伊豆山神社
伊豆山神社 | |
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拝殿 | |
所在地 |
本宮:静岡県熱海市伊豆山1083 本殿:静岡県熱海市伊豆山708-1 |
位置 |
本宮:北緯35度7分19.4秒 東経139度4分24.6秒 / 北緯35.122056度 東経139.073500度 本殿:北緯35度6分55.9秒 東経139度4分56.7秒 / 北緯35.115528度 東経139.082417度座標: 北緯35度6分55.9秒 東経139度4分56.7秒 / 北緯35.115528度 東経139.082417度 |
主祭神 |
火牟須比命 天忍穂耳尊 拷幡千千姫尊 瓊瓊杵尊 |
社格等 |
式内社(小)論社 旧国幣小社 別表神社 |
創建 | 孝昭天皇治世 |
例祭 |
4月14日、4月15日 4月16日 |
地図 |
伊豆山神社︵いずさんじんじゃ︶は、静岡県熱海市伊豆山にある神社。全国各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社、走湯神社︵そうとうじんじゃ、はしりゆじんじゃ︶などの起源となった事実上の総本社格である[1]。伊豆国に配流の身となっていた源頼朝が、源氏の再興を祈願したと伝わり、頼朝からの崇敬が厚く、また頼朝と妻・北条政子の逢瀬の場であったとも伝わる[1]。
木造伊豆山権現立像︵静岡県熱海市・走湯山般若院所蔵、重要文化財︶。 この像は近世まで伊豆山神社に祀られていたが、神仏分離後に般若院へ移された。
源頼朝は平治の乱の後、伊豆国に配流されたが、当社で源氏再興を祈願したとされ、頼朝からの崇敬が厚く鎌倉幕府を開くと、関八州鎮護と称え多くの社領を寄進したとされ[1]、以降、東国の守護神として絶大な信仰を集め、歴代将軍や幕府要人が伊豆山神社︵伊豆山権現︶と箱根神社︵箱根権現︶を﹁二所権現﹂とし﹁二所詣﹂が行われた[7]。また源頼朝と妻・北条政子の逢瀬の場であったとされ、境内に頼朝・政子腰掛石が残る[8]。
南北朝時代の﹁寺領知行地注文﹂によれば、遠くは越州に至るまで数多くの知行地を所有したとされるなど、この時期、当社が最盛期を迎えていたことがうかがわれる。戦国時代、小田原の北条氏の篤い崇敬を受けたが、豊臣秀吉の小田原征伐で焼失した。江戸時代に入ると山麓の阿多湊︵または阿多美の郷︶が湯治場として名高くなり、徳川家康はじめ多くの大名や文化人たちが訪れた。焼失していた当社は再建され、江戸幕府からは文禄3年伊豆国加増も葛見郡のうち二百石を、慶長14年には関ヶ原の戦いでの勝利の礼として百石を、それぞれ朱印領として寄進され、以後、代々の将軍からも同様に寄進を受けた[要出典]。
高野山真言宗の古刹の般若院が別当寺だったが、明治維新での神仏分離令により寺が分離され、伊豆山神社と称されるようになった。
昭和天皇御手植の黒松
大正3年︵1914年︶1月13日、皇太子であった昭和天皇が当社に参拝、本殿脇に黒松一株を手植した。大正7年︵1918年︶、宮内省から金参万円を支給される。
昭和3年︵1928年︶の昭和天皇御大典の際に国幣小社に列し、秩父、高松、久邇、伏見、山階、賀陽、東伏見の各宮家から金壱封を、梨本宮家からは日本刀一口及び槍一筋、祭祀料の寄進を受けた。
第二次世界大戦後に社格制度が廃止されて以降は別表神社とされ、宗教法人化された。
1980年︵昭和55年︶9月12日、浩宮徳仁親王が参拝する。また、同年、童画家黒崎義介が拝殿の天井画390枚を奉納した。
祭神[編集]
伊豆山神として以下の4柱を祀る ●火牟須比命︵ほむすびのみこと︶ ●天之忍穂耳命︵あめのおしほみみのみこと︶ ●拷幡千千姫尊︵たくはたちぢひめのみこと︶ ●瓊瓊杵尊︵ににぎのみこと︶呼称[編集]
古くは以下の名で呼ばれた。 ●伊豆山権現︵いずさんごんげん︶ ●伊豆大権現︵いずだいごんげん︶ ●伊豆御宮︵いずおんみや︶ ●伊豆山︵いずさん︶ - 略称。 ●走湯権現︵そうとうごんげん、はしりゆごんげん︶ ●走湯大権現︵そうとうだいごんげん︶ - 麓の海岸に点在した温泉・間歇泉に由来し、推古天皇3年︵594年︶に朝廷から贈られた名とされる。 ●走湯山︵そうとうざん︶[2] - 伊豆山の別称。歴史[編集]
