あした順子・ひろし
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あした | |
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メンバー |
あした順子 あしたひろし |
別名 | 南順子・北ひろし(旧コンビ名) |
結成年 | 1960年 |
解散年 | 2015年 |
事務所 | 漫才協会・落語協会 |
活動時期 | 1960年 - 2010年5月 |
師匠 |
五代目柳家小さん 五代目鈴々舎馬風 あしたひろし(順子) |
現在の活動状況 | ひろしは逝去、順子は事実上引退 |
芸種 | 漫才、奇術、コント |
公式サイト | 公式プロフィール |
受賞歴 | |
1972年 第20回NHK漫才コンクール 努力賞 1996年 第13回浅草芸能大賞 奨励賞 |
あした 順子・ひろし︵あした じゅんこ・ひろし︶は、かつて漫才協会・落語協会に所属していた男女漫才コンビ。
1960年結成。五代目柳家小さん一門、のちに五代目鈴々舎馬風一門︵﹁馬風ファミリー﹂︶へ移籍。昭和後期から平成にかけて体を張ったどつき漫才で人気を博し、2015年11月のあしたひろしの逝去により事実上の解散となった。出囃子は﹃啼くな小鳩よ﹄。二人は師匠と弟子のコンビであり、夫婦ではない[1]。
メンバー[編集]
●あした 順子︵あした じゅんこ、1932年12月12日︵91歳︶[2] - ︶ツッコミ担当 ●本名‥河野 順子︵こうの じゅんこ︶[3]。 東京市浅草区田島町︵現・東京都台東区︶出身。 ●両親は音曲漫才の市山寿太郎・小寿。父・寿太郎︵河野晴雄︶は当時珍しい大卒芸人で、英語が堪能だったという。日本舞踊市山流の名取、壮士芝居、講釈師を経て、妻とコンビを組んだ。 ●姉の一枝は大阪の上方柳次に嫁ぎ、のちに夫婦で漫才コンビを組んだ。いとこは歌舞伎役者の六世中村東蔵、日本舞踊家の藤間紫。 ●芸能一家に育ち、日本舞踊︵市山松扇門下で市山扇寿を名乗る[2]︶やモダン・バレエの素養があったため、戦後間もなく、楽団専属ダンサーとして進駐軍のキャンプ回りで稼ぎ始める[4]。その後1950年に一般人と結婚し娘1人をもうけたが、怠け者の夫に愛想を尽かせてすぐ離婚。松旭斎一門の奇術師︵和妻師︶﹁松旭斎純子﹂として再出発したところを、旧知のひろしに見出されコンビを組んだ。結成当時の芸名は南 順子︵みなみ じゅんこ︶。 ●2010年5月[5]にひろしが膝を悪くして入院して以来、順子は一人で高座に上がったり、昭和こいるや内海桂子とコンビを組んで、漫才をしたりしていた。ひろしの死後、2017年4月30日付で落語協会を退会[6]し事実上引退したが、漫才協会には同協会の監事ならびに﹁名誉会員﹂として籍を残している[7]。 ●あした ひろし︵1922年6月10日[8] - 2015年11月3日︵93歳没︶[9]︶ボケ担当 ●本名‥大野 寛︵おおの ひろし︶[3]。東京市下谷区竹町︵現・東京都台東区台東︶出身。 ●兵役検査では、丙種合格に留まったため徴兵されなかった。大都映画の雑用係、﹃笑の王国﹄の端役、東海林太郎らの歌謡ショーの司会者を経て、順子とコンビを組む。結成当時の芸名は北 ひろし︵きた ひろし︶。 ●長兄は将棋棋士の大野源一で[5]、大野によればひろしの将棋の腕前もプロ級とされる。なお、大野は1979年1月14日、踏切をくぐろうとしたところに列車にはねられ、帰らぬ人となっている[8]。 ●2015年11月3日、老衰のため逝去した[10]。93歳没。関係者によると、ひろしは2010年に浅草演芸ホールの5月上席に出演したのを最後に舞台から遠ざかり、その後体調を崩して入退院を繰り返していた[10]。略歴[編集]
