コンテンツにスキップ

「岡崎次郎」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m →‎参考文献: 書誌情報を追加。
 
(6人の利用者による、間の10版が非表示)
1行目: 1行目:

{{出典の明記|date=2019年4月}}

{{出典の明記|date=2019年4月}}

{{otheruses||「岡崎次郎」の通称を持つ戦国大名|松平信康}}

{{別人|岡崎二郎|岡崎二朗|x3=「岡崎次郎」の通称を持つ戦国大名|松平信康}}

{{Infobox 学者

{{Infobox 学者

|name = 岡崎 次郎<br />(おかざき じろう)

|name = 岡崎 次郎<br />(おかざき じろう)

7行目: 7行目:

|caption =

|caption =

|birth_date = {{birth date|1904|6|29}}

|birth_date = {{birth date|1904|6|29}}

|birth_place = {{JPN}}[[北海道]][[江差町|江差]]

|birth_place = {{JPN}}[[北海道]][[江差町|江差]]

|death_date = 不詳

|death_date = 不詳

|death_place =

|death_place =

20行目: 20行目:

|children =

|children =

}}

}}


''' ''' [[1904]]37[[629]] - [[1984]]59?[[]][[]][[|]][[]]

''' ''' [[1904]]︿37[[629]] - [[1984]]︿59?[[]][[]][[|]][[]]


==経歴==

==経歴==

27行目: 27行目:


===晩年===

===晩年===


[[1983]]58{{||}} [[]]西80[[1984]]59[[66]]<ref name=asahi1994>{{Cite journal||date=1994-06-17|title=|journal=|issue=|pages=|publisher=|ref={{harvid||1994}}}}</ref>{{efn|name=kure2003|[[]][[]]{{Harvtxt||2003|p=113}}<blockquote>[[]]<br /> [[]]<br /><br /> 西<br /> [[]][[ ()|]]西<br />[[ ()|]][[|]][[]]西[[|]][[|]][[|]][[]]宿{{sfn||2003|p=113}}</blockquote>}}

[[1983]]58[[]]{{||}} [[]]{{efn|[[]]1994617<blockquote> [[]]{{Ruby||}}(76)[[519|]]<br /><br /> <br /> <br />{{sfn||1994|p=27}}</blockquote>}}西{{efn|[[]]1994617<blockquote> [[]][[2LDK|]]<br />西<br /> {{Ruby||}}[[|]][[]](62)[[1984|]][[519|]]<br /> [[|]]<br />西[[西]]<br /> <br /> <br /><br /> [[|]]{{Ruby|[[]]|}}[[]]<br /><br /> {{sfn||1994|p=27}}</blockquote>}}80[[1984]]59[[66]]{{efn|[[]]1994617<blockquote> [[]]西[[65|]][[]][[|]]{{Ruby||}}()[[|]]{{Ruby||}}(69){{Ruby||}}(31)<br/><br /> 西<br /> <br /><br /> <br />姿<br /> {{sfn||1994|p=28}}</blockquote>}}{{efn|name=kure2003|[[]][[]]{{Harvtxt||2003|p=113}}<blockquote>[[]]<br /> [[]]<br /><br /> 西<br /> [[]][[ ()|]]西<br />[[ ()|]][[|]][[]]西[[|]][[|]][[|]][[]]宿{{sfn||2003|p=113}}</blockquote>}}


