アラブ首長国連邦
- アラブ首長国連邦
- الإمارات العربية المتحدة
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(国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:عيشي بلادي(アラビア語)
アラブ首長国連邦国歌 -
公用語 アラビア語 首都 アブダビ市 最大の都市 ドバイ市 - 政府
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大統領 ムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン 首相兼副大統領 ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム - 面積
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総計 83,600km2(113位) 水面積率 極僅か - 人口
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総計(2020年) 9,365,000[1]人(91位) 人口密度 118.3[1]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(2020年) 1兆3179億4600万[2]UAEディルハム - GDP(MER)
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合計(2020年) 3588億6900万[2]ドル(34位) 1人あたり 3万8661.176[2]ドル - GDP(PPP)
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合計(2020年) 6603億4200万[2]ドル(32位) 1人あたり 7万1139.081[2]ドル - 独立
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イギリスから 1971年12月2日
通貨 UAEディルハム(AED) 時間帯 UTC+4 (DST:なし) ISO 3166-1 AE / ARE ccTLD .ae 国際電話番号 971
国名[編集]
正式名称はアラビア語で、الإِمَارات العربِيَّة المُتَّحِدة ︵ラテン文字転写 : al-Imārāt al-ʿArabīya al-Muttaḥida, アル=イマーラートゥ・ル=アラビーヤ(トゥ)・ル=ムッタヒダ︶。略称は إمارات ︵イマーラート︶で、これはアラビア語で﹁首長国﹂を意味する、﹁إمارة︵イマーラ︶﹂という単語の複数形である。 公式の英語表記は、United Arab Emirates。略称は、UAE。国民・形容詞ともEmirati。 日本語の表記は、アラブ首長国連邦。日本語名称をアラブ首長国連合としている場合が見受けられるが、日本国外務省ではアラブ首長国連邦としている。行政機関では略称としてア首連を使用することが多いが、近年では英字で略したUAEの使用も見られる。また、サッカーなどスポーツ競技内ではUAEを使用することが多い。 日本では口語や俗称として単に﹁アラブ﹂と呼ばれていたが、アラブ世界との混同があるため上述のUAEという事が多い。歴史[編集]
マガン[編集]
アケメネス朝ペルシア[編集]
紀元前6世紀ごろには現在のイランに興ったアケメネス朝ペルシアの支配を受け、その後もペルシア文明の影響を受けていた。イスラム帝国[編集]
7世紀にイスラム帝国の支配を受けイスラム教が広がる。その後、オスマン帝国の支配を受ける。ポルトガル[編集]
16世紀、ヴァスコ・ダ・ガマがインド洋航路を発見し、ポルトガルが来航。オスマン帝国との戦いに勝利し、その後150年間、ペルシア湾沿いの海岸地区を支配する。オスマン帝国[編集]
その他の地域はオスマン帝国の直接統治を経験する。現在のアラブ首長国連邦の基礎となる首長国は17世紀から18世紀ごろにアラビア半島南部から移住してきたアラブの部族によってそれぞれ形成され、北部のラアス・アル=ハイマやシャルジャを支配するカワーシム家と、アブダビやドバイを支配するバニヤース族とに2分された。トルーシャル首長国[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bd/Hatta_01.jpg/150px-Hatta_01.jpg)
アラブ首長国連邦[編集]
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/48/Zayed_bin_Al_Nahayan.jpg/150px-Zayed_bin_Al_Nahayan.jpg)