1960年[1]に南 順子・北 ひろし︵みなみ じゅんこ・きた ひろし︶[4]の名で結成。最初は漫才ではなく、ひろしの司会で順子が手品をするマジック・コント主体だったが、覚えも要領も悪いひろしを、順子が舞台上で思わず叩いたのを見たリーガル天才・秀才に、どつき漫才への転向を勧められる。歌謡ショーやキャバレー、女子プロレスの前座などで稼ぐうち、ドサ回りで芸が荒れるのを自覚し、1965年の大須演芸場開場を期に高座に専念。 秋田實の後見を得て[4]1960年代末から上方に移り、ミヤコ蝶々・南都雄二、京唄子・鳳啓助、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ、かしまし娘ら大看板の中で揉まれて芸を磨き、認められて﹁秋田﹂の屋号を許されたものの、畏れ多いと辞退して、一字違いの﹁あした﹂を名乗るようになった。 大阪万博終了後の1971年に拠点を東京に戻し、五代目柳家小さんの身内となり、落語協会に入会。1976年、漫才協会真打ちに昇進。ひろしが老境に差しかかった1990年代後半から猛然と売れ出す。弟子はいない。 2010年5月以降、ひろしの病気療養でコンビとしての活動は見られなくなり、2015年11月にひろしが逝去。その後、2017年4月に順子が落語協会を退会し、事実上の引退状態となっている。芸風・主なネタ[編集]
●漫才でふたりは夫婦のような役回りを演じた。恰幅のよい順子が亭主を尻に敷く猛妻のような貫禄を漂わせ、痩身のひろしは妻に頭が上がらぬ蚤の亭主のようにたたずんだ。順子が大声で一方的にまくし立てたりひろしを張り倒したりし、弱々しいひろしが狼狽する滑稽な構図は、幅広い世代から支持された。 ﹁間﹂で勝負する芸風で、矢継ぎ早なしゃべくりが主体の東京漫才では異色であった。 ●時事を扱ったネタを得意にした。マイケル・ジャクソン死去時はひろしの﹁暗闇の歩き﹂のような珍妙なムーンウォークで演芸場内を沸かせた[4]。テレビドラマ﹃アテンションプリーズ﹄が人気だった頃には﹁アテンション、ブー﹂で始まる航空ネタを展開し、パラパラ、マツケンサンバ、モーニング娘。、ヒロシ︵ひろしが物真似をする︶、羞恥心などもギャグに変えた。 ●芸歴を活かし、奇術やコントも披露した。ギャグ[編集]
男はあなたひろし〜 ●武田鉄矢・芦川よしみの﹃男と女のはしご酒﹄の替え歌を、ふたりが向き合ってジルバのステップで歌い踊るもの。 ●順子が﹁男は〜あなたひろしぃ〜﹂と歌うと、ひろしが﹁女は〜君さ順子ぉ〜﹂と返し、ふたりで﹁切なさが胸に来る……﹂と揃え、調子づいて順子に迫るひろしを、順子が﹁気持ちが悪いよ〜!﹂と叫んで突き飛ばす。 踊り ●日本舞踊の名取である順子が、切れの良い所作を見せるのに対し、ひろしは順子の軽快な動きについていけず、戸惑うしぐさを見せる。 ●順子が﹃黒田節﹄を謡いつつなぎなた捌きを披露し、小道具を持ちながら前を横切るひろしを足蹴にするネタは、正月初席などで見せた。 首投げ[4] ●女子プロレス興行の前座として巡業した際、現役レスラーから伝授され体得した技で、首投げよりむしろフライング・メイヤーと呼ぶのが正しい。体格の良い順子が痩躯のひろしを投げ飛ばし、柔道初段の心得のあるひろしが見事な受身を披露する定番ネタ。高齢となってからは披露されなくなった。 ●2016年12月7日に放送されたマツコ&有吉の怒り新党のコーナー﹁記憶調査委員会﹂で﹃オチで相方を投げ飛ばすベテラン漫才師がいた﹄としてあした順子・ひろしが取り上げられ、首投げを決める当時の貴重な映像が披露された。 その他 ●順子が﹁おじいちゃん、おしっこに行きましょうね﹂とひろしの両手を繋ぐと、ひろしが﹁やだー!﹂と叫んで、順子がひろしを張り倒すという介護ネタ。 ●順子がひろしの頭を叩き、ひろしが﹁そんなに頭を叩くから薄くなるんだよ﹂と半泣きになる。