恨
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恨 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 한 |
漢字: | 恨 |
発音: | ハン |
ローマ字: | Han |
恨(ハン[1])は、朝鮮文化においての思考様式の一つで、感情的なしこりや、痛恨、悲哀、無常観をさす朝鮮語の概念。歴史学者の古田博司は朝鮮文化における恨を「伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況のもとで、階層型秩序で下位に置かれた不満の累積とその解消願望」[2]と説明している。しかし実際には、人を恨めば自身が楽になるという意味で使われる事が多い。歴史でみても序列で下の者や他国に擦りつける性質がみられ、現代でもそういった民族性が認められるため、自虐として使う者も稀に見られる。
定義[編集]
この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。(2018年11月) |
朝鮮民族にとっての﹁恨﹂は、単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、︵虐げる側である優越者に対する︶あこがれ[3]や妬み、悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情をあらわすものであり、この文化は﹁恨の文化﹂とも呼ばれる。
現代的なポストコロニアルアイデンティティとされる[4]。
韓国大統領を務めた金大中は、著書﹃金大中哲學與對話集——建設和平與民主﹄のなかで、以下のように述べている[5]。
「 | 韓国の文化は「恨」の文化です。私たちの民族は憂患と苦難の民族であり、「恨」は挫折を味わった民族の希望、「恨」は挫折を味わった民族の夢を実現するための準備なのだと思います。確かに私たちは、歴史のなかで「恨」とともに生きてきたことは事実です。…しかし、常に自分自身を慰め、励まし、その結果、未来に向かって生きていくことができた。私たちの民族は、畑の雑草のように、踏みつけられ、そして蘇る。 …韓国人は2000年間、文化的アイデンティティを捨てなかった。…韓国人は、大きな苦難に耐え、あらゆる方法で忍耐してきた。 | 」 |
﹃金正日和朝鮮統一之日﹄︵平壌外文出版社︶の著者である金明哲は、﹁﹃恨﹄とは、表現されずに溜め込まれた感情、恨み、つらみ、自責の念、そして日常の言葉で言えば﹃悲哀﹄を意味する。…社会的抑圧によって塞がれた挫折感、鬱屈した感情が存在し続ける限り、﹃恨﹄もまた存在し続ける﹂と説明する[5]。
邵毅平︵復旦大学︶は、﹁恨﹂とは、要するに弱者の哲学、内向性の哲学であり、個人・国家が﹁恨﹂をかき集めることで、強者に抵抗する勇気を見出そうとしたものであり、﹁恨﹂を通じて、近隣の大国である中国と日本の圧力に抵抗しようとした、と指摘している[5]。
上述の金大中の例のように、恨は古来からの朝鮮民族固有の感情だと説明されることは現在でも一般的である。しかしながら、心理学や民俗学、社会学などの学際的研究の進展とともに、恨は日本統治時代の朝鮮の植民地的言説から生まれた﹁創られた言説﹂に過ぎず、民族固有の感情ではないという見解も現れている[6]。
歴史[編集]
概要 [編集]
朝鮮人は、自らを中華文明に勝るとも劣らない歴史をもつ優秀な民族であり、世界で最も純粋な血統をもつ民族だと信じている。欧米文化の影響を受けてきた韓国人の大多数でさえ、韓国人よりも北朝鮮人の方が血統の純粋な朝鮮民族だと考えており、このような認識が、韓国人コミュニティの閉鎖性と外国人嫌悪を助長している[5]。B・R・マイヤーズは、北朝鮮のプロパガンダの背景には外国人嫌悪があると指摘しており、この傾向は、日本の植民地時代に、日本人と同様に朝鮮人が世界の他人種より最も純粋な血統であるとする﹁内鮮一体﹂に端を発する。