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== 定義 == |
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{{観点||section=1|date=2018年11月}} |
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朝鮮民族にとっての「恨」は、単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、(虐げる側である優越者に対する)あこがれ<ref>{{cite news|author = [[小倉紀蔵]]|url = http://www.onekoreanews.net/20031022/bunka20031022003.htm|title = 小倉紀蔵の私家版・韓国思想辞典 (1)|publisher = [[統一日報]]|date = 2003-10-22|language = 日本語|archiveurl = https://web.archive.org/web/20050312020033/http://www.onekoreanews.net/20031022/bunka20031022003.htm|archivedate = 2005年3月12日}}</ref>や妬み、悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情をあらわすものであり、この文化は「'''恨の文化'''」とも呼ばれる。 |
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現代的な[[ポストコロニアル理論|ポストコロニアルアイデンティティ]]とされる<ref>Pilzer、Joshua D.(2016)、「Musics of East Asia II:Korea」、Excursions in World Music、第7版、Taylor&Francis、ISBN 978-1-317-21375-8</ref>。 |
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[[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]]を務めた[[金大中]]は、著書『金大中哲學與對話集——建設和平與民主』のなかで、以下のように述べている<ref name="楊猛"/>。 |
[[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]]を務めた[[金大中]]は、著書『金大中哲學與對話集——建設和平與民主』のなかで、以下のように述べている<ref name="楊猛"/>。 |
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[[邵毅平]]([[復旦大学]])は、「恨」とは、要するに[[社会的弱者|弱者]]の[[哲学]]、[[外向性と内向性|内向性]]の哲学であり、個人・国家が「恨」をかき集めることで、強者に抵抗する[[勇気]]を見出そうとしたものであり、「恨」を通じて、近隣の[[大国]]である[[中国]]と[[日本]]の[[圧力]]に抵抗しようとした、と指摘している<ref name="楊猛">{{Cite news|author=[[楊猛]]|date=2016-08-21|title=純潔血統的驕傲,強敵欺淩的歷史,矛盾揉雜成為朝鮮民族集體性格的「恨」意|publisher=[[関鍵評論網]]|newspaper=|url=https://www.thenewslens.com/article/47059/fullpage|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220204031741/https://www.thenewslens.com/article/47059/fullpage|archivedate=2022-02-04}}</ref>。 |
