スパイス・ガールズ
スパイス・ガールズ | |
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再結成ツアーのトロント公演にて︵2008年2月︶。左からチズム、ベッカム、ハリウェル、ブラウン、バントン。 | |
基本情報 | |
出身地 | イングランド ロンドン |
ジャンル | |
活動期間 | |
レーベル |
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公式サイト | スパイス・ガールズ公式サイト |
メンバー |
スパイス・ガールズ︵英語: Spice Girls︶は、1994年に結成されたイギリスの女性アイドル・グループ。オリジナル・メンバーは、メラニー・ブラウン︵スケアリー・スパイス︶、メラニー・チズム︵スポーティ・スパイス︶、エマ・バントン︵ベイビー・スパイス︶、ジェリ・ハリウェル︵ジンジャー・スパイス︶、ヴィクトリア・ベッカム︵ポッシュ・スパイス︶の5人で構成される。彼女たちはヴァージン・レコードと契約し、1996年に﹁ワナビー﹂でデビュー。同曲は37か国で首位を獲得し[3][4]、世界的な成功を収めた。その他の代表曲に﹁トゥー・マッチ﹂﹁ストップ﹂﹁ビバ・フォーエヴァー﹂など多数。
概要[編集]
デビュー・アルバム﹃スパイス﹄は世界中で3,100万枚以上の売上を記録し、歴史上最も売れた女性グループのアルバムとなった[5][6]。2枚目のアルバム﹃スパイスワールド﹄は世界中で2000万枚以上を売り上げた[7]。スパイス・ガールズは世界中で8500万枚以上のレコードを売り上げた[8][9][10]商業的に最も成功を収めた女性グループであり[9][11]、彼女たちの登場はイギリスのポップ・カルチャー史においてビートルマニア以降で最大の出来事に数えられている[12][13][14]。1990年代のイギリスの大衆文化の中でも最も高い評価を受けており、雑誌﹃タイム﹄は1990年代半ばのイギリスの若者文化の祝典であるクール・ブリタニアに出演する中でスパイス・ガールズが﹁間違いなく最も顔と名前が知られている﹂グループと評価した[15]。 彼女たちの成功を示すものとしては、国際的なレコード売上の記録、2007年から2008年の再結成ツアー、前例のないマーチャンダイジング、ハリウェルが着用したユニオンジャックドレスに代表される﹁ガールパワー﹂、映画﹃スパイス・ザ・ムービー﹄などが挙げられる。このグループは、これまでで最も成功したマーケティング・エンジンの1つとなった[16]。年間7500万ドルの収益を上げ[17]、1998年5月までに世界の総売上高は5〜8億ドルと推定されている[16]。彼女たちの指導者でマネージャーのサイモン・フラーのもと、スパイス・ガールズはマーチャンダイジングを受け入れ、イギリスと世界の報道機関の定期的な特集を組まれた。1996年、雑誌﹃トップ・オブ・ザ・ポップス﹄は、各メンバーに愛称を与えた。﹃ローリング・ストーン﹄誌のジャーナリストで伝記記者のデイヴィッド・シンクレアによると、﹁スケアリー、ベイビー、ジンジャー、ポッシュ、スポーティ﹂は、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ以来、最も広く認識されているグループである[18]。﹁ガールパワー﹂現象で、スパイス・ガールズは1990年代の人気のある文化的アイコンとなった[7]。また、彼女たちは1990年代の第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの一部と見なされている[19]。 2016年にメル・B、エマ・バントン、ジェリ・ハリウェルが再会し、﹁スパイス・ガールズ - GEM﹂という新しいウェブサイトを立ち上げた[20]。来歴[編集]
1994年[編集]
3月、イギリスの雑誌﹃The Stage﹄が﹁18歳から23歳まででダンスができて歌が唄える女性﹂を募集した。この広告に約2000人の女性が応募し、﹁個性的で、ファンのみんながメンバーの誰かにあてはまる﹂ようなグループを目指し、メラニー・チズム、ヴィクトリア・アダムス、メラニー・ブラウン、ジェリ・ハリウェル、ミシェル・ステファンソンの5人の女性が選ばれた。当初のグループ名は﹁Touch﹂だった。6月、レコーディング中にメンバーのミシェルが乳がんになった母親の看病のためグループから離れることになり、エマ・バントンが新しくグループに加わった。10月にはツアー活動を始め、プロデュース・チーム、Absoluteと出会う。そこで、19 Managementというエンターテイメント会社のサイモン・フラーと出会う。1995年[編集]