北朝鮮の民族主義者たちは、檀君神話が北朝鮮人の血統に純粋性を与え、日本の歴史よりも古い独自の歴史と文明があると信じている。北朝鮮が白頭山を国家的シンボルにしたのは、日本の富士山に対抗するためであり、富士山を模倣する意味があった[5]。しかし、暴力が支配的だった20世紀を通じて、朝鮮は東アジアのマイナーな存在であり続け、朝鮮の歴史は、その大半において、農耕文明と中国の儒教の影響により、他国を攻撃できるほど強くなく、遊牧民や海洋民族に対して常に守勢に立たされ続けていた[5]。他国から何度も侵略され続けた。朝鮮は有史以来、強大な隣国である中国に侵略され続け、中国を宗主国と仰ぎ続け、中国に朝貢し続け、中国の属国であり続けた。したがって、朝鮮人が中国に恨みを抱くのは当然であった。日清戦争後、朝鮮は台頭する日本に占領されてしまい、国籍・名字を剥奪され、隣国である日本に対して恨みを抱くようになった[5]。北朝鮮は、南北が統一できないのは、歴史上かつてないほど長期間にわたって韓国に軍隊を駐留しているアメリカ人に原因があると考えており、アメリカ人に対しても深い恨みを抱いている。地球上、﹁愛﹂の哲学を信じる人は多いが、﹁恨﹂の哲学を信じる人は、おそらく朝鮮人だけである。朝鮮が歴史上受け続けてきた不正・不幸に対して、真の償いと心からの謝罪がない限り、﹁恨﹂を抱き続けるということである。繊細で傷つきやすく、勝ち気で自尊心の強い朝鮮人は、自らの力のなさに目を向けるのではなく、﹁悪意のある世界に生きている﹂という外部に対する被害妄想をもち、有史以来、強大な隣国である中国と日本に侵略され続け、属国にされ続けてきたことによる隣国への﹁恨﹂は、教育を通じて次世代へと継承され続ける[5]。 恨の文化は日本による韓国併合を前後として変化している。この恨の形成の裏には、儒教の教えや習慣が、本来の形を越えた形でエスカレートさせていったことが背景にあったと言われ、それは上位者の下位者に対する苛烈な扱いを正当化する解釈や、下位の者は過酷な立場を受容しなければならないとする解釈になった[要出典]。併合前 ﹁前近代韓国の恨﹂ [編集]
恨は、朝鮮半島代々の王権や両班による苛斂誅求を極めた階級的支配に対する民衆の抵抗意識と、漢代の昔より幾度となく朝鮮半島を襲った中国からの異民族︵漢族・モンゴル族・女真族ほか︶による侵略・征服で、永続的な服従を余儀なくされた﹁集団的トラウマと悲しみの記憶[7]﹂と定義される。 しかし、韓国古典文学や演芸には喜びとユーモアがあふれており[8]恨が表面化しておらず、それを和らげる方法としてハッピーエンドのパンソリ叙事詩が機能していた[9]。この時代の恨はユーモアと表裏一体を成していたといえる。併合前後 [編集]
1907年に集団として直接的に恨を表現する様子を宣教師のウィリアム・ブレア[注釈 1]がはじめて観察しているが、これは韓国の恨の文化が対外的にはじめて認知された一例である。それは苦痛を伴う告白︵悔悟︶による忘却の促進と魂の浄化︵再生︶を担っていた[10]。 併合後、日本の同化政策に批判的であった柳宗悦[注釈 2]は当時の底辺階級を文化的に引き上げることを芸術面で目指したが、却って韓国人は文化面における伝統の欠如、自我自主意識の没却[11]に直面することとなった。同化政策の中にあって自己喪失への恐れは独立運動の度重なる失敗と挫折により韓国人の悲しみを伴った自己希求﹁恨﹂を更に強く刻む結果になった。以後、メディア[注釈 3]や政権側[12][注釈 4][13][注釈 5]で共通の悲しみを通して連帯を生むため、不平等を受容させるために文化面[14]だけでなく政治的に利用されていくこととなる[15]。 不幸な歴史に対する前向きな忘却を果たしていた個人的民衆的﹁恨の文化﹂は、忘却を恐れることで劣等感を記憶し相対的剥奪感を受け入れ維持させる集団的なものへと変化し、経済格差や南北分断など恒常的な不安定環境がその表現範囲も複雑化させていった[16]。独立後﹁現代韓国の恨﹂ [編集]