[[邵毅平]]([[復旦大学]])は、「恨」とは、要するに[[社会的弱者|弱者]]の[[哲学]]、[[外向性と内向性|内向性]]の哲学であり、個人・国家が「恨」をかき集めることで、強者に抵抗する[[勇気]]を見出そうとしたものであり、「恨」を通じて、近隣の[[大国]]である[[中国]]と[[日本]]の[[圧力]]に抵抗しようとした、と指摘している<ref name="楊猛">{{Cite news|author=[[楊猛]]|date=2016-08-21|title=純潔血統的驕傲,強敵欺淩的歷史,矛盾揉雜成為朝鮮民族集體性格的「恨」意|publisher=[[関鍵評論網]]|newspaper=|url=https://www.thenewslens.com/article/47059/fullpage|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220204031741/https://www.thenewslens.com/article/47059/fullpage|archivedate=2022-02-04}}</ref>。 |
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== 歴史 == |
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=== 概要 === |
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[[朝鮮民族|朝鮮人]]は、自らを[[中国文明|中華文明]]に勝るとも劣らない歴史をもつ優秀な[[民族]]であり、[[世界]]で最も純粋な[[家系|血統]]をもつ民族だと信じている。[[ヨーロッパ|欧米文化]]の影響を受けてきた韓国人の大多数でさえ、韓国人よりも北朝鮮人の方が[[家系|血統]]の純粋な[[朝鮮民族]]だと考えており、このような認識が、韓国人コミュニティの閉鎖性と[[外国人嫌悪]]を助長している<ref name="楊猛"/>。{{仮リンク|B・R・マイヤーズ|en|Brian Reynolds Myers}}は、北朝鮮の[[プロパガンダ]]の背景には外国人嫌悪があると指摘しており、この傾向は、[[日本統治時代の朝鮮|日本の植民地時代]]に、[[日本人]]と同様に朝鮮人が世界の他人種より最も純粋な[[家系|血統]]であるとする﹁[[内鮮一体]]﹂に端を発する。北朝鮮の[[民族主義|民族主義者]]たちは、[[檀君|檀君神話]]が北朝鮮人の[[家系|血統]]に純粋性を与え、[[日本の歴史]]よりも古い独自の歴史と[[文明]]があると信じている。北朝鮮が[[白頭山]]を[[シンボル|国家的シンボル]]にしたのは、[[日本]]の[[富士山]]に対抗するためであり、[[富士山]]を[[模倣]]する意味があった<ref name="楊猛"/>。しかし、[[暴力]]が支配的だった[[20世紀]]を通じて、[[朝鮮]]は[[東アジア]]のマイナーな存在であり続け、[[朝鮮の歴史]]は、その大半において、[[農耕社会|農耕文明]]と[[中国]]の[[儒教]]の影響により、他国を攻撃できるほど強くなく、[[遊牧民]]や[[海洋民族]]に対して常に守勢に立たされ続けていた<ref name="楊猛"/>。[[朝鮮]]は他国を[[侵略]]したことはないが、他国から何度も侵略され続けた。朝鮮は有史以来、強大な隣国である中国に侵略され続け、中国を[[宗主国]]と仰ぎ続け、中国に[[朝貢]]し続け、中国の[[従属国|属国]]であり続けた。したがって、朝鮮人が中国に恨みを抱くのは当然であった。[[日清戦争|日清戦争後]]、朝鮮は台頭する日本に[[占領]]されてしまい、[[国籍]]・[[名字]]を剥奪され、隣国である日本に対して恨みを抱くようになった<ref name="楊猛"/>。北朝鮮は、南北が統一できないのは、歴史上かつてないほど長期間にわたって韓国に軍隊を駐留している[[アメリカ人]]に原因があると考えており、アメリカ人に対しても深い恨みを抱いている。地球上、﹁[[愛]]﹂の[[哲学]]を信じる人は多いが、﹁恨﹂の哲学を信じる人は、おそらく朝鮮人だけである。朝鮮が歴史上受け続けてきた[[不正行為|不正]]・[[幸福|不幸]]に対して、真の償いと心からの謝罪がない限り、﹁恨﹂を抱き続けるということである。[[繊細]]で傷つきやすく、勝ち気で[[自尊心]]の強い朝鮮人は、自らの力のなさに目を向けるのではなく、﹁悪意のある世界に生きている﹂という外部に対する[[被害妄想]]をもち、有史以来、強大な隣国である[[中国]]と[[日本]]に[[侵略]]され続け、[[従属国|属国]]にされ続けてきたことによる隣国への﹁恨﹂は、[[教育]]を通じて[[世代|次世代]]へと継承され続ける<ref name="楊猛"/>。
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恨の文化は日本による韓国併合を前後として変化している。この恨の形成の裏には、[[儒教]]の教えや習慣が、本来の形を越えた形でエスカレートさせていったことが背景にあったと言われ、それは上位者の下位者に対する苛烈な扱いを正当化する解釈や、下位の者は過酷な立場を受容しなければならないとする解釈になった{{要出典|date=2021年7月}}。 |