3月にはヴァージンとレコード契約。5人はイギリスのメイデンヘッドで共同生活を送るようになり、ダンスレッスン、デモテープの制作に励んだ。10月にデビュー当時からのマネージャーを解雇︵理由は﹁支配されすぎた﹂ということがあった︶。また、同日にエリオット・ケネディをマネージャーに迎える。エリオットは新しいグループ名として新たに﹁スパイス (Spice)﹂と名付けた。しかし、すでにイギリスに同名のバンドがあったことと、すでにメディアが﹁Spice Girls﹂と表記するようになっていたことからグループ名は正式にスパイス・ガールズとなった。ここから1996年の夏まで、デビュー・アルバムのために曲を書いていた。1996年[編集]
1996年7月8日、デビュー曲﹁ワナビー﹂をイギリスでリリース。またこの曲のミュージック・ビデオが音楽チャンネルを支配するようになった。1週目はチャート3位だったが、2週目には1位をマーク︵7週連続︶。日本ではフジテレビ系列で深夜に放送されていた音楽番組﹃BEAT UK﹄ではUKシングルチャート・トップ20で初登場1位を獲得した。イギリスの音楽番組﹃Top Of The Pops﹄に出演し、同局の雑誌で、ヴィクトリアにはポッシュ︵上品で気取った︶・スパイス、メラニーCにはスポーティー・スパイス、メラニーBにはスケアリー︵恐ろしい︶・スパイス、エマにはベイビー・スパイス、ジェリにはジンジャー・スパイスというニックネームがつけられた。 ﹁ワナビー﹂は世界31カ国でチャート1位となる。これは女性グループとしてだけではなく、デビュー曲としても記録的な売り上げと言われる。イギリスの歌手がアメリカ市場で人気を得るのは難しいが、この曲はビルボード・チャートで1週目で11位をマーク。ビートルズの12位の記録を塗り替えた。11月、アルバム﹃スパイス﹄をヨーロッパでリリース。7週間でイギリスだけで100万8,000枚を売り上げ、ビートルズの売り上げ記録を抜いてトップになる。トータルで300万枚を売り上げ、15週間アルバム・チャート1位をマークした。10月にはセカンド・シングル﹁セイ・ユール・ビー・ゼアー﹂、12月には﹁トゥー・ビカム・ワン﹂をリリース。この2曲は53カ国で1位を記録した。特に﹁トゥー・ビカム・ワン﹂は、クリスマス・ソングとして大人気となった。デビュー・アルバム﹃スパイス﹄からの最後のシングルカットとして、﹁ママ / フー・ドゥ・ユー・シンク・ユー・アー﹂をリリース。これも、チャート1位となった。1997年[編集]
デビュー・アルバムはヨーロッパで1997年に最高の売上︵800万枚︶となり、プラチナ・レコード(×8)に認定された。アメリカでもアルバム・チャート1位をマークし、同国でも1997年最も売り上げたアルバムとして、プラチナ・レコード(×7)に認定された。また日本でも100万枚以上を売り上げた[21]。 11月には2枚目のアルバム﹃スパイスワールド﹄をリリース。同アルバムからのシングル﹁スパイス・アップ・ユア・ライフ﹂をリリース。アルバムはすぐに世界中で人気となり、2週間で700万枚を売り上げるという最速記録をマークした。ヨーロッパ、カナダ、アメリカではそれぞれ1,000万枚を売り上げた。それからは﹁トゥー・マッチ﹂、﹁ストップ﹂をリリース。このうち﹁ストップ﹂だけが全英チャート2位にとどまった。ちなみに﹁トゥー・マッチ﹂は1997年のクリスマス・ソングとしても人気があった。しかし、アメリカで﹁デビューから2枚目のアルバムをリリースするまでの期間が早すぎる﹂という批判があり、メンバー自身﹁私生活があまりにもメディアに報じられすぎている﹂という苦難もあった。また、約20社もの企業とスポンサー契約を結んでいたこともプレッシャーだったと後にメンバーは語っている。 そして、この辺りから母国イギリスを除く各国のチャートでは衰えが見られるようになっていった。それでも1997年、1998年の両年で最も売り上げた歌手として認められた。この年の6月には映画﹃スパイス・ザ・ムービー﹄の製作にとりかかった。内容はスパイス・ガールズが初ライブ前夜にマネージャーと喧嘩をして失踪してしまうというコメディー。エルトン・ジョン、ロジャー・ムーアなどの有名人も多く出演した。7千万ドルを世界中で売り上げた。もっとも、この映画はゴールデンラズベリー賞に複数部門でノミネートされ、最低主演女優賞を受賞した。11月にはマネージャーとサイモン・フラーを解雇。理由として自由が制限されすぎたというものがあった。1998年[編集]