朝鮮の独立が、民族運動として失敗して弾圧され、自らの力でなく第二次世界大戦の講和交渉として、頭ごなしに連合軍の力によって達成されたことは、後の世代の﹁恨﹂となった。また韓国について言えば、独立後の外圧によって成立した李承晩政権の腐敗した独裁政治、朴正煕の鉄拳統治、さらにそれ以後の軍事政権・光州事件など、内なる弾圧の歴史も﹁恨﹂となっている。それで今日得られなかった勝利の代替物として、あるいは抵抗精神の表れとして、例えばスポーツなどにおける日韓戦に必要以上に熱狂[17]したり、与野党の争いや労働組合の労使紛争において憤りの余り過激な行動をとったりするのである。また、日本︵大日本帝国︶による併合が﹁長い抑圧と屈辱の歴史﹂であったという反日教育の源泉ともなった。 前近代韓国の恨と異なり強力な怒りと結びつく点は、1994年には﹁火病﹂[18]の原因の一つと見なされたこともある。 宮脇淳子は、﹁朝鮮半島特有の思考様式。歴代シナ王朝への服従や日本による統治、あるいは李氏朝鮮時代の両班支配など、どうにもならない抑圧と屈辱の歴史の中で、自ら不幸を嘆き、自分以外の何かを恨み、それに対する抵抗心をバネにして生きていかざるを得なかった歴史から生まれたと考えられる﹂と定義している[19]。独立後﹁現代北朝鮮の恨﹂ [編集]
1972年に北朝鮮で金日成が日本への抵抗時代に創作したと主張する文学を原作にした映画﹃花を売る乙女﹄が上映された。この金日成の文学思想を代表する作品からは、ナショナリズムや﹁恨﹂を個人崇拝の道具として利用する様子を垣間みることができる[5]。この映画は、家族の悲劇的な運命から、﹁恨﹂の恨みを晴らすために、朝鮮人を導くのに最もふさわしい存在は誰なのか、という心理的含意へと導いていく[5]。権力の頂点に立った金日成は、一連のプロパガンダを通じて、白衣民族の唯一無二のスポークスマンとして自らを全能の民族神へと変身させ、白衣民族の血統の純粋性を強調することにより、その血統の純粋性を破壊者から守る守護者という正統性を強調している。ナショナリズムのなかに神話が埋め込まれ、退屈な支配者の空疎な説教だった主体思想は、外的抑圧者に対して﹁恨﹂の恨みを晴らすというテーマを強調することにより、特別な生命が吹き込まれた[5]。 金明哲は、朝鮮の伝統とは、一言でいえば﹁恨からいかに解放されるか﹂という命題であると指摘する[5]。﹁北朝鮮の指導者は、﹃恨﹄を討つ最高指導者でなければならず、したがって、金日成と金正日が﹃恨﹄との聖戦の最高指導者であることは必然であり、金日成と金正日であるならば、朝鮮人は﹃恨﹄の恨みを清算することができる﹂という朝鮮人の社会心理を理解しなければ、金日成と金正日の嘘が北朝鮮で受け入れられている現実を理解することは難しい[5]。 単一民族という民族の血統の純粋性を誇る一方、他国に虐げられ続けてきたという歴然たる事実が国民精神の奥底に潜み、果てしない﹁恨﹂を生み、朝鮮人の集団的性格となる[5]。金日成と金正日は、このような国民の﹁恨﹂を利用することで個人崇拝を推進した。白頭山信仰や主体思想の背景には排外主義的な人種差別がみられる。金正恩は、金日成のヘアスタイル、容貌、体型をわざと真似るような子供じみた純朴さを強調することにより、自らが最も純粋な血統の朝鮮人であり、それゆえ北朝鮮人を率いて﹁恨﹂の恨みを晴らすのに最もふさわしい存在であるとアピールした[5]。「長い抑圧と屈辱の歴史」状態への批判[編集]
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﹁恨の文化﹂の根底とされる韓国の ﹁長い抑圧と屈辱の歴史﹂自体を否定する研究者もいる。
マーク・ピーターソン[注釈 6]は日本統治時代を含めて、韓国は大きな侵略も無く長期的な平和と安定を持っていたと主張している[20]。大国である韓国が20世紀の犠牲に縛られることは相応しく無いとし、そもそも侵略の歴史はその正当化のために日本統治時代に刷り込まれたものであるとしている[21]。また当時の日本が批判した併合前の韓国王朝も前時代的[注釈 7]ではなく誇るべきだと指摘している[22]。
