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オーストリア皇帝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オーストリア帝冠

: Kaiser von Österreich21804

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221805西2退2211KaiserKönig

1191811804Kaisertum ÖsterreichKaisertum1804 15184818591867Reichsrat115,000H1918

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18591866

歴代皇帝[編集]

公的称号としての皇帝:1804年 - 1918年[編集]

肖像画 名前 即位 崩御または退位 先代との関係
フランツ1世 1804年8月11日 1835年5月2日
フェルディナント1世 1835年5月2日 1848年12月2日 フランツ1世の長男
フランツ・ヨーゼフ1世 1848年12月2日 1916年11月21日 フェルディナント1世の弟フランツ・カール大公の長男
カール1世 1916年11月21日 1918年11月11日 フランツ・ヨーゼフ1世の弟カール・ルートヴィヒ大公の孫

私的称号としての皇帝:1918年 - 1961年[編集]


191811111殿退退1退1

1192241Kaiser und Könige192241[1]使[1]

1[2][2] 
肖像画 名前 即位 崩御または退位 先代との関係
カール1世 1916年11月21日 1922年4月1日
フランツ・ヨーゼフ2世
(フランツ・ヨーゼフ・オットー・フォン・ハプスブルク)
1922年4月1日 1961年5月31日 カール1世の長男

1949年に二つの家門に貴族位を授与するなど、オットーはしばらく君主然とした振る舞いを続けたが、1961年に「退位」し、次いで王朝との絶縁をオーストリア共和国に宣誓した。これ以降、私的称号としてもオーストリア皇帝を名乗る者はいないが、それでも今なおハプスブルク=ロートリンゲン家の当主をオーストリア皇帝であるとみなす者は残存する。そうした立場に拠るならば、2018年現在はオットーの長男カールが「オーストリア皇帝カール2世」ということになる。

出典[編集]

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 1995510ISBN 4-403-24038-0 

 20︿20164ISBN 978-4022630445 

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