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「大山郁夫」の版間の差分

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さらに同年4月11日、[[山陰地方]]遊説の帰路、[[水谷長三郎]]とともに[[東京駅]]に到着したところ、ホーム上で右翼の一群に囲まれて殴打され負傷する事件も発生した。大山を警護していた警察官は暴徒を拘束しないばかりか、旧労農党員2人をビラを撒いた容疑で拘束した<ref>地方遊説から帰京、右翼に襲われる『東京朝日新聞』昭和3年4月12日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p35)</ref>。

さらに同年4月11日、[[山陰地方]]遊説の帰路、[[水谷長三郎]]とともに[[東京駅]]に到着したところ、ホーム上で右翼の一群に囲まれて殴打され負傷する事件も発生した。大山を警護していた警察官は暴徒を拘束しないばかりか、旧労農党員2人をビラを撒いた容疑で拘束した<ref>地方遊説から帰京、右翼に襲われる『東京朝日新聞』昭和3年4月12日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p35)</ref>。



[[1930年]]の[[第17回衆議院議員総選挙|総選挙]]で[[労農党 (1929-1931)|新労農党]]より立候補し当選する<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453117/8 『第17回衆議院議員総選挙一覧』衆議院事務局、1930年、pp.2,4-6]</ref>が、この際「合法政党無用論」をとり同党の結成に反対した[[日本共産党|共産党]]系勢力(かつて労農党からの立候補時には組織的支援を与えていた)からは「大山師」(大山氏のもじり)と悪罵を投げかけられた。[[河上肇]]と決別し、1932年に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に亡命。[[ノースウェスタン大学]][[政治学部]]研究嘱託。


[[1930]][[17|]][[ (1929-1931)|]]<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453117/8 171930pp.2,4-6]</ref>[[|]][[]]1932[[|]][[]][[]]


戦後、[[1947年]]に帰国。[[1950年]]の[[第2回参議院議員通常選挙|参院選]]に[[日本社会党]]・[[日本共産党]]などで構成される[[全京都民主戦線統一会議]](民統)の支援を得て立候補、途中社会党が[[馬谷憲太郎]]を擁立して戦線に乱れが生じるものの当選する<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1340459/233 『第2回参議院議員選挙一覧』参議院事務局、1953年、pp.220,257]</ref>(馬谷は落選)。なお、同年には[[京都府知事]]・[[京都市長]]の選挙も行われ、それぞれ民統が推した[[蜷川虎三]]・[[高山義三]]が当選している。1951年の12月に[[レーニン平和賞|スターリン国際平和賞]]受賞。参院議員在職中の1955年に硬膜下血腫のため死去<ref>[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)6頁</ref>。墓所は[[小平霊園]]。

戦後、[[1947年]]に帰国。[[1950年]]の[[第2回参議院議員通常選挙|参院選]]に[[日本社会党]]・[[日本共産党]]などで構成される[[全京都民主戦線統一会議]](民統)の支援を得て立候補、途中社会党が[[馬谷憲太郎]]を擁立して戦線に乱れが生じるものの当選する<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1340459/233 『第2回参議院議員選挙一覧』参議院事務局、1953年、pp.220,257]</ref>(馬谷は落選)。なお、同年には[[京都府知事]]・[[京都市長]]の選挙も行われ、それぞれ民統が推した[[蜷川虎三]]・[[高山義三]]が当選している。1951年の12月に[[レーニン平和賞|スターリン国際平和賞]]受賞。参院議員在職中の1955年に硬膜下血腫のため死去<ref>[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)6頁</ref>。墓所は[[小平霊園]]。


2024年3月28日 (木) 02:12時点における版

日本の旗 日本政治家

大山 郁夫

おおやま いくお

生年月日 (1880-09-20) 1880年9月20日
出生地 日本の旗 日本 兵庫県赤穂郡若狭野村(現相生市
没年月日 (1955-11-30) 1955年11月30日(75歳没)
出身校 早稲田大学政治経済学部卒業[1]
前職 早稲田大学教授
所属政党労働農民党→)
労働者農民党→)
新労農党→)
無所属
称号 スターリン国際平和賞

日本の旗 参議院議員

選挙区 京都府選挙区
当選回数 1回
在任期間 1950年6月5日 - 1955年11月30日

日本の旗 衆議院議員

選挙区 東京府第5区
当選回数 1回
在任期間 1930年2月21日 - 1932年1月21日
テンプレートを表示

  188013920 - 1955301130


17[2]19051914191719191921 8[3]



19271[4] 192816[5][6] 4112[7]

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1919
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 19232 

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19246 

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191012 


19299 


西19236NDLJP:911178 

 19298 

 ︿ No.1192910 


 ︿ 919289NDLJP:1460552 


 191811 


︿ 1519545 


119472 

2194710 

319482 

419485 

519496 


  1198711ISBN 9784000912716 

  2198712ISBN 9784000912723 

  319881ISBN 9784000912730 

  4198710ISBN 9784000912747 

  519884ISBN 9784000912754 

  619882ISBN 9784000912761 

  719885ISBN 9784000912778 


19668 

 198910 



(一)^ 簿 211192712p.125

(二)^ 2004318ISBN 4-336-04642-5 

(三)^ 21151 -3p31   1994

(四)^ 21271 -3p32

(五)^ 161928pp.453,457-461

(六)^ 32251 -3p34

(七)^ 34121 -3p35

(八)^ 171930pp.2,4-6

(九)^ 21953pp.220,257

(十)^  20106

関連項目

  • 大鳥圭介 - 生家の伯父・福本譲平の妻が大鳥圭介の妹・於勝

外部リンク

先代
(結成)
労働者農民党委員長
初代:1928年
次代
(結社禁止)
先代
(結成)
労農党委員長
初代:1929年 – 1931年
次代
(解散)