またジョンダンカンは、韓国が絶え間ない侵略を経験した﹁苦しみの歴史﹂には実態が無い︵神話的︶としている[23]。
デビッド・C・カンも、20世期に登場した韓国の被害者観は、いわゆるミーム︵パフォーマンス︶のひとつとしている[24]。
共通することは﹁現代韓国の恨﹂が韓国社会や民族固有のものであり、他者︵侵略者や歴史︶に解決策を求める他責傾向や、過度な﹁劣等感﹂からくる自己不信のままでは解消できないことである。
一方、﹁恨の文化﹂の根底とされる韓国の ﹁長い抑圧と屈辱の歴史﹂自体を肯定する研究者もいる。
韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった…韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。…建国時点である紀元前2333年から日清戦争の1895年までの4228年間にわたって中国の属国だった。…中国に1895年まで属していたが、1910年の韓日合併までの15年間にわたって独立を味わったりもした。…日本が中国の植民地だった韓国を救った。 — スペイン、エル・ムンド[25][26]
古朝鮮は紀元前12世紀に、中国人の箕子が韓半島北部に建てた国だ。その当時、韓半島南部は日本の大和政権の支配下にあった。韓国は、強大国に挟まれて門戸を閉ざしていた﹁隠遁の国﹂であり、日清戦争以降、日本の支配を受けながら近代化に成功した。 — コロンビア大学オンライン百科事典、アメリカ議会図書館[27]
韓国は数百年間中国の属国だった。…日本は韓国の地で大きな発展を成し遂げた。鉄道と道路、港を建設し、産業を発展させて、教育機会を拡大させようと努力した。 — カナダの歴史教科書[28]
朝鮮は中国の属国だった。…1600年代はじめ、中国が朝鮮を再び支配した。300年間、朝鮮は中国の統治下にあった。 — アメリカの教科書[29][28][30]
朝鮮半島のあらゆる歴史は中国と日本の侵略と威嚇として綴られた。 — フランスの教科書[31]
独裁および傀儡国家。…政治的、軍事的に帝国主義に依存している。 — チェコの教科書[31]
朝鮮は、その歴史の大部分で中国の植民地であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹立することによって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした。 — フィリピンの歴史教科書
韓半島は古代から中国の植民地だった。…日本の侵略が韓国の近代化を促進した。 — インドネシアの歴史教科書[32]
1850年~1910年のあいだに分割占領された中国地図が朝鮮半島を中国領であることを明示したうえで、朝鮮半島と台湾を日本が植民地化したと図示している。 — アメリカ、マクドゥーガル・リトル出版社、歴史教科書[33]
韓国は中国・日本の周辺国…1600年代から中国が朝鮮を300年間支配した。…韓国は中国と日本の支配を順に受けた。 — アメリカの歴史教科書[34]
朝鮮は独自の豊かな文化をもつ東アジアの国である。その長い歴史の大半を、朝鮮は周辺の大国に支配されてきた。なかでも中国や日本は頻繁に朝鮮を政治的に支配してその文化に影響をおよぼした。…朝鮮半島の北方地域は、中国皇帝の領土となった。西暦1年ごろから900年まで朝鮮は三つの王国にわかれていた。中国の文化は朝鮮半島の北方にある王国に強い影響をおよぼした。この時期に仏教、儒教、そして漢字が朝鮮半島に入ってきた。日本の文化は、南方にある二つの王国にたいして中国以上の影響をおよぼした。…高麗の王たちは独自に朝鮮を治めていたが、モンゴル帝国に朝貢しなければならなかった。…朝鮮人は、科挙制度をはじめさまざまな中国の文物を取り入れ、中国文化にのめりこんでいった。…満州族の影響。朝鮮人は日本との戦いで疲弊した。その結果、1630年代、満州からきた新しい侵略者は全土をあっというまに征服した。李王朝の統治者は権力を維持したものの、満州族の政府に服属した。中国の満州族政府は日本の影響力が強まることを望まなかった。満州族は李王朝に対する統制をよりいっそう強固なものにしようとした。…日清戦争終結後の1895年末、中国は朝鮮の独立を認めた。日本はこうして満州族の朝鮮支配を終焉させた。…朝鮮は第二次世界大戦で日本帝国が敗れる1945年まで独立できなかった。現在も朝鮮は、中国、日本、アメリカのような大国の影響下から抜け出せずにいる。 — アメリカの歴史教科書[35]
