中川浩一
表示
中川 浩一︵なかがわ こういち、1931年7月17日 - 2008年8月19日︶は、日本の地理学者、茨城大学名誉教授。専門は交通地理学、産業考古学。夏目漱石や森鷗外の研究者でもある。鉄道ファンとしても知られ、鉄道ピクトリアルの編集委員を務めていた。東京市出身。中川元は父方祖父[1]。
卒業論文・修士論文の指導は尾留川正平から受け、結婚式の仲人も尾留川が務めた[2]。
略歴[編集]
●1950年 - 東京都立西高等学校卒業 ●1954年 - 東京教育大学理学部地理学専攻卒業、東京都渋谷区立代々木中学校教諭 ●1957年 - 東京教育大学理学研究科修士課程修了、茨城県立水戸第一高等学校教諭 ●1958年 - 東京教育大学附属中学校・高等学校︵現在の筑波大学附属中学校・高等学校︶教官 ●1961年 - 東京教育大学講師︵併任︶ ●1974年 - 茨城大学教育学部助教授 ●1982年 - 茨城大学教育学部教授 ●1997年 - 茨城大学定年退官、流通経済大学経済学部教授、茨城大学名誉教授 ●2002年 - 流通経済大学定年退職。 ●2008年8月19日 - 神奈川県相模原市内の病院において死去。享年77。鉄道研究会顧問[編集]
●茨城大学で教鞭をとっていた1981年6月16日には、茨城大学人文学部社会科学科教授の小林三衛と共に、茨城大学鉄道研究会の顧問に就任している。1997年から2002年までの間は、流通経済大学鉄道研究会の顧問を務めた。 ●1990年4月1日には、茨城大学鉄道研究会OB会の名誉顧問に就任。交通、鉄道、旅行、産業考古学に関する著作[編集]
著書[編集]
●﹁旅の文化誌-ガイドブックと時刻表と旅行者たち﹂︵1979年、伝統と現代社︶ ●﹁茨城県鉄道発達史﹂上・下︵1980年、筑波書林︶ ●﹁茨城県鉄道発達史﹂合本︵1980年、筑波書林︶ ●﹁茨城の民営鉄道史﹂上・中・下︵1980年、筑波書林︶ ●﹁茨城の民営鉄道史﹂合本︵1980年、筑波書林︶ ●﹁茨城県鉄道余話﹂上・下︵1981年、筑波書林︶ ●﹁鉄道記念物の旅﹂︵1982年、クオリ︶ ●﹁保存蒸気機関車と鉄道博物館﹂︵1982年、クオリ︶ ●﹁地下鉄の文化史﹂︵1984年、筑摩書房︶ ●﹁地下鉄物語﹂︵1985年、ジャルパック・センター︶ ●﹁観光の文化史﹂︵1985年、筑摩書房︶ ●﹁茨城県水力発電誌﹂上・下︵1985年、筑波書林︶ ●﹁水戸の電気のルーツをたずねて﹂︵1985年、東京電力水戸営業所︶ ●﹁バスの文化史﹂︵1986年、筑摩書房︶ ●﹁絵はがきの旅・歴史の旅﹂︵1990年、原書房︶ ●﹁RM LIBRARY63 茨城交通水浜線﹂ ︵2004年、ネコ・パブリッシング︶編著[編集]
●﹁点と線のヨーロッパ﹂︵1969年、古今書院︶ ●﹁産業遺跡を歩く-北関東の産業考古学﹂︵1978年、産業技術センター → クオリ︶ ●﹁近代アジア・アフリカ都市地図集成﹂︵1996年、柏書房︶共著[編集]
●﹁軽便王国雨宮﹂︵1972年、丹沢新社︶ ●﹁RM LIBRARY106 鹿島鉄道-鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線-﹂︵2008年、ネコ・パブリッシング︶共編著[編集]
●﹁日本の客車-写真で見る客車の90年﹂︵1962年、鉄道図書刊行会︶ ●﹁復刻版 日本の客車-写真で見る客車の90年﹂﹁︵限定付録︶日本の客車 落穂集﹂︵2010年、鉄道図書刊行会︶ ●﹁日本の内燃車両﹂︵1972年、鉄道図書刊行会︶ ●﹁写真集山手線﹂︵1980年、立風書房︶ ●﹁日本の産業遺産 300選﹂2︵1993年、同文館︶ ●﹁日本の産業遺産 300選﹂3︵1993年、同文館︶社史の監修および執筆[編集]
●﹁京浜急行八十年史﹂︵1980年、京浜急行電鉄︶ ●﹁京浜急行電鉄史資料所在目録﹂︵1981年6月、京浜急行電鉄︶の解題のうち﹁東京貿易新報﹂﹁旅﹂分担執筆[編集]
●﹁日本の鉄道﹂︵1964年、交通博物館︶のうち﹁私設鉄道﹂ ●﹁交通地理学﹂︵1968年、大明堂︶のうち﹁地理教育における交通﹂﹁大都市の交通問題﹂ ●﹁軽便の記録﹂︵1974年、丹沢新社︶のうち﹁軽便鉄道ノート﹂ ●﹁茨城の科学史﹂︵1978年、常陸書房︶のうち﹁日清製粉と山の工場﹂﹁石岡第一発電所と鉱山事業﹂﹁サクションガスと茨城電気﹂﹁日立鉱山電気鉄道﹂﹁川蒸気と通運丸﹂﹁水戸鉄道の記念碑﹂﹁那珂湊の運河・万右衛門川﹂﹁横利根の閘門と水運﹂﹁竹内権兵衛と茨城交通﹂ ●﹁すてきな旅・北欧﹂︵1979年、世界文化社︶のうち﹁山岳美を満喫するベルゲン鉄道﹂ ●﹁横浜フランス物語﹂︵1979年、産業技術センター︶のうち﹁フランス産業遺跡﹂ ●﹁Travel Agent Manual 1980﹂︵1980年、森岩トラベル・エンタープライズ︶のうち﹁世界のガイドブック﹂ ●﹁海外旅行事典﹂︵1981年、アルク︶のうち﹁旅の参考書﹂ ●﹁東京の国電﹂︵1981年、ジェー・アール・アール︶のうち﹁東京の国電-消えた線区﹂ ●﹁地下鉄ガイド﹂︵1982年、ジェー・アール・アール︶のうち﹁地下鉄とは何か﹂ ●﹁霞ヶ浦-自然・歴史・社会﹂︵1984年、古今書院︶のうち﹁霞ヶ浦水域における定期船運航史﹂ ●﹁続茨城の科学史﹂︵1985年、常陸書房︶のうち﹁日立鉱山の架空索道﹂﹁ガソリン代用の木炭ガス﹂﹁交流・直流の車上切り替﹂﹁霞ヶ浦の女王さつき丸﹂﹁八溝山麓の水車﹂﹁初期の発電用水車﹂﹁電化は鉱山から﹂﹁喜寿を迎えた中里発電所﹂﹁太田の七人組と里川発電所﹂﹁水資源の有効活用﹂﹁電 力のフォッサ・マグナ﹂﹁日立火力発電所﹂﹁日本最初のガス力発電﹂ ●﹁日本の水車﹂︵1985年、ダイヤモンド社︶のうち﹁現代の水車、筑波・多賀の山麓﹂ ●﹁北海道地方・新日本地誌ゼミナール﹂︵1985年、大明堂︶のうち﹁交通の変遷﹂ ●﹁地域をめぐる自然と人間との接点﹂︵1985年、網井淳志郎先生退官記念論文集出版事業会︶のうち﹁伊東水力電気の成立と展開﹂ ●﹁オリエント急行﹂︵1985年、教育社︶のうち﹁路線の変遷﹂ ●﹁小田急・車両と駅の60年﹂︵1987年、大正出版︶のうち﹁豆電車とモノレール﹂ ●﹁箱根の鉄道 100年﹂︵1988年、大正出版︶のうち﹁水力発電と箱根の電車﹂ ●﹁水戸の近代 100年﹂︵1990年、茨城新聞社︶のうち﹁水戸をめぐる鉄道開業の経緯﹂﹁水戸の電力史﹂ ●﹁東京駅と辰野金吾﹂︵1990年、東日本旅客鉄道︶のうち﹁新橋万世橋-ドイツ人技師ルムシュッテル﹂ ●﹁民営鉄道の歴史と文化 東日本編﹂︵1992年、古今書院︶のうち﹁京王帝都電鉄-その成立と多角経営の変遷﹂ ●﹁技術の文化史﹂︵1993年、アグネ︶のうち﹁輸入鉄道トラス橋の系譜﹂ ●﹁多摩の鉄道百年﹂︵1993年、日本経済評論社︶のうち﹁郊外電車の発展﹂﹁高度経済成長と鉄道の役割﹂﹁ケーブルカー﹂﹁基地と鉄道﹂﹁小河内ダムと鉄道﹂﹁失われた五日市線﹂ ●﹁水戸市史・下巻︵一︶﹂︵1993年、水戸市︶のうち﹁常磐線の開通と交通網の発展﹂ ●﹁鉄の橋百選﹂︵1994年、東京堂出版︶のうち﹁東武鉄道大谷川橋梁﹂﹁伊達橋﹂﹁第一松木川橋梁﹂﹁古河橋﹂﹁石ヶ瀬川橋梁﹂﹁近江鉄道愛知川橋梁﹂﹁南海電気鉄道紀の川橋梁﹂﹁第二渡良瀬川橋梁﹂ ●﹁水戸市史・下巻︵二︶﹂︵1995年、水戸市︶のうち﹁水浜電車・茨城鉄道の建設と水郡線の拡充﹂﹁自動車交通の発展﹂ ●﹁特別展 水戸駅-開業から百十年-﹂図録︵1999年10月、水戸市立博物館︶のうち﹁水戸にゆかりの明治のSL﹂ ●﹁特別展 激動の昭和鉄道史 時代を走り抜けた軌跡を追って﹂図録︵2008年、水戸市立博物館︶のうち﹁﹁はつかり﹂登場以前-幻の﹁超特急﹂から準急﹁ときわ﹂まで﹂座談会記録[編集]