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=== 併合前 「前近代韓国の恨」 === |
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恨は、朝鮮半島代々の王権や[[両班]]による苛斂誅求を極めた階級的支配に対する民衆の抵抗意識と、漢代の昔より幾度となく[[朝鮮半島]]を襲った中国からの異民族([[漢民族|漢族]]・[[モンゴル族]]・[[女真|女真族]]ほか)による侵略・征服で、永続的な服従を余儀なくされた「集団的トラウマと悲しみの記憶<ref>Shim, Jung-Soon (19 August 2004), "The Shaman and the Epic Theatre: the Nature of Han in the Korean Theatre", New Theatre Quarterly, Cambridge University Press, 20 (3): 216–224, doi:10.1017/S0266464X04000119</ref>」と定義される。 |
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しかし、韓国古典文学や演芸には喜びとユーモアがあふれており<ref>Shin, Michael D. "A Brief History of Han". The Korea Society. Retrieved 20 May 2020.</ref>恨が表面化しておらず、それを和らげる方法としてハッピーエンドの[[パンソリ]]叙事詩が機能していた<ref>Kim, Yol-kyu (1996). 한(恨). Encyclopedia of Korean Culture (in Korean). Academy of Korean Studies. Retrieved 4 July 2020.</ref>。この時代の恨はユーモアと表裏一体を成していたといえる。 |
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=== 併合前後 === |
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1907年に集団として直接的に恨を表現する様子を宣教師のウィリアム・ブレア<ref group="注釈">William N. Blair「The Korean pentecost」の著者のひとり</ref>がはじめて観察しているが、これは韓国の恨の文化が対外的にはじめて認知された一例である。それは苦痛を伴う告白(悔悟)による忘却の促進と魂の浄化(再生)を担っていた<ref>Lee, Young-hoon (2009), The Holy Spirit Movement in Korea: Its Historical and Theological Development, Wipf and Stock, ISBN 978-1-60608-627-8</ref>。 |
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併合後、日本の同化政策に批判的であった[[柳宗悦]]<ref group="注釈">その功績については日韓で賛否両論ある。韓国の[https://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20070928022008 芸術振興への評価(ソウル新聞.2007)]の一方で、日本統治状態への懐柔に一役買ったという[https://books.google.co.jp/books?id=4VNviOz6ErIC&redir_esc=y 研究(Kikuchi, Yuko.2004)]もある。</ref>は当時の底辺階級を文化的に引き上げることを芸術面で目指したが、却って韓国人は文化面における伝統の欠如、自我自主意識の没却<ref>朴裕河『日本近代文学とナショナル・アイデンティティー』「第 15 章「柳宗悦と近代韓国の自己構築について」</ref>に直面することとなった。同化政策の中にあって自己喪失への恐れは独立運動の度重なる失敗と挫折により韓国人の悲しみを伴った自己希求「恨」を更に強く刻む結果になった。