朝鮮が17世紀に中国の支配に入っていて、これは中国が弱くなった19世紀末まで続いた。 — タイの歴史教科書[28]
朝鮮半島で使われている文字は漢字…朝鮮半島の人種は中国 - モンゴル人種…中国と日本・アメリカ・旧ソ連の至大な影響のもと、被侵の歴史が染み付いた弱小国。 — スペインの教科書[36]
朝鮮半島は中国の領土。 — スイスの小学校地理教科書[37]
万里の長城が鴨緑江までのびている地図を掲載…1640年代に韓国は中国・清王朝の属国になった。 — アメリカの世界史教科書[38][39]
魏・蜀・呉の三国時代…高句麗領土に該当する地域は魏の領土。 — 香港の歴史教科書[40]
古代中国の領土を表記した﹁古代の世界﹂…朝鮮半島全体を中国領土に包含。 — オックスフォード大学、中学歴史教科書[41]
韓国を中国の属国に定義付ける世界史の試験問題を出題。 — イギリス、ピアスンエデュケーション、歴史教科書[41]
かつての朝貢国である朝鮮は、外国に奪われた中国の領土である。 — 中国の歴史教科書[42]
朝鮮は中国と日本の属国。 — アメリカの教科書[43]
モンゴル帝国の発展を示す地図に高麗を含める。…モンゴルの最大版図と高麗を同じ色刷の斜線で図示。 — 日本、高校世界史、実教出版[44]
古代の中国地図に朝鮮半島を中国の領土と表記。 — アメリカの教科書[45]
1910年以前の朝鮮半島は中国領。朝鮮民族ではない他民族の写真を掲載。 — メキシコの教科書[45]
高句麗、渤海、高麗、李氏朝鮮なども中国の一部に記述…﹁中国の朝鮮半島統治は朝鮮文化にどのような影響を及ぼしたか﹂という回答を誘導。 — アメリカ、ホルト・ラインハルト&ウィンストン出版社、世界史:人間と国家[46]
紀元前87年の漢の領土は漢江の南部まで下っている。…万里の長城は豆満江までつながり、13世紀の高麗はモンゴルの属国、李氏朝鮮は清の植民地。 — アメリカ、ワールド・ヒストリー・ピープル&ネーションズ、教科書[47]
韓国人男性は本能的に外国人男性に排他的だ。これは女性を奪いに来ていると誤解しているためであり、モンゴルの高麗侵略以後に膨らんだ心理状態。 — アメリカ、ロンリー・プラネット、教科書[47]
中国と日本の属国として綴られている歴史を持っている。 — アメリカの歴史教科書[31]
紀元前3世紀から紀元前2世紀、古朝鮮領域には様々な種族が散らばり暮らしていた。…衛満︵燕国出身の亡命者︶が衛氏朝鮮建国。…衛氏朝鮮以前に朝鮮半島に政体はなく、外的要因によって古朝鮮が形成された。 — 中国の歴史教科書[48]
漢の武帝は、衛氏朝鮮を滅ぼした後、その領土に郡県制を施行した。辰国が衰弱して分裂後、新羅、百済、伽耶の三国が形成された。…高句麗は、漢の玄菟郡管轄下の中国少数民族であり、紀元前37年の政権樹立後、漢、魏晋南北朝、隋、唐にいたるまで全て中原王朝に隷属した中国少数民族の地方政権。…中国の地方政権である高句麗が分裂傾向をみせると、中央政府である唐が単独で懲罰し、直轄領とした。 — 中国、人民出版社、大学歴史教科書 世界通史[48]
朝鮮は中国の周辺。 — アメリカの歴史教科書[29]
中国と朝鮮の間の秩序は朝貢。…朝鮮は中国の属国。 — アメリカの世界史教科書[49]
朝鮮は歴史的に、中国の植民地であり、属国である。 — アメリカの世界史教科書[50]
歴史上ほとんどの期間、朝鮮は中国の植民地だった。…700年代の唐の領土は新羅が含まれる。…朝鮮は、中国の保護国だった。 — アメリカ、Barrons Educational Series、SAT 教科書[51]
