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南ローデシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南ローデシア植民地
Colony of Southern Rhodesia
イギリス南アフリカ会社
ローデシア・ニヤサランド連邦
ジンバブエ・ローデシア
1923年 - 1953年
1963年 - 1965年
1979年 - 1980年
ローデシア・ニヤサランド連邦
ローデシア
ジンバブエ
南ローデシアの国旗 南ローデシアの国章
国旗 (1923-1953)国章 (1924-1981)
国歌: 女王陛下万歳
南ローデシアの位置
南ローデシア
公用語 英語
首都 ソールズベリ
君主
1923年 - 1936年 ジョージ5世
1936年 - 1936年エドワード8世
1936年 - 1952年ジョージ6世
1952年 - 1980年エリザベス2世
南ローデシア首相
1923年 - 1927年チャールズ・コグラン
1933年 - 1953年ゴドフリー・ハギンス
1964年 - 1979年イアン・スミス
変遷
イギリス南アフリカ会社成立 1889年
自治獲得1923年10月11日
連邦成立1953年 - 1963年
共和制成立1970年3月3日
ジンバブエ・ローデシア成立1979年6月1日
ジンバブエ独立1980年4月19日
通貨南ローデシア・ポンド
ローデシア・ポンド
ローデシア・ドル

: Southern Rhodesia[1]

[2][3]

歴史[編集]

南アフリカ会社による開拓(19世紀後-20世紀中)[編集]


1889西[4]2510[5]

1890[6]1893[5]1898[7]1911[5]

1923a self-governing colony[5][8]

(1953-1963)[]


19531963[9]1960

北ローデシア地域の独立(1964)[編集]


41964[2]1965[10]

一方的独立宣言と南ローデシア問題(1965-1980)[編集]

白人の支配が強固なローデシア地域の白人セトラー[注釈 1]はお互い強い共同体意識を持つ一方で、アフリカ人に対する鋭い人種差別意識を抱いていた。ローデシアにおける白人セトラーの既成支配権を剥奪されないことを目指す与党ローデシア戦線英語版は、永久的にローデシアの支配権を白人セトラーが掌握することを企図して、1962年からローデシアの独立を最優先の課題としていた。イギリス政府は、ナショナリストや国際連合、英連邦アフリカ諸国などからの多数支配を求める決議を前に、「ローデシア政府に対して政治体制を多数支配に近づけること」などの提案を行ったが、ローデシア戦線はこれを拒否し、交渉は決裂した。結果、ローデシア戦線のイアン・スミス政権はイギリス政府の承認を得られることなく、「一方的独立宣言」に踏み切り、南ローデシアの独立をめぐる「ローデシア問題」は国際問題化した[11]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ローデシア地域に居住する白人を指す。

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(一)^  -  Weblio. www.weblio.jp. 2023219

(二)^ ab. 2023211

(三)^ . 2023211

(四)^ Zimbabwe profile - Timeline (). BBC News. (2011711). https://www.bbc.com/news/world-africa-14113618 2023211 

(五)^ abcd.  Institute of Rhodesian Army. 2023211

(六)^ Colony of Southern Rhodesia. www.britishempire.co.uk. 2023211

(七)^ Archives, The National. The National Archives - Homepage (). The National Archives. 2023211

(八)^ . 1119701227-36CRID 1050287297238924032hdl:10069/9580ISSN 02871300 

(九)^ . Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2023211

(十)^  (2012). . 調 3: 3-6. https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/geppo/pdfs/12_3_1.pdf. 

(11)^ 2001 

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Institute of Rhodesian Army -