以後、メディア<ref group="注釈">1926年、東亜日報は最後の皇帝純宗の死を「恨の人生」という言葉とともに大韓帝国の終焉と悲しみとして報道している</ref>や政権側<ref>Brandt, Kim (2007), Kingdom of Beauty: Mingei and the Politics of Folk Art in Imperial Japan, Duke University Press, ISBN 978-0-8223-4000-3</ref><ref group="注釈">柳宗悦は悲しみを美化することで植民地主義の受け入れに貢献した(Brandt、Kim.2007)。</ref><ref>Kim, Sandra So Hee Chi (2017), "Korean Han and the Postcolonial Afterlives of "The Beauty of Sorrow"", Korean Studies, University of Hawai'i Press, 41 (1): 253–279, doi:10.1353/ks.2017.0026</ref><ref group="注釈">朴正煕は不平等を受け入れ韓国の独自性を掲揚させるために活用した(Kim, Sandra So Hee Chi .2017)。</ref>で共通の悲しみを通して連帯を生むため、不平等を受容させるために文化面<ref>Kikuchi, Yuko (2004), Japanese Modernisation and Mingei Theory: Cultural Nationalism and Oriental Orientalism, Routledge, ISBN 978-1-134-42955-4</ref>だけでなく政治的に利用されていくこととなる<ref> Shin, Michael D. "[https://www.koreasociety.org/education/item/1288-a-brief-history-of-han A Brief History of Han]". The Korea Society. THURSDAY, MAY 2, 2019 | 6 PM</ref>。 |
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不幸な歴史に対する前向きな忘却を果たしていた個人的民衆的「恨の文化」は、忘却を恐れることで劣等感を記憶し[[相対的剥奪]]感を受け入れ維持させる集団的なものへと変化し、経済格差や南北分断など恒常的な不安定環境がその表現範囲も複雑化させていった<ref>Shin, Michael D.2019</ref>。 |
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=== 独立後「現代韓国の恨」 === |
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[[朝鮮]]の独立が、民族運動として失敗して弾圧され、自らの力でなく[[第二次世界大戦]]の講和交渉として、頭ごなしに[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]の力によって達成されたことは、後の世代の「恨」となった。また韓国について言えば、独立後の外圧によって成立した[[李承晩]]政権の腐敗した独裁政治、[[朴正煕]]の鉄拳統治、さらにそれ以後の[[軍事政権]]・[[光州事件]]など、内なる弾圧の歴史も「恨」となっている。それで今日得られなかった勝利の代替物として、あるいは抵抗精神の表れとして、例えばスポーツなどにおける日韓戦に必要以上に熱狂<ref>{{Cite book/和書|author=木村幹|authorlink=木村幹|year=2004|title=朝鮮半島をどう見るか|publisher=[[集英社]]|series=集英社新書|id=ISBN 978-4087202410|page=99}}</ref>したり、与野党の争いや労働組合の[[労働争議|労使紛争]]において憤りの余り過激な行動をとったりするのである。また、日本([[大日本帝国]])による[[韓国併合|併合]]が「長い抑圧と屈辱の歴史」であったという反日教育の源泉ともなった。 |
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前近代韓国の恨と異なり強力な怒りと結びつく点は、1994年には「[[火病]]」<ref>Rhi, Bou-Yong (2004), "Hwabyung (火病) - An Overview", Psychiatry Investigation, 1 (1): 21–24</ref>の原因の一つと見なされたこともある。 |