全ての家財を整理し、[[東京都|東京]]・[[本郷 (文京区)|本郷]]の自宅マンションを引き払った夫婦の足取りは、[[品川 (東京都)|品川]]のホテルに投宿したのを皮切りに、伊豆の[[大仁温泉]]・[[浜松市|浜松]]・[[京都市|京都]]・[[岡山市|岡山]]・[[萩市|萩]]・[[広島市|広島]]などを巡ったことがクレジットカードの使用記録から確認された{{efn|『[[週刊朝日]]』(1994年6月17日号)の記事には以下のように解説されている。<blockquote> こうして、[[6月6日|六月六日]]から、タクシーを使った老夫妻の「西への旅」が始まった。<br /> 家財道具いっさいを処分した夫妻に残された財産は、[[三和銀行]]に預けた約四百万円の預金だけだった。旅先で預金を引き落とすと同時に、ホテルなどに泊まるときは、[[ジェーシービー|JCBカード]]を使うこともあり、[[三和銀行]]から引き落とされる明細が、連絡先とされた後藤寛さん宅に届いた。<br /> その引き落としの明細は残っていないが、後藤さんの記憶によれば、宿泊先は一流ホテルが多く、同じホテルに二、三日ほど泊まって次の場所に移る、という形だった{{sfn|群司|1994|pp=28-29}}。</blockquote>}}。そして同年[[9月30日]]に[[大阪市|大阪]]のホテルに宿泊したのを最後に足取りが途絶え、現在でも生死は確認されていないという{{efn|『[[週刊朝日]]』(1994年6月17日号)の記事には以下のように解説されている。<blockquote> こうした岡崎さんの「旅立ち」の動機について、本吉さんが語る。<br />「岡崎さんは、{{Ruby|[[上原専禄]]|うえはらせんろく}}さんや{{Ruby|[[対馬忠行]]|つしまただゆき}}さんのことを何度か話してました。特に対馬さんには『先を越されちゃったよ』って冗談ともつかない口調でいっていました」<br /> [[上原専禄]]さんは[[一橋大学|一橋大]]の元学長。六〇年[[安保闘争]]では文化人グループの中心の一人として活躍したが、晩年、「亡くなった妻の{{Ruby|[[回向]]|えこう}}をするために旅立つ」とごく親しい人だけに言い残して消息を絶った。京都で四年余り隠遁した果てに、ひっそりと死んだ。<br /> [[対馬忠行]]さんは、岡崎さんとも親交があった。やはり[[カール・マルクス|マルクス]]学者で[[レフ・トロツキー|トロツキー]]研究家だったが、[[瀬戸内海|瀬戸内]]航路の旅客船から身を投げた。東京の老人ホームを出たまま行方がわからず、白骨死体が、ほぼ四ヵ月後に[[神戸港]]沖で見つかった。<br /> [[東北大学|東北大]]教授の渡辺寛さんも、岡崎さんが、<br />「対馬さんのように死体が見つかってはいかんのだ」<br /> と言うのを聞いたことがあるという。<br /> 岡崎さんの[[ジェーシービー|JCBカード]]引き落としの最後は、[[1984年|八四年]][[9月30日|九月三十日]]、大阪の[[インターコンチネンタルホテルズグループ|ホリディイン南海]]だった。「失踪」してから、ほぼ四ヵ月後だった{{sfn|群司|1994|p=29}}。</blockquote>}}{{efn|name=kure2003}}。

全ての家財を整理し、[[東京都|東京]]・[[本郷 (文京区)|本郷]]の自宅マンションを引き払った夫婦の足取りは、[[品川 (東京都)|品川]]のホテルに投宿したのを皮切りに、伊豆の[[大仁温泉]]・[[浜松市|浜松]]・[[京都市|京都]]・[[岡山市|岡山]]・[[萩市|萩]]・[[広島市|広島]]などを巡ったことがクレジットカードの使用記録から確認された。そして同年[[9月30日]]に[[大阪市|大阪]]のホテルに宿泊したのを最後に足取りが途絶え、現在でも生死は確認されていないという<ref name=asahi1994 />{{efn|name=kure2003}}。



==研究内容と業績==

==研究内容と業績==


[[]][[#|]]{{efn|{{sfn||1983|pp=186-188}}}}{{sfn||1983|pp=186-196}}[[]][[]][[]]3

[[]][[#|]]{{efn|{{sfn||1983|pp=186-188}}}}{{sfn||1983|pp=186-196}}<br/>[[]][[]][[]]93=


===編集===

===編集・訳===


{{||}} 

<br/>{{||}} 


==== 『資本論辞典』(1961年(昭和36年)、初版、青木書店) ====

==== 『資本論辞典』(1961年(昭和36年)、初版、青木書店) ====

42行目: 42行目:

==== 『現代マルクス=レーニン主義事典』(1980年(昭和55年)、初版、社会思想社) ====

==== 『現代マルクス=レーニン主義事典』(1980年(昭和55年)、初版、社会思想社) ====


[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[ ()|]][[]][[]]

[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[ ()|]][[]][[]]

===翻訳===

岡崎次郎はマルクス主義の翻訳にたいして大きな貢献を果たしている。



==== 大月書店版『マルクス=エンゲルス全集』 ====

==== 大月書店版『マルクス=エンゲルス全集』 ====


[[]][[]]195833MLML2[[]][[]][[ ()|]]195934101968431020212223調19755039[[#|]][[#|]][[#|]]

[[]][[]]195833MLML2[[]][[]][[ ()|]]195934101968431020212223調19755039[[#|]][[#|]][[#|]]