●﹁道と文化﹂︵1986年、日本経済評論社︶のうち﹁鉄道と文化現象﹂ ●﹁水戸の近代100年﹂︵1990年、茨城新聞社︶のうち﹁近代の意味するもの﹂講演記録[編集]
●﹁伝統と未来﹂︵1991年、八戸市教育委員会︶のうち﹁絵はがきの歴史から文化をみる﹂交通、鉄道、旅行、産業考古学に関する雑誌投稿[編集]
もはゆに[編集]
もはゆには、東京鉄道同好会の会誌。第1号から第16号までは別冊。第17号以降はRomanceCarの一コーナーとして収録。 ●第5号︵1948年8月︶﹁五日市線に乗る﹂ClubCar[編集]
ClubCarは、関西鉄道同好会の会報。 ●第33号︵1949年7月︶﹁西遊日記﹂ ●第35号︵1949年9月︶﹁続西遊日記﹂RomanceCar[編集]
RomanceCarは、東京鉄道同好会︵1953年に鉄道友の会に吸収︶の会誌。 ●第14号︵1951年1月︶もはゆに22<ニュース欄>﹁岳南鉄道・富士電車区・駿豆鉄道訪問記﹂﹁西武のおとぎ電車と安比奈砂利ホッパー等﹂﹁武蔵野スクラッブ﹂ ●第15号&第16号︵1951年8月︶もはゆに23<ニュース欄>﹁川越近郊を探る﹂﹁駿河紀行﹂﹁武蔵野スクラッブ2﹂ ●第17号︵1951年11月︶もはゆに24<ニュース欄>﹁西武キハ111形探究記﹂ ●第18号︵1951年12月︶﹁鹿島参宮鉄道探訪﹂﹁信濃路より東北の旅へ﹂もはゆに25<ニュース欄>﹁奥多摩ニュース﹂ ●第19号︵1952年4月︶﹁武蔵野スクラップ3﹂﹁相模鉄道の改番と国電譲受車﹂﹁訂正と補足﹂﹁鉄道日記抄﹂ ●第20号︵1952年6月︶﹁房総半島をめぐって﹂﹁武蔵野スクラップ4﹂﹁常陸の電車﹂ ●第21号&第22号︵1952年12月︶﹁再び房総をめぐって﹂ ●第23号︵1953年2月︶﹁みちのくへ1﹂ ●第24号︵1953年5月︶﹁みちのくへ2﹂﹁沼尻鉄道B71をめぐって﹂もはゆに30<ニュース欄>﹁R.C.No.21・22を読んで﹂ ●別冊1︵1953年8月︶﹁奥羽路をゆく-青森から鶴岡まで﹂﹁小名浜臨港鉄道探訪﹂︵共著︶機関車[編集]
機関車は、金田茂が主宰した﹁“機関車”刊行会﹂の会誌。大阪府工業奨励館にその事務局があった。 ●第7号︵2-1号︶︵1951年8月︶相模鐵道の車輌に関する訂正‥中川の指摘を受けて編集部が訂正RAILFAN[編集]
RAILFANは、鉄道友の会の会報。第1号は1954年︵昭和29年︶1月発行。 ●別冊1︵1954年8月︶気動車物語 私鉄編1 ●第10号︵1954年10月︶営業復活の魚沼線を訪ねて ●第11号︵1954年11月︶日帰りの甲府行き ●第12号︵1954年12月︶﹁もはゆに﹂幽霊弥彦線を歩く ●第14号︵1955年2月︶初詣成田山 ●第16号︵1955年4月︶早春の水戸行 ●第19号︵1955年7月︶日立の電気機関車 ●別冊2︵1955年9月︶気動車物語 私鉄編2 ●第27号︵1956年3月︶蒸気動車について ●第28号︵1956年4月︶蒸気動車について補足 ●第29号︵1956年5月︶蒸気動車物語 ●第30号︵1956年6月︶蒸気動車物語 ●別冊3︵1956年9月︶気動車物語 私鉄編3 ●第34号︵1956年10月︶信州から岩代へ ●第34号︵1956年10月︶﹁もはゆに﹂野村薫・三宅恒雄両氏へ ●第47号︵1957年11月︶いばらき短信1 ●第52号︵1958年4月︶いばらき短信 ●第52号︵1958年4月︶九州旅行のスナップから ●第95号︵1961年11月︶房総レポート ●第137号︵1965年5月︶ゲテモノ探訪記1鞍馬鋼索鉄道の巻 ●第139号︵1965年7月︶ゲテモノ探訪記2近畿日本鉄道生駒鋼索鉄道の巻 ●第141号︵1965年9月︶ゲテモノ探訪記3近畿日本鉄道生駒山雲上リフトの巻 ●第142号︵1965年10月︶新幹線開通1周年に当たって アンケート ●第143号︵1965年11月︶ゲテモノ探訪記4 [続]吉野大峰ケーブル自動車架空索道の巻 ●第145号︵1966年1月︶ゲテモノ探訪記5生きていたEとK ●第147号︵1966年3月︶ゲテモノ探訪記6大井川鉄道井川線︵前︶ ●第149号︵1966年5月︶ゲテモノ探訪記7大井川鉄道井川線︵後︶ ●第151号︵1966年7月︶ゲテモノ探訪記8 “加藤”は単数ではない ●第154号︵1966年10月︶ゲテモノ探訪記9徳島市営眉山ロープウェイ︵前︶ ●第156号︵1966年12月︶ゲテモノ探訪記10徳島市営眉山ロープウェイ︵後︶ ●第161号︵1967年5月︶ゲテモノ探訪記11立山開発鉄道鋼索線 前 ●第162号︵1967年6月︶ゲテモノ探訪記12立山開発鉄道鋼索線 後 ●第168号︵1967年12月︶ゲテモノ探訪記13能勢電気軌道鋼索線・索道線 ●第175号︵1968年7月︶ゲテモノ探訪記14関西電力黒部鉄道 ●第201号︵1970年9月︶保存蒸機をたずねて18静岡鉄道B15 ●第203号︵1970年11月︶ブルーリボン賞授賞式と試乗会 大阪JRCリポート集1︵1957年8月発行︶[編集]
鉄道友の会車両調査部客貨車気動車グループの部会で配付された資料を取りまとめたもの。 ●最初の山陽特急客車について ●J.G.Brill会社製三軸ボギー台車の鉄道院基本型に就いて ●電車型客車と客車型電車 ●私鉄の省型客車 ●関東大震災の災害客車と其の復旧に就いて-特に変形大型ボギー車と其の由来について-鉄道ピクトリアル[編集]
鉄道ピクトリアルは、電気車研究会が発行する月刊鉄道趣味雑誌。1951年︵昭和26年︶7月創刊。 ●第25号︵1953年8月︶南武線-買収国電を探る6 ●第31号︵1954年2月︶字部・小野田線-買収国電を探る11︵共著︶ ●第37号︵1954年8月︶常磐紀行 ●第38号︵1954年9月︶常磐紀行(続) ●第44号︵1955年3月︶ケーブルカー物語1 ●第45号︵1955年4月︶花園列車 ●第45号︵1955年4月︶ケーブルカー物語2 ●第46号︵1955年5月︶ケープルカー物語3 ●第50号︵1955年9月︶関東大震災を受けた(客車︶たち ●第105号︵1960年4月︶私鉄気動車に関する12章-その発達史的考察 ●第115号︵1961年2月︶多彩をきわめた気動車群 特集;東武鉄道 ●第118号︵1961年5月︶五日市線の想いで ●第120号︵1961年7月︶電車化された常磐線を見る ●第124号︵1961年11月︶身延線と山梨交通をみる ●第127号︵1962年2月︶﹁日本の客車﹂落穂集1木製客車の再吟味 ●第127号︵1962年2月︶﹁日本の客車﹂編集に参画して ●第128号︵1962年3月︶セミナー﹁車両調査﹂-この一文を故田島貞次氏に捧げる ●第129号︵1962年3月︶﹁日本の客車﹂落穂集2地方鉄道のボギー客車の究明 ●第130号︵1962年4月︶﹁日本の客車﹂落穂集3地方鉄道のボギー客車の究明 ●第131号︵1962年5月︶私設鉄道のC11、C12︵共著︶ ●第131号︵1962年5月︶﹁日本の客車﹂落穂集4 70系3等客車とその製造事情 ●第132号︵1962年6月︶ローカル線DCの種々相 ●第132号︵1962年6月︶変り種のDCを追って ●第134号︵1962年8月︶新潟電化を現地にみる ●第136号︵1962年9月︶ロープウェイ物語 ●第137号︵1962年10月︶特別急行列車50年概史 明治・大正時代の特急列車 ●第137号︵1962年10月︶水戸電気鉄道︵失われた鉄道・軌道を訪ねて2︶ ●第138号︵1962年11月︶続 ロープウェイ物語 ●第139号︵1962年12月︶私設鉄道などにおけるディーゼル機関車の発達 ●第140号︵1963年1月︶失われた鉄道・軌道を調べるには︵失われた鉄迫・軌道を訪ねて5︶ ●第141号︵1963年2月︶付記 静岡電気鉄道時代の電車について ●第143号︵1963年4月︶鉄道記念碑めぐり6 “雨宮敬次郎”記念碑 ●第144号︵1963年5月︶1年後の伊豆急行 ●第147号︵1963年7月︶私鉄特急ロマンスカーの歩み ●第148号︵1963年8月︶鉄道記念碑めぐり10碓日嶺鉄道碑 ●第151号︵1963年11月︶続 私鉄特急ロマンスカーの歩み ●第153号︵1964年1月︶鉄道動力考 ●第154号︵1964年2月︶釜石線とD50 ●第155号︵1964年3月︶常総筑波鉄道1︵私鉄車両めぐり62︶︵共著︶ ●第157号︵1964年5月︶常総筑波鉄道2︵私鉄車両めぐり62︶︵共著︶ ●第158号︵1964年6月︶常総筑波鉄道3︵私鉄車両めぐり62︶︵共著︶ ●第159号︵1964年7月︶ケーブルカー物語 続 ●第159号︵1964年7月︶常総筑波鉄道︵私鉄車両めぐり︶ ●第160号︵1964年7月︶茨城交通・水浜線 ●第160号︵1964年7月︶丸山車両覚書 ●第161号︵1964年8月︶内地の私鉄に譲渡された満鉄の客車 ●第162号︵1964年10月︶新幹線通し試運転に乗る ●第166号︵1965年1月︶私鉄高速電車発達史(1)-第3部-終戦から現在まで ●第167号︵1965年2月︶私鉄高速電車発達史(2) ●第168号︵1965年3月︶私鉄高速電車発達史(3) ●第169号︵1965年4月︶私鉄高速電車発達史(4) ●第170号︵1965年5月︶私鉄高速電車発達史(5) ●第171号︵1965年6月︶私鉄高速電車発達史(6) ●第172号︵1965年7月︶私鉄高速電車発達史(7) ●第174号︵1965年8月︶東京台空襲と省線電車-私の備忘メモから- ●第175号︵1965年9月︶私鉄高速電車発達史(8) ●第176号︵1965年10月︶日本電力時代の黒部鉄道 ●第176号︵1965年10月︶復活した大山ケーブルカーに乗る ●第177号︵1965年11月︶国鉄型機械式ガソリン動車変遷史 ●第179号︵1966年1月︶私鉄高速電車発達史(9) ●第180号︵1966年2月︶私鉄高速電車発達史(10) ●第181号︵1966年3月︶両国駅断想 ●第181号︵1966年3月︶成田への鉄路をめぐって︵上︶ ●第182号︵1966年4月︶長野電鉄OSカーを見る ●第185号︵1966年7月︶鉄道ピクトリアル創刊15周年記念懸賞論文入選発表 ●第185号︵1966年7月︶私鉄高速電車発達史(11) ●第187号︵1966年8月︶建設面からみた樺太鉄道の40年 ●第188号︵1966年9月︶私鉄高速電車発達史(12) ●第190号︵1966年11月︶四国の私鉄の80年 ●第192号︵1967年1月︶私鉄高速電車発達史(13) ●第194号︵1967年3月︶私鉄高速電車発達史(14) ●第196号︵1967年5月︶運輸部門からみた樺太鉄道の40年 ●第197号︵1967年6月︶台湾鉄路寸見 ●第198号︵1967年7月︶私鉄高速電車発達史(15) ●第201号︵1967年9月︶︽清水ずい道開通前史︾上越軽便線の記録 ●第207号︵1968年3月︶私鉄高速電車発達史(16) ●第207号︵1968年3月︶ヨーロッパのマイカー輸送作戦 ●第209号︵1968年5月︶私鉄高速電車発達史(17) ●第211号︵1968年7月︶私鉄高速電車発達史(18) ●第211号︵1968年7月︶富山地方鉄道ノート ●第213号︵1968年8月︶私鉄高速電車発達史(19) ●第213号︵1968年8月︶富山電気鉄道所属車ノート ●第214号︵1968年9月︶書評﹁資料・日本の私鉄﹂和久田康雄著 ●第214号︵1968年9月︶北陸における民営鉄道の系譜 ●第214号︵1968年9月︶資料 北陸の“失われた鉄道・軌道”一覧 ●第218号︵1968年12月︶私鉄高速電車発達史(20) ●第218号︵1968年12月︶北陸鉄道ノート(3) ●第219号︵1969年1月︶近畿日本鉄道系譜 ●第220号︵1969年2月︶赤字線を考える ●第221号︵1969年3月︶私鉄高速電車発達史(21) ●第222号︵1969年4月︶商用周波数交流電化発祥地ヘレンタール線 ●第224号︵1969年5月︶私鉄高速電車発達史(22) ●第225号︵1969年6月︶九州地方における民営鉄道の系譜︵上︶ ●第226号︵1969年7月︶九州地方における民営鉄道の系譜︵下︶ ●第227号︵1969年8月︶韓国における鉄道網の形成過程 ●第230号︵1969年11月︶西武鉄道の系譜 ●第234号︵1970年2月︶西武鉄道の蒸気機関車 ●第235号︵1970年3月︶京阪神急行電鉄の系譜 ●第236号︵1970年4月︶日本におけるモノレールの沿革 ●第237号︵1970年5月︶日本における蒸気機関車保存の沿革 ●第238号︵1970年6月︶私鉄高速電車発達史(23) ●第240号︵1970年8月︶私鉄高速電車発達史(24) ●第241号︵1970年9月︶私鉄高速電車発達史(25) ●第244号︵1970年11月︶ボルネオ・サバ州営鉄道をみる ●第244号︵1970年11月︶私鉄高速電車発達史(27) ●第245号︵1970年12月︶私鉄高速電車発達史(28) ●第245号︵1970年12月︶クワイ川橋りょうを見る ●第246号︵1971年1月︶名古屋鉄道の系譜 ●第247号︵1971年2月︶私鉄高速電車発達史(29) ●第248号︵1971年3月︶私鉄高速電車発達史(30) ●第250号︵1971年5月︶書評﹁RAIL FAN別冊 鉄道研究﹂鉄道友の会 ●第250号︵1971年5月︶私鉄高速電車発達史(31) ●第253号︵1971年7月︶私鉄高速電車発達史(31) ●第254号︵1971年8月︶私鉄高速電車発達史(32) ●第255号︵1971年9月︶書評﹁私鉄ガイドブックシリーズ6﹂慶應大学鉄研編 ●第255号︵1971年9月︶私鉄高速電車発達史(33) ●第256号︵1971年10月︶日本における蒸気動車の沿革 ●第257号︵1971年11月︶私鉄高速電車発達史(34) ●第258号︵1971年12月︶大都市圏における通勤路線の特性 ●第261号︵1972年2月︶私鉄高速電車発達史(35) ●第264号︵1972年4月︶私鉄高速電車発達史(36) ●第266号︵1972年6月︶私鉄高速電車発達史(37) ●第267号︵1972年7月︶私鉄高速電車発達史(38) ●第268号︵1972年8月︶私鉄高速電車発達史(39) ●第269号︵1972年9月︶東京急行電鉄の系譜 ●第273号︵1972年12月︶東シベリアの鉄道を見る ●第274号︵1973年1月︶変身した開発鉄道 日本の黒部・台湾は阿里山 ●第274号︵1973年1月︶お召し列車100年 ●第275号︵1973年2月︶日本列島改造論と国有鉄道 ●第276号︵1973年3月︶京成電鉄の系譜 ●第278号︵1973年5月︶京王帝都電鉄の系譜 ●第280号︵1973年7月︶中央線快速電車への道 ●第287号︵1973年12月︶貨主客従の横顔ー貨物に賭ける中小私鉄 ●第294号︵1974年6月︶悲願は潰えた公共企業体 ●第296号︵1974年8月︶戦争と鉄道(上) ●第297号︵1974年9月︶戦争と鉄道(中) ●第298号︵1974年10月︶戦争と鉄道(下) ●第299号︵1974年11月︶"TOY"Railway後日談 ●第301号︵1975年1月︶戦争と鉄道-日本編(1)- ●第302号︵1975年2月︶戦争と鉄道-日本編(2)- ●第306号︵1975年5月︶戦争と鉄道-日本編(3)- ●第307号︵1975年6月︶戦争と鉄道-日本編(4)- ●第308号︵1975年7月︶戦争と鉄道-日本編(5)- ●第311号︵1975年10月︶戦争と鉄道-日本編(6)- ●第312号︵1975年11月︶戦争と鉄道-日本編(7)- ●第314号︵1975年12月︶戦争と鉄道-日本編(8)- ●第320号︵1976年5月︶相模鉄道の系譜 ●第321号︵1976年6月︶3等寝台車の設計事情とその就役 ●第323号︵1976年8月︶戦争と鉄道︵続1︶ ●第324号︵1976年9月︶戦争と鉄道︵続2︶ ●第325号︵1976年10月︶戦争と鉄道︵続3︶ ●第326号︵1976年11月︶幹線電化論の推移ー交流電化登場以前 ●第329号︵1977年1月︶︿資料﹀世界の鉄道博物館 ●第329号︵1977年1月︶地下鉄に初めて乗った日本人 ●第330号︵1977年2月︶戦争と鉄道︵続4︶ ●第331号︵1977年3月︶戦争と鉄道︵続5︶ ●第333号︵1977年5月︶戦争と鉄道︵続6︶ ●第334号︵1977年6月︶戦争と鉄道︵続7︶ ●第336号︵1977年7月︶戦争と鉄道︵続8︶ ●第337号︵1977年8月︶日本ロープウェイ繁盛誌 ●第338号︵1977年9月︶戦争と鉄道︵続9︶ ●第339号︵1977年10月︶戦争と鉄道︵続10︶ ●第340号︵1977年11月︶戦争と鉄道︵続11︶ ●第341号︵1977年12月︶戦争と鉄道︵完︶ ●第349号︵1978年6月︶空港に逐われた鉄道 ●第349号︵1978年6月︶絵はがき切抜帳(6) ●第350号︵1978年7月︶鉄道開業式を報じた外人記者 ●第350号︵1978年7月︶朝倉希一翁を悼む ●第353号︵1978年10月︶常磐線80年のあしどり ●第353号︵1978年10月︶絵はがき切抜帳(10) ●第355号︵1978年12月︶紀勢本線の系譜 ●第355号︵1978年12月︶絵はがき切抜帳(12) ●第358号︵1979年2月︶台湾鉄路の近況 ●第366号︵1979年10月︶鉄道エッセイ・漱石渡欧の途をたどる ●第366号︵1979年10月︶絵はがき切抜帳(23) ●第369号︵1979年12月︶食堂車走って100年-記念行事でにぎわうイギリス- ●第372号︵1980年2月︶ロムニー豆鉄道を訪ねる︵上︶ ●第373号︵1980年3月︶ロムニー豆鉄道を訪ねる︵下︶ ●第374号︵1980年4月︶10代気動車栄光のころ ●第375号︵1980年5月︶M'etro開業80年 ●第376号︵1980年6月︶Tubeがたどった90年 ●第376号︵1980年6月︶絵はがき切抜帳(30) ●第379号︵1980年9月︶ロケット150の産業考古学 ●第382号︵1980年11月︶新・鉄道講座(32) ●第382号︵1980年11月︶京阪間競争における京阪電車 ●第385号︵1981年1月︶足尾銅山観光をみる ●第386号︵1981年2月︶曳索鉄道と架空索道 ●第388号︵1981年4月︶国鉄の外人観光客誘致 ●第391号︵1981年7月︶ケーブルカー物語を執筆のころ ●第395号︵1981年10月︶水郡線・真岡線に見るローカル線政治史 ●第395号︵1981年10月︶書評﹁日本の私鉄﹂和久田康雄著 ●第398号︵1981年12月︶鉄鋼索線︵ケーブルカー︶の史的考察 ●第399号︵1982年1月︶外人墓地に眠るエドモンド・モレル ●第402号︵1982年4月︶土浦駅回想 ●第403号︵1982年5月︶ホームズ﹁最後の事件﹂への道 ●第404号︵1982年6月︶東京馬車鉄道が走り出したころ ●第406号︵1982年7月︶ホテル経営と鉄道事業 ●第408号︵1982年9月︶釜石への遠く険しい道-岩手軽便鉄道・釜石西線回顧 ●第409号︵1982年10月︶﹁特命全権大使﹂山岳鉄道に乗る ●第410号︵1982年11月︶日本統治時代の臺東線 ●第410号︵1982年11月︶長崎電気軌道・熊本市交通局寸見 ●第411号︵1982年12月︶ライヘンバッハの滝を訪ねる-﹁最後の事件﹂実地探索 ●第412号︵1983年1月︶新潟県鉄道網の発達一国有鉄道編 ●第414号︵1983年3月︶バイエルンのローカル私鉄に乗る-﹁獨逸日記﹂ゆかりの地を歩く ●第415号︵1983年4月︶4つもある鉄道発祥地の碑 ●第416号︵1983年5月︶飯田線形成への途 ●第417号︵1983年6月︶筑肥線-その今昔 ●第418号︵1983年6月︶写真解説 茨城交通茨城線の沿線から-廃止路線の記録 ●第418号︵1983年6月︶写真解説 昭和20年代あの日あの時あの車両 ●第418号︵1983年6月︶関東地方ローカル私鉄紀行 車両を育てて30余年︵座談会︶ ●第418号︵1983年6月︶標準電車・気動車設定の背景 ●第418号︵1983年6月︶直通客はたった1人 ●第419号︵1983年7月︶異境に残る明治の情景︵まらそん・るぽ/ここにこんなものが4︶ ●第421号︵1983年9月︶日本近代鋼索鉄道史-1918年〜1954年 ●第422号︵1983年9月︶﹁みみずのたはごと﹂が描く京王沿線 ●第423号︵1983年10月︶専用列車が走る日製水戸工場︵まらそん・るぼ/ここにこんなものが7︶ ●第425号︵1983年12月︶大阪地下鉄の系譜 ●第426号︵1984年1月︶写真解説 流線型無残 ●第428号︵1984年2月︶写真解説 暖房車マヌ34形のおいたち ●第429号︵1984年3月︶キハ55系と準急﹁日光号﹂ ●第431号︵1984年4月︶地方私鉄の盛衰︵甲信越・東海地方の私鉄︶ ●第431号︵1984年4月︶写真解説 昭和20年代 あの日あの時あの車両-甲信越・東海地方ローカル私鉄紀行 ●第432号︵1984年5月︶写真解説 貨物列車・その良き時代 ●第433号︵1984年6月︶写真解説 大雄山線思い出のシーン ●第436号︵1984年9月︶大井川鉄道を語る︵座談会︶ ●第437号︵1984年10月︶国電の始祖-デ963形 ●第440号︵1984年12月︶東海道線-その歴史的役割 ●第441号︵1985年1月︶鉄道趣味︵座談会︶ ●第445号︵1985年3月︶関西圏ローカル民鉄8社の推移 ●第451号︵1985年8月︶史実でつづる通勤・通学輸送 ●第451号︵1985年8月︶写真解説 新交通システム化で消えた西武山口線762mmの記録 ●第452号︵1985年8月︶資材欠乏時にでも窓にガラスがついていた!