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[[宮脇淳子]]は、「朝鮮半島特有の思考様式。歴代[[中国の歴代王朝一覧|シナ王朝]]への服従や日本による統治、あるいは李氏朝鮮時代の[[両班|両班支配]]など、どうにもならない[[抑圧 (社会科学)|抑圧]]と[[屈辱]]の歴史の中で、自ら不幸を嘆き、自分以外の何かを恨み、それに対する抵抗心をバネにして生きていかざるを得なかった歴史から生まれたと考えられる」と定義している<ref>{{Cite book|和書|author=宮脇淳子|authorlink=宮脇淳子|date=2020-04-30|title=朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏 韓流時代劇と朝鮮史の真実|series=[[扶桑社新書]]|publisher=[[扶桑社]]|ISBN=978-4594084523|page=31}}</ref>。 |
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=== 独立後「現代北朝鮮の恨」 === |
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[[1972年]]に北朝鮮で[[金日成]]が[[日本統治時代の朝鮮|日本への抵抗時代]]に創作したと主張する[[文学]]を[[原作]]にした[[映画]]『[[花を売る乙女]]』が上映された。この金日成の文学思想を代表する作品からは、[[ナショナリズム]]や「恨」を[[個人崇拝]]の道具として利用する様子を垣間みることができる<ref name="楊猛"/>。この映画は、[[家族]]の[[悲劇|悲劇的]]な[[運命]]から、「恨」の恨みを晴らすために、朝鮮人を導くのに最もふさわしい存在は誰なのか、という心理的含意へと導いていく<ref name="楊猛"/>。[[権力]]の頂点に立った[[金日成]]は、一連の[[プロパガンダ]]を通じて、[[朝鮮民族|白衣民族]]の唯一無二の[[スポークスパーソン|スポークスマン]]として自らを全能の民族神へと変身させ、[[朝鮮民族|白衣民族]]の[[家系|血統]]の純粋性を強調することにより、その[[家系|血統]]の純粋性を破壊者から守る守護者という[[正統性]]を強調している。[[ナショナリズム]]のなかに[[神話]]が埋め込まれ、退屈な支配者の空疎な[[説教]]だった[[主体思想]]は、外的抑圧者に対して「恨」の恨みを晴らすというテーマを強調することにより、特別な[[生命]]が吹き込まれた<ref name="楊猛"/>。 |
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金明哲は、朝鮮の[[伝統]]とは、一言でいえば﹁恨からいかに解放されるか﹂という命題であると指摘する<ref name="楊猛"/>。﹁北朝鮮の指導者は、﹃恨﹄を討つ最高指導者でなければならず、したがって、[[金日成]]と[[金正日]]が﹃恨﹄との[[聖戦]]の最高指導者であることは必然であり、[[金日成]]と[[金正日]]であるならば、朝鮮人は﹃恨﹄の恨みを清算することができる﹂という朝鮮人の[[社会心理学|社会心理]]を理解しなければ、[[金日成]]と[[金正日]]の[[嘘]]が北朝鮮で受け入れられている現実を理解することは難しい<ref name="楊猛"/>。
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[[単一民族国家|単一民族]]という[[民族]]の[[家系|血統]]の純粋性を誇る一方、他国に虐げられ続けてきたという歴然たる事実が国民精神の奥底に潜み、果てしない「恨」を生み、朝鮮人の集団的性格となる<ref name="楊猛"/>。[[金日成]]と[[金正日]]は、このような国民の「恨」を利用することで[[個人崇拝]]を推進した。[[白頭山|白頭山信仰]]や[[主体思想]]の背景には[[排外主義|排外主義的]]な[[人種差別]]がみられる。[[金正恩]]は、金日成の[[ヘアスタイル]]、[[容貌]]、[[体型]]をわざと真似るような子供じみた純朴さを強調することにより、自らが最も純粋な[[家系|血統]]の朝鮮人であり、それゆえ北朝鮮人を率いて「恨」の恨みを晴らすのに最もふさわしい存在であるとアピールした<ref name="楊猛"/>。 |
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== 「長い抑圧と屈辱の歴史」状態への批判 == |
