マーティ・ブラウン

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マーティ・ブラウン
Marty Brown
2009年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オクラホマ州コマンチ郡ロートン
生年月日 (1963-01-23) 1963年1月23日(61歳)
身長
体重
183 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手三塁手一塁手
プロ入り 1985年 MLBドラフト12巡目(全体292位)でシンシナティ・レッズから指名
初出場 MLB / 1988年9月4日 シカゴ・カブス
NPB / 1992年4月5日 読売ジャイアンツ
最終出場 MLB / 1990年5月30日 ミネソタ・ツインズ
NPB / 1994年6月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴

監督歴


Marty Leo Brown, 1963123 - 


[]

[]


1985MLB12292

1988

199035AAA

1991AAA

1992

1994

1996AAA退

退[]


1997MLB

2003AAA[1]

20043238193.552AAA322退[2]20042005

2006

[]


200854[3]

2009[4]104B退10102009[5]

[]


20107181[6]Baby-Brown[7]A2454929[8]1021

退[]


1130AAA[9]

2013AAA退

2014[10]

2015[11][ 1]

[]

2006[]


1-2[13]3154100[14]123031292使52007

2007[]


456調

14調調

123674調5調調退15

2008[]


FA4

4534

2009[]


MAZDA Zoom-Zoom 53[15]調5[16]退

2010[]


41調[17][18]1557.5

[]

5[]


152



2006422

5

2006714

10

2009329

93

200956

8113

2009614西

12223G.G.2



2010310

9西99

201067

101

[]


2006813

814[19][19]西1016

姿


退[]


12退[20]退14退

退場処分の詳細[編集]

退場処分になった事例
回数 日時 相手 球場 詳細 備考
1 2006年5月7日 中日 広島市民球場 3回表1死1塁の場面、荒木雅博の遊ゴロで併殺を狙い、一塁走者は封殺したものの荒木はきわどいタイミングでセーフの判定。これを不服としてマイク・ロマノが審判の真鍋勝己に暴言を吐いて退場処分を受けた。ブラウンはこれに抗議した後、一塁ベースをグラウンドから引っこ抜き、内野のフェアゾーンに放り投げた。これが侮辱行為と判断されて退場を宣告された。ブラウンはその後、退場を宣告した審判と観客に対し帽子を上げお辞儀した。 ブラウンの退場に関して責任審判の二塁審判・谷博は「抗議は冷静で紳士的なものだった。ロマノ投手をかばっていた。一塁ベースを投げていなければ、退場にはなっていなかった」と語っている。ブラウンは「なぜ(ロマノは)この程度で退場なんだ、退場になるというのはこういう事だ」ということをアピールするために行ったと後にコメントしており、抗議に行く際、ジェフ・リブジー広池浩司への投手交代を伝えていたことから、最初から退場となって士気を高めることを前提としていたとも言われている。
後日、この出来事をネタにしたTシャツが製作され、選手や首脳陣に配られた。[21]
2 2006年7月29日 横浜 6回裏1死1・3塁で打者倉義和の場面。倉は打球が足に当たった(自打球)と思い一塁に走らなかったが、審判はフェアと判定してダブルプレーとなる。
これに対しブラウンは17分間の抗議のあと、マウンドで「私を退場にしてくれ」とアピールし、抗議が規定の5分を越えたため退場処分を受けた。このあと、審判にお辞儀してベースの土を払い退場となった。
この時期は微妙な判定が多かったため、前述の抗議を込めたTシャツを着用した。
3 2006年8月23日 阪神 5回表に球審の友寄正人の度重なる微妙な判定に激怒し矢野輝弘に四球を与えた直後に内野陣をマウンドに集めたあと、友寄に猛抗議した。
その後ブラウンは戻りかけるが、友寄が呼び止めて言い返す。[要出典]1分程度の抗議だったが友寄は遅延行為、および審判への暴言により退場を宣告した。
監督の1シーズン3回の退場は史上初で、舞台はいずれも本拠地の広島市民球場であった。
4 2007年4月10日 巨人 8回表2死2塁の場面で梅津智弘古城茂幸に対して投げたストライクゾーンギリギリの2球をともにボールと判定された。グラウンドに出て、不満をあらわにする選手をマウンド上で落ち着かせた後、球審の深谷篤に猛抗議した。
ブラウンは自らの足でホームベースを埋め、その上に帽子を叩きつけた。この際に暴言を吐いたとして退場処分となる。
これにより2007年度のセ・リーグ退場第1号となったが、このとき勝手に自分から退場していったため、審判が退場のジェスチャーをするタイミングを測れず退場のジェスチャーがなかった。
5 2007年8月22日 横浜 8回裏2死1・2塁の場面、東出輝裕の放った打球を村田修一が処理し損なった直後に打球が2塁走者の倉義和に当たり、村田のすぐ後ろにいた石井琢朗の守備機会を妨害したとして倉にアウトが宣告された。
これに対しブラウンは審判団に執拗に抗議、規定の5分を超えても抗議を続けたため退場となった。
6 2008年4月26日 横浜 横浜スタジアム 7回に前田智徳のバントを空振りとする判定をめぐって球審の谷博に暴言を吐き、ビジターでは初の退場処分を受けた。ブラウンはその際、ホームベースを土で覆い帽子をグラウンドに投げつけた。
チームは直後に先制点を挙げ、1点差で勝利した。
7 2009年4月7日 阪神 阪神甲子園球場 1回表に天谷宗一郎の本塁クロスプレーをアウトと判定した球審の吉本文弘に暴言を吐いたとして退場となった。試合開始7分、1回表2死での監督の退場はNPB史上最短だった。 試合は7回表終了時に広島が10-4と大きくリードしていたが
最終的にサヨナラ負けを喫し、ブラウンが「退場した試合は全て勝つ」というジンクスが崩れた。
8 2009年8月27日 ヤクルト MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 7回裏にスコット・マクレーンが球審・牧田匡平の空振り判定に抗議し、マクレーンは打席の途中で退場処分を受けた。
これに対してブラウンも抗議し、牧田に暴言を吐いたため退場となった。その際にホームベースの近くに自分の付けていた靴と帽子を置いていった。チームはその直後に逆転に成功して勝利した。
監督としての退場処分は8回目で、
藤本定義の7回を抜いてプロ野球史上単独最多となった[22]
9 2010年4月3日 ソフトバンク クリネックススタジアム宮城 2回裏に本塁に突入したトッド・リンデンに球審の栄村隆康がアウトの判定を下したことに抗議し、退場処分を受けた。その後にホームベースに砂をかけ隠し、帽子を脱いで叩きつけるなど侮辱行為を行った。
チームは6-10で敗れた。
楽天の監督に就任してからは初の退場となった。
10 2010年5月9日 日本ハム 函館オーシャンスタジアム 5回裏に森本稀哲の本塁突入がセーフと判定されたことに対し球審の橋本信治に抗議し、暴言を吐いたとして退場処分を受けた。
チームはこのプレーにより1点リードを奪われ、その後同点に追いついたものの敗れた。
ブラウンは5月11日、コミッショナーより厳重注意と制裁金5万円が課せられた。
11 2010年7月2日 日本ハム クリネックススタジアム宮城 同点で迎えた5回裏の1死2塁から鉄平の二塁打で本塁を狙った嶋基宏が本塁アウトとなる。
この判定を不服として球審の橋本信治に抗議し退場となった。ブラウンは自ら退場宣告のジェスチャーを受ける前に、逆に球審に退場宣告のジェスチャーを数度見舞うなどの侮辱行為を行った。この後もホームベースに砂をかけ隠した。
チームは8回に得点し勝利した。
12 2010年9月23日 西武 西武ドーム 6回裏2死1・2塁から平尾博嗣の遊撃ゴロによる二塁フォースプレーで送球を受けた枡田慎太郎の足がベースから離れたとして
セーフの判定を下した塁審の秋村謙宏に抗議し、暴言でシーズン4回目となる退場処分を受けた。
この試合は4-3で楽天が勝っている。
退場宣告を受けた直後に二塁ベースを投げようとしたが固定されていたため、
結局ベースを引き抜くことができずに退場した。[23]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1988 CIN 10 17 16 0 3 1 0 0 4 2 0 1 0 0 1 0 0 2 0 .188 .235 .250 .485
1989 16 35 30 2 5 1 0 0 6 4 0 0 0 1 4 0 0 9 0 .167 .257 .200 .457
1990 BAL 9 16 15 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 7 1 .200 .250 .200 .450
1992 広島 109 427 386 37 90 22 1 19 171 68 2 2 0 0 38 1 3 93 4 .233 .307 .443 .750
1993 120 465 428 60 118 21 2 27 224 83 1 3 1 3 30 3 3 106 13 .276 .325 .523 .849
1994 28 113 104 11 27 4 1 4 45 14 1 2 0 1 7 0 1 19 6 .260 .310 .433 .742
MLB:3年 35 68 61 3 11 2 0 0 13 6 0 1 0 1 6 0 0 18 1 .180 .250 .213 .463
NPB:3年 257 1005 918 108 235 47 4 50 440 165 4 7 1 4 75 4 7 218 23 .256 .316 .479 .795