︵阪神電車と私︶ ●第454号︵1985年10月︶山手線の形成と役割 ●第456号︵1985年12月︶都営地下鉄への道 ●第456号︵1985年12月︶写真解説 都営地下鉄新宿線の前世-江戸川区の路面電車と無軌条電車 ●第458号︵1986年1月︶漱石も見た筈の情景-ハイランドの印象︵鉄道のある情景1︶ ●第459号︵1986年2月︶﹁密柑﹂の踏切を探す︵鉄道のある情景2︶ ●第460号︵1986年3月︶﹁盲目の皇帝﹂を求めての旅︵鉄道のある情景3︶ ●第462号︵1986年4月︶碓水峠を越えた鉄道馬車︵鉄道のある情景4︶ ●第463号︵1986年5月︶舞子駅長は師団軍医部長に優る-鴎外、小倉赴任の足どり︵鉄道のある情景5︶ ●第465号︵1986年6月︶あまりにも高いユングフラウ鉄道︵鉄道のある情景6︶ ●第466号︵1986年7月︶バデイントン発4時50分︵鉄道のある情景7︶ ●第466号︵1986年7月︶キハニ36450形無残! ●第467号︵1986年8月︶中央線開業の歴史過程 ●第467号︵1986年8月︶木曾谷の鉄路をたどる-﹁夜明け前﹂の舞台︵鉄道のある情景8︶ ●第468号︵1986年8月︶写真解説 流線型トリオの活躍-あの時の相鉄 ●第469号︵1986年9月︶存在を無視された横浜停車場-ニュース・ソースが古い﹁八十日間世界一周﹂︵鉄道のある情景9︶ ●第469号︵1986年9月︶写真解説 思い出のカラースライドから4 ●第470号︵1986年10月︶寅彦ループ線に驚く︵鉄道のある情景10︶ ●第470号︵1986年10月︶写真解説 思い出のカラースライドから5 ●第471号︵1986年11月︶草の野にもどったターミナル︵鉄道のある情景11︶ ●第471号︵1986年11月︶写真解説 思い出のカラースライドから6 ●第472号︵1986年12月︶鶴見線の形成過程-臨海工業地域と鉄道とのかかわり ●第472号︵1986年12月︶寝台車で旅をしたカナリヤ︵鉄道のある情景12︶ ●第473号︵1986年12月︶博物館明治村と鉄道文化財 ●第474号︵1987年1月︶分野別に見た技術史 気動車 ●第474号︵1987年1月︶車窓から貝塚をみつけた動物学者︵鉄道のある情景13︶ ●第475号︵1987年2月︶﹁ドナウの泉﹂を訪ねる旅︵鉄道のある情景14︶ ●第475号︵1987年2月︶幻の野岩鉄道 ●第476号︵1987年3月︶公子ビュッフェでたじろぐ︵鉄道のある情景15︶ ●第477号︵1987年3月︶東北6県ローカル私鉄の歴史過程 ●第478号︵1987年4月︶鉄道趣味も育てた﹁小学国語読本﹂︵鉄道のある情景16︶ ●第478号︵1987年4月︶富士急行に在籍したキハ58系 ●第479号︵1987年5月︶日光への結構な旅︵鉄道のある情景17︶ ●第481号︵1987年6月︶ギリシャからの手紙を読む︵鉄道のある情景18︶ ●第481号︵1987年6月︶写真解説 回想の筑波鉄道 ●第483号︵1987年8月︶1・2等寝台﹁18﹂列車の思い出 ●第483号︵1987年8月︶東中野駅閑景︵鉄道のある情景19︶ ●第483号︵1987年9月︶﹁奇巌城﹂への道-少年探偵がリュバンと対決︵鉄道のある情景20︶ ●第485号︵1987年10月︶余りにも無茶な出来事-横車を押した進駐軍幹部︵鉄道のある情景21︶ ●第486号︵1987年10月︶写真解説﹁旧京成電鉄﹂のころ ●第486号︵1987年10月︶荷風がえがく﹁玉の井﹂への道-﹁墨東綺譚﹂の取材路を探る ●第487号︵1987年11月︶汽車も出てくる﹁フランス通信﹂︵鉄道のある情景22︶ ●第488号︵1987年12月︶阪和線形成への道 ●第489号︵1987年12月︶営団地下鉄の史跡をたどる ●第491号︵1988年2月︶反戦を訴える少女の像-二宮駅戦災の悲愴な証言︵鉄道のある情景23︶ ●第492号︵1988年3月︶修学旅行を彩る連絡船︵鉄道のある情景24︶ ●第493号︵1988年3月︶中国地方ローカル私鉄の歴史過程 ●第494号︵1988年4月︶ストーブと旅した少年︵鉄道のある情景25︶ ●第497号︵1988年6月︶イタリアの御殿場線に乗る ●第498号︵1988年7月︶途中下車の散財で路銀消滅︵鉄道のある情景26︶ ●第500号︵1988年9月︶鉄道ピクトリアル編集委員会座談会 創刊500号を語る ●第501号︵1988年9月︶再生の転機を培う﹁湘南電車﹂ ●第503号︵1988年11月︶横須賀線の歴史過程 ●第503号︵1988年11月︶いまは昔の視野内風景︵鉄道のある情景27︶ ●第507号︵1989年2月︶奥羽線福島-米沢間︵板谷峠︶の建設、政良史 ●第509号︵1989年3月︶九州・四国・北海道地方ローカル私鉄の歴史過程 ●第510号︵1989年4月︶水戸をめぐる鉄道開業の経緯-常磐線100年の軌跡 ●第513号︵1989年6月︶写真解説 かつて見たローカル線 国鉄川俣線の記録 ●第514号︵1989年7月︶私が記録した列車編成記録ノート2変り種客車を追って ●第516号︵1989年9月︶わたらせ渓谷鐵道沿線を探る ●第516号︵1989年9月︶写真解説 わたらせ渓谷鐵道沿線を探る ●第520号︵1989年12月︶大阪環状線の形成過程 ●第520号︵1989年12月︶写真解説 旧形荷物電車のアルバムから ●第522号︵1990年1月︶電車100年の名車列車伝-私鉄高速電車︵20選︶ ●第525号︵1990年3月︶総説‥日本の地下鉄 ●第526号︵1990年4月︶写真解説 磐越西線、只見線の施設探索 ●第526号︵1990年4月︶磐越西線、只見線の施設探索 ●第535号︵1990年11月︶紙碑 高松吉太郎さんを悼む ●第536号︵1990年12月︶関西本線成立の経緯 ●第537号︵1990年12月︶写真解説 大規模改番直後のゲテモノ編成-あの時の東武鉄道 ●第541号︵1991年3月︶北海道内鉄道網の歴史過程 ●第543号︵1991年5月︶紙碑 田中隆三さんを偲んで ●第545号︵1991年7月︶写真解説 橋梁・隧道を訪ねて天竜渓谷瞥見 ●第545号︵1991年7月︶橋梁・随通を訪ねて天竜渓谷瞥見 ●第546号︵1991年7月︶写真解説 1800系の生い立ち-あの時の小田急 ●第548号︵1991年11月︶東北本線成立の歴史過程 ●第554号︵1992年1月︶在来線特急80年の軌跡 ●第557号︵1992年3月︶九州におけるJR在来線の歴史過程 ●第557号︵1992年3月︶写真解説あの頃の熊本市電 ●第557号︵1992年3月︶九州紀行から ●第560号︵1992年5月︶写真解説 1950年代の西武鉄道各線 ●第560号︵1992年5月︶写真解説 上石神井車庫1949年 ●第560号︵1992年5月︶﹁武蔵野夫人﹂と西武鉄道 ●第561号︵1992年6月︶ポートサイド往復 ●第562号︵1992年7月︶京浜東北線への歴史過程 ●第569号︵1992年12月︶南武、青梅、五日市線の歴史過程 ●第569号︵1992年12月︶写真解説 近鉄電車1949年︵あの時の近鉄︶ ●第569号︵1992年12月︶幻に終わった関急電車利用の参宮旅行 ●第570号︵1993年1月︶碓氷峠100年‥アプト式鉄道の形成 ●第572号︵1993年3月︶﹁臨海鉄道﹂前史 ●第573号︵1993年4月︶北陸本線の形成 ●第574号︵1993年4月︶四国における鉄道網の歴史過程 ●第579号︵1993年8月︶房総の鉄道 路線網の歴史過程 ●第579号︵1993年8月︶写真解説 1950年代の房総地区 ●第586号︵1994年1月︶鋼索鉄道の遺構がある箸蔵山︵まらそんるぽ/ここにこんなものが71︶ ●第587号︵1994年3月︶写真解説 台湾とタイでみた日本形蒸機 ●第592号︵1994年7月︶写真解説 おもいでの貨車を拾う ●第594号︵1994年8月︶山陽本線の歴史過程 ●第594号︵1994年8月︶﹁八ヶ岳馬車トロッコ﹂をめぐる記録 ●第595号︵1994年3月︶信州の鉄道 路線網の系譜 ●第596号︵1994年10月︶岩倉使節団ダブルデッカーの展望を楽しむ-121年前の乗車記史 ●第600号︵1994年12月︶写真解説 営業廃止直前の砧線 ●第600号︵1994年12月︶江分利満氏が乗る昭和30年代の東横線 ●第601号︵1995年6月︶写真解説 佐貫駅の表情 ●第602号︵1995年2月︶同床異夢な水郡線活性化対策検討委員会 ●第608号︵1995年7月︶東京地下鉄道成立前史を語る﹁東京地下鉄﹂ ●第609号︵1995年8月︶函館、千歳、室蘭線の歴史過程 ●第609号︵1995年8月︶写真解説 昭和30年道央の路面電車 ●第617号︵1996年2月︶22私鉄﹁戦時買収﹂の経緯 ●第623号︵1996年7月︶写真解説 日立電鉄モハ13形の足跡 ●第623号︵1996年7月︶日立電鉄モハ13形の足跡 ●第626号︵1996年9月︶北陸地方鉄道網の歴史過程 ●第629号︵1996年11月︶信越本線の歴史過程 ●第629号︵1996年11月︶写真解説 信越本線 鋳鉄柱橋脚の跨線歩道橋 ●第631号︵1997年1月︶蒸気機関車転向の立役者-ターンテーブルの機構と来歴 ●第631号︵1997年1月︶写真解説 ターンテーブルあれこれ ●第632号︵1997年1月︶京成本線荒川橋梁の謎 ●第636号︵1997年4月︶松尾鉱業︵鉄道史の興味・研究-今はなき私鉄を訪ねた日々 ●第638号︵1997年6月︶写真解説 1950年代当初の秋田市電 ●第638号︵1997年6月︶1950年代当初の秋田市電 ●第640号︵1997年7月︶起点・終点を地下ターミナルとした最初の事例︵特集‥阪神電気鉄道 ●第641号︵1997年8月︶写真解説 峠の釜めし﹂ 包装紙コレクション ●第641号︵1997年8月︶﹁峠の釜めし﹂包装紙コレクション ●第641号︵1997年8月︶﹁アプト式歯軌条鉄道﹂採用の経緯 ●第642号︵1997年9月︶富山地方鉄道の歴史過程 ●第645号︵1997年11月︶宇部・小野田・可部・福塩線の歴史過程-3路線の私鉄時代から現在に至る路線形成 ●第645号︵1997年11月︶写真解説 1970年当時のペナン島のケープルカー ●第647号︵1997年12月︶電化当初の越生線探訪記 ●第648号︵1998年2月︶まもなく架設100年になる鈑桁の清見寺跨鮮歩道橋︵まらそん・ルポ/ここにこんなものが84︶ ●第650号︵1998年3月︶写真解説JR西日本宮島航路を訪ねて ●第651号︵1998年4月︶日本最初のガソリン動車導入をめぐって ●第652号︵1998年4月︶頸城鉄道︵鉄道史の興味・研究-今はなき私鉄を訪ねた日々︶ ●第652号︵1998年4月︶伊豆箱根鉄道軌道線︵鉄道史の興味・研究-今はなき私鉄を訪ねた日々︶ ●第654号︵1998年6月︶常磐線普通列車の思い出-1950・1970代を中心に ●第656号︵1998年7月︶京急穴守線︵空港線︶をめぐって ●第658号︵1998年9月︶キハ10000形と私 ●第661号︵1998年11月︶秩父鉄道の歴史過程 ●第661号︵1998年11月︶写真解説 1951年-秩父鉄道の車輌たち ●第665号︵1999年2月︶奥羽本線の形成 ●第672号︵1999年7月︶昭和20年代中期の相模鉄道 ●第674号︵1999年9月︶笹子隧道貫通への途-峠越え路線の系譜 ●第681号︵2000年2月︶﹁湘南電車﹂処女運転の出発地となった富士見仮乗降場 ●第682号︵2000年3月︶紀勢本線形成への歴史過程 ●第684号︵2000年5月︶モハ63形電動客車の特性と功罪 ●第696号︵2001年1月︶占領軍が導入した車両技術 ●第697号︵2001年2月︶上越線の路線形成 ●第703号︵2001年7月︶﹁鉄道ピクトリアル﹂創刊期の人々 ●第709号︵2001年11月︶小海・飯山・大糸線の形成と変遷 ●第716号︵2002年4月︶昭和20年代半ばの多摩湖線-半世紀前への回想 ●第717号︵2002年5月︶写真解説 小田急向ヶ丘遊園を彩った﹁鉄道﹂ ●第717号︵2002年5月︶小田急向ヶ丘遊園を彩った﹁鉄道﹂ ●第719号︵2002年7月︶写真解説 スハ43系と同時期に登場した列車別時間表 ●第719号︵2002年7月︶スハ43系と同時期に登場した列車別時間表 ●第720号︵2002年8月︶北府中駅にかかわる特異な経緯と事物 ●第722号︵2002年10月︶川越電気鉄道の残影 ●第726号︵2003年1月︶私鉄高性能電車出現の意義 ●第726号︵2003年1月︶新聞広告にみる鉄道史の興味-関東圏の鉄道企業が掲載した昭和20年代半ばの新聞広告 ●第728号︵2003年2月︶八戸駅が尻内駅だった頃 ●第731号︵2003年5月︶校庭に捨てられていた省線電車の車側方向板 ●第731号︵2003年5月︶鉄道史研究 車両不足に対応しえた常総筑波鉄道の戦災復旧車 ●第732号︵2003年6月︶鉄道史研究 西武鉄道の気動車を調べる ●第736号︵2003年9月︶鉄道史研究 買収国電の変わり種を拾う ●第741号︵2004年1月︶新聞記事に見る1950年代鉄道の世相 ●第744号︵2004年3月︶大阪市政だよりNo.85附録﹁市電50年のあゆみ﹂から ●第746号︵2004年5月︶鉄道史研究 誤読されがちだった旧版地形図 ●第751号︵2004年9月︶貨物列車しか通らなくなったループ線通過の思い出 ●第756号︵2005年1月︶桜木町事故とモハ63のかかわり ●第757号︵2005年2月︶回想 私の鉄道趣味史 バイブル役を果たした﹁半鋼製省線電車﹂-鉄道少年基礎作り- ●第758号︵2005年3月︶回想 私の鉄道趣味史 社会人鉄道ファンとの出会い-交通科学研究会にあきたらず東京鉄道同好会に入る- ●第759号︵2005年3月︶丸ノ内線池袋-お茶ノ水 着工から開業まで ●第760号︵2005年4月︶回想 私の鉄道趣味史 地理学野外実習に便乗した調査旅行-ローカル私鉄を主体にコースを組む- ●第761号︵2005年5月︶回想 私の鉄道趣味史 卒業論文を野菜の鉄道輸送で書く-足かけ3日の輸送試験で大阪市場に行く- ●第762号︵2005年6月︶回想 私の鉄道趣味史 本務遂行が精一杯で趣味活動は不調-旅行も写真もままならなぬ5年間- ●第763号︵2005年7月︶回想 私の鉄道趣味史 ピクトリアル編集委員の立場で数多くのレポートを書く-車両史から地域別鉄道史への転向- ●第764号︵2005年8月︶回想 私の鉄道趣味史 乗り歩きから調査にまで広がった外国旅行-産業遺産への着目- ●第765号︵2005年9月︶回想 私の鉄道趣味史 文学作品と鉄道のかかわりを究明する-内容抽出から内容分析へ進化- ●第766号︵2005年10月︶回想 私の鉄道趣味史 歴史的な鉄道橋梁の実地探索に励む-それでも手つかずが目立ったプレートガーター- ●第768号︵2005年11月︶回想 