== 「長い抑圧と屈辱の歴史」状態への批判 == |
2023年11月7日 (火) 03:10時点における版
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恨 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 한 |
漢字: | 恨 |
発音: | ハン |
ローマ字: | Han |
定義
![]() | この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。(2018年11月) |
「 | 韓国の文化は「恨」の文化です。私たちの民族は憂患と苦難の民族であり、「恨」は挫折を味わった民族の希望、「恨」は挫折を味わった民族の夢を実現するための準備なのだと思います。確かに私たちは、歴史のなかで「恨」とともに生きてきたことは事実です。…しかし、常に自分自身を慰め、励まし、その結果、未来に向かって生きていくことができた。私たちの民族は、畑の雑草のように、踏みつけられ、そして蘇る。 …韓国人は2000年間、文化的アイデンティティを捨てなかった。…韓国人は、大きな苦難に耐え、あらゆる方法で忍耐してきた。 | 」 |
歴史
概要
朝鮮人は、自らを中華文明に勝るとも劣らない歴史をもつ優秀な民族であり、世界で最も純粋な血統をもつ民族だと信じている。欧米文化の影響を受けてきた韓国人の大多数でさえ、韓国人よりも北朝鮮人の方が血統の純粋な朝鮮民族だと考えており、このような認識が、韓国人コミュニティの閉鎖性と外国人嫌悪を助長している[5]。B・R・マイヤーズは、北朝鮮のプロパガンダの背景には外国人嫌悪があると指摘しており、この傾向は、日本の植民地時代に、日本人と同様に朝鮮人が世界の他人種より最も純粋な血統であるとする﹁内鮮一体﹂に端を発する。北朝鮮の民族主義者たちは、檀君神話が北朝鮮人の血統に純粋性を与え、日本の歴史よりも古い独自の歴史と文明があると信じている。北朝鮮が白頭山を国家的シンボルにしたのは、日本の富士山に対抗するためであり、富士山を模倣する意味があった[5]。しかし、暴力が支配的だった20世紀を通じて、朝鮮は東アジアのマイナーな存在であり続け、朝鮮の歴史は、その大半において、農耕文明と中国の儒教の影響により、他国を攻撃できるほど強くなく、遊牧民や海洋民族に対して常に守勢に立たされ続けていた[5]。朝鮮は他国を侵略したことはないが、他国から何度も侵略され続けた。朝鮮は有史以来、強大な隣国である中国に侵略され続け、中国を宗主国と仰ぎ続け、中国に朝貢し続け、中国の属国であり続けた。したがって、朝鮮人が中国に恨みを抱くのは当然であった。日清戦争後、朝鮮は台頭する日本に占領されてしまい、国籍・名字を剥奪され、隣国である日本に対して恨みを抱くようになった[5]。北朝鮮は、南北が統一できないのは、歴史上かつてないほど長期間にわたって韓国に軍隊を駐留しているアメリカ人に原因があると考えており、アメリカ人に対しても深い恨みを抱いている。地球上、﹁愛﹂の哲学を信じる人は多いが、﹁恨﹂の哲学を信じる人は、おそらく朝鮮人だけである。朝鮮が歴史上受け続けてきた不正・不幸に対して、真の償いと心からの謝罪がない限り、﹁恨﹂を抱き続けるということである。繊細で傷つきやすく、勝ち気で自尊心の強い朝鮮人は、自らの力のなさに目を向けるのではなく、﹁悪意のある世界に生きている﹂という外部に対する被害妄想をもち、有史以来、強大な隣国である中国と日本に侵略され続け、属国にされ続けてきたことによる隣国への﹁恨﹂は、教育を通じて次世代へと継承され続ける[5]。 恨の文化は日本による韓国併合を前後として変化している。この恨の形成の裏には、儒教の教えや習慣が、本来の形を越えた形でエスカレートさせていったことが背景にあったと言われ、それは上位者の下位者に対する苛烈な扱いを正当化する解釈や、下位の者は過酷な立場を受容しなければならないとする解釈になった[要出典]。併合前 ﹁前近代韓国の恨﹂
恨は、朝鮮半島代々の王権や両班による苛斂誅求を極めた階級的支配に対する民衆の抵抗意識と、漢代の昔より幾度となく朝鮮半島を襲った中国からの異民族︵漢族・モンゴル族・女真族ほか︶による侵略・征服で、永続的な服従を余儀なくされた﹁集団的トラウマと悲しみの記憶[6]﹂と定義される。 しかし、韓国古典文学や演芸には喜びとユーモアがあふれており[7]恨が表面化しておらず、それを和らげる方法としてハッピーエンドのパンソリ叙事詩が機能していた[8]。この時代の恨はユーモアと表裏一体を成していたといえる。併合前後
