井伊直武
井伊 直武︵いい なおたけ、慶安3年︵1650年︶ - 元禄10年6月8日︵1697年7月25日︶︶は、遠江掛川藩の第2代藩主。直勝系井伊家3代。
初代藩主・井伊直好の長男。母は形原松平家信の娘。正室は津藩主・藤堂高次の娘︵安藤重之の養女︶。子に直朝︵長男︶、直堅︵次男︶、娘︵小笠原信秀正室︶。官位は従五位下、伯耆守。
幼名は万千代。菊千代。寛文12年︵1672年︶、父の死で後を継ぐ。暗愚な人物で淫らな行為を繰り返し、藩政を悪化させたと言われている。ただし﹃土芥寇讎記﹄の評では行政能力は欠けているが悪気があるわけではなく、柔和で性格はいいと評されている。ただし性格の良さだけが評価できる点、ともされている。
元禄7年︵1694年︶11月12日、長男・直朝に家督を譲って隠居し、同10年︵1697年︶6月8日に48歳で死去した。法号は高節元義原忠院。