この年の早い時期に、スパイス・ガールズは102日に及ぶヨーロッパ・北アメリカツアーを始める︵2月24日にアイルランドのダブリンで始まった︶。メンバーのジェリが胃腸炎で最後の2公演、オスロ、ノルウェー公演を休んだ。このころからジェリがメンバーに幻滅し、脱退するという噂が流れ始めた。このツアーの後もいくつかのパフォーマンスをジェリは休んでいたので脱退は確実視されつつあった。5月31日にジェリの弁護士を通じて脱退が発表された。またジェリは次のようなコメントを残している。﹁残念なことに、私はスパイス・ガールズから脱退したことをお伝えします。私達には違いがあったからです。これからもスパイス・ガールズは成功し続けていくと思います。追伸、また戻ってきます﹂。ジェリは過度の疲れと自由な時間がないことを告白し、メラニー・ブラウンとの不仲説が流れた。残った4人のメンバーで北アメリカのツアーを続けた。ジェリの脱退はグループに混乱をもたらし、予定されていたライブ・アルバムのリリースもキャンセルされた。 7月20日にシングル﹁ビバ・フォーエヴァー﹂をリリース。ジェリの脱退後のリリースとなった。同曲のビデオにおいて、スパイス・ガールズはアニメとして出演している。理由に、世界ツアーで忙しかったことと、ジェリが脱退して撮影が不可能になってしまったということ︵結局ビデオでは5人のスパイス・ガールズがアニメとして出演した︶。また、この曲の次に﹁Never Give Up On The Good Times﹂もリリース予定だったが、レコーディング、編集の時間がないことと、ジェリの脱退でビデオが作れないという理由でキャンセルされた。クリスマスには﹁グッド・バイ﹂をリリース。この曲はジェリ脱退前に作詞されており、ジェリへの感謝の意をこめたリリースとなった。また、スパイス・ガールズ自身3度目の大ヒットクリスマス・ソングにもなった。またカナダでは16週間チャート1位をマークし、1990年代に最も成功を収めた曲となった。2000年[編集]
11月に4人編成となって初のアルバム﹃FOREVER﹄をリリース。それまでとは違い、R&Bの制作陣を迎えたが、ファンの反応は今ひとつだった。全米チャートではアルバム・チャート39位と振るわず、全英チャートでは同じ頃にウエストライフがデビューし、そのデビュー・アルバムに負けてしまった。このアルバムからのリード・シングル﹁HOLLER (ホラァー) / レット・ラヴ・リード・ザ・ウェイ﹂をリリース。これはスパイス・ガールズにとって9度目の全英チャート1位をマークしたが、ビルボード・チャート100にはランクインしなかった︵﹁HOLLER (ホラァー)﹂はダンス・ミュージックチャートで31位をマークした︶。アルバムのプロモーション活動として、グループを2つに分けて活動するようになった。エマとヴィクトリアがアメリカを、2人のメラニーがヨーロッパを主に活動していた。この頃からメンバーはソロ活動を始めた。2001年[編集]
活動休止を発表。ソロ活動に専念しはじめる。活動休止後[編集]
●2006年9月、ジェリ・ハリウェル出演のヨガDVD﹃セレブ・ビューティ ヨガ﹄が日本で発売される。 ●2006年10月、自身の自叙伝のプロモーション活動のためラジオ番組に出演していたメンバーのヴィクトリアが再結成についてコメント。﹁スパイス・ガールズの再結成はありえないと思います。私達は今個人の活動をしていてそれに満足しています。それに子供もいます。私自身、ステージ上で踊りまわっているのを想像できません。従って、再結成はないでしょう﹂ ●2007年3月、メラニーCが再結成が起こるとは信じていないと報じられた[要出典]。 ●2007年5月、デイリーメールが、クリスマスに再結成コンサートをするのではないかと報じた。メンバーのヴィクトリアの夫、デビッド・ベッカムがロサンゼルスのサッカークラブ、ロサンゼルス・ギャラクシーへと移籍するにあたって、ヴィクトリアはロスを新しいスパイス・ガールズの"家"にしたがっている。また、そのクリスマスのコンサートでアメリカでの名声を得たい模様。また、可能ならば、再結成に否定的なメラニーCを説得させるようだ、との内容。 ●2007年5月20日、ニュース・オブ・ザ・ワールドが、スパイス・ガールズが戻ってきたと報じた。クリスマスに新曲を発表するようで、4度目のクリスマス・ナンバー1シングルを目指す。エマと脱退したジェリがスタジオ入りした写真が記事とともに報じられている。 ●2007年6月22日、﹃ピープル﹄誌が、メラニーBの代理人の話として、彼女が同年4月に出産した女児の父親がDNA検査でエディ・マーフィと判明したと報道。元恋人のマーフィは父親でないと否定していた。再結成[編集]