1907年に集団として直接的に恨を表現する様子を宣教師のウィリアム・ブレア[注釈 1]がはじめて観察しているが、これは韓国の恨の文化が対外的にはじめて認知された一例である。それは苦痛を伴う告白︵悔悟︶による忘却の促進と魂の浄化︵再生︶を担っていた[9]。 併合後、日本の同化政策に批判的であった柳宗悦[注釈 2]は当時の底辺階級を文化的に引き上げることを芸術面で目指したが、却って韓国人は文化面における伝統の欠如、自我自主意識の没却[10]に直面することとなった。同化政策の中にあって自己喪失への恐れは独立運動の度重なる失敗と挫折により韓国人の悲しみを伴った自己希求﹁恨﹂を更に強く刻む結果になった。以後、メディア[注釈 3]や政権側[11][注釈 4][12][注釈 5]で共通の悲しみを通して連帯を生むため、不平等を受容させるために文化面[13]だけでなく政治的に利用されていくこととなる[14]。 不幸な歴史に対する前向きな忘却を果たしていた個人的民衆的﹁恨の文化﹂は、忘却を恐れることで劣等感を記憶し相対的剥奪感を受け入れ維持させる集団的なものへと変化し、経済格差や南北分断など恒常的な不安定環境がその表現範囲も複雑化させていった[15]。独立後﹁現代韓国の恨﹂
朝鮮の独立が、民族運動として失敗して弾圧され、自らの力でなく第二次世界大戦の講和交渉として、頭ごなしに連合軍の力によって達成されたことは、後の世代の﹁恨﹂となった。また韓国について言えば、独立後の外圧によって成立した李承晩政権の腐敗した独裁政治、朴正煕の鉄拳統治、さらにそれ以後の軍事政権・光州事件など、内なる弾圧の歴史も﹁恨﹂となっている。それで今日得られなかった勝利の代替物として、あるいは抵抗精神の表れとして、例えばスポーツなどにおける日韓戦に必要以上に熱狂[16]したり、与野党の争いや労働組合の労使紛争において憤りの余り過激な行動をとったりするのである。また、日本︵大日本帝国︶による併合が﹁長い抑圧と屈辱の歴史﹂であったという反日教育の源泉ともなった。 前近代韓国の恨と異なり強力な怒りと結びつく点は、1994年には﹁火病﹂[17]の原因の一つと見なされたこともある。 宮脇淳子は、﹁朝鮮半島特有の思考様式。歴代シナ王朝への服従や日本による統治、あるいは李氏朝鮮時代の両班支配など、どうにもならない抑圧と屈辱の歴史の中で、自ら不幸を嘆き、自分以外の何かを恨み、それに対する抵抗心をバネにして生きていかざるを得なかった歴史から生まれたと考えられる﹂と定義している[18]。独立後﹁現代北朝鮮の恨﹂
1972年に北朝鮮で金日成が日本への抵抗時代に創作したと主張する文学を原作にした映画﹃花を売る乙女﹄が上映された。この金日成の文学思想を代表する作品からは、ナショナリズムや﹁恨﹂を個人崇拝の道具として利用する様子を垣間みることができる[5]。この映画は、家族の悲劇的な運命から、﹁恨﹂の恨みを晴らすために、朝鮮人を導くのに最もふさわしい存在は誰なのか、という心理的含意へと導いていく[5]。権力の頂点に立った金日成は、一連のプロパガンダを通じて、白衣民族の唯一無二のスポークスマンとして自らを全能の民族神へと変身させ、白衣民族の血統の純粋性を強調することにより、その血統の純粋性を破壊者から守る守護者という正統性を強調している。ナショナリズムのなかに神話が埋め込まれ、退屈な支配者の空疎な説教だった主体思想は、外的抑圧者に対して﹁恨﹂の恨みを晴らすというテーマを強調することにより、特別な生命が吹き込まれた[5]。 金明哲は、朝鮮の伝統とは、一言でいえば﹁恨からいかに解放されるか﹂という命題であると指摘する[5]。﹁北朝鮮の指導者は、﹃恨﹄を討つ最高指導者でなければならず、したがって、金日成と金正日が﹃恨﹄との聖戦の最高指導者であることは必然であり、金日成と金正日であるならば、朝鮮人は﹃恨﹄の恨みを清算することができる﹂という朝鮮人の社会心理を理解しなければ、金日成と金正日の嘘が北朝鮮で受け入れられている現実を理解することは難しい[5]。 単一民族という民族の血統の純粋性を誇る一方、他国に虐げられ続けてきたという歴然たる事実が国民精神の奥底に潜み、果てしない﹁恨﹂を生み、朝鮮人の集団的性格となる[5]。金日成と金正日は、このような国民の﹁恨﹂を利用することで個人崇拝を推進した。白頭山信仰や主体思想の背景には排外主義的な人種差別がみられる。金正恩は、金日成のヘアスタイル、容貌、体型をわざと真似るような子供じみた純朴さを強調することにより、自らが最も純粋な血統の朝鮮人であり、それゆえ北朝鮮人を率いて﹁恨﹂の恨みを晴らすのに最もふさわしい存在であるとアピールした[5]。「長い抑圧と屈辱の歴史」状態への批判
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