双頭の鷲
双頭の鷲︵そうとうのわし、ギリシア語: Δικέφαλος αετός、ドイツ語: Doppeladler、英語: Double-headed eagle︶とは、鷲の紋章の一種で、頭が2つある鷲の紋章。
主に東ローマ帝国や神聖ローマ帝国と、関連したヨーロッパの国家や貴族などに使用された。現在でもセルビア、アルバニア、ロシアなどの国章[1]や、ギリシャ正教会などで使用されている。
歴史[編集]
﹁双頭の鷲﹂自体は古来より存在する紋章で、知られている最古の図像は、紀元前3,800年頃のシュメールのラガシュの都市神ニンギルスに関するものである。一説には、﹁双頭の鷲﹂と﹁単頭のライオン頭の鷲﹂は、同じものを表していると考えられている。紀元前32世紀のエジプト[注釈 1]、20世紀から7世紀の間のシュメールや、現在のトルコ地域のヒッタイトでも使用された[要出典]。また11-12世紀のセルジューク朝でも使用された。タキシラ︵パキスタン︶の世界遺産に指定されたシルカップの寺院遺跡に浮き彫りが残る[2][3]。南アメリカにはメキシコに伝わる紋章の例がある[4]。﹁ローマ﹂の象徴として[編集]
ローマ帝国の国章は単頭の鷲の紋章であったが、その後も帝国の権威の象徴として使われ続け[注釈 2]、13世紀の東ローマ帝国末期のパレオロゴス王朝時代に﹁双頭の鷲﹂の紋章が採用された。この紋章は元々はパレオロゴス家の家紋との説もある[要出典]。東ローマ帝国における﹁双頭﹂は、﹁西﹂と﹁東﹂の双方に対するローマ帝国の支配権を表したが、実際には﹁西﹂すなわち過去の西ローマ帝国領土の支配権を既に失いつつある時代に相当する[要出典]。﹁ローマの後継者﹂の象徴として[編集]
﹁東ローマの後継者﹂の象徴として[編集]
東ローマ帝国の﹁双頭の鷲﹂は、ギリシャ正教会、コンスタンティノープル総主教庁、セルビア、アルバニア、ロシアなどに継承された。セルビアの王は﹁ツァリ﹂﹁バシレイオス﹂と﹁皇帝﹂を名乗り東ローマに対抗した。セルビアの﹁双頭の鷲﹂の多くは白色である。ロシアは東ローマ滅亡後に、皇帝家の皇女を妃に迎えたことを根拠に東ローマの後継者を自任し﹁ツァーリ﹂﹁インペラトール﹂と﹁皇帝﹂を名乗った。﹁西ローマの後継者﹂の象徴として[編集]
またローマ帝国の継承を自負する神聖ローマ帝国とハプスブルク家の紋章となり、更にオーストリア帝国[5]、オーストリア=ハンガリー帝国[5]、ドイツ国などに継承された[6]。 1472年には東ローマ帝国の姫ゾイ・パレオロギナを迎えたロシア帝国も﹁双頭の鷲﹂を採用した。東ローマ帝国滅亡後は、ロシア帝国もローマ帝国の後継を自負し、その﹁双頭﹂は、﹁東﹂︵アジア︶と﹁西﹂︵ヨーロッパ︶に渡る統治権を表した。また16世紀にハプスブルク家出身で神聖ローマ帝国皇帝となったスペイン国王カール5世︵カルロス1世︶によりスペインの国章にも一時使用された。これらハプスブルク家関連の﹁双頭の鷲﹂の多くは黒色である。20世紀での廃止と21世紀での復活[編集]
20世紀前半に、ロシアはロシア革命によりソビエト連邦に、セルビアやドイツ東部︵東ドイツ︶は第二次世界大戦の結果として社会主義国となり、﹁双頭の鷲﹂は皇帝の象徴として国章から削除された[7]。社会主義国では孤立するアルバニアのみ掲げた。しかし1990年代のソビエト連邦の崩壊、東欧革命により、それぞれ復活された。 またオーストリアは1918年の共和政以降の国章は﹁双頭﹂ではなく単なる﹁単頭﹂の鷲である。またワイマール共和国とドイツ連邦共和国も﹁双頭﹂ではなく﹁単頭﹂の鷲を国章に採用している。双頭の鷲のジェスチャー[編集]
左右の手の甲を交差させ左右の親指が鷲の双頭、のこる左右の指が翼を表す﹁双頭の鷲ジェスチャー﹂がある。2018 FIFAワールドカップでサッカースイス代表の選手でコソボ出身2人グラニト・ジャカとジェルダン・シャチリが試合中に﹁双頭の鷲のジェスチャー﹂をしたために﹁試合中の政治的行為﹂とみなされたことがある。双頭の鷲がアルバニアとセルビアの国章に使用されており、コソボ問題に関する政治主張とみなされたためである[8][注釈 3]。例[編集]
「鷲 (紋章)」も参照
東ローマ帝国関連[編集]
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ギリシャ正教の旗
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ギリシャ陸軍のエンブレム
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北イピロス自治共和国の国旗を印刷した切手(1914年)
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ユーゴスラビア王国の国章
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スルプスカ共和国の過去の国章
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セルビア・モンテネグロの国章
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ベオグラードの紋章
ロシア帝国関連[編集]
神聖ローマ帝国関連[編集]
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オーストリア帝国の紋章(1815年–)
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ドイツ連邦の紋章
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スカンデルベグの紋章