2007年6月28日、記者会見をひらき、﹁The Return of the Spice Girls﹂と題した世界ツアーを決行すると発表。ベスト盤も11月5日に発売される予定だったが、同じ日にウエストライフもアルバムをリリースするため、1週間後に遅らせた。結局、再結成後初のシングル﹁Headlines (Friendship Never Ends)﹂は全英チャート11位におわり、アルバムもチャート2位にとどまった。当初、ソロとして成功していたメラニーCはこの再結成に難色を示していたが、他のメンバーの説得により最終的に参加。またコンサートではそれぞれソロのパートを設ける話が出たが、メラニーC、ジェリ、エマはそれに賛成。ヴィクトリアとメラニーBは反対しプログラムが難航した。結局、ヴィクトリアは歌わずファッションショーとして披露、またメラニーBはレニー・クラヴィッツの曲をカヴァーした。 開演地一覧︵記者会見で発表されたツアースケジュールとは異なる︶ ●バンクーバー - 12月2日 ●サンノゼ - 12月4日 ●ロス・アンゼルス - 12月5,7日 ●ラスベガス- 12月8,9,11日 ●ロンドン - 12月15,16,18日,1月2,3,4,6,8,9,11,12,13,15,16,18,20,22日 ●ケルン - 12月20日 ●マドリード - 12月23日 ●マンチェスター - 1月23,24,26日 ●ボストン - 1月30日 ●モントリオール - 1月31日,2月24日 ●トロント - 2月3,4,25,26日 ●ユニオンデール - 2月6,7日 ●ニューアーク - 2月10,11日 ●イーストラザフォード - 2月13日 ●シカゴ - 2月15日 ●オーバンヒルズ - 2月16日 ●ニューヨーク - 2月18日 ●フィラデルフィア - 2月19日 ●ワシントンD.C. - 2月21日 ●ハートフォード - 2月22日 当初は香港、上海、シドニー、ケープタウン、ブエノスアイレスなどの都市でも予定されていたが、スケジュールの都合により変更された。また、ヴィクトリアは日本公演を強く希望したが実現しなかった。 2007年11月15日、ハリウッドのコダック劇場で、世界ツアーに先駆けた再結成記念ライブを行った。2012年ロンドンオリンピック[編集]
閉会式にて、﹁SPICE﹂と書かれたナンバープレートが掲げられたロンドンタクシー5台に分乗したメンバーがステージ中央で降車して現れ、﹁ワナビー﹂と﹁スパイス・アップ・ユア・ライフ﹂を披露した。今回の再結成では、ヴィクトリアが難色を示した。第4子の育児に忙しく、またファッション・デザイナーとして成功し始めており、過去のポップスターとしてのイメージを払拭したいためであった。しかし、他の4人がヴィクトリア抜きでも再結成をすることに決めたため、急遽スケジュールを調整し、参加することに決めた。20周年記念[編集]
2016年、デビュー・シングル﹁ワナビー﹂発売から20周年を祝い、ジェリ・ハリウェル、メル・B、エマ・バントンの3人が﹁GEM﹂というユニットで新曲を準備中である旨を発表。今回の再結成ではヴィクトリアは4人の子育てにデザイナーとしての仕事が忙しいため不参加。メラニーCは10月にニュー・アルバムの発表を控えソロ活動に専念したいのと、再結成に意欲が湧かないとの理由で不参加。2度目の再結成ツアー[編集]
2018年11月5日、ヴィクトリアを除く4人での再結成ツアーがアナウンスされ、翌2019年5月から6月にかけてツアーを敢行した。記録と達成[編集]
