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ホロコースト否認

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

: Holocaustleugnung: Holocaust denial

leugnungdenialdenierrevisionist

200761/255[1]

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「否認」ではなく「修正主義」であるという主張[編集]


[20]revisionistrevisionist調revisionistdenier使revisionism[21]

使[22][]

20062[23]使[24]

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見直し論者によってしばしば主張される言論詳細を以下に記す。ただし全ての論者が同一の主張をしている訳ではない[25]。(詳しくは脚注先の論文などを参照していただきたい。)
ホロコースト見直し論 ホロコースト見直し論を批判する立場
計画性
  • 連合国が総司令部ドイツで押収したドイツ政府公文書の中に、ドイツ政府指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定・命令した文書は、発見されていない。ヒトラー署名の命令書、すなわちドイツやポーランドのユダヤ人を殺害する特別命令、総統命令は発見されていない。残された公文書には殺害という字句を使用していない。ヴァンゼー会議の状況においても、ナチス政権上層部のホロコーストに帰着するような殺害命令は存在していない[26]。公文書群の中には、アウシュヴィッツなどに収容したユダヤ人を戦後、ロシアに移住させる計画案がある。これは収容所の建設目的が「ユダヤ人絶滅」ではなく、ソ連を打倒した後に、ユダヤ人をロシアに強制移住させるための準備であったことを意味している。「最終的解決」と言う用語も、戦後の強制移住計画を指していたことが読み取れる。だがソ連戦線の崩壊とともに移住計画は頓挫し移住による「最終的解決」は不可能となり別の解決策が模索された。当時のドイツ政府は「ユダヤ人絶滅」計画のための予算を全く計上していなかった。だがその予算表にはユダヤ人から接収した資産は計上されておらずその接収資産をそのままユダヤ人対策の予算として使っていた証拠の一つとなっている。[26]
  • 正史派が見せびらかす写真で、眼鏡や靴がいくら山のように積まれていても「ガス殺」があったことの証明にならないことは言うまでもない。それらの物の持ち主たちが、「ガス室」で殺された証明は何処にもないからである。[26]
  • 正史派がホロコーストの根拠にしているおびただしい死体写真は飢餓やチフスの犠牲者を写したものであり、戦後になってドイツ人に見せられたホロコースト犠牲者を撮影したとされるフィルムは実際のところ連合軍によるドレスデン爆撃の犠牲者・・・ドイツの民間人である。[27]
  • 正史派は、ナチスの文書には彼らの行動を扱う時には「殺害」や「死」といった明確な用語を用いているものはほとんどない点に関し、ナチスの人間はほぼ常に「ユダヤ人の絶滅」でなく「ユダヤ人問題の最終的解決」といった暗示的な言い回しを使って話したり書いたりしていたと主張するが、実際問題殺害や絶滅を謀った事を窺える史料が決定的に欠けている。[28]
  • プリンストン大学名誉教授でユダヤ人のアーノ・メイヤーは(1)ドイツははじめからユダヤ人を絶滅する計画ではなかった。(2)アウシュヴィッツで死亡したユダヤ人の多くは故意の殺害ではなく、病死や飢餓の犠牲者であった、と述べている[29]
  • ヨーロッパのユダヤ人を殺害する意図に関してヒトラーの発言の中で正史派から、最も多く引用されるのは1939年1月30日ドイツ帝国議会演説である。

 1939130

1[26]



[30]

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[30]

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10.K[28]

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[31]

 

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1943[30]