古代[編集]
創建の年代は不詳だが、社伝によれば孝昭天皇の時代︵紀元前5世紀~紀元前4世紀︶とされ、当初は、日金山山頂にあったと伝わる[1]。日金山は十国峠とも呼ばれ、箱根外輪山から南に続く尾根︵標高765m︶で古くからの信仰の地で[3]、日金山の東光寺で祭祀がおこなわれていたとされ、東光寺の寺伝では、推古天皇の頃、走湯権現の神号を賜ったとある[4]。その後、本宮山︵現在地より後方の山︶に移り、承和3年︵836年︶に賢安と称する僧により現在地へ遷座されたと伝わる。日金山は、中世以降、伊豆山権現︵現・伊豆山神社︶と箱根権現︵現・箱根神社︶を結ぶ信仰の道の要所として知られる[3]。 仁徳天皇が勅願所とし、以後、清寧天皇、敏達天皇、推古天皇、孝徳天皇、後奈良天皇の勅願所となったと伝わり、後奈良天皇は自筆の紺紙金泥般若心経 一巻︵国の重要文化財︶を当社に奉納している。 修験道の始祖とされる役行者・役小角が文武天皇3年︵699年︶に伊豆大島へ配流されたおりに、島を抜け出し伊豆山などで修行していたが、そのさいに伊豆山海岸に湯煙りが上がるのを目にし、走り湯を発見したとされる[5]。役行者は、その湯に千手観音菩薩を感得し、﹁無垢霊湯、大悲心水、沐浴罪滅、六根清浄﹂という功徳を授かったという伝説があり、その湧き出る霊湯﹁走り湯﹂を神格化したのが走湯権現とされる。また、空海が修行した伝承もあり、多くの仏教者や修験者が修行を積んだ霊場であった。現・社殿から本宮への山道は、かつての修験道の行場であったと伝わる[6]。後白河法皇勅撰の﹁梁塵秘抄﹂には﹁四方の霊験者は伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山﹂と記されている[要出典]。中世・近世[編集]
近代[編集]
境内[編集]
●伊豆山神社 ●本宮 - 836年︵承和3年︶以前の元宮。本殿から山道を登った先にある。江戸後期の焼失により現在は拝殿のみ。例祭日8月23日[9]。 ●本殿 - 1980年︵昭和55年︶童画家黒崎義介が拝殿の天井画390枚を奉納した。 ●下宮 - 参道の石段を下りた先にあった。現在の﹁伊豆山浜公園﹂の辺り。現在でも例大祭などで当地を使用。 ●社務所 ●伊豆山郷土資料館 ●腰掛石 - 源頼朝と妻・北条政子が腰をかけ逢瀬を重ねたと伝わる石。 ●参道石段 - 走湯湯のある伊豆山浜から伊豆山神社本殿までの参道石段が837段[10]。 ●手水舎 手水の吐出口が赤白二龍で装飾されている。 ﹁赤白二龍﹂︵せきびゃくにりゅう︶は、﹃走湯山縁起﹄に、﹁伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり﹂と記され[11]、伊豆山神社の﹁伊豆山大神﹂が、赤龍と白龍の二龍の姿となって、温泉を生み出す様が描かれているとされる。赤龍は火の力、白龍は水の力を操るとされ、二龍は温泉の守護神とされる[11]。 この﹁赤白二龍﹂︵せきびゃくにりゅう︶伊豆山神社が縁結びの神社ともされることから、赤龍を母親、白龍を父親とみなし、あわせて夫婦和合や縁結びの象徴ともしている[12]。参道石段
手水舎の赤白二龍
頼朝・政子腰掛石
縁結び祈願用の♡鳥居
伊豆山郷土資料館
境内社[編集]
●結明神(むすぶみょうじん)社 - 祭神は結明神︵日精・月精︶[13]。 ●本社 - 本宮社へと至る山道の途中にある。 ●里宮 - 本殿へと至る参道石段の途中の南脇にある。 ●白山社 - 本宮社へと至る山道の途中、結明神本社より手前の脇道を北方へと進んだ先にある。祭神は菊理媛命、例祭日8月7日[14]。 ●白山社遙拝所 ●雷電社 - 本殿手前の南脇にある。祭神は伊豆大神荒魂・雷電童子︵瓊瓊杵尊︶、例祭は3月15日[15]。 ●足立権現(あしだてごんげん)社 - 本殿へと至る参道石段の途中の北脇にある。祭神は役小角、例祭は7月1日[16]。 ●祖霊社 ●光石結明神社(里宮)
雷電神社
光石
境外社[編集]
走り湯前から始まる参道石段
境外社 走湯神社
祭事[編集]
