織が弱体なことである。左翼は日本共産党をはじめ、大きな組織や母体となる組織が存在する。しかし、右翼にはその存在が希薄である。戦前からの系譜を引く組織でも構成員数が三桁に達するところは皆無と言っていい。したがって組織の広がりも狭く、全国的に支部を設けている組織は存在しない。ただし、任侠系はある程度組織が大きくなると部下に独立を促し別団体を結成させるため、個々の組織間の連携は密に取れている。また、宗教右翼と呼ばれる組織では、バックとなる宗教団体の支援を受け構成員数も多く、組織も全国的である場合がある。 この原因は多くの右翼団体が新たな世代の構成員を地元の暴走族や不良グループに求めているところによる。外国人右翼
日本の右翼においては、諸外国の右翼に見ることの出来ない現象がある。外国人︵主に在日コリアン︶が右翼活動を行うという現象である。このような﹁ねじれ現象﹂が発生した原因には、戦前に日本政府は左翼の対抗勢力として、任侠団体・暴力団を右翼勢力にまとめ上げようとした経緯があり、戦後においては暴力団構成員の多くが、社会に受け容れられず実力のみを評価される世界で生きざるを得なかった在日コリアンであったために、世界にも希な外国人右翼が生まれた。もともと左翼思想を持っているが、単に右翼のイメージダウンのために行っているだけともいわれる 日本の左翼においても、左翼団体の構成員の多くに在日コリアンが所属しており、こちらも特筆すべき現象であろう。 日本の右翼思想に共鳴する在日コリアンとしては、前田日明、のちに帰化した呉善花などが有名である。ネット右翼
インターネットの普及とともにネット上でイデオロギーに関わる議論・言論が行われることもあり、右翼的︵あるいは反左翼的︶な発言を行う人々に対して、ネット右翼という呼称が生まれた。俗に略してネトウヨとも呼ばれ、こちらは多くの場合蔑称として用いられる。ネット右翼は小林よしのりの漫画﹃新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論﹄とともに、マスコミ報道において若年層の排他的ナショナリズムを招きうるものとして取り上げられ、広く知られることとなった。ネット右翼の人々は掲示板やウェブサイトにおいて左派メディアの偏向報道への批判、国際問題についての保守的な言論を行い、反日的と言われる勢力に対して批判的な態度を示す。インターネットの匿名性からその全体像は明らかでなく、ネットのみで主張している者もいれば、右翼団体に参加している者もおり、単に議論の炎上を目的としている者も含まれると言われている。︵参考資料‥朝日新聞2006年5月5日朝刊﹁萎縮の構図︵6︶﹂、毎日新聞2006年7月31日朝刊﹁にっぽんに思う︵1︶﹂︶詳細は「ネット右翼」を参照
各国における近年の動向
アメリカ
連邦政府の覇権主義政策を全面的に肯定する勢力があり、彼らは日本同様﹁愛国者﹂を自称している。
殊に2001年以後の米国では、ネオコンと呼ばれる新保守主義とキリスト教右派の台頭が顕著である。
奴隷制の負の遺産として、白人至上主義が歴史的に存在している。また公民権運動の成果であるマイノリティー擁護政策の反作用として、有色人種がターゲットにされる︵クー・クラックス・クラン (KKK) 、ミリシアなど︶。
元大統領候補パトリック・ブキャナンは、移民流入が西欧を堕落させたと主張している。熱烈な国内産業保護主義者。ユーゴ紛争介入に反対したために左翼に非難される。イラク戦争にも反対している。彼も右派に属するであろう。