家島町
いえしまちょう 家島町 | |||||
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廃止日 | 2006年3月27日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 飾磨郡夢前町、家島町、神崎郡香寺町、宍粟郡安富町 → 姫路市 | ||||
現在の自治体 | 姫路市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 兵庫県 | ||||
郡 | 飾磨郡 | ||||
市町村コード | 28421-1 | ||||
面積 | 20.27 km2 | ||||
総人口 |
7,635人 (推計人口、2006年3月1日) | ||||
隣接自治体 |
(すべて海上) 姫路市、相生市、赤穂市、たつの市、 香川県小豆郡:土庄町、小豆島町 | ||||
町の木 | ウバメガシ | ||||
町の花 | ササユリ | ||||
他のシンボル |
町の鳥:カモメ 町の魚:タイ 町の歌:恋港いえしま | ||||
家島町役場 | |||||
所在地 |
〒672-8501 兵庫県飾磨郡家島町真浦2137番地1 | ||||
座標 | 北緯34度40分32秒 東経134度31分55秒 / 北緯34.67561度 東経134.53203度座標: 北緯34度40分32秒 東経134度31分55秒 / 北緯34.67561度 東経134.53203度 | ||||
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家島町︵いえしまちょう︶は、兵庫県にあった町。飾磨郡に属していた。自治体としては2006年︵平成18年︶3月27日に姫路市へ編入合併されて消滅したが、現在は姫路市の広域地名として﹁家島町﹂の名前が残存している。
本項では町制施行前の家島村︵いえしまむら︶についても述べる。
地理[編集]
兵庫県南西部、姫路市から赤穂市の沖合い15 - 18kmの瀬戸内海・播磨灘に浮かぶ大小40余の島々から構成される。町民は家島・坊勢島︵ぼうぜじま︶・男鹿島︵たんがしま︶・西島の4島に住む。役場のある家島に人口の約6割が集中している。なお、姫路市役所家島事務所によれば、﹁家島︵いえしま︶﹂はかつて︵現在も年配者には︶﹁えじま﹂ともよばれていたという。隣接していた自治体[編集]
︵いずれも海上︶ ●姫路市、たつの市、相生市、赤穂市 ●香川県小豆郡‥土庄町、小豆島町歴史[編集]
●1879年︵明治12年︶家島諸島が揖東郡から飾東郡に編入 ●1889年︵明治22年︶4月1日 町村制の施行により、飾東郡真浦・坊勢浦・宮浦の区域をもって家島村が発足 ●1896年︵明治29年︶4月1日 家島村の所属郡が飾磨郡に変更 ●1928年︵昭和3年︶11月10日 家島村が町制施行して家島町となる ●1934年︵昭和9年︶9月 室戸台風により帆船漁船が多く損壊 ●1940年︵昭和15年︶2月 家島港内に陸軍戦闘機墜落︵2名殉職︶ ●1945年︵昭和20年︶2月 西島全島大火災 ●1945年︵昭和20年︶3月 ドイツ軍潜水艦が家島港に入港 ●1945年︵昭和20年︶7月 アメリカ軍の空襲により、船舶沈没、負傷者などの被害を出す ●1947年︵昭和22年︶4月 学制改革により家島・坊勢の両小学校、家島中学校、家島中学校坊勢分校発足 ●1949年︵昭和24年︶10月 米軍偵察機、男鹿田の浜へ不時着 ●1950年︵昭和25年︶9月 家島群島が瀬戸内海国立公園に編入される ●1952年︵昭和27年︶3月 姫路東高等学校家島分校を設置 ●1957年︵昭和32年︶4月 役場庁舎新築工事完成 ●1959年︵昭和34年︶7月 家島群島総合学術調査が実施され、名誉団長として三笠宮崇仁親王が来島 ●1961年︵昭和36年︶9月 第2室戸台風。家屋に被害が出る ●1965年︵昭和40年︶6月 庁用船﹁いえしま﹂進水 ●1970年︵昭和45年︶2月 男鹿島で大火災発生、山林の大部分を焼失 ●1972年︵昭和47年︶8月 播磨灘で赤潮が大量発生。養殖業に打撃 ●1973年︵昭和48年︶12月 海水淡水化施設着工︵昭和50年6月完成︶ ●1974年︵昭和49年︶7月6日に梅雨前線による集中豪雨。島内で山腹崩壊、土石流が相次ぐ。家の下敷きになるなどして死者・行方不明者6人、重軽傷者7人[1]。 ●1978年︵昭和53年︶11月 役場庁舎新築工事完成。