==== 『剰余価値学説史』初訳 ====

==== 『剰余価値学説史』初訳 ====


[[ ()|]][[]]115使

[[ ()|]][[]]115

==== 『剰余価値学説史』 ====


使{{efn|稿5819801984<ref>{{Cite web||url=http://www.koshisha.co.jp/pub/archives/874|title=|publisher=|accessdate=2023-04-10}}</ref>}}


==== 『マルクス=エンゲルス書簡集』新訳 ====

==== 『マルクス=エンゲルス書簡集』新訳 ====

『マルクス=エンゲルス書簡集』新訳では、マルクス=エンゲルス往復書簡だけでなく、二人の生前書いたもので現存する書簡がすべて網羅されている重要なものだった。すでに旧全集での資料をもとに往復書簡」の翻訳に着手し刊行ていた岡崎はここでも他の研究者とともに新全集での翻訳を担当した。


19503[[|]]


==== 『資本論』新訳 ====

==== 『資本論』新訳 ====

62行目: 62行目:


==== 岩波文庫版『資本論』 ====

==== 岩波文庫版『資本論』 ====


196641[[]]2019674231010[[]]100423

196641[[]]<br>2019674231010100423


== 脚注 ==

== 脚注 ==

108行目: 108行目:

|isbn=978-4-575-71310-7

|isbn=978-4-575-71310-7

|ref={{Harvid|呉|2006}}

|ref={{Harvid|呉|2006}}

}}

*{{Cite journal|和書

|author=群司武

|date=1994-06-17

|title=老マルクス学者「岡崎次郎」夫妻の死出の旅路の果て

|journal=週刊朝日

|volume=第99巻

|issue=第23号(通巻4023号)

|pages=26-29

|publisher=朝日新聞社

|ref={{harvid|群司|1994}}

}}

}}

*{{Cite book|和書

*{{Cite book|和書


2024年6月22日 (土) 06:40時点における最新版

岡崎 次郎
(おかざき じろう)
人物情報
生誕 (1904-06-29) 1904年6月29日
日本の旗 日本北海道江差
死没 不詳
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 経済学
研究機関 九州大学法政大学
テンプレートを表示

  1904︿37629 - 1984︿59?

[]


1927219294 195025196843

[]


198358 [ 1]西[ 2]8019845966[ 3][ 4]

宿使[ 5]930宿[ 6][ 4]

[]


[ 7][7]
93=

[]



 

196136[]


19553019553012

198055[]



[]


195833MLML2195934101968431020212223調19755039

[]


115

[]


使[ 8]

[]


19503

[]


1958331961365196439911稿1965409196742323-255

[]


3︿333

[]


196641
2019674231010100423

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 週刊朝日』(1994年6月17日号)の記事には以下のように解説されている。ただし、丸括弧内の年齢は記事が発表された当時のものであり、漢数字から算用数字に改めた。

     ()()()()(76)

     
     
    [1]

    ^ 1994617
     2
    西
     ()()()(62)
     
    西西
     
     

     ()()()()()

     [1]

    ^ 1994617
     西()()()()()()(69)()()(31)

     西
     

     
    姿
     [2]

    ^ ab (2003, p. 113)

     

     西
     西
    西宿[3]

    ^ 1994617
     使西
     使
     宿[4]

    ^ 1994617
     
    ()()()()()()()()調
     ()()
     
     

     
     [5]
  2. ^ 当初は共訳として持ちかけられた[6]
  3. ^ 本文中にいう『剰余価値学説史』新全集版(新訳)は『マルクス資本論草稿集』5ー8(大月書店、1980‐1984年)として刊行された[8]

出典[編集]

  1. ^ a b 群司 1994, p. 27.
  2. ^ 群司 1994, p. 28.
  3. ^ 呉 2003, p. 113.
  4. ^ 群司 1994, pp. 28–29.
  5. ^ 群司 1994, p. 29.
  6. ^ 岡崎 1983, pp. 186–188.
  7. ^ 岡崎 1983, pp. 186–196.
  8. ^ 『マルクスに凭れて六十年――自嘲生涯記』増補改訂新版”. 航思社. 2023年4月10日閲覧。

[]


() 1983224 
()  ︿92023220ISBN 978-4-906738-47-2 

()()()2003320ISBN 978-4-575-29524-5  -  (2003, pp. 102116)
()()()︿ -06-1120063ISBN 978-4-575-71310-7 

9923(4023)199461726-29 

  ︿ 4451999517ISBN 4-7966-9445-5  -  (2003, pp. 102116)
 ︿2000425ISBN 4-7966-1799-X  -  (1999)

 ︿SUGOIA-1-572008920ISBN 978-4-7966-6648-0  -  (2000)

[]