194061215200g12300g 
  • ホロコースト計画は官僚的だったドイツ政府ドイツ軍によって詳細に文書化されており、何カ国もの間で長年にわたって指揮統括組織によって行われた一大事業であった。ナチスは敗色が濃厚となるとホロコーストの証拠を消し去ろうと試みたが、戦争終盤のナチスの戦力は急速に崩壊したため証拠消滅は不成功に終わった。[要出典]
    おびただしい数の眼鏡フレーム。(オシフィエンチム博物館展示)
    ]
    おびただしい数の靴の山。(オシフィエンチム博物館展示)
  • 戦後、何トンもの文書が見つかり、各地の強制収容所の近くに掘られ多数の死体が投げ入れられた穴からは死体が完全には腐敗しない状態のまま発見された。物的証拠や文書証拠の中には、殺されたユダヤ人の数に関するナチスの報告書、収容所へユダヤ人を搬送した列車の記録、何トンものシアン化合物やその他の整理された毒物、写真、フィルム、破壊されずに残った収容所の構造物そのものが含まれている。[要出典]
    ヴァンゼー会議の議事録の一部
  • ナチス・ドイツにおいて、当初ユダヤ人の国外追放政策がとられていたこと自体は事実である。フランス占領後にはユダヤ人をマダガスカル島に追放し、管理するというマダガスカル計画が建てられていたが、戦局の悪化とともにこの計画は中止された。否認論者の言及は、戦局の影響による政策の変化という観点を無視している。またソ連東部は「東方生存圏」としてゲルマン民族による植民が行われる構想があった土地であり、親衛隊による民族ドイツ人の植民計画が立てられていた(東部総合計画)。
  • ヒトラーがホロコーストを知っていたということを立証するためには総統命令は必要不可欠なものではない。「長いナイフの夜」や「水晶の夜」はナチスによる迫害行動であるが、事前に総統命令が文書によって行われたわけではない、ヴァンゼー会議に付随した書類などはナチス指導部上層の大半が中央集権化されたホロコースト計画を理解していたことを圧倒的に証明している。
  • ルブリンの親衛隊大隊指揮官ヘルマン・ヘフレ1943年1月11日にベルリンの親衛隊上級大隊指揮官アドルフ・アイヒマンに宛てて送ったヘフレ電報では、ラインハルト作戦 の最初の年である1942年ルブリンマイダネク強制収容所)、ベウジェツ強制収容所ソビブル強制収容所トレブリンカ強制収容所の4箇所の強制収容所で合計1,274,166人が死亡と報告されている。
  • ホロコーストはドイツやドイツの占領地域に進攻した連合軍第二次世界大戦の終わりまでドイツに追従していた枢軸軍によっても数十件目撃されている。提出された証拠の中には、連合軍が収容所に踏み込んだ時に解放された囚人達や付近の住人(その中には収容所内で労働する者もいた)の証言の他に、収容所の存在を示したフィルムやスチル写真も存在している。[要出典]
  • ヒトラーは「ユダヤ人種の殲滅・・・」演説を、第二次世界大戦開戦前夜のこととしてしばしば引用して語っているなど、ユダヤ人への宣戦布告として認識していた[33]。またヒトラーは1920年8月23日に「ユダヤ人は寄生動物であり、彼らを殺す以外にはその被害から逃れる方法はない」と演説したことや[34]、1934年1月21日にチェコスロバキア外相フランティシェク・チヴァルコフスキー英語版に対して「我々はユダヤ人を殲滅するつもりである」などと述べた例など、ユダヤ人絶滅ととれる発言を行ったことは一度きりではない[33]
特別行動部隊(アインザッツグルッペン)
  • アインザッツグルッペンについての報告書は、アメリカ陸軍ゲシュタポの文書保管所を捜索した際に発見されたと主張しているが、戦後アインザッツグルッペン裁判で証言した元特別行動部隊隊員は苛烈な拷問を受けていた。元司令官オットー・オーレンドルフは「人種にもとづく殺戮命令はなく、治安維持が任務であった」と裁判で容疑を否認したが絞首刑にされている。
  • たしかに、「ソ連系ユダヤ人」は射殺されたが、その他圧倒的多数の居住ユダヤ住民はゲットーに収容されたのである。アインザッツグルッペンの記録からも、ユダヤ人全体を絶滅する任務が与えられていなかったことがわかる。もし与えられていたとすれば、特定の咎で処刑されたユダヤ人とそれ以外のユダヤ人を区別する必要はまったくないからである。一部でソ連系ユダヤ人に対する虐殺行為が起ったのは、ユダヤ人絶滅の全体計画という文脈の中ではなく、また、「彼らがユダヤ人であったという理由から」でもなく、東部戦線では戦闘が苛烈なものとなった結果であり、彼らがマルキシズムの担い手であるとみなされた結果である[35]
  • アインザッツグルッペンの長文全体報告のデータに記されている、射殺されたユダヤ人の数(30000+41184=)71184人にゲットーで生きているユダヤ人の数(3750人)を加えると、74934人のユダヤ人となり、その数は、ドイツ軍がラトヴィアに侵攻した時点のユダヤ人の数より多くなってしまい、辻褄が合わない[35]
  • ホロコースト肯定派によると、アインザッツグルッペンが1941年9月にキエフを占領したのち、数万のユダヤ人がバビ・ヤール渓谷で9月29日と30日に殺され、証拠隠滅工作で2年後の1943年8月~9月の間に埋葬地から掘り起こして焼却したとされているが、1943年9月26日にドイツ空軍がバビ・ヤールの航空写真を撮影している。虐殺が事実ならばその写真には証拠隠滅工作をしている、あるいはその痕跡が見えるはずだが、大量の死体を戸外で焼却するための輸送に必要であろうブルトーザー、トラック、馬の移動の痕跡や、焼却作業での炎や煙は航空写真には見受けられない。ホロコーストの有名な証言者エリー・ヴィーゼルは「血の間欠泉」が数ヶ月に渡り埋葬地から噴出していたと証言しているが、数か月に渡り血液が凝固せずに、地面から吹き出す事ができるのか?。[35]
  • 残された公文書いずれの証拠も規模と計画性という点に関して証明するものではない。
  • アインザッツグルッペンA隊長が1941年12月に作成したと主張されている報告書「秘密帝国問題」の地図は、バルト海沿岸地域で処理した可能性もあるユダヤ人の数を現しており、下部には「いまだ我々の手元にいるユダヤ人の推定数は128,000」と書いてある(特別行動部隊の報告書中これは突出して大規模な報告)。[要出典]
ガス室
  • ニュルンベルク裁判でガス殺人があったとされたブーヘンヴァルト強制収容所ミッテルバウ=ドーラ強制収容所に収容されていた共産主義者、ポール・ラッシニエはガス殺人を目撃しなかったと証言している。戦後間もない時期にはドイツ領内にあるブーヘンヴァルト強制収容所などにも処刑用ガス室が存在したと言われていたが、正史派にもそれは否定された。[36]
  • アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所ルブリン強制収容所ではチクロンBによる青酸ガスを用いたガス室が使用されたとされる。青酸ガスを用いたガス室はアメリカ合衆国死刑執行の一手段として使用されてきた。ところが、その米国の経験では青酸ガスを用いたガス室処刑は致死量の22倍ものガスを一人の処刑に使用しており、高価な処刑方法とされ、経済的には非合理的である。米国のガス室のドアは堅牢な鉄のドアだが、アウシュヴィッツのガス室と言われている部屋のドアはひどくもろい木のドアである。これで犠牲者を閉じ込めることが出来たのだろうか?[37]
  • 青酸ガスの発生法として、米国ではポット法と呼ばれる希塩酸もしくは希硫酸とシアン化カリウムを反応させる方法が採られているが、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所やルブリン強制収容所では、パルプなどに青酸ガスを吸着させたツィクロンBを投入する方法が採られたとされている。しかし、チクロンBからの青酸ガス遊離は時間がかかり、処刑時間が余りにも長時間に及ぶ。また、ガス室の換気にも長時間が必要で、非効率である。このような方法を大量殺人の手段に選んだとする主張は不合理である。[37]
  • アウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で「処刑用ガス室」として公開されてきた複数の部屋の壁などを化学分析した結果、対照(コントロール)として採取された殺虫用ガス室にからは1988年においても高濃度のシアン化合物、いわゆるプルシアン・ブルーが検出されたのに対し、「処刑用ガス室」からはほとんど検出されなかった。(『ロイヒター・レポート』)[37]