明の領土は清川江まで広がる。…清の領土は朝鮮半島全体が含まれる。 — アメリカ、Barrons Educational Series、AP教科書[51]
朝鮮は、唐の属国だった。…日本と日朝修好条規を結んだ1876年に朝鮮は中国から独立した。…朝鮮は有史以来中国の属国であり、それがそのまま日本の植民地になった。 — アメリカ、プリンストン・レビュー、教科書[51]
朝鮮半島では中国と日本の文化が支配的だった。 — アメリカ、Barron's、AP教科書[52]
1300年の地図で高麗がモンゴルの汗国に含まれる…地図で黒くなっている部分は、すべてモンゴルの汗国の範囲。…1875年以前の朝鮮は独立国家ではない。…1894年に勃発した甲午農民戦争は内戦。 — アメリカ、カレッジボード、SAT 世界史問題集[52]
清は18世紀なかごろに…朝鮮・ベトナム・タイ・ミャンマーを属国とする大勢力となった。 — 日本、山川出版社、詳説世界史
いっぽう清国も、朝鮮を属国あつかいにした。 — 日本、東京書籍、日本史A
韓国の歴史を日本や中国の一部。 — インドネシア、教科書[53]
韓国の歴史を日本や中国の一部。 — フィリピン、教科書[53]
韓国の歴史を日本や中国の一部。 — タイ、教科書[53]
韓国の宗教は儒教…公用語は中国語と日本語。 — クウェート、教科書[45]
︵日清戦争で︶日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた。 — 韓国、英志文化社、中等世界史[54]
朝鮮は清の半属国だった。 — 韓国、教友社、高等世界史[54]
朝鮮半島は中国と日本という鯨の間に挟まれた海老。 — 外国の教科書[55]
朝鮮は中国と日本の属国で貧しい農耕国家。 — 外国の教科書[56]
﹁恨﹂の文化に対する評価[編集]
蓮池薫は、﹁朝鮮半島は、歴史的に大国に囲まれた中で、試練が多かったわけですね。それで自分の思い通りにできない。その切なさが﹃恨﹄。やむを得ず、中国の明や清の影響下に入り、国の存続を図ってきた。私が最初に翻訳した﹃孤将﹄という小説の主人公で、豊臣秀吉の軍勢を迎え撃った李舜臣は、その典型です。猜疑心の強い自国の王からも信用されず、援軍として駆けつけたはずの中国は、裏で日本と手を握って、朝鮮半島の命運を決めてしまう。なんとか自分の思う方向に導いて解決したいとの思い、どうして自分の国を強くして守りきれないのかという部分もある﹂と評している[57]。 中兼和津次は、﹁韓国人の﹃恨﹄の構造だが、昔、ある韓国人との対話の中で、韓国人の本音と思われることを聞いた。日本の植民地支配36年による﹃恨﹄︵コンプレックス︶を晴らすには、一度韓国が日本を36年間植民地にして、それが終わってはじめて両者が平等になる、というもの。そこまで﹃恨﹄の感情が強いのか、と思った。では、なぜ韓国人は、植民地とは言えないものの、もっと長い間、冊封によって韓国を属国としてきた中国人に対して、同様な感情を持たないのか?それは、韓国人のもつ儒教感が原因ではないか。︵中略︶呉さんによれば、韓国人にとっては中国が父親、韓国が長男、日本は末子︵次男)、という関係。中国は社会主義化、日本は明治時代以降、近代化。韓国は近代化したが、相変わらず儒教イデオロギーの枠の中におり、次男に対しては、﹃けしからん﹄という気持ちを持っている。本来、長男である自身が、次男によって傷つけられたという悔しさがある、ということで納得した﹂と評している[58]。アメリカのテレビドラマに登場した﹁恨﹂[編集]
アメリカのテレビドラマ﹃ザ・ホワイトハウス﹄はまた、第5シーズン︵第4話︶で﹁恨﹂の特徴を言及している。そのエピソードは、アメリカ大統領ジェド・バートレット︵マーティン・シーン︶が、﹁恨﹂という難解な概念について、彼が個人的な理解を果たして締め括られている。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ William N. Blair「The Korean pentecost」の著者のひとり