●アルバムとシングルのトータル・セールスは、約7,500万枚。 ●アルバム・セールスは、カナダで200万枚、アメリカで1,100万枚、ヨーロッパで1,300万枚。 ●全英シングルチャートで9曲ナンバー1になっている。︵ABBAと同数で上にはテイク・ザットの10曲、マドンナの12曲、ウエストライフとクリフ・リチャードの14曲、ビートルズの17曲、エルビス・プレスリーの21曲︶ ●3枚の全英クリスマス・ナンバー1シングル。︵﹁トゥー・ビカム・ワン﹂が1996年に、﹁Too Much﹂が1997年に、﹁Goodbye﹂が1998年に達成︶ ●﹁ワナビー﹂の売り上げは、女性グループ史上最多である。 ●デビューから6曲連続で全英シングルチャート1位を記録した女性グループは、スパイス・ガールズだけ。 ●デビュー・アルバムの﹃スパイス﹄は、イギリス歴代アルバム・セールス13位。 ●ブリット・アワードやMTV Video Music Awardsなど、多数受賞。ブリット・アワードでは、特別功労賞を受賞した。本来、デビューしてから数年でこの賞を受賞することは不可能とされている。 ●グループとしての来日経験は、プロモーション活動による4回だけ︵1996年に3回、1997年に1回︶で、コンサート・ツアーなどは実現していない。メラニーCのみ、ファースト・アルバムを出した直後に緊急来日し、恵比寿ガーデンホールで一夜限りのライブを披露している。 ●﹁ワナビー﹂の発売は、日本が世界一早く、イギリスよりも2週間前であった。メンバー[編集]
ジェリ・ハリウェル︵Geri Halliwell、1972年8月6日 - ︶ - 愛称ジンジャー・スパイス 赤毛と露出の多いセクシーな衣装が特徴。最年長でリーダーだったが、1998年に最初に脱退した。 メラニー・チズム︵Melanie Chisholm、1974年1月12日 - ︶ - 愛称スポーティ・スパイス。通称メルC (Mel C) 豊かな歌唱力と声量を生かしたハスキーボイスが特徴。ソロパートを多く持つ。イギリス以外の国でのヒットも多く、ソロのシンガーとしても活躍。 ヴィクトリア・ベッカム︵Victoria Beckham、1974年4月17日 - ︶ - 愛称ポッシュ・スパイス ブルネットのストレート・ヘアーと、長い手足、スリムなスタイルが特徴。イングランドのサッカー選手、デビッド・ベッカムの妻としても有名。現在はファッション・デザイナーとしても活躍中。 メラニー・ブラウン︵Melanie Brown、1975年5月29日 - ︶ - 愛称スケアリー・スパイス。通称メルB (Mel B) 縮れた髪、褐色の肌、豊かな声色でリードボーカル的な役割をこなす楽曲が多い。結婚後にMel Gに改称したが、離婚後、Mel Bに戻す。現在はアメリカで活動中。 エマ・バントン︵Emma Bunton、1976年1月21日 - ︶ - 愛称ベイビー・スパイス ブロンドの髪とポップな甘い声が特徴。2002年、女王陛下の記念コンサートにもソロで出演し、スプリームスの曲を歌った。ディスコグラフィ[編集]
スタジオ・アルバム[編集]
発売年 | タイトル | 最高位 | |||||||||||||
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全英 | 全米 | 日本 | |||||||||||||
1996 | スパイス - Spice | 1
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1
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7
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1997 | スパイスワールド - Spiceworld | 1
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3
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6
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2000 | FOREVER - Forever | 2
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39
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12
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コンピレーション・アルバム[編集]
発売年 | タイトル | 最高位 | |||||||||||||