  • この分析結果は、その後ロイヒター・レポートに批判的な立場から同様の化学分析を追試したポーランドの法医学グループの報告によっても裏付けられている。この分析結果は戦後の通説と矛盾している。[38](ポーランドのグループは分析においてロイヒター・レポートを批判している) ホロコースト肯定派はロイヒターレポートで、ビルケナウのガス室とされた場所でも極微量でもシアン化物検出されたことをガス殺の根拠にしているが、それは誤差の範囲内である。シアン化物とは全く関係のない「バイエルンの農家」からもシアン化物が検出されているからだ。関係のない場所からもシアン化物が検出される場合もある[37]
  • ホロコースト肯定派は、アウシュヴィッツ=ビルケナウの「殺人ガス室」の屋根に70cmほどの3つか4つの投入口があり、チクロンBがユダヤ人大量殺戮の目的で投入されたと主張している。1944年8月25日に撮影された連合軍の航空写真に二つの焼却棟の「殺人ガス室」の上にある黒い点はあるが、これが投入口ではありえないことを航空写真から簡単に見て取ることができる。大きすぎ、不規則で、幾何学的でもなく、影の方向が間違っている。そして影の角度が違うことも見逃せない。煙突の影の角度は焼却棟2・3とも焼却棟に対して約45度の方向になっているが、黒い点の影は角度が焼却棟に対して約90度になっており、この黒い点が本物ならば影の角度も建物に対して約45度になっていなければおかしい。また焼却棟2と3の煙突は同じサイズだが影の長さが5倍ほど違う。太陽との角度が2つの煙突で違うから影の長さが違うのだが、航空写真の黒い点は2つとも同じくらいであり、こんなことは有り得ないだろう。焼却棟2と3の投下口はまったく大きさが違うということになってしまう。[39]
  • ソ連軍が押収したドイツ側文書の中に、処刑用ガス室の設計図は発見されていない。
  • 戦後、ポーランド当局がアウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で処刑用ガス室として公開してきた複数の部屋は、病死者などの死体を安置する死体安置室(Leichenkeller)として設計されていたことが、設計図面から読み取れる[40]。このことは、これらの設計図を検証したフランスのガス室肯定側研究者プレサック自身が認めている。
  • プレサックは、設計段階と建設後に使用目的が変更されたという解釈を述べているが、それにしては目的に沿わない中途半端な改造であり非合理である。プレサックは、クレマトリウムⅡと対称形のⅢに関する在庫目録「ガス密閉ドア1、偽シャワーヘッド14個」をガス殺の証拠にしているが、アウシュヴィッツには防災・防空の目的から多くの建物にガス密閉ドア、ガス密閉窓が設置されている。在庫目録の「偽」という部分はプレサック氏の挿入であり、読者に誤解を与えるきわめて不誠実かつ非学問的なやり方である。このシャワーが水道管とはつながっておらず、木製でペンキが塗られていたとの主張にはまったく根拠がない[41]
  • ホロコースト肯定派がガス殺の証拠とするビショフ大尉の書簡に出てくる、Vergasungという単語は、青酸などを使った収容所での害虫駆除処理作業との関連で頻繁に使われている単語であるたとえば、収容所長ヘスは、青酸ガスを使った燻蒸害虫駆除作業での事故に関連して、1942年8月12日の特別命令の中で「本日起こったような青酸ガスにおかされた、たとえわずかの兆候があった場合、ガス作業(Vergasungen)に関与したすべての人々、その他すべてのSS隊員に、とりわけ、ガス作業に使われた部屋を開けるにあたっては、マスクをつけていないSSは少なくとも5時間、部屋から少なくとも15m離れたところに待機していなくてはならないと警告しておかなくてはならない」と指示している。それゆえ、Vergasungskellerが「殺人ガス室」を指していると断定することはできない。プレサックも『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』505頁で、この書簡が「ビルケナウの焼却棟Ⅱの地下に殺人ガス室が実在した絶対的証拠ではない」と述べざるをえなくなっている。しかもこの書簡は、Vergasungskellerが、ホロコースト肯定派のいうところの「殺人ガス室」=死体安置室1であると明示しているわけではない。つまり、Vergasungskellerが焼却棟Ⅱという建物のどの部分を指しているのか、まったく明らかではない[42]
  • トレブリンカ強制収容所ソビブール強制収容所ベウゼツ強制収容所ヘウムノ強制収容所の4収容所では、「ディーゼル・エンジンによって一酸化炭素を発生するガス室」が存在したとされている。しかし、ディーゼル・エンジンは一酸化炭素をほとんど排出しないことが特徴であり、この話は科学的に不合理である。ディーゼル・エンジンも、排気口を一部塞いで不完全燃焼させれば一酸化炭素を排出するが、ガソリン・エンジンを使えばはるかに多くの一酸化炭素が得られる。なのに、わざわざディーゼル・エンジンを選択する理由はソ連からの鹵獲品のディーゼルエンジンが大量に存在したからである』という主張があるが、ソ連から鹵獲したディーゼルエンジンとはどの形式のエンジンをどれだけの数量いつどこでどのようにして鹵獲したのか一切明らかにされていない[43]
  • トレブリンカ強制収容所は、正史では「ガス室」や大量埋葬地をもった30の建物の収容所とされているが、航空写真では農場のなかに5つの建物があり、大収容所の後や痕跡はまったくない。1965年に作成された「目撃者」の長方形の図面には、35の建物、監視塔、2つの大きな「セメントのガス室」が描かれているが、3角形の農場を写した1944年の航空写真には、5つの農家の建物、3つのその他の建物であったと考えられる痕跡が写っているだけであり、それ以外の建物やセメントの土台の痕跡は写っていない。[32]
  • ベウジェツ強制収容所は、正史では「ガス室」や大量埋葬地をもっており、1942〜1943年に大量の死体が埋められ、掘り返され、焼却されたとされているが、航空写真では伐採搬出収容所であったことがわかる。木の切り株や、土の浅さのために丘の頂上にある収容所に死体を埋めることは困難である。1942年11月から1943年2月のあいだに、1日に4500の死体が掘り起こされたという。しかし、丘の頂上の凍った地面の上で1日に4500名の死体を掘り起こすことは、不可能である。カチンでは、ドイツは1943年2月に埋葬地を発見してから、地面が解ける4月までのあいだに、地元の労働者を使って毎日130名を発掘したにすぎない。[32]
  • ガス室で殺された死体を病理学者もしくは法医学者が、解剖と化学分析によって証明した医学論文・報告は存在しない。一酸化炭素による死体を発見したと主張したソ連の文書があるが、医学的記述ではなく、死体の解剖記録をソ連は提出していない。また、カチンの森事件で、ソ連が虚偽の法医学報告をしていたことを考えると、医学的記述がないこの文書には信用性がない。
  • 戦後語られてきたガス室の目撃証言には、荒唐無稽な内容[44]や、相互の矛盾や内容の変遷が多い。収容所に収容されたユダヤ人やレジスタンスの中には、ガス室の存在に否定的な証言をした生存者がごく少数存在し、また自身の証言を後に撤回した証人もいたが、彼等の発言は無視され続けた。[45]
  • 害虫駆除ガス室およびツィクロンBは当初シラミ駆除のために設計、納品された。[30]
チクロンBの缶(オシフィエンチム博物館展示)
  • ポール・ラッシニエのいた2つの収容所にはガス室が存在しないので、ガス殺人を目撃できるわけはない。
  • ロイヒター・レポートによると、1988年にアウシュヴィッツのガス室で採取された標本を検査したところシアン化合物が検出されないかまたは極微量でしかなかったのに、衣服等のための害虫駆除室からは高濃度のシアン化合物が検出されているのだから、ガス殺は行われなかった可能性が高いと主張している。しかし、ビルケナウのガス室とされた場所で極微量でも検出されたということは、40年も経ちかつ雨ざらしの場所でとっくにシアン成分が流れ去っていてもおかしくないのだから、ロイヒターの主張とは異なって青酸ガスが使用されていたという証拠である。害虫駆除室での燻蒸時間は、殺人に要した時間(しかも20〜30分程度封じ込めたあとは換気してしまうのである)よりも遥かに長く、ガス室より高濃度で検出されても何の不自然もない。[要出典]
  • 1990年2月にクラクフ法医学研究所所長のヤン・マルキェヴィチJan Markiewicz)と彼の調査チームは、ロイヒター調査よりさらに微量を検出できる「マイクロディフュージョン法」を用いて、アウシュヴィッツ内にある殺人用ガス室だと疑われる部屋、シラミ駆除用ガス室、管理棟のそれぞれから採取した標本中のシアン化合物の解析を再度行った。照査標本では陰性の結果が出たが、シラミ駆除用ガス室と多量の殺人用とされるガス室から極微量のシアン化合物の残留物が検出された。検出された事自体が当該箇所で青酸ガスが使用された証明になる。[46]