政治[編集]
内政[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/97/Khalifa_Bin_Zayed_Al_Nahyan-CROPPED.jpg/180px-Khalifa_Bin_Zayed_Al_Nahyan-CROPPED.jpg)
立法・行政・司法の機関[編集]
連邦の最高意思決定機関は連邦最高評議会︵FSC、Federal Supreme Council︶で、連邦を構成する7首長国の首長で構成される。結党は禁止されており、UAEには政党が存在しない。議決にはアブダビ︵首都アブダビ市がある︶、ドバイ︵最大の都市ドバイ市がある︶を含む5首長国の賛成が必要になる。憲法規定によると、国家元首である大統領、および首相を兼任する副大統領はFSCにより選出されることとなっているが、実際には大統領はアブダビ首長のナヒヤーン家、副大統領はドバイ首長のマクトゥーム家が世襲により継ぐのが慣例化している。閣僚評議会︵内閣相当︶評議員は、大統領が任命する。 議会は一院制の連邦国民評議会。議員は、選挙により選出される20名と連邦を構成する各首長国の首長の任命による20名の計40名。議席数はアブダビとドバイが8議席、シャールジャとラアス・アル=ハイマが6議席、アジュマーン、ウンム・アル=カイワイン、フジャイラが4議席を持つ。任期は4年。 連邦の最高司法機関は連邦最高裁判所である。 連邦予算は8割がアブダビ、1割がドバイ、残りの1割は連邦政府の税収によって賄われており、残りの5首長国の負担額はゼロである。事実上、アブダビが北部5首長国を支援する形になっていると言える。後述のように石油収入は油田を持つ首長国の国庫に入るため、連邦に直接石油収入が入るわけではない。連邦政府の権限の限界[編集]
国名のとおり、7つの独立した首長国が連邦を組んでいる体制であるため、各首長国の権限が大きく、連邦政府の権限は比較的小さい。外交、軍事、通貨などについては連邦政府の権限であり、また連邦全体の大まかな制度は統一されているが、資源開発、教育、経済政策、治安維持︵警察︶、社会福祉、インフラ整備などは各首長国の権限である。そのため、アブダビでは石油資源開発系の省庁が大きく、ドバイでは自由貿易系の省庁が力を持っている。世界有数のソブリン・ウエルス・ファンドであるアブダビ投資庁︵ADIA︶も、連邦ではなくアブダビ首長国に属する。選挙権と被選挙権の制限[編集]
一般国民には国政に関する選挙権が無いのが特徴だったが、2005年12月1日、連邦国民評議会の定数の半数に対する国民の参政権が認められ、2006年12月、最初のアラブ首長国連邦議会選挙が行われた[6]。しかし、その参政権の幅は極めて限定的なもので、有権者は各首長が選出した計2000人程度に留まる見通しである。 とはいえ、アラブ首長国連邦は石油の富によって成り立つ、つまり国民の労働とその結果である税金に拠らずして国家財政を成立させうる典型的なレンティア国家であるため、国民の政治への発言力も発言意欲も非常に小さい。また、連邦成立以降の急速な経済発展と生活の向上は首長家をはじめとする指導層の運営よろしきを得たものと国民の大多数は考えており、実際にUAE国籍を持つ国民は﹁ゆりかごから墓場まで﹂の手厚い政府の保護を受けている。また首長が国民の声を直接聞く伝統的なマジュリスなどの制度も残っているため、民主化を求める動きは大きくない。UAE全住民に対する国民の割合が20%に過ぎないことも、民主化に消極的な原因の一つとなっている。2011年にアラブ世界全域に広がった民主化運動︵アラブの春︶においても、アラブ首長国連邦国内においては民主化要求デモなどの動きは全く起きなかった[注 1]。外交[編集]
イスラエルとの関係[編集]
日本との関係[編集]
在アラブ首長国連邦日本人が企業関係者を中心に4,000人弱いるほか、少ないながらも在日アラブ首長国連邦人がいる。
駐日アラブ首長国連邦大使館は東京都渋谷区にある。
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UAE大使館全景
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UAE国旗と玄関
国家安全保障[編集]
軍事協定先[編集]
●湾岸協力理事会 - アラブ首長国連邦のほかサウジアラビア、バーレーン、オマーン、カタール、クウェート。 ●フランス - 1995年、防衛協定を締結。2009年、アラブ首長国連邦フランス軍敷地が開設された。 ●大韓民国 - 2009年、アラブ首長国連邦が有事になった際に韓国が参戦する自動介入条項のある秘密軍事協定が締結された[18]。 ●エリトリア - 2015年、アラブ首長国連邦初の海外軍事基地をアッサブに開設した[19][20][21]。 ●ソマリランド - 2017年に軍事基地の開設が合意された[21]。地方行政区分[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e2/UAE_ja-map.png/450px-UAE_ja-map.png)