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全英 | 全米 | 日本 | |||||||||||||
2007 | グレイテスト・ヒッツ - Greatest Hits | 2
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93
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18
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シングル[編集]
- 「ワナビー」 - "Wannabe" (1996年) ※全英1位
- 「セイ・ユール・ビー・ゼアー」 - "Say You'll Be There" (1996年) ※全英1位
- 「トゥー・ビカム・ワン」 - "2Become1" (1996年) ※全英1位
- 「ママ / フー・ドゥ・ユー・シンク・ユー・アー」 - "Mama" / "Who Do You Think You Are" (1997年) ※全英1位
- 「スパイス・アップ・ユア・ライフ」 - "Spice Up Your Life" (1997年) ※全英1位
- 「トゥー・マッチ」 - "Too Much" (1997年) ※全英1位
- 「ストップ」 - "Stop" (1998年) ※全英2位
- 「ビバ・フォーエヴァー」 - "Viva Forever" (1998年) ※全英1位
- 「グッド・バイ」 - "Goodbye" (1998年) ※全英1位
- 「HOLLER (ホラァー) / レット・ラヴ・リード・ザ・ウェイ」 - "Holler" / "Let Love Lead The Way" (2000年) ※全英1位
- "Headlines (Friendship Never Ends)" (2007年) ※再結成後初のシングル
メンバー・ソロ・アルバム[編集]
- 『VICTORIA』 - Victoria Beckham (2001年) ※全英10位
- 『A GIRL LIKE ME〜永遠の少女』 - A Girl Like Me (2001年) ※全英4位
- Free Me (2004年) ※全英7位
- Life In Mono (2006年) ※全英65位
- My Happy Place (2019年) ※全英11位
- 『ノーザン・スター』 - Northern Star (1999年) ※全英4位
- 『リーズン』 - Reason (2003年) ※全英5位
- 『ビューティフル・インテンションズ』 - Beautiful Intentions (2005年) ※全英24位
- This Time (2007年) ※全英57位
- The Sea (2011年) ※全英45位
- Version Of Me (2016年) ※全英25位
- 『メラニーC』 - Melanie C (2020年) ※全英8位
- 『HOT』 - Hot (2000年) ※全英28位
- L.A. State Of Mind (2005年) ※全英453位
- 『スキッゾフォニック』 - Schizophonic (1999年) ※全英4位
- 『スクリーム』 - Scream If You Wanna Go Faster (2001年) ※全英5位
- Passion (2005年) ※全英41位
脚注[編集]
(一)^ Erlewine, Stephen Thomas. “Spice Girls Biography, Songs, & Albums”. AllMusic. RhythmOne. 2020年12月2日閲覧。
(二)^ abShuker, Roy (2012) [1994]. Understanding Popular Music Culture. Taylor & Francis. p. 70. ISBN 978-1-136-20649-8
(三)^ "Simon Fuller: Guiding pop culture" BBC News. 18 June 2003. Retrieved 18 September 2011
(四)^ Jeffrey, Don (8 February 1997). “Girl Power! Spice Girls”. Billboard 109 (6): 5. ISSN 0006-2510.