年度別監督成績[編集]




























2006年 広島 5位 146 62 79 5 .440 25.0 127 .266 3.96 43歳
2007年 5位 144 60 82 2 .423 19.5 132 .263 4.22 44歳
2008年 4位 144 69 70 5 .496 14.0 100 .271 3.78 45歳
2009年 5位 144 65 75 4 .464 27.0 101 .245 3.59 46歳
2010年 楽天 6位 144 62 79 3 .440 15.0 95 .265 3.98 47歳
通算:5年 719 318 382 19 .454 Aクラス0回 Bクラス5回

※ 2008年、実母の葬儀参列で帰国したため欠場した8月19日から21日までの3試合(0勝3敗)は通算成績に含まず

表彰[編集]

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 43 (1992年 - 1994年)
  • 71 (2006年 - 2009年)
  • 81 (2010年)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同人が育った同州は寒冷地であるため一年を通じて練習をする選手が少ないと同人が感じた[12]。そのため、気候に左右されず技術を磨く機会を与えられるよう暖房設備がある屋内練習場を設けた[12]

出典[編集]



(一)^ 19952008

(二)^ 退 -  2007411

(三)^ 2006

(四)^ 退 OB -  2009105

(五)^ [1]

(六)^ 2009127P104

(七)^ [2]

(八)^  -  2010929

(九)^ ! -  2010121

(十)^   -  2014413

(11)^ MLBNHK-BS2017812

(12)^ ab 4545320201228161520201228

(13)^ 

(14)^ 

(15)^   -  20091012

(16)^ CS -  2009105

(17)^  10 3

(18)^   40600

(19)^ ab .   (2006815). 200612202022423

(20)^ 退2.   online (2022514). 2022624

(21)^  (201698). T. https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/159172 

(22)^ 退!8712009828

(23)^ 西...! 923 西

関連項目[編集]

外部リンク[編集]