共産主義者同盟戦旗派
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日本の新左翼 |
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共産主義者同盟戦旗派︵きょうさんしゅぎしゃどうめいせんきは︶は、1973年から2004年まで存在した共産同系の日本の新左翼党派の一つ。略称は﹁共産同戦旗派﹂﹁両川派﹂﹁西田派﹂など。
概要[編集]
1973年6月 ﹁共産主義者同盟戦旗派﹂は、﹁共産主義者同盟 (戦旗派)﹂︵荒派、日向派、後の﹁戦旗・共産同﹂︶から分裂して結成された。指導者は両川敏雄︵別名‥西田輝︶、機関紙は﹁戦旗﹂で分裂相手の荒派と同一だが住所が異なる。本部は﹁戦旗社﹂で東京都足立区に置き、主に首都圏や山口県や福岡県を活動拠点とした。 共産同戦旗派は、過去にひめゆりの塔事件を起こすなど武闘派の側面をもち[1]、中核派や革労協とともに﹁三派共闘﹂を結成、三里塚闘争や反皇室闘争の過程で実力闘争を展開し、ゲリラ事件なども起こしてきた。 1991年頃より、同じブント系党派である﹁共産主義者同盟 (全国委員会)﹂︵﹁烽火派﹂系︶︶と提携関係を結ぶようになり、次第に両者の関係を深めた。2004年4月、両者は統合し、新たに﹁共産主義者同盟 (統一委員会)﹂として再出発することになった。年表[編集]
●1973年 ﹁共産主義者同盟 (戦旗派)﹂︵荒派︶より分裂して結成 ●1975年 ひめゆりの塔事件 ●1975年 風日祈宮放火事件 ●1987年 木の根団結砦撤去事件 ●2004年 共産主義者同盟 (全国委員会)と合流して共産主義者同盟 (統一委員会)を結成注釈[編集]
(一)^ 戦旗共産同︵荒派︶から分裂したのも、指導者の荒岱介の組織温存路線に飽き足らなかったからである。[要出典]参考文献[編集]
●月刊﹁治安フォーラム﹂2009年4月号︵立花書房︶関連項目[編集]
●日本の新左翼 ●共産主義者同盟 ●共産主義者同盟 (統一委員会)外部リンク[編集]
- 共産主義者同盟(統一委員会)ホームページ (後継団体の公式サイト)