すると順子が﹁そんなの心配しないでこれやるから!!﹂と怒って、自分の頭に付けてあったカチューシャをひろしの頭に載せ、そのまま深々と黙礼して高座を下りる。 ●踊り欄に記載の﹃黒田節﹄ネタを正月元旦﹁初詣ヒットパレード﹂で披露したが、小道具の盃の用意を忘れてしまい、舞台裏で順子に責められアタフタするひろしの様子がマイクONのまま音声で拾われてしまった。いつまでも舞台袖から出てこずにあ~だこ~だ言い合いしてる異変に気づいた司会の西川きよしと桂文枝︵当時は三枝︶がフォローしてなんとか事なきを得たという正月からヒヤヒヤもののエピソードがある。出演[編集]
テレビ[編集]
●初詣!爆笑ヒットパレード︵フジテレビ︶ ●おはよう笑点︵日本テレビ︶ ●笑いがいちばん︵NHK総合︶ ●笑点︵日本テレビ︶ ●年忘れ漫才競演︵NHK総合︶ ●いろもん︵日本テレビ︶ ●たけしの誰でもピカソ︵テレビ東京︶ ●めちゃ×2イケてるッ!︵フジテレビ、2000年︶コーナー﹁第3回笑わず嫌い王決定戦﹂に出演 ●FNS27時間テレビ︵フジテレビ、2004年︶コーナー﹁第7回笑わず嫌い王決定戦﹂に生出演 ●もっともっと笑い亭 ︵tvk︶順子のみ、コーナー﹁懐かしの昭和漫才﹂に出演 ●日曜ビッグバラエティ︵日本テレビ︶ ●いい旅・夢気分︵テレビ東京︶ ●巣鴨バラエティ座︵独立UHF局、2007年5月20日にゲスト出演など多数︶ラジオ[編集]
●真打ち競演︵NHKラジオ第1︶ ●ラジオ寄席︵TBSラジオ︶受賞歴[編集]
●1972年 第20回NHK漫才コンクール 努力賞[11] ●1996年 第13回浅草芸能大賞 奨励賞[3]作品集[編集]
CD[編集]
●東京漫才傑作集ベスト(1)﹃あした順子・ひろし 爆笑漫才集﹄︵1998年10月21日、COCJ-30118︶ ●日本コロムビアから発売された、漫才のライブ音源集。2005年7月20日に再発︵COCJ-33287︶。 ●僕の社交会︵1998年7月11日収録︶/恋で苦労をしてみたい︵1998年7月13日収録︶/娘の結婚式︵1998年7月13日収録︶DVD[編集]
●あした順子・ひろし﹃米寿漫才﹄︵2010年6月30日、RGS-002︶ ●鈴々舎馬るこのプロデュースによって製作された映像集。漫才の模様やコンビの歴史に纏わる貴重なインタビュー映像が収録されている。脚注[編集]
(一)^ ab漫才師・あしたひろしさんが死去 享年93歳 どつき漫才で人気 ORICON STYLE、2015年12月4日
(二)^ abあした 順子 落語協会
(三)^ abcあした 順子・ひろし 鈴々舎馬風 一門のオフィシャルホームページ
(四)^ abcde︻今週のご推笑・東︼あした順子・ひろし﹁磨きこんだ絶妙なネタ﹂ ZAKZAK、2009年10月10日
(五)^ ab芸能界にもファン、漫才のあしたひろしさん死去 読売新聞、2015年12月4日
(六)^ 稲田和浩 (平成30年3月28日). ﹁演芸界、2017年のできごと﹂東京かわら版寄席演芸年鑑2018年版(東京かわら版2018年4月号). 東京かわら版. p. 68
(七)^ あした順子 - 一般社団法人 漫才協会プロフィール
(八)^ abあした ひろし 落語協会
(九)^ あしたひろし 訃報 落語協会 2015年12月4日閲覧
(十)^ ab“漫才師あしたひろしさん死去”. デイリースポーツ (2015年12月5日). 2021年9月23日閲覧。
(11)^ あした ひろし・順子 落語協会
外部リンク[編集]
- あした 順子・ひろし - 鈴々舎馬風 一門のオフィシャルホームページ
- あした 順子・ひろし - 漫才協会
- あしたひろし・順子 - 落語協会
- あした順子 - 漫才協会
- あしたひろし - 落語協会