  • プレサックは大量に収集した文書資料からアウシュヴィッツ・ビルケナウの5つのクレマトリウムにあったガス室とされた場所が間違いなくガス室であったと読み解いた[47]。(否認派はプレサックを正史派と呼ぶ)。アウシュヴィッツ建設部作成のクレマトリウムⅡの図面にある2つの死体安置室(図面上には"Leichenkeller"としか記載されておらず、例えばクレマⅡの図面ならばLK1とLK2の2箇所の記載があるだけ)のうち、どちらか一方の箇所を指す言葉として、アウシュヴィッツのビショフ大尉が1943年1月29日付けのベルリンのカルマー少将に当てた書簡の中でクレマトリウムⅡの進捗状況を説明する中で"Vergasungskeller"(ガス室と読むことが出来る)と記述した[48]このドイツ語の解釈を巡って否認派はコークスのガス化装置、毒ガス対策を考慮した防空壕などの主張をしたものの、それらの主張には裏付ける根拠が一切ない。[要出典] それに対し、クレマトリウムⅡと対称形のⅢに関する在庫目録に「ガス密閉ドア1、シャワーヘッド14個」の記載があったり、ガス殺を裏付けるものばかりである[49]
  • 2019年になって、フランケ・グリクシュの再定住報告と呼ばれる親衛隊人事局少佐によるアウシュヴィッツへの視察報告書の原本カーボンコピーが発見されている[50]。これは以前に米軍将校のリップマンが戦後に発見した資料を元にしてタイピングした資料として存在したものであった(当時は原本が未発見)が、以前は否認派により「リップマンによる偽造」推測されていた。しかし、原本となった可能性のあるカーボンコピーがドイツ連邦公文書館から発見されたことにより、この断定は成り立たなくなった。この再定住報告によれば、①「再定住」といういわゆる殺戮等の言葉を言い換えた「コード言語」が使用されていること、②アウシュヴィッツ・ビルケナウにおけるユダヤ人のガス殺害の詳細がルドルフ・ヘスらの証言者の述べたとおりにほとんどそっくりに記述されていること、などホロコーストのほぼ確実な証明になっている。以前に偽造と断定したときの内容についての疑義も、文書が当時のもので間違いないであろうと言うほどにその真正性が検証結果として示されているため、疑義自体が成り立たない。アウシュヴィッツ収容所にグリクシュ少佐が視察した事実は他の文書から裏付けられている。この原本のカーボンコピーを「捏造」と主張するには、単に内容への疑義を主張するのではなく、捏造それ自体を証明しなければならないだろう。
  • 更にこのフランケ・グリクシュの再定住報告は、否認派が否定するルドルフ・ヘスの回想録[51]の記述を裏付けてしまう。同著の「ユダヤ人をどう処理したか」に記載されている「虐殺工程」の記述は再定住報告記載の内容によく一致し、またグリクシュが記載している"24時間で一万体"という遺体処理数もヘスの回想録の記述から計算される最大能力の処理数に一致する。即ち、グリクシュはヘスに現場を案内してもらい、ヘスから聞いた内容を再定住報告に記載したものと考えられるのである。
焼却炉
  • 大量殺人が実行された場合、死体処理には多数の焼却炉が必要となるが、それだけの焼却炉はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にもルブリン強制収容所にもなく、また焼却に必要な燃料も、戦争でエネルギー不足に陥っていたドイツで供給できる量をはるかに上回っていた。工業廃油等を使わざるを得ない。存在が確認できた火葬炉は大規模焼却を目的とするには規模が小さく数も少ない。石炭を使った火葬炉は、炉の清掃のために毎日の休息を必要としていた。溶けて炉に付着した石炭の残余物が、発熱機のグリル棒のあいだの燃焼空気の通過を阻害し、焼却炉の作動効率を低下させてしまうからだ。当時の不確かな証言で科学法則を否定するのは正史派の詭弁である[52]
  • ソ連軍が押収した当時のアウシュヴィッツの資料「1943年3月17日」の記録簿によれば、収容所のSSは一日12時間の使用を想定していた。アウシュヴィッツ収容所の焼却棟における最初の焼却は1940年8月15日に行われた。わずか3ヶ月後の11月22日に、建設局はベルリンの中央建物・建設管理局に次のような書簡を送っている「焼却棟のこれまでの作動は、1年の比較的好都合な時期においてさえも、2つの室をもった炉は小さすぎる」、プレサックによると、1940年3月から12月までに、アウシュヴィッツでは2000名の死者が出ており、1日に8名平均である。だから、アウシュヴィッツの焼却棟は理論上は1日に120体を焼却できるはずだが、実際には1日に8体を焼却するのにも困難を抱えていたことになる[52]
  • 1944年に米軍の偵察機が撮影したアウシュヴィッツの航空写真には死体焼却の煙も石炭の山も見られない。[32]また大量の石炭を購入した伝票などの証拠も大量の石炭が運び込まれていたとの証言もない。もしも、一日に何千人も処刑したとされるガス殺処刑が本当にあったとすれば、石炭はその人数に応じた量が必要であり、大量の石炭を毎日運ばねばならない。隣のアウシュヴィッツV(モノヴィッツ)を見てみると、合成石油生産のために一日50トンの石炭が必要だったため、巨大な石炭の貯蔵庫とそれを運ぶための列車が存在した。だからアウシュヴィッツ・ビルケナウの焼却棟にも巨大な石炭の貯蔵庫とそれを運ぶための列車がなければ死体処理は成り立たない[32]
  • 火葬炉があった理由は自然死や、囚人の密集していた環境で当然予想される伝染病の蔓延による病死に対応する目的で設置されたものと考えるのが自然である。
  • 死体焼却は肉等の有機物を炭化しその腐敗を防止して衛生環境を守るのが目的であって、死体の消滅が目的ではない。死体の消滅が目的であれば、死体を骨ごとミンチにして家畜の餌等するのが簡単で経済的である。家畜の糞は醗酵させ堆肥として畑に撒けば完璧である。ドイツは養豚業など家畜の飼育が盛んであり肉骨粉などの家畜の餌の引き取り先には困らない。だが、この方法を取るとすれば、アウシュビッツに輸送してきた人員と同じ重量の肉骨粉を家畜の飼育場までもう一度列車で輸送する必要が出てくるため非常に非効率的である。そして、青酸ガスに曝された肉骨粉を家畜に食べさせるのかという問題にもなるうえ、銃殺したとしても鉛の混じった肉骨粉を家畜に食べさせるという重大な問題が出てくる。さらに骨ごとミンチにするにはその前に捕虜を殺害しておく必要があるため(生きたまま人間を裸にして口の中から金歯などを奪いミンチにするのは労力や合理性の点からみて不可能である。
アウシュヴィッツ中央収容所の焼却炉。(オシフィエンチム博物館展示)
  • 火葬炉の能力に関しては、アウシュヴィッツを例に取ると、当時の複数の文書で全く能力不足ではないことが示されている[53]。そこにはビルケナウの火葬場全体で24時間で4,700体以上の能力があったそうだ。ルドルフ・ヘスの自伝[51]ではその倍以上の一日10,000体もの能力があったと記述されている。
  • 耐熱煉瓦などの入手困難な状況で建設された焼却炉で骨まで灰にすることができる高温を維持するのは困難である。ゆえに「骨まで焼いて灰にした」という説は否定されており、「焼却で残った骨などの残骸を砕いて捨てた」という説が通説となっている。ルドルフ・ヘスの自伝[51]では灰は近くの川に流したとある[54]
  • 推測になるが、遺体を焼却処理すると、結局は前述の通り砕かれて骨粉のみになり、処分しやすい。アウシュヴィッツのように近くに河があればそこへ流せばいいし、河がなくとも土壌に蒔いて土壌と混ぜてしまうなどすればいいだけである。
  • 火葬能力については当時の親衛隊内部資料が残っていて、これによると一日あたりアウシュヴィッツ・ビルケナウ全体で4,756体の遺体火葬処理能力があったことになる。[7]
  • 「ビルケナウのガス室や火葬炉とされている場所では、その規模の建物の残骸に相当する瓦礫が存在しない」との指摘がある。解放後に地元のポーランド人農民が戻ってきて、冬になる前に家を再建するためのレンガ等を大量に持ち去った。(廃物を利用した人々が使えるレンガを探したときに投げ捨てた大量の廃棄物が火葬炉の場所の近くに残っている)死体焼却後の灰についての疑義については1体の死体の灰は靴箱一杯位であり、処理は難しいことではない。ある程度の量の灰が近くの川や沼地に積まれていたことはアウシュヴィッツの航空写真が示している。またその他の灰は近くの畑で肥料として使われたという書証拠が存在する。トレブリンカ強制収容所所長によって撮影された写真には灰を掘削機で一面にまく場面が写っている[要出典]