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第21SS武装山岳師団 "スカンデルベグ" のエンブレム
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ドイツ リューベックの紋章
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ドイツ デュースブルクの紋章
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ドイツ エッセンの紋章
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オランダアーネムの紋章
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オランダ フローニンゲンの紋章
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オランダ ナイメーヘンの紋章
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オランダ パースの紋章
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スペイン トレド県の旗
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バログ氏族(英語)の盾
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バログ氏族の紋章
類似の例[編集]
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参考文献[編集]
主な執筆者の順。下エジプト︵ナカダ3期︶ ●外務省調査局﹃ソ連の話﹄霞関会、東京︿世界の話 第3輯﹀、1949年、6-9︵0010.jp2–0011.jp2︶、12︵0013.jp2︶頁。doi:10.11501/1169203。全国書誌番号:45041481。 ●﹁第1章ソ連の生れるまで§4. 双頭の鷲﹂ ●﹁同§6. 赤旗ひるがえる﹂ ●清水威久﹁ソ連邦の歴史的考察﹂﹃ソ連邦とロシア人﹄河出書房︿名市民文庫 ; 第131﹀、1952年、57-75頁。doi:10.11501/2993751。 国立国会図書館デジタルコレクション ●﹁1. 双頭の鷲から赤旗まで﹂58頁︵0032.jp2︶ ●﹁双頭の鷲飛び來る﹂︵0032.jp2︶ ﹁ロマノフ朝と革命運動﹂︵0034.jp2︶ ●造幣局 編﹁澳地利﹂﹃各国貨幣の模様調査資料﹄造幣局、1930 昭和5年、102-108、112頁︵96–101コマ︶頁。国立国会図書館デジタルコレクション NDLJP:1465903。 ●1753年、104-105頁︵97–98コマ︶‥D. グルデン・ターラー……背面、帝国の雙頭の鷲。銘文。﹁ロンバルデー、ベネチエン、ダルマチエン、 ●1780年、102-103頁︵96コマ︶C. マリア・テレジア・ターラー︵いわゆる東洋ターラー︶……王冠を被れる雙頭の鷲。銘文。 ARCHID ﹁墺地利大公妃、ブルグント公夫人、チロール伯爵夫人 ●1800年、107-108頁︵98–99コマ︶‥H. 3クロイチェル……數字﹁33﹂を記せる雙頭の鷲、鑄造年号を左右に﹁18﹂と﹁00﹂とに分つ。 ●1860年、107頁︵98コマ︶‥G. 4クロイチェル……表面、王冠を被れる雙頭の鷲。銘文。 K.K. OESTERREICH ●1892年、112頁︵101コマ︶‥N. 1ヘラー……表面、雙頭の鷲、銘文無し。背面、飾模様 ●二村久則、川田玲子﹁メキシコ紋章︽鷲・サボテン・蛇︾﹂︵pdf︶﹃言語文化論集﹄第21巻第2号、名古屋大学大学院国際言語文化研究科、2000年3月8日、209-232頁、CRID 1390290699633146112、doi:10.18999/stulc.21.2.209、ISSN 0388-6824。 国立国会図書館デジタルコレクション NDLJP:8690977。 ●フレッチャー︵Fletcher, Baniste︶ 著、飯田喜四郎 監訳、片木篤ほか 訳﹁シルカップ、双頭の鷲の祠堂﹂、ダン・クリュックシャンク︵Cruickshank, Dan︶ 編﹃フレッチャー図説世界建築の歴史大事典 : 建築・美術・デザインの変遷﹄西村書店東京出版編集部、2012年11月、799頁。 ●リヒャルト・ワーグナー﹁ ︵19︶﹃双頭の鷲の旗の下に﹄︵参考曲1︶﹂﹃小学生の音楽4観賞用CD﹄教育芸術社、2002年3月。国立国会図書館書誌ID:000004027188。 [録音資料]‥NCS-1024‥平成14–16年度用‥録音ディスク1枚脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ 外務省 1949, pp. 6–9, ﹁第1章ソ連の生れるまで§4. 双頭の鷲﹂ (二)^ “タキシラ”. www.saiyu.co.jp. パキスタンみどころ︵観光︶MAP. 西遊旅行. 2023年11月23日閲覧。 (三)^ フレッチャー 著 & クリュックシャンク 編, p. 799, ﹁シルカップ、双頭の鷲の祠堂﹂ (四)^ 二村 & 川田 2000, pp. 209–232 (五)^ ab造幣局 1930, pp. 102-108、112︵96–101コマ︶ (六)^ ワーグナー & 教育芸術社 2002, p. ︵19︶, ﹃双頭の鷲の旗の下に﹄︵参考曲1︶ (七)^ 外務省 1949, pp. 12, ﹁§6. 赤旗ひるがえる﹂ (八)^ ﹁サッカー : スイス逆転勝ち立役者、ジャカとシャキリ“双頭の鷲ジェスチャー”の意味﹂﹃スポーツ報知﹄、2018年6月23日。2023年11月23日閲覧。