サラワク王国
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- サラワク王国
- Kingdom of Sarawak
كراجأن سراوق -
← 1841年 - 1946年 → (国旗) (国章) - 国の標語: ラテン語: Dum Spiro Spero
(マレー語: Berharap Selagi Bernafas)
(英語: While I breathe,I hope)
日本語訳例:息ある限り、希望を捨てず。 - 国歌: Gone Forth Beyond the Sea
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公用語 英語、イバン語、マレー語、中国語 宗教 イスラム教 首都 クチン 通貨 サラワク・ドル 現在 マレーシア
サラワク王国︵サラワクおうこく、1841年 - 1946年︶は、ボルネオ島北部︵現在のマレーシア・サラワク州とブルネイ︶に存在した白人王国。ジェームズ・ブルック ︵James Brooke 在位1841年 - 1868年︶ が建国し、ブルック王朝3代の白人王が統治した。
1870年に鋳造されたサラワク州の1セント硬貨。 チャールズ・ブ ルック
歴代の白人王は、﹁文化が進んだ少数のヨーロッパ人のために、先住民の利益を犠牲にしてはならない﹂として、外国資本による搾取から先住民を保護していた。そのため、サラワク王国では、国是として外国資本の投資や開発を原則禁止していた。
しかしながら、例外的に英国のボルネオ社は、1857年から1923年までの期限付きで石炭を除く他の一切の鉱業独占権を付与されていた。これはボルネオ社がサラワク王国建国を財政的に支援し、また中国人の反乱時に軍事的援助を提供し国王の信頼を得ていたからである。
また、日本の日沙商会も1911年に土地の租借が許され、大規模なゴムのプランテーションを経営していた。これはプランテーションの開拓と殖産について、依岡省三とその事業を継承した依岡省輔が国王からの信頼を得ていたからである。しかし日本の敗戦により、日沙商会の資産は全て没収され、邦人は強制帰国させられた。