土呂久砒素公害
土呂久砒素公害︵とろくひそこうがい︶とは、1920年︵大正9年︶から1941年︵昭和16年︶までと1955年︵昭和30年︶から1962年︵昭和37年︶までの計約30年間、宮崎県西臼杵郡高千穂町の旧土呂久鉱山で、亜砒酸を製造する﹁亜ヒ焼き﹂が行われ、重金属の粉塵、亜硫酸ガスの飛散、坑内水の川の汚染で起きた公害である。
皮膚の色素異常、角化、ボーエン病、皮膚癌、鼻中隔欠損、肺癌などをきたす。
鉱業権を買った住友金属鉱山に対して1975年︵昭和50年︶に裁判が始まり、15年後に和解した。