死亡者数 600万人説に関する疑義
  • 1939年前後の全世界のユダヤ人総数は1600~1700万人、1948年前後では1500~1800万人という統計から、ユダヤ人犠牲者が600万人というのは誇張が入っている。『ワールド・アルマナック』の統計ではホロコースト前の1940年版ではユダヤ人人口15,319,359人、1948年版で15,713,638人とあり、3年間で1.4~1.8倍の人口増加している。[55] (戦後日本の第一次ベビーブームの時代を経た昭和20年~昭和30年の人口増加でさえ7200万人から9000万人であり1,25倍)この人口増加率からしてもたとえ出生率が非常に高かったとしても600万人ものユダヤ人が死んだことはありえない。仮に600万人が犠牲となったならば大戦終結後のユダヤ人総数は1100万人前後となるはずである。『ワールド・アルマナック』1938年ではユダヤ人全人口は1660万人で、『ニューヨーク・タイムズ』の1948年2月22日号によると1948年のユダヤ人人口は最小で1500万人、最大で1800万人である。つまり最大で160万人の減少しかありえない。戦争前後のユダヤ人人口は情報源によって数字が異なるが、反修正主義者たちは自分たちの主張に合致する数字を選択的に採用しており、また情報源の評価を避けている。例えば、『ワールド・アルマナック』の示す世界のユダヤ人人口は1982年版では14,318,000人、1990年版では18,169,000人、1996年版では13,451,000人[55]この数字の推移を解釈するなら1982年から1990年の間に370万人のユダヤ人が増加し、逆に1990年から1996年の間に450万人のユダヤ人が消失したか、それとも『ワールド・アルマナック』がユダヤ人人口を正確に見積る目的においては特に信頼できる情報源ではないか、のどちらかである[要出典]
  • アメリカユダヤ人年鑑1932年版では、ユダヤ人人口を15,192,218人、その内9,418,248人がヨーロッパ居住としている。1947年版では以下のように記述されている。[要出典]

