坂本休
坂本 休 さかもと やすむ | |
---|---|
生年月日 | 1930年10月8日(93歳) |
出生地 | 大分県日田郡中津江村 |
出身校 | 中津江村国民学校卒業 |
前職 | 財団法人中津江村地球財団理事長 |
現職 |
大分トリニータ後援会名誉会長 大分トリニータを支える県民会議会長 |
称号 | シュバリエ勲章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1996年6月12日 - 2005年3月21日 |
坂本 休︵さかもと やすむ、1930年10月8日 - ︶は、大分県日田郡中津江村の自治体としての同村の最後の村長。最終学歴は中津江村国民学校卒業。自称﹁日本人のカメルーン人﹂。
人物[編集]
日田市中津江村栃野在住。 自らが村長を務めていた当時の2002年、中津江村が2002 FIFAワールドカップ︵W杯︶でカメルーン代表のキャンプ地に選ばれたが、カメルーン選手団の中津江村入りが予定より5日も遅れたことで村とともに坂本の名も全国に知れ渡った。﹁W杯︵中津江村︶﹂は2002年の新語・流行語大賞年間大賞に選ばれ、坂本もその受賞者となった[1]。 W杯後も大分スポーツ公園総合競技場︵ビッグアイ、現‥昭和電工ドーム大分︶で開催された日本代表対カメルーン代表の親善試合︵キリンチャレンジカップ︶に顔を出したり[2]、自身がカメルーンを訪問し、友好都市であるメヨメサラ市にも足を運ぶなど中津江とカメルーンの交流を続けている。 2003年にはカメルーン政府から﹁カメルーンと日本の友好関係に貢献した﹂として﹁シュバリエ勲章﹂が贈られた[2]。これは、カメルーンに貢献した人物に贈られるもので、日本人の受章は初めてであった。また、同年にメヨメサラ市の市長も来日して旧中津江村を訪問している。 鯛生金山の経営などを行う財団法人中津江村地球財団理事長を2018年まで務めた[3]。大分トリニータ後援会の会長も務める傍ら、W杯で得た経験を生かし、シンポジウムなどのパネリストとして引っ張りだこである。 2009年12月13日、経営難に陥っている大分トリニータ再建のために設立された﹃大分トリニータを支える県民会議﹄の会長に就任した[4]。 2010年6月、南アフリカで行われる2010 FIFAワールドカップ︵W杯︶にカメルーン代表の応援のため現地で観戦することで話題になった。経歴[編集]
●1983年 - 中津江村議会議員当選。 ●1988年4月 - 中津江村議会議長。以後、2期8年務める。 ●1996年6月12日 - 中津江村長当選。以後、3期務める。 ●2004年12月 - 財団法人中津江村地球財団理事長就任。 ●2005年3月21日 - 中津江村が日田市に編入合併したため村長失職。 ●2005年4月23日 - 大分トリニータ後援会会長就任。 ●2009年12月13日 - 大分トリニータを支える県民会議会長就任著書[編集]
●カメルーンがやってきた 中津江村長奮戦記︵2002年11月、宣伝会議、ISBN 978-4883350650︶脚注[編集]
(一)^ 自由国民社. “2002 年間大賞 W杯︵中津江村︶”. 2014年6月30日閲覧。 (二)^ ab揺れた!ビッグアイ 大分決戦 ドロー/キリン杯サッカー (三)^ 坂本休さん退任へ ﹁中津江村地球財団﹂理事長 W杯カメルーンと交流 西日本新聞︵2018年6月9日︶ (四)^ 大分トリニータを支える県民会議設立総会