私の鉄道趣味史 ﹁おそかりし由良助﹂だが…-調べ続けてきた転車台と鋳鉄柱- ●第769号︵2005年12月︶回想 私の鉄道趣味史 あまりにもマニアック-駅弁掛紙収集と駅前旅館探索- ●第773号︵2006年3月︶﹁峠﹂を下りたシェルパ列伝 ●第775号︵2006年5月︶海外の﹁グリーン車﹂めぐり︵共著︶ ●第777号︵2006年7月︶1942年︵昭和17年︶ 鐵道博物館見学記 ●第778号︵2006年8月︶﹁グリーン車学入門﹂への補説 ●第779号︵2006年9月︶スハ32系客車への補説 ●第780号︵2006年10月︶401〜415系とともに常磐線通勤30年 ●第782号︵2006年11月︶上野駅地平ホーム綺談二題 ●第783号︵2006年12月︶余部橋梁建設・保守への謎解き ●第784号︵2007年1月︶国鉄急行列車 編成記録ノート︵共著︶ ●第790号︵2007年6月︶回想 中央本線のスイッチバック停車場 ●第796号︵2007年11月︶薄命だった武蔵野競技場支線 ●第804号︵2008年6月︶蒸気機関車に欠かせない舞台装置 転車台抄論 ●第808号︵2008年9月︶秋葉原貨物駅の記録鉄道ファン[編集]
鉄道ファンは、交友社が発行する月刊鉄道趣味雑誌。1961年︵昭和36年︶創刊。 ●第494号︵2002年6月︶関東地方建設局荒川工作事務所とB形タンク機関車-日本の蒸気機関車製造史のしめくくりとしてのある記録 ●第502号︵2003年2月︶河港と連絡したエンドレスの蒸気鉄道トランヴェール[編集]
トランヴェールはJR東日本エリアの新幹線︵東北・山形・秋田・上越・長野︶の座席配備されている雑誌 ●第25号︵1990年5月︶鴎外﹁ベルリン市中の汽車﹂に乗る ●第26号︵1990年6月︶﹁斜陽﹂ふるさと津軽 ●第27号︵1990年7月︶東アルプスの谷間にデートした茂吉 ●第28号︵1990年8月︶少年に追いつかれかけたへつつい ●第29号︵1990年9月︶漱石、英仏海峡を渡る ●第30号︵1990年10月︶デモ隊上京を駅頭で阻止 ●第31号︵1990年11月︶ラップランドを旅した寅彦 ●第32号︵1990年12月︶ねたみがこうじて駅名を聞き達う ●第33号︵1991年1月︶有料特殊サービスもあったシペリア鉄道 ●第34号︵1991年2月︶美人に引かれた客引きの旅 ●第35号︵1991年3月︶虚子父娘も乗ったビークトラム ●第36号︵1991年4月︶﹁水上﹂よりひなびていた﹁湯沢﹂ ●第91号︵1996年11月︶鈍行列車のぜいたく ●第92号︵1996年12月︶パック旅行の発明者週刊鉄道の旅[編集]
週刊鉄道の旅は、講談社が2003年1月30日から2004年4月8日にかけて50冊+別巻10冊を毎週刊行した。 ●第5号︵2003年2月27日︶鉄道メモリアル(5)そこのけ、そこのけ、陸蒸気が通る ●第7号︵2003年3月13日︶鉄道メモリアル(7)“マッチ箱の”中の不純異性交遊 ●第9号︵2003年3月27日︶鉄道メモリアル(9)畑の中に停まって野菜を積んだ貨物列車 ●第11号︵2003年4月10日︶鉄道メモリアル(11)長旅42年、たたまれた“お座敷列車” ●第13号︵2003年4月24日︶鉄道メモリアル(13)二度も引導を渡された﹁盲腸線﹂ ●第15号︵2003年5月8日︶鉄道メモリアル(15)2度も日本最東端になった国鉄根室駅 ●第17号︵2003年5月29日︶鉄道メモリアル(17)最北端の駅あれこれ ●第19号︵2003年6月12日︶鉄道メモリアル(19)海水浴客争奪バトル ●第21号︵2003年6月26日︶鉄道メモリアル(21)新婚旅行専用列車も走った﹁温泉準急﹂ ●第23号︵2003年7月10日︶鉄道メモリアル(23)早朝でも駅弁が買えた静岡駅 ●第25号︵2003年7月24日︶鉄道メモリアル(25)いざ出発! 修学旅行専用列車 ●第27号︵2003年8月7日︶鉄道メモリアル(27)国鉄の客車を引いた私鉄の電車 ●第29号︵2003年8月21日︶鉄道メモリアル(29)バッテリーで乗った列車 ●第31号︵2003年9月11日︶鉄道メモリアル(31)﹁走る喫茶室﹂の半世紀 ●第33号︵2003年9月25日︶鉄道メモリアル(33)お転婆娘の﹁虫よけ﹂に使われた、京浜線の二等車 ●第35号︵2003年10月9日︶鉄道メモリアル(35)帰省客とゴミを満載した急行﹁津軽﹂ ●第37号︵2003年10月23日︶鉄道メモリアル(37)公害訴訟に勝利した﹁信玄公旗掛松﹂ ●第39号︵2003年11月6日︶鉄道メモリアル(39)どちらも“トデン”と申します ●第41号︵2003年11月20日︶鉄道メモリアル(41)日本一高く上った日光の路面電車 ●第43号︵2003年12月4日︶鉄道メモリアル(43)貨車でもお客を運び続けた記録 ●第45号︵2003年12月18日︶鉄道メモリアル(45)山陽ホテルと下関駅前盛衰史 ●第47号︵2004年1月1日︶鉄道メモリアル(47)﹃津軽﹄で見くびられた芦野公園駅 ●第49号︵2004年1月22日︶鉄道メモリアル(49)日本一短い鉄道の記録 ●第50号︵2004年1月29日︶鉄道メモリアル(50)﹃塩狩峠﹄実地検証﹇L﹈EXPRESS[編集]
﹇L﹈EXPRESSは、茨城大学鉄道研究会の会誌。1981年︵昭和56年︶11月創刊。 ●第1号︵1981年11月︶鉄道研究会設立にあたってII﹇L﹈SUPER EXPRESS[編集]
﹇L﹈SUPER EXPRESSは、茨城大学鉄道研究会OB会の会誌。1991年︵平成3年︶11月創刊。- 第4号(1996年3月)山岳展望の旅
クラリオンバス機器ニュース(BUS WAVE)[編集]
第151号から「BUS WAVE」と改題
- 第86号(1988年8月)車内のモラルいまむかし
- 第87号(1988年10月)お江戸へ参上の急行バス
- 第88号(1988年12月)車掌さんが競った車窓案内
- 第89号(1989年2月)復興にひと役買った軍用自動車
- 第90号(1989年4月)昭和30年〜40年代の長距離パス
- 第91号(1989年6月)運転者が唱う佐渡おけさ
- 第92号(1989年8月)50年代に東京、大阪などにトロリーバス登場
- 第93号(1989年10月)相互乗り入れの先祖は通勤バスだった
- 第94号(1989年12月)バスに追われた路面電車
- 第95号(1990年2月)自動化が解消させた車掌哀史
- 第96号(1990年4月)プラットホームにバスが横づけ。
- 第97号(1990年6月)思い出の「木炭バス」
- 第98号(1990年8月)昭和初年、代替バス走る
- 第99号(1990年10月)不特定多数の乗客で貸切バスが動く
- 第100号(1990年12月)思い出の中野乗合自動車
- 第101号(1991年2月)よき時代修学旅行に百貨店見学が
- 第102号(1991年4月)美幌駅のレールパス
- 第103号(1991年6月)スキー置場にも使えた展望台
- 第104号(1991年8月)雲上バスの口あけは乗鞍岳
- 第105号(1991年10月)レールのない鉄道会社 昔の名前で出ています
- 第106号(1991年12月)新宿西口大変身
- 第107号(1992年2月)酷道、険道、損道のころ
- 第108号(1992年4月)省営パスは開業にあたって国産車を採用