世界のユダヤ人人口の見積はアメリカ・ユダヤ人共同配給委員会によって整理された。この数字はアメリカ合衆国カナダは除いた数字であるため、1946年の約11,000,000人にまで減少したのがアメリカおよびカナダのユダヤ人口を除いた分なのかヨーロッパでの死者分なのか不明である。 当時の北米ユダヤ人口は500万人弱である--アメリカユダヤ人年鑑1947年

  • 収容所での死者数を誇張している複数の例が報告されていることは事実であり、反修正主義者も年々死亡者数と死亡地域の変更を余儀なくされている。[56]
  • また、当時のドイツ占領地域にいたユダヤ人の総数も不明で、600万人の犠牲者が出るには相当のユダヤ人が占領地域に存在していなければならないが、1933~1945年までの間に出国奨励策等により最低300万人のユダヤ人がドイツ占領地域外へ移動している。600万人の犠牲者が出るためには1933年以前に最低900万人前後のユダヤ人がドイツ占領地域内に存在する必要がある。ドイツ占領時に占領地域内にいたユダヤ人の数は300万人以下とする情報もあり、600万人の犠牲者を生み出すことが物理的に不可能だった可能性すら存在する[55]
  • ブレイトバード文書[57]によれば、アウシュヴィッツにある「1940年から1945年の期間にナチの殺人者の手によって400万の人々がここで苦しみ亡くなった」と記されている記念碑が、1990年に「ヨーロッパのさまざまな国から連れてこられたユダヤ人150万の男性、女性、子供たちがこの地で人知れず殺された」と更新されたが、これに従えば250万の犠牲者数が誇張されてきた[56]
  • 否認論者のユルゲン・グラーフ英語版は、ポーランド(約300万人)、ソ連(約100万人)、ハンガリー(約20万人)などの、犠牲者のほぼ大半を占めている人口統計には信憑性が無く[58]、また兵士として戦死したユダヤ人や、ソ連領内で病気や飢餓で死亡したユダヤ人は、ホロコーストとは無関係であり、人数に入れるべきではない[59]とし、ドイツ・枢軸国の勢力圏内で死亡したユダヤ人の総数は100万人にも満たない。と主張している[60]
  • 500万から600万というユダヤ人死亡者の数字には、実際にはロシア、イギリス、パレスチナ、アメリカ合衆国へと移住したユダヤ人が含まれている。[55]実際のユダヤ人の死者は100万人程度、戦時死傷者は30万人程度とも主張される。
  • ユダヤ人の歴史学者・シカゴ大学教授ピーター・ノビックは、サイモン・ヴィーゼンタールは被害者数を水増ししていると批判している[61][62]
  • ニュルンベルク裁判では被害者数は600万人と認定された。アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館では2013年現在も被害者数は600万人としている[63]
  • サイモン・ウィーゼンタール・センターは、犠牲者の数が以前と比べて少なく表されるようになったのはソ連が「アウシュヴィッツ=ビルケナウでの死者数を意図的に誇張していた」からと反論している。収容所跡の石碑はソ連当局によって据えられたもので冷戦が終結するに伴い数字が書き換えられた。ただし、西側諸国の歴史家たちはこの400万という数字をユダヤ人犠牲者の数を計算するのに用いてきておらず、アウシュヴィッツで殺害された人々の推定数は60万から150万の間を推移している[64]
  • |『ワールド・アルマナック』は学術的ではなく、汎用的な参考書であり、人口統計データの信頼できる情報源ではない。一般的な百科事典や年鑑のような一般的な資料は、通常、歴史を書く上で信頼できる資料とは考えられていない。ワールド・アルマナックも例外ではない。[要出典]特筆すべきは、1948年までのAJCの統計は、1939年の推計値であることが明示されていることである(例えば、1945-48年の1939年の推計値は15,688,259人とされている)。問題は、アルマナックがこれらの推定値の出所を明言していないことである。ほとんどの場合、新しいセンサスがない場合に、戦前のデータに基づいて、人口動態の変化を考慮に入れずに、純粋に仮説に基づいて計算されたものであろう[65]
  • 犠牲者数に関する最も初期の研究のひとつは、ニューヨークユダヤ人問題研究所が修正主義者に対抗するため1951年半ばに行ったものである。そこでは、ヨーロッパ・ユダヤ人人口を45年(310万人)と39年(950万人)とで比較し、亡命した60万人を差し引いた結果、6年間でおよそ580万人のヨーロッパ・ユダヤ人が死亡したとの結論が出された。1959年、人口統計学者ヤコブ・レスチンキは、275万人という1950年に生存していたヨーロッパ・ユダヤ人人口のデータと、39年のユダヤ人人口統計を元にした計算で、600万人以上のユダヤ人がナチスのジェノサイドの犠牲になったことになると推定した。パリ現代ユダヤ人資料センター代表レオン・ポリアコフによる調査は、550万人以上という犠牲者数を上げている[66]
  • 1953年、ジェラルド・ライトリンガー(Gerald Reitlinger)はジェノサイドに関する最初の大規模な包括的叙述において、ヨーロッパの全ての国々におけるユダヤ人の運命を研究し、「最終解決」に関する統計上の概観を提示した。彼は、当時知られ、また報告されていた犠牲者数に関する情報を批判的に検討したが、その出発点となったのは45年11月にニュルンベルク裁判で出された572万2180人という数字である。ライトリンガーが原則としたのは、議論の余地のないような最小の数字を算出することであり、そのために細心の注意を持って証拠を取捨選択した。ライトリンガーは、アウシュヴィッツでの死者数が75万人を超えることはないと判断したが、これはルドルフ・ヘスがニュルンベルク裁判で証言した数字よりも、遥かに少なかった。同様に彼は、疑わしいケースはナチスの公式情報であっても使わなかった。ライトリンガーが最終的に到達したナチスによるユダヤ人殺害数は、最小で419万4200人、最大で458万1200人であった。彼が少ない犠牲者数を出したのは、反セム主義集団に「恐怖に満ちた歴史とそこから導かれた教訓に疑惑を与える」機会を決してつくってはならないという意図から生まれたものであった。
  • 最新の研究に基礎をおいて推定されたヨーロッパ・ユダヤ人の犠牲者数は、ガス室で殺されたものや射殺されたもの、あるいは餓死や肉体的虐待による死者を合わせて少なくとも600万人というものが、一番確実である。国別の数字は次のように出されている。ドイツが14万4000人、オーストリアが4万8767人、ルクセンブルクが720人、フランスが7万6000人(他国籍者を含む)、ベルギーは2万8000人(他国籍者を含む)、オランダ10万2000人、デンマーク116人、ノルウェーが758人、イタリアが5596人、アルバニアが591人、ギリシャが5万8443人、ブルガリアが7335人、ユーゴスラヴィアが5万1400人、ハンガリーが55万9250人、チェコスロバキアが14万3000人、ルーマニア12万919人、ポーランドが270万人、ソ連が210万人である[67]
公文書の解釈
  • ナチスドイツ占領下のポーランドで行われた囚人処刑に関する報告書第51号は、ホロコーストで行われた大量虐殺行為に対してヒトラーの共謀と是認があったことの証拠としてニュルンベルク裁判の際に提出された。南ロシア地方、ウクライナ地方、ビャウィストク地方にて、無法者の共犯者と容疑者として、4ヶ月の間にユダヤ人だけで36万3211人が殺害されていると主張するが、当該地域はユダヤ人の反乱を恐れたスターリンの強制移住政策で使われた地域であり、記録に残るだけでも100万人以上のユダヤ人がソ連東部へ強制移住させられていた。
  • 1928年、シベリアにユダヤ人居住地区(1934年にはユダヤ自治州)が建設されたのは事実である。ただしこの計画はウラジーミル・レーニンによって主導された入植計画であり、この地域に移り住んだユダヤ人もさほどおらず、1939年時点の自治州人口108,938人中、ユダヤ人はわずか17,695人にとどまっている[68]。スターリンは逆にユダヤ自治州に対する弾圧を加え、ユダヤ色をなくそうとした。
証言