アラブ首長国連邦は以下の7首長国から構成されている。各首長国の国名はそれぞれの首都となる都市の名前に由来しており、最大の国であるアブダビ首長国の首都のアブダビが、連邦全体の首都として機能している。ただ近年は、外国資本の流入によるドバイの急激な発展によって、政治のアブダビ、経済のドバイと言われるようになってきている。アブダビとドバイ以外は国際社会ではあまり著名でない。複数の都市で構成されるアブダビなど(ただし、いずれも首都が圧倒的人口比率を占める)と、単独都市がそのまま首長国となっているドバイなどの、二つのタイプの構成国がある。
連邦を構成する7首長国[編集]
主要都市[編集]
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地理[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/UAE_Regions_map.png/300px-UAE_Regions_map.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a6/Dunebashing_group_Dubai.jpg/200px-Dunebashing_group_Dubai.jpg)
国民[編集]
人口推移 | ||
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年 | 人口 | ±% |
1950 | 70,000 | — |
1960 | 90,000 | +28.6% |
1970 | 232,000 | +157.8% |
1980 | 1,016,000 | +337.9% |
1990 | 1,809,000 | +78.1% |
2000 | 3,033,000 | +67.7% |
2010 | 7,512,000 | +147.7% |
出展:国連 世界人口推計[22] |
UAEナショナル関連[編集]
外国人への厳しい管理体制と裏腹に、旧来のUAE国民とその子孫︵UAEナショナルと呼ばれる︶へは、手厚い支援体制がとられている。教育は無料で、所得税もなく、民間に比べて高給である公務員への登用が優先的になされる。このため、UAEナショナルの労働人口のかなりの部分が公務員によって占められている。国民同士が結婚すれば国営の結婚基金から祝い金が交付され、低所得者や寡婦などには住宅や給付金などの保障が手厚くなされる。これは国民への利益分配の面のほかに、全住民の8分の1に過ぎない連邦国民の増加策の面もある。 また、近年では若年層人口の増加により公務員の仕事を全ての希望する国民に割り振ることができなくなる可能性が指摘されており、政府は外国人によって占められている職場に対するUAE国民雇用義務を導入し、﹁労働力の自国民化﹂を目指している。しかし、厳しい競争に晒されてきた外国人に比べて、これまで保護されてきたUAEナショナルは高給だが能力に劣ることが多く、高福祉を頼みに厳しい仕事を嫌って無職のままでいる国民も多い。帰化関連[編集]
UAE政府はあくまでも、現時点におけるUAE国民とその子孫の増加を望んでいるため、旧来UAE国民以外の国籍取得は大変難しい。一般の長期在住者がUAEの国籍を取得する資格を得るには、30年以上の継続した国内在住を要する。 アラブ系国家出身であれば条件は緩和され、7年の継続居住で国籍取得申請ができ、兄弟国とも言えるカタール、バーレーン、オマーン出身者であれば3年の継続居住で国籍取得申請は可能である。また、帰化しても市民権にはいくつかの制約が設けられる。例えば、カタール、バーレーン、オマーン出身者を除く帰化市民には選挙権は与えられない[23]。ユダヤ人[編集]
2004年にアラブ世界で初めてとなるダイヤモンド取引所がUAE政府によって認可され、ダイヤモンドは歴史的にユダヤ人業者が得意としてきた産業として知られ、世界に散らばるユダヤ人の一部が、ドバイに移住する一つのきっかけになった[24]。言語[編集]
言語はアラビア語が公用語である。日常会話は湾岸方言となる。ただし、イギリスの植民地であったことと、外国人労働者が大半を占めるために、共通語として英語もよく用いられるほか、ペルシャ語、ヒンディー語、ウルドゥー語、マラヤーラム語やタガログ語なども広く使われている。宗教[編集]
経済[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c1/Dubai_night_skyline.jpg/240px-Dubai_night_skyline.jpg)