町制50周年記念式典 ●1979年︵昭和54年︶10月 海水淡水化貯水施設を整備 ●1982年︵昭和57年︶5月 兵庫県立﹁母と子の島の島野外活動センター﹂開設 ●1984年︵昭和59年︶4月 姫路東高等学校家島分校が兵庫県立家島高等学校として独立 ●1987年︵昭和62年︶7月 男鹿簡易水道事業完成。全町完全給水となる。 ●1988年︵昭和63年︶11月 町制60周年記念式典 ●1995年︵平成7年︶1月 兵庫県南部地震︵阪神・淡路大震災︶発生。家島で震度3を記録 ●2005年︵平成17年︶客船﹁ささゆり﹂引退 ●2006年︵平成18年︶3月27日 合併により、姫路市となる。 合併後の住所表記は﹁飾磨郡家島町﹂が﹁姫路市家島町﹂に変更され、それまでの大字は全て﹁家島町﹂を頭に付ける︵﹁宮﹂の場合は﹁家島町宮﹂のような︶形となった。行政[編集]
歴代町長[編集]
●初代‥琴塚菊松︵昭和3年11月- 2期︶ ●2代‥三木尚之︵昭和12年8月- 1期︶ ●3代‥三木吉四郎︵昭和15年12月- 1期︶ ●4代‥楠長純︵昭和19年12月- 1期︶ ●5代‥北沢元輔︵昭和22年4月- 1期︶ ●6代‥竹内興助︵昭和22年12月- 1期︶ ●7代‥楠長純︵昭和26年12月- 1期︶ ●8代‥竹内興助︵昭和30年12月- 1期︶ ●9代‥高島庄太郎︵昭和34年4月- 1期︶ ●10代‥島野佐一︵昭和37年11月- 1期︶ ●11代‥村林順一郎︵昭和41年11月- 1期︶ ●12代‥島野佐一︵昭和45年11月- 1期︶ ●13代‥畑野實雄︵昭和48年4月- 2期︶ ●14代‥津田教男︵昭和52年4月- 1期︶ ●15代‥畑野實雄︵昭和56年4月- 3期︶ ●16代‥橘繁善︵平成2年6月- 1期︶ ●17代‥鍬方志郎︵平成6年9月- 2期︶ ●18代‥芝原英三︵平成14年4月-平成18年3月︶経済[編集]
昭和30 - 40年には海運・砕石・漁業により離島としては例外的に人口の維持を続けてきたが、島内人口の少子化及び高齢化、慢性的な不況の影響等により各産業の近代化が期待されている。産業[編集]
●海運業、砕石業、水産業、観光業など地域[編集]
教育[編集]
●兵庫県立家島高等学校: 所在地は家島。[1] ●家島町立家島中学校: 自主・協力・合理の校訓を三枚羽根のスクリューをモチーフにして校章にしている。所在地は家島。[2] ●家島町立坊勢中学校: 所在地は坊勢島。[3] ●家島町立家島小学校: 所在地は家島。[4] ●家島町立坊勢小学校: 所在地は坊勢島。[5] ●家島町立家島幼稚園 : 認可定員は140人。昭和49年に設立。所在地は家島。[6] ●家島町立坊勢幼稚園: 認可定員は140人。家島町立坊勢児童館が隣接する。昭和49年に設立。所在地は坊勢島。[7] 現在は町立各校、幼稚園とも姫路市立。交通[編集]
海上[編集]
●高速いえしま︵姫路港 - 家島・真浦港‥25分︶ 運賃 片道‥大人1,000円・小人200円 ●高福ライナー︵姫路港 - 家島・真浦港、宮港‥30分︶ 運賃 片道‥大人900円・小人450円 ●坊勢汽船︹姫路港 - 男鹿島 - 坊勢島 - 母と子の島︵西島︶︺ 姫路港 - 坊勢島: 45分、姫路港 - 男鹿島: 30分、坊勢島 - 母と子の島間は不定期航路 運賃 姫路 - 坊勢 往復‥大人1,940円・小人970円 片道‥大人1,020円・小人510円 姫路 - 男鹿 往復‥大人1,870円・小人940円 片道‥大人980円・小人490円 ●ラピート桂︹姫路港 - 坊勢島 - 母と子の島︵西島︶︺ 姫路港 - 坊勢島: 30分、坊勢島 - 母と子の島間は不定期航路 運賃 片道‥大人1,000円・小人500円 このほか海上タクシーも利用可能。道路[編集]
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
- 家島十景 - 間浦古郭、天満霊樹、監館眺望、白髭霊嗣、宮浦夜泊、赤坂清水・櫻谷雪景、観音崎月、坊勢寺跡、淡賀楯崎、松島野馬
- 兵庫県立いえしま自然体験センター
- B&G家島海洋センター
- 青井の浜海水浴場
出身者[編集]
脚注[編集]
- ^ 「土石流、家をなぎ倒す 瀬戸内3島 逃げる背に迫る岩」『朝日新聞』昭和44年(1974年)7月8日朝刊、15版、11面
- ^ 姫路での一期一会の出会い……そして再会! ジャガー横田ブログ 2011年9月10日付参照
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 家島地域情報ページ(家島事務所)
- 家島町ホームページ(2006/03/01アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project