  • 連合国は、戦後の戦犯裁判に際して多くのドイツ人に拷問を加えて自白を得ており、こうした自白には信憑性がない。たとえば、ホロコースト肯定派が根拠にするルドルフ・ヘスの自白は殴打やヘスの妻に対する脅迫により引き出されたものである[69]
  • 自白のための拷問はあったが、ホロコーストを捏造する目的で行われたという証拠は存在しない。[要出典]
  • ホロコーストを生き延びた反対証言も存在するにもかかわらず、彼等の証言は無視され続けている。例えばアウシュヴィッツ所長、ルドルフ・ヘスの証言は署名された自白調書だけで構成されているのではない、ヘスの2部にわたる回想録や、ニュルンベルク裁判以外の場でも広範囲にわたる証言などもある。ヘスの証言はペリー・ブロード (de:Pery Broad) のような元アウシュヴィッツ職員による書面による説明とも矛盾していない。[要出典]
「矛盾」
  • 戦後、「ホロコースト」の内容は二転三転している。例えば、戦後間もない時期にはドイツ領内にあるダッハウ強制収容所、ブーヘンヴァルト強制収容所、ベルゲン・ベルゼン強制収容所などの収容所にも処刑用ガス室が存在し、それらのガス室でユダヤ人などが処刑されたと言われていた。ところが今日、これらの収容所ではガス室による処刑は行われていなかったとされる。それでは、戦後間もない時期に語られていたこれらの収容所での「ガス室処刑」に関する「目撃証言」は一体何だったのか。なぜ、ドイツ内の収容所にはガス室がないとされ、ポーランドなど戦後に共産圏に属した国にはガス室があるのか?これが偶然とは思えない。実際、ほぼ全ての正史派の学者は、戦時中から明白な事実としてガス室はポーランドの六ヶ所しかなかったようなふりをしている。[70]
  • ホロコーストの歴史学的証拠とされたものは偽造、または故意に誤って解釈されたものである。戦後に公開された多数の写真や映画フィルムは、連合国軍による反ナチスプロパガンダとして特別に捏造されたものである。[27]
  • 人間石鹸も都市伝説、プロパガンダであった[55]
  • アウシュヴィッツ第一死体焼却棟の1945年の写真には、撤退直前に爆破されたため現在そこにある煙突が当時存在していなかったことが見てとれる。煙突は戦後建てられており、現地の「物証」はこのように戦後変更されている。ポーランドのアウシュヴィッツ博物館は、戦後長い間、第一アウシュヴィッツの処刑用ガス室とされる第一死体焼却棟を当時のままと主張していた。しかし見直し論者に、さまざまな不合理を指摘されると、戦後の再建を認めた。[70]
  • 同様に、マイダネク収容所では、展示・公開されている「処刑用ガス室」が、ある時期から隣りの部屋に変わっている[70]
  • 歴史的事実の記述において、調査研究が進むにつれて、記述が変わることがあり得るのは常識で考えれば分かる話である。例えば古くは鎌倉幕府の始まりは1192年とされていたが、今では鎌倉幕府の基本的な機能は1185年にすでに完成しているので鎌倉時代を1185年からとする説が主流になっている。こうした歴史的記述の変更事例は事欠かない。それ故、歴史的記述の変更があったからと言って疑問を抱くのは失当であり、むしろ正確さを増していると考えるのが常識であろう。
  • アウシュヴィッツ基幹収容所のクレマトリウムⅠ(旧クレマトリウム)が撤退直前に爆破されたという事実はない。[要出典]
  • アウシュヴィッツ基幹収容所はポーランド軍兵舎のあったところで、クレマトリウムⅠとなる建造物はポーランド軍が火薬庫として使用していた。これを1940年6月14日に到着したポーランド政治犯の囚人を作業員として、その年の7月5日頃から、死んだ囚人を焼却するための火葬場として使用されるように改造された[47]。殺人ガス室として使われるようになったのは1941年の秋からで1942年12月までガス室として使われた。焼却炉そのものは1943年7月まで使用された[71]。1944年に連合国によるアウシュヴィッツ周辺の爆撃が始まると防空壕に改修され同時に煙突も撤去されたものと考えられる。そして戦後1946〜47年頃にガス室を再現するために再建されたとされる[47]。この旧クレマトリウムが防空壕に改修されたことは、こちらのサイトによれば1957年の書籍に掲載されており、当該書籍は「アウシュビッツのガイドのための基本的な読み物を構成する本」であるとのことである。これらのことを踏まえれば、否認派があたかもアウシュヴィッツ博物館がクレマトリウムⅠを戦後に捏造したかの如くの印象を与えるために、この再建の話を「隠していた」と主張しているように推測されるが、事実は単にアウシュヴィッツ博物館による見学者への案内が正確な情報を伝えていなかった、というだけの話であると考えられる。実際には1957年出版の書籍に掲載していたのであるから公知の事実だったのである。但し、栗原優の著書にも当時の研究者ですら知らなかったという事実の記載があり[72]、フォーリソンがすでに1980年頃に防空壕から戦後に改修工事を受けていることを発表しており、プレサックも著書[47]で記述していたのである(アウシュヴィッツ博物館はこの著書に序文を掲載している)から、その後もデヴィッド・コールが大々的に問題にするまで、現状が「ガス室当時のままである」と案内していたアウシュヴィッツ博物館の案内は杜撰であったとは言えよう。原在はクレマトリウムⅠの傍に、現在の状態がガス室として使用されていた時期の正確な状態ではないことを示す案内表示板があり、異なる状態であることを隠してはいない。
アウシュヴィッツ博物館のガス室外にある案内表示
イスラエルプロパガンダ
  • ユダヤ人を犠牲者、ドイツ人を悪魔のように扱うアングロサクソン、あるいはユダヤ人の陰謀がある。また、ドイツについての狂気じみた話を広めることでポーランドチェコスロヴァキアのような周辺国が、ソ連による支配を容易に受け入れやすくなる。ホロコースト論には、パレスチナにユダヤ人の母国を建設することを可能にする連合国の意向を促進する意図があり、この主張は現在はイスラエルのパレスチナ人政策に対する支持を獲得することに利用されている。1970年代の中東戦争以来、ホロコースト論が語られるようになった[62]。ユダヤ人の歴史学者・シカゴ大学教授ピーター・ノビックは、アメリカのユダヤ社会でホロコーストが喧伝されるようになったのは1970年代からで、中東戦争を背景にイスラエル支持を強化するための政治戦略だったと分析している[61][62]
  • ホロコーストが捏造であればイスラエルが崩壊する。しかしそれなら、イランを支援していたソ連が第三次中東戦争の際、何故ホロコーストが捏造だと暴露しなかったのか?イスラエルに投入された資金の量とドイツからの賠償金だけでもイスラエルがこの陰謀を続けようとするだけの強力な誘因になる。だが、その陰謀の存在を証明する具体的な証拠は存在しない。
言論の自由
  • ほとんどの学者や歴史家はホロコーストが虚構であると認める勇気がない。もし堂々とそのような話をすれば職を失う恐れがあるし、アメリカやドイツでは現実に解任された教授や経営者、解雇されたキャスターや記者などが多く存在する。数々の放火や暴行、またフランソワ・デュプラがユダヤ人組織に殺害されたことは暴力である[73]
  • ホロコースト修正派の学説を「荒唐無稽なもの」「まったく科学的根拠を欠いた」 ものと見なしていながら、一方ではその学説の普及を法的手段を使っ てまで抑圧しようとするホロコースト(肯定)派 の姿勢は、裁判にかけてまで、ガリレオ・ガリレイの「地動説」を抑圧しようとした中世のキリスト教会の姿勢を想起させる[74]。ホロコースト肯定派は一体どのような人生経験をすれば、自分たちを「正義の守護者」、「歴史の大審問官」の高みに置いて、「無知蒙昧」な一般大衆にむかって自説を「諭す」と同時に、異説を唱える人々を悪罵・中傷し、ひいては彼らに対する政治的・司法的弾圧を要求することができるのか?[75]
  • ドイツ等でホロコースト否認論を処罰しているのも民主主義的に制定された法律に基づくものである。ホロコースト否認以外の言論であっても、名誉毀損やヘイトなど法律の枠は存在する。なお、ホロコースト否認論への法的規制は十数カ国に留まっているのが事実であり、規制されていない国が圧倒的に多く、日本でも自由であるし、否認論の本場であるアメリカでは米国憲法修正第一条に守られて、そもそも否認論を規制することは出来ないし、歴史見直し研究所やそれに類する組織も活発に活動している事実がある。