年間主要催事[19]。 ●2月3日 - 節分祭 ●4月14日〜16日 - 例大祭︵4月15日を中心に4月14日〜16日︶ ●4月14日 - 宵宮祭︵20時〜︶ ●4月15日 ●例大祭神事︵10時〜︶ - 神女舞、実朝の舞 ●神幸祭︵13時〜︶ - 発輿祭、神幸行列 ●下宮祭︵14時〜︶ - 神女舞、実朝の舞 ●4月16日 ● 正殿祭︵10時〜︶ - 神女舞、実朝の舞 ●11月第1日曜日 - 温泉感謝祭文化財[編集]
重要文化財[編集]
彫刻 ●木造男神立像 - 指定年月日‥1981年︵昭和56︶6月9日[20]。 幞頭︵ぼくとう︶をかぶり袍を着用し杖を握って立つ男神像。像高2メートルを超える巨体を桂の一材から丸彫りし、国内の神像中最大の作例である[20]。 工芸品 ●剣︿無銘﹀ - 指定年月日‥1970年︵昭和45年︶5月25日[21]。 切刃造りで身幅の広い大振りの剣である。切刃造りの現存遺品は少なく、平安時代の作とみられ、極めて稀な優品である[21]。 書跡・典籍 ●紺紙金泥般若心経 後奈良天皇宸翰︵伊豆国︶ - 指定年月日‥1927年︵昭和2年︶4月25日[22]。静岡県指定文化財[編集]
熱海市指定文化財[編集]
彫刻 ●木造狛犬2躯[23]。 ●木造男神・女神像2躯[23]。 ●木造役行者倚像[23]。交通[編集]
●JR熱海駅から東海バス・伊豆山神社行、又は七尾行。伊豆山神社前下車。石段170段を登ると境内。脚注[編集]
出典[編集]
(一)^ abcd“伊豆山神社について”. 熱海市役所教育委員会生涯学習課文化交流室. 2022年6月19日閲覧。
(二)^ 走湯山とは - コトバンク
(三)^ ab“十国峠︵日金山︶”. 文化遺産オンライン / 文化庁. 2022年6月20日閲覧。
(四)^ “日金山 東光寺の由来”. 日金山東光寺公式. 2022年6月20日閲覧。
(五)^ 走り湯の起源 - 伊豆山温泉観光協会・伊豆山温泉旅館組合
(六)^ “本宮までの道のり”. 伊豆山神社公式. 2022年6月20日閲覧。
(七)^ “銅造伊豆山権現像修理記念 伊豆山神社の歴史と美術 / 特別陳列”. 奈良国立博物館. 2022年6月20日閲覧。
(八)^ “腰掛石”. 伊豆山神社公式. 2022年6月20日閲覧。
(九)^ “本宮”. 伊豆山神社公式. 2022年6月20日閲覧。
(十)^ 現地案内看板による
(11)^ ab“赤白二龍”. 伊豆山神社公式. 2022年6月20日閲覧。
(12)^ ﹁紅白二龍と縁結びの神 <伊豆山神社>︻熱海市︼﹂︵﹃伊豆新聞﹄、2013年9月26日︶
(13)^ “結明神社”. 伊豆山神社公式. 2022年6月20日閲覧。
(14)^ “白山神社”. 伊豆山神社公式. 2022年6月20日閲覧。
(15)^ “雷電社”. 伊豆山神社公式. 2022年6月20日閲覧。
(16)^ “足立権現社”. 伊豆山神社. 2022年6月20日閲覧。
(17)^ “走湯神社”. 伊豆山神社公式. 2022年6月20日閲覧。
(18)^ “初木神社”. 伊豆山神社公式. 2022年6月20日閲覧。
(19)^ “祭事”. 伊豆山神社公式. 2022年6月20日閲覧。
(20)^ ab“木造男神立像 / 国宝・重要文化財︵美術品︶”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年6月20日閲覧。
(21)^ ab“剣︿無銘﹀ / 国宝・重要文化財︵美術品︶”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年6月20日閲覧。
(22)^ “紺紙金泥般若心経︿後奈良天皇宸翰︵伊豆国︶﹀ / 国宝・重要文化財︵美術品︶”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年6月20日閲覧。
(23)^ abcdef“熱海市内文化財一覧”. 熱海市役所教育委員会生涯学習課文化交流室. 2022年6月20日閲覧。
(24)^ ab“伊豆山郷土資料館 展示品のご紹介”. 熱海市役所教育委員会生涯学習課文化交流室. 2022年6月20日閲覧。
参考文献[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 伊豆山神社 公式サイト
- 熱海観光局-伊豆山神社
- 伊豆山郷土資料館 展示品のご紹介 - 熱海市役所