- アラブ首長国連邦の企業一覧
交通[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/98/Emirates_Boeing_777_fleet_at_Dubai_International_Airport_Wedelstaedt.jpg/240px-Emirates_Boeing_777_fleet_at_Dubai_International_Airport_Wedelstaedt.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ce/Metro_Dubai_002.jpg/240px-Metro_Dubai_002.jpg)
ドバイやアブダビ、シャールジャなどが古くから中東における交通の要衝として発達しており、この3都市は第二次世界大戦後の航空網の発達に併せて、特に1990年代以降においてその地位を高いものとしている。ドバイ国際空港及びアブダビ国際空港は中東のハブ空港としての地位にある。
また、近代的な高速道路がこれらの都市間を結んでいるほか、海運やヘリコプターによる地域内航空も盛んに行われている。ドバイでは2009年9月に日本企業による地下鉄であるドバイ・メトロが開通した。
空港[編集]
文化[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/be/Deira_Souk_on_9_May_2007_Pict_2.jpg/250px-Deira_Souk_on_9_May_2007_Pict_2.jpg)
アラブ諸国の中では寛容な文化政策を採っており、特にドバイなどでは各所のショッピングモールなどで各国のポップカルチャーや食文化を楽しむことができる。一方で、国民が圧倒的に少数という現状から、政府は伝統的な文化の保存・保護や国民意識の形成に力を入れている。
グルメ[編集]
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イスラム教の法で禁じられる豚肉は使用せず、羊肉や鶏肉がよく使われる。 料理 マチュブース(マクブース) フムス ケバブ
教育[編集]
スポーツ[編集]
サッカー[編集]
クリケット[編集]
クリケットはサッカーに次いで2番目に人気のスポーツとなっている[37]。ドバイにはクリケットの国際競技連盟である国際クリケット評議会の本部が所在する。2021年にはオマーンとの共催でICC T20ワールドカップが開催された。国内の代表的なクリケットスタジアムとして、アブダビのシェイク・ザイード・クリケットスタジアムやドバイのドバイ国際クリケットスタジアムが挙げられる。アラブ首長国連邦はクリケットパキスタン代表チームの事実上の本拠地として機能していたこともあり、トゥエンティ20方式のプロリーグであるパキスタン・スーパーリーグも同国で開催されていた。また、2020年には新型コロナウイルス感染症の影響により、世界最大のプロクリケットリーグであるインドのインディアン・プレミアリーグ︵IPL︶の試合を同国で開催していた。2023年には、トゥエンティ20方式のプロリーグであるインターナショナルリーグT20が開幕した。その他の競技[編集]
メディア[編集]
ドバイにはメディアのフリーゾーンである「ドバイ・メディア・シティ」(DMC)が建設されており、衛星テレビ局アル・アラビーヤの本部やBBCやCNNの支局などが開設されて、報道の一中心となっている。また、在来のドバイテレビやアブダビテレビもある。
著名な出身者[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ ただし、必ずしも民主化や人権問題と無縁ではない。“「アラブの春」 無縁ではないUAE”. 産経新聞. (2011年11月12日) 2011年12月1日閲覧。。
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
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- アラブ首長国連邦政府 (アラビア語)(英語)
- 日本政府
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- 日本外務省 - アラブ首長国連邦 (日本語)
- 在アラブ首長国連邦日本国大使館 (日本語)
- その他
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- JETRO - アラブ首長国連邦 (日本語)
- JCCME - アラブ首長国連邦 (日本語)
- 地図 - Google マップ