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「高木兼寛」の版間の差分

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== 兵食改革と脚気論争 ==

== 兵食改革と脚気論争 ==


[[]][[]]調+16[[1883]]18[[1885]]<ref name="shirasaki">  (1998)    ISBN 4-642-05439-1</ref>[[#]]

[[日本軍]]で流行していた[[脚気]]について、海軍医務局副長就任以来、本格的に解決に取り組んだ。調査の結果、脚気と栄養に関連があることを見つけた高木は、海軍の兵食改革を進めた。その結果、海軍における脚気新患者数、発生率、および死亡数は明治16年([[1883年]])から同18年([[1885年]])にかけて激減した<ref name="shirasaki">白崎 昭一郎 (1998) 「森 鴎外 もう一つの実像」吉川弘文館 ISBN 4-642-05439-1</ref>(詳細は「[[日本の脚気史#海軍の兵食改革]]」を参照のこと)。




17[[1884]][[ ()|]]151882[[ ()#(2)|]][[ ()|]][[]]''''''<ref name="kumamoto">{{Cite web |title=   {{!}}     |url=https://kumadai-publich.com/topics/  / |website=    |access-date=2022-12-07 |language=ja}}</ref>

16[[1883]][[ ()|]]151882[[ ()#(2)|]][[ ()|]]17[[1884]]2[[]][[]]''''''<ref name="kumamoto">{{Cite web |title=   {{!}}     |url=https://kumadai-publich.com/topics/  / |website=    |access-date=2022-12-07 |language=ja}}</ref>



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このため、東京大学医学部から次々に批判された。特に同年7月の[[大沢謙二]](東京大学生理学教授)による反論の一部、消化吸収試験の結果により麦からはタンパク質の吸収が悪いことが示され、食品分析表に依拠した高木の説は、机上の空論であることが実証された。その大沢からの反論に対し、高木は反論できず、大日本帝国海軍での兵食改革の結果をいくつか公表して沈黙した。

このため、東京大学医学部から次々に批判された。特に同年7月の[[大沢謙二]](東京大学生理学教授)による反論の一部、消化吸収試験の結果により麦からはタンパク質の吸収が悪いことが示され、食品分析表に依拠した高木の説は、机上の空論であることが実証された。その大沢からの反論に対し、高木は反論できず、大日本帝国海軍での兵食改革の結果をいくつか公表して沈黙した。

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のちに高木は「当時斯学会に一人としてこの自説に賛する人は無かった、たまたま批評を加へる人があれば、それはことごとく反駁の声であった」と述懐している。当時の医学界の常識としては、「食物が不良なら身体が弱くなって万病にかかりやすいのに、なぜ食物の不良が脚気だけの原因になるのか?」との疑問をもたれ、高木が優秀とした麦からはタンパク質の吸収が悪いことも、その疑問を強めさせた。このように高木の説は、[[海軍省#医務局|海軍軍医部]]を除き、国内で賛同を得ることがほとんどできなかった。

のちに高木は「当時斯学会に一人としてこの自説に賛する人は無かった、たまたま批評を加へる人があれば、それはことごとく反駁の声であった」と述懐している。当時の医学界の常識としては、「食物が不良なら身体が弱くなって万病にかかりやすいのに、なぜ食物の不良が脚気だけの原因になるのか?」との疑問をもたれ、高木が優秀とした麦からはタンパク質の吸収が悪いことも、その疑問を強めさせた。このように高木の説は、[[海軍省#医務局|海軍軍医部]]を除き、国内で賛同を得ることがほとんどできなかった。



それでも、海軍の脚気を抑制し続け、明治25年([[1892年]])に海軍医務局長を退き、予備役に入った。

それでも、栄養管理により海軍の脚気を抑制し続け、明治25年([[1892年]])に海軍医務局長を退き、予備役に入った。



明治39年([[1906年]])、高木は、アメリカのコロンビア大学やイギリスのセント・トーマス病院医学校で講演を行い、講演内容はアメリカやイギリスの医学雑誌に掲載された。これにより、高木の脚気対策の業績は世界に広く知られた<ref>松田、2008、P.454</ref>。

明治39年([[1906年]])、高木は、アメリカのコロンビア大学やイギリスのセント・トーマス病院医学校で講演を行い、講演内容はアメリカやイギリスの医学雑誌に掲載された。これにより、高木の脚気対策の業績は世界に広く知られた<ref>松田、2008、P.454</ref>。


2023年5月13日 (土) 21:03時点における版

高木兼寛
軍医姿の高木兼寛
出生地に近い「穆園(ぼくえん)広場」の案内板より(所在地:宮崎市高岡町小山田)[1]
生誕 1849年10月30日
死没 1920年4月13日(1920-04-13)(70歳没)
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略歴


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医学・看護教育


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鹿181885M.E. Mary Ella Butler Reade[13]21188815

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兵食改革と脚気論争


調161883181885[14]#

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貧民散布論


[18]

その他の功績


殿[19]311898殿

6533西6414

西 (2008) pp.454-455

221889[20]

栄典

これは、生前授与の栄典のリストである。逝去直後、従二位勲一等旭日大綬章が追贈された。

位階

勲章等

著作

単著


19145:43016177 NDLJP:948043 

 19156:43006276 NDLJP:935534 

19167 NCID BA89378129:43023230 NDLJP:955090 

19176 NCID BB24767814:43006324 NDLJP:935584 

寿19187:43006350 NDLJP:935607 

 ︿ 9191911 NCID BA87578808:43004275 NDLJP:933322 

校閲


190310 NCID BA33188399:40056897 NDLJP:834360 

親族


1902[29]




[ 5]


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[30]

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6[32]

脚注

注釈



(一)^ [2]

(二)^ 

(三)^ 

(四)^ 退

(五)^ 

出典



(一)^ 

(二)^ "". () . 2022-7-9 {{cite encyclopedia}}: |accessdate= ()

(三)^  . www.pref.miyazaki.lg.jp. 2022127

(四)^ .  - . 2022127

(五)^ 22005224

(六)^  

(七)^   192235

(八)^ 21121947529

(九)^ 476333

(十)^   192226

(11)^  

(12)^  沿

(13)^  131(2016):49-58 (II. VI. )

(14)^   (1998)    ISBN 4-642-05439-1

(15)^  /    |    .    . 2022127

(16)^ 2008P.454

(17)^ 2008P.454-456

(18)^ 1718

(19)^ . . 20221212

(20)^  201060

(21)^ 9071886710

(22)^ 10031886111

(23)^ 25841892215

(24)^ 5098190072

(25)^ 19291889122

(26)^ 23981891629

(27)^ 131019161213

(28)^ 19151110

(29)^      44 2004 

(30)^ ab20181125   .  . 2023325

(31)^ . 13(16) 

(32)^  V 2013-12-20 

参考文献


 1990ISBN 4-06-204487-0

  1999ISBN 978-4906008315

1988
 ISBN 4-7735-0074-3 ISBN 4-7735-0076-X

2007ISBN 978-4-7698-1341-5

 NF1998ISBN 4-7698-2184-0

 William Willis52005

 112005

2008

20091991
 ISBN 4-06-276541-1 ISBN 4-06-276542-X

関連作品

テレビ番組

  • 『大いなる航海 : 軍医高木兼寛の280日』(2003年・南日本放送開局50周年記念番組 演:榎木孝明

関連項目

外部リンク

日本の爵位
先代
叙爵
男爵
高木(兼寛)家初代
1905年 - 1920年
次代
高木喜寛