否認論の歴史[編集]

ニュルンベルク裁判[編集]

ニュルンベルク裁判

19451119468[76]

(一)

(二)

(三)

(四)

[77]

1940[]


1948調63[78]

[79]

1948 (Nuremberg ou la Terre promise)6008090[80]

1949(Passage de la ligne)1950(Le Mensonge d'Ulysse)The Holocaust Story and the Lies of Ulysses

1964The Holocaust Story and the Lies of Ulysses 

[4][81]

(Burg)調

1950[]


1950西西(Zwischen London und Moskau)[82]

19501950194919511950 (DRP)  

1960[]


姿J姿[83]

1961 (Der Erzwungene Krieg)1969600[84]1

1970[]


197019671973[85]

[86]

1973600(The Six Million Swindle)600西195230 

1974(Die Auschwitz-Lüge)宿

197620(The Hoax of the Twentieth Century: The Case Against the Presumed Extermination of European Jewry) 1977[87]

1978318600(Did Six Million Really Die?)Francois Duprat[73][88]1978 (fraud) 1989916Sons of Jewish Memory[73]Sons of Jewish Memory[73]

1979西(The Auschwitz Myth - Legend or Reality)1980

1978 (IHR) IHRJIHR[89]IHR 600(exterminationists) 600 () [90]

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1984使1988718[73]

1988 [91] 12西

1987 (CODOH) CODOH1990CODOH

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 (Samisdat Publishing) 600 1985151992

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1988

1995520[73] 20021200322005111[62]

1990[]


1993 Richard J. Green :

1998E[92] [93][94]

199810 The Scribe[95]

1990 (négationnisme) 1960[96]1990 [97]

19901970[73]199691999116Libreria Europa[73]

2000[]


19892006198919913[98]退 20061221 [99]

2010[]


20191調調5260[100]

「ホロコースト産業」論[編集]


 (Holocaust industry)  (Shoah business) 19961997[101]1998調12520011013調610,000 200

2002[102]

1987[103]1988210[73]1998使[104]

20012調15%50%200312調1/41/3

200811600[105]20301988162009116

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[106]2005

 (ADL)  (Kenneth Jacobson)  (Haaretz) 

西姿

11982[107][108]1960 (en:Zionology) 1983:  

 ()  (600) 調600[109]

20063

120080[110]

[111]20028 (Sultan Bin Zayed Al Nahayan)  (Zayed Center for Coordination and Follow-up) [112]

200512[113]

200636Jomhouri-e EslamiJomhouri Islami/[114][115]

2006424[116]en:Muslim Public Affairs Council[117]12 (Khaled Mashal) [118]

2007126103[119][120]

2013CNN[121]CNN[122]

[123][124]

20231220AP6006002600600[125]

[]




1994稿[126]1995

マルコポーロ事件[編集]


1995西西

西[127]西[128]

西1997[129]

[62]調[62]

199719992[130]

201411265000[131]

ホロコースト否認論を規制する法律[編集]

赤色はホロコースト、もしくはナチス・ドイツの犯罪行為、人道に対する罪とされた行為を公に否認することを明文で禁じた法律が存在する国

130[132][133][134][120][135][136][137][138][139][120][140][141]

[3]

2003[142]6

使[143]

2007126103[120]

[144]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同じ派閥のアルマン・シュフェフランス語版は「ユダヤ人による独裁」「社会主義はゲットーではない」「私はユダヤ人による戦争には行かない」と発言し、ラッシニエ自身も「レオン・ブルムにとっては(中略)人種主義の点からヒトラーを打倒することが問題なのである」と述べている[9]

出典[編集]



(一)^  - . AFPBB News (2007127). 2024414

(二)^ abcd 20031030564 

(三)^ abcde 2009, pp. 5861

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(六)^ abcdefgh 2009, p. 62

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(12)^  (2) : ()3219981287-102CRID 1050282676658720384ISSN 0388-2144 

(13)^ Q&A

(14)^ 

(15)^ Q&A12

(16)^ Q&A

(17)^ A Study of the Cyanide Compounds Content In The Walls Of The Gas Chambers in the Former Auschwitz and Birkenau Concentration Camps

(18)^ 

(19)^ REPORT OF RICHARD J. GREEN, PHD

(20)^ Negationism is the denial of historic crimes. The word is derived from the French term Le négationnisme, which refers to Holocaust denial.

(21)^ Omer Bartov, The Holocaust: Origins, Implementation and Aftermath, Routledge, p.12

(22)^  2009, pp. 68.

(23)^ 1969 (Rolf Hochhuth) Richard Ingram Irving was the author of his own downfall Archived 20071220, at the Wayback Machine. in The Independent 25 February 2006.

(24)^ 
Kate Connolly Irving held in Austria for denying Holocaust in The Daily Telegraph November 18 2005

Tony Paterson Austria considers Holocaust denial charge for Irving in The Independent, November 18 2005

Staff and agencies David Irving jailed for Holocaust denial in The Guardian February 20, 2006

By Times Online and agencies Bankrupt, disgraced and now jailed: Irving sinks to new low in Times Online, February 20, 2006

Kate Murphy Irving tests Europe's free speech on the BBC website February 20 2006.

(25)^ Michael Shermer and Alex Grobman, Denying History: Who Says the Holocaust Never Happened and Why do they Say it? University of California Press

(26)^ abcd西

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