- ^ その功績については日韓で賛否両論ある。韓国の芸術振興への評価(ソウル新聞.2007)の一方で、日本統治状態への懐柔に一役買ったという研究(Kikuchi, Yuko.2004)もある。
- ^ 1926年、東亜日報は最後の皇帝純宗の死を「恨の人生」という言葉とともに大韓帝国の終焉と悲しみとして報道している
- ^ 柳宗悦は悲しみを美化することで植民地主義の受け入れに貢献した(Brandt、Kim.2007)。
- ^ 朴正煕は不平等を受け入れ韓国の独自性を掲揚させるために活用した(Kim, Sandra So Hee Chi .2017)。
- ^ 米ブリガム・ヤング大学の教授、同大韓国学センター所長で韓国学分野の権威者
- ^ 「the country was stagnant, inefficient and corrupt. 」〜停滞し非効率で腐敗している
出典[編集]
(一)^ 朝鮮語ラテン翻字: Han
(二)^ 古田博司﹃朝鮮民族を読み解く﹄筑摩書房︿ちくま学芸文庫︵1995年刊の同名著書の文庫版︶﹀、2005年、150頁。ISBN 978-4480089038。
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(四)^ Pilzer、Joshua D.︵2016︶、﹁Musics of East Asia II‥Korea﹂、Excursions in World Music、第7版、Taylor&Francis、ISBN 978-1-317-21375-8
(五)^ abcdefghijklmno楊猛 (2016年8月21日). “純潔血統的驕傲,強敵欺淩的歷史,矛盾揉雜成為朝鮮民族集體性格的﹁恨﹂意”. 関鍵評論網. オリジナルの2022年2月4日時点におけるアーカイブ。
(六)^ 古田富建﹁世界平和統一家庭連合 (旧統一教会) の歴史と現状﹂﹃いま宗教に向きあう3⃣世俗化後のグローバル宗教事情﹄岩波書店、2018年11月22日、143-144, 146頁。ISBN 978-4-00-026509-6。
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(八)^ Shin, Michael D. "A Brief History of Han". The Korea Society. Retrieved 20 May 2020.
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(12)^ Brandt, Kim (2007), Kingdom of Beauty: Mingei and the Politics of Folk Art in Imperial Japan, Duke University Press, ISBN 978-0-8223-4000-3
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(14)^ Kikuchi, Yuko (2004), Japanese Modernisation and Mingei Theory: Cultural Nationalism and Oriental Orientalism, Routledge, ISBN 978-1-134-42955-4
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(18)^ Rhi, Bou-Yong (2004), "Hwabyung (火病) - An Overview", Psychiatry Investigation, 1 (1): 21–24
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