- 第109号(1992年6月)「わんわんバス」のご先祖「グレイハウンド」
- 第110号(1992年8月)今昔感無量の踏切風景
- 第111号(1992年10月)電車営業廃止前に代替バスが走る
- 第112号(1992年12月)永持ちしていたSLとCOE
- 第113号(1993年2月)水上バスvs陸上バス
- 第114号(1993年4月)小河内ダム工事現場見学ツアーへ
- 第115号(1993年6月)村営バス、マイクロバスが珍しかったころ。
- 第116号(1993年8月)むかしはここがパスターミナル
- 第117号(1993年10月)“いっそ小田急で逃げましょか”のころ
- 第118号(1993年12月)「玉電」変身を支えたバス
- 第119号(1994年2月)クランクに悩まされたバス
- 第120号(1994年4月)主役の座を失った鋼索鉄道(ケーブルカー)
- 第121号(1994年6月)途中が切れても五新線
- 第122号(1994年8月)女子車掌が乗車していたレールバス
- 第123号(1994年10月)今も健在杖突峠のレストストップサービス
- 第124号(1994年12月)プラットホームは残った
- 第125号(1994年2月)山合いに響くメロディ
- 第126号(1994年4月)割り込み横行で市電もバスも四苦八苦
- 第127号(1995年6月)よくみてください。ちがうでしょう
- 第128号(1995年8月)韓国高速バス事情
- 第129号(1995年10月)一般道を走り 鉄道よりも安い 代替長距離パス
- 第130号(1995年12月)四十年後、同じ場所で 写しました。
- 第131号(1996年2月)バスばなれ対策にスペシャル・クーポン
- 第132号(1996年4月)どちらも裏焼きではありません
- 第133号(1996年6月)日本にもある頭端式バスターミナル
- 第134号(1996年8月)郵袋積みこみトレーラーを牽くローカルバス
- 第135号(1996年10月)オレンジ色舗装のバスレーン
- 第136号(1996年12月)台湾中部ローカルバス事情
- 第137号(1997年2月)富士にはボンネットバスもよく似合う
- 第138号(1997年4月)パークアンド・トレインライドで清里へ
- 第139号(1997年)ヤマネコバスが走る国境の島
- 第140号(1997年)山梨県の過疎地へのぴる東京の路線バス
- 第141号(1997年)思い出の大阪市営トロリーバス
- 第142号(1997年)工業都市を走ったトロリーバス
- 第143号(1997年2月)バス発祥記念碑が建つ浦川原
- 第144号(1998年4月)安全ドアを設けたバスターミナル
- 第145号(1998年6月)鉄道車両にも応用されたパス用のアンダーフロアエンジン
- 第146号(1998年8月)トンネルバスが転じて鉄道の待合室となる
- 第147号(1998年10月)韓国も走ったグレイハウンド
- 第148号(1998年12月)最後まで残った横浜市のトロリーバス
- 第149号(1999年2月)35年も働き続けーたレールバス
- 第150号(1999年)全国共通のバス・路面電車回数券のあるオランダ
- 第151号(1999年6月)好調に走るワンコインバス
- 第152号(1999年8月)起死回生策にならなかった「レール&バスシステム」
- 第153号(1999年10月)営業廃止の電車路線を代替運行するオレンジバス
- 第154号(1999年12月)バスターミナルの屋根二態
- 第155号(2000年2月)観光客が上得意の100円バス
- 第156号(2000年4月)最東端の岬へ行バス
- 第157号(2000年6月)ワンコインで走るコミュニティバス
- 第158号(2000年8月)様変わりした駅前広場
- 第159号(2000年12月)駅という名のバスターミナル
- 第160号(2001年2月)ダブルライナーvs直通高速バス
- 第161号(2001年4月)Part2 昔の名前で出ています
- 第162号(2001年6月)安いJR vs 高速連絡パス
- 第163号(2001年8月)漢字表記もある釜山のバス
- 第164号(2001年12月)列車を降りたらワンコインバスで善光寺へ
- 第165号(2002年2月)ゼッケンを腰につける釧路のバス
- 第166号(2002年4月)バス窓がではじめたころ
- 第167号(2002年6月)傘貸します 傘売ります
- 第168号(2002年8月)バスターミナルの隣がターミナルホテル
- 第169号(2002年10月)一般道を快走運行した「なんごく」号
- 第170号(2002年12月)蜜柑の駅前に停まるバス
- 第171号(2003年2月)どれにもバスが描かれる姫路駅舎の油絵
- 第172号(2003年4月)ガイドさんと同行した修学旅行の下調べ
- 第173号(2003年6月)民宿の軒先で折り返す路線バス
- 第174号(2003年8月)50年前に写した箱根行きの急行バス
- 第175号(2003年10月)観光にはパーク&バス・電車ライドを利用しよう
- 第177号(2004年2月)乗客は全員下車ソロリソロリと吊り橋を渡るバス
- 第178号(2004年4月)JR最北・最南の駅を発着する路線バス
- 第179号(2004年6月)「バスリンコ」が支えた観光路線
- 第180号(2004年8月)甲府駅前広場大変身
- 第181号(2004年10月)「バス」を路線に乗せたローカル私鉄
- 第182号(2004年12月)屋根付プラットホーム 高速バスの専用駐車場
- 第183号(2005年2月)終戦後まもなくPR誌を刊行した東海自動車
- 第184号(2005年4月)雲海をたどり千仞の谷を見下ろす山岳道路
- 第185号(2005年6月)路線延長で不要になった駐車スペースに賃貸フラットが建つ
- 第186号(2005年8月)三世代プラスα(ネイビー)のバスが陣取った弘前駅前広場
- 第187号(2005年10月)運賃を払えば自由に乗れた旅館のバス
- 第188号(2005年12月)「バスっ子」に追い払われた「汽車っ子」
- 第189号(2006年2月)手動式で手渡し併用の乗車券発売
- 第190号(2006年4月)国鉄急行列車VS私鉄長距離バス
- 第191号(2006年6月)半世紀も前にイメージペインティング
- 第192号(2006年8月)観光客の利用に気くばりするポストバス
- 第193号(2006年10月)「氷河特急」VSフルカ越えのポストバス
- 第194号(2006年12月)駅と中心市街地を結ぶ重要手段のバス
- 第196号(2007年4月)日本人は二人だけの都心観光記念写真
- 第197号(2007年6月)観光バスをカーフェリーに乗せて修学旅行
- 第201号(2008年2月)鉄板の線路をゴムタイヤで走るマイクロバス
常陽藝文[編集]
- 第86号(1986年6月号)茨城の鉄道 過去、現在、未来
東京人[編集]
- 第11号(1988年1_2月新春号)発揚と受難の東京駅史 焼けた丸屋根(ドーム)に灰色の月が・・・
脚注[編集]
- ^ 中川浩一「西野文太郎殺害事件始末:森有礼刺傷とのかかわりにたって」『茨城大学教育学部紀要 人文・社会科学』第27号、茨城大学教育学部、1978年、29-35頁、ISSN 0386765X、NAID 120005514460。
- ^ 中川浩一 1978, p. 55.