(五)^ Rigby, Sam (2016年7月8日). “Why Spice Girls Wannabe is the catchiest song of all time”. BBC. 2017年2月7日閲覧。
(六)^ Sickels, Robert C. (8 August 2013). “Fuller, Simon (1960–)”. 100 Entertainers Who Changed America, An Encyclopedia of Pop Culture. ABC-CLIO. p. 206. ISBN 9781598848311
(七)^ abSinclair, David. The Prefab Five are back. Are you ready?. The Times. 28 June 2007. Archived 30 August 2008 at the Wayback Machine.
(八)^ “My Life as a Spice Girl: Geri "Ginger Spice" Halliwell (Now Horner) Looks Back at the Beginnings of a Pop Culture Phenomenon”. Marie Claire. (2016年7月12日) 2017年2月17日閲覧。
(九)^ abJones, Alice (2012年12月5日). “Will Spice Girls inspired musical Viva Forever! spice up my life again?”. The Independent (London) 2012年12月8日閲覧。
(十)^ “Spice Girls collection mission for Liz West”. London: BBC News. (2011年1月27日) 2012年11月28日閲覧。
(11)^ Thomas, Rebecca (2012年4月25日). “TLC's Left Eye Remembered: 10 Years Later”. MTV News 2012年6月23日閲覧。
(12)^ "New Spice Girls documentary on BBC One". BBC. 19 October 2007. Retrieved 25 August 2008.
(13)^ "1998: Ginger leaves the Spice Girls". BBC. 31 May 1998. Retrieved 15 April 2017.
(14)^ Dawson, Ryan. "Beatlemania and Girl Power: An Anatomy of Fame". Bigger Than Jesus: Essays On Popular Music. University of Cambridge. Archived from original on 28 April 2005. Retrieved 17 February 2017.
(15)^ Waxman, Olivia B. (2016年7月8日). “An Important Lesson in British History From the Spice Girls”. TIME 2016年10月31日閲覧。
(16)^ abEntertainment Weekly. Benjamin Svetkey. p. 2 &4 Cover Story: Tour Divorce?. 17 July 1998. Retrieved 24 January 2009.
(17)^ Heidi Sherman (1998年6月2日). “Ginger Spice's Departure Marks "End of the Beginning"” (DOC). Rolling Stone. 2012年5月26日閲覧。
(18)^ Sinclair, David (2004). Wannabe: How the Spice Girls Reinvented Pop Fame. Omnibus Press. ISBN 0-7119-8643-6
(19)^ Wong, Sterling (2011年4月13日). “Are Adele, Mumford And Sons Sign of a New British Invasion? – Music, Celebrity, Artist News”. MTV News. 2011年9月1日閲覧。
(20)^ Shepherd, Jack. "Spice Girls are officially reuniting as a trio without Mel C or Victoria Beckham to celebrate 20th anniversary". The Independent. 8 July 2016. Retrieved 15 April 2017.
(21)^ ﹃Dancemania EXTRA﹄のライナーノーツp.11。
外部リンク[編集]
- 公式サイト
- Spice Girls - YouTubeチャンネル(英語)
- Spice Girls (@spicegirls) - X(旧Twitter)(英語)
- Spice Girls (@spicegirls) - Instagram(英語)
- Spice Girls Official (@spicegirls) - TikTok