三条公輝
三条 公輝 さんじょう きんてる | |
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公爵・三条公輝 | |
生年月日 | 1882年12月2日 |
出生地 | 日本東京府東京市 |
没年月日 | 1945年11月10日(62歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学政治科 |
称号 | 男爵→公爵 |
親族 |
父・三条実美(内大臣) 叔父・河鰭実文(貴族院議員) 伯父・菊亭脩季(貴族院議員) 岳父・正親町実正(貴族院議員) 兄・三条公美(貴族院議員) 義兄・毛利元昭(貴族院議員) 義兄・高倉篤麿(貴族院議員) 従兄・徳大寺実則(内大臣) 従兄・西園寺公望(内閣総理大臣) 従弟・菊亭公長(貴族院議員) |
選挙区 | (公爵議員) |
在任期間 | 1924年6月16日 - 1945年11月10日 |
三条 公輝︵さんじょう きんてる、明治15年︵1882年︶12月2日 - 昭和20年︵1945年︶11月10日︶は、明治から昭和戦前期にかけての華族、貴族院議員。公爵。東京帝国大学法科大学政治科卒業[1]。
経歴[編集]
三条実美の三男。母は鷹司輔煕の九女・治子。1892年︵明治25年︶に分家、男爵に叙爵。 しかし、実美の遺産は僅かで本家ともども窮乏。三条家に恩義がある尾崎三良が見かねて山縣有朋に掛け合い、宮内省から思召しとして1万円の公債を得ている[2]。 1924年︵大正13年︶、甥・三条実憲︵1902-1924︶の急逝を受けて三条家の家督を相続し、公爵となる。貞明皇后と香淳皇后に仕え、宮内省皇后宮主事、皇太后宮事務官を歴任し、1933年︵昭和8年︶に掌典長に就任し、のち御所歌長を兼ねた。貴族院議員としては、1924年︵大正13年︶6月16日より[3]、1945年︵昭和20年︶62歳で没するまでその籍にあった[4]。栄典[編集]
●1892年︵明治25年︶2月19日 - 男爵[5] 位階 ●1902年︵明治35年︶12月20日 - 従五位[6] ●1915年︵大正4年︶12月28日 - 従四位[7] 勲章等 ●1940年︵昭和15年︶8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[8]子女[編集]
妻は多栄子︵毛利元敏の娘︶ 後妻は静子︵正親町実正の娘︶。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 日本人名大辞典(講談社)
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
関連項目[編集]
日本の爵位 | ||
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先代 三条実憲 |
公爵 三条家第4代 1924年 - 1945年 |
次代 三条実春 |
先代 叙爵 |
男爵 三条家(分家)初代 1892年 - 1924年 |
次代 廃家 |