小林百太郎
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こばやし ひゃくたろう 小林 百太郎 | |
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生誕 |
1929年2月4日[1][2]![]() |
死没 | 2022年3月27日(93歳没)[3] |
出身校 | 大阪府立機械工業専門学校[2] |
職業 | |
肩書き | |
親戚 |
小林 百太郎︵こばやし ひゃくたろう、1929年2月4日[1][2] - 2022年3月27日[3]︶は、日本の実業家、馬主。
兄・小林保と共に日本ピローブロック製造株式会社︵現・FYH株式会社︶を創立[1]。日本で初めてボールベアリングを開発した[1]。﹁ニホンピロ﹂の冠名で長年馬主としても活動し、ニホンピロウイナーなどの活躍馬を所有した[3]。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/74/Manabu-Sakai20111223.jpg/260px-Manabu-Sakai20111223.jpg)
小林の勝負服を着用した酒井学
日本中央競馬会︵JRA︶に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は白、緑玉霰、黄袖緑縦縞。冠名には経営する会社名より﹁ニホンピロ﹂を用いるが、かつては﹁ニホンピロー﹂も使用した。死後は、息子の小林英一が勝負服色を引き継いでいる[3][注 1]。
かつては、競走馬事業用としての会社として、有限会社ニホンピロ・レーシングが存在していた[7]。会社が運営していたサイト﹁ニホンピロ・オフィシャル・ウェブサイト﹂では、所有馬の馬名募集なども行っていた。
経歴・人物[編集]
1929年、大阪府堺市に生まれる[1]。1946年に兄の保とともに﹁小林鉄工所﹂を創業し、翌1947年より小林精工株式会社に社名変更、1953年より転がり軸受ユニットの製造・販売を開始[5]。4年後の1957年に﹁日本ピローブロック製造株式会社﹂に社名変更した[5]。 百太郎は2000年時点で同社取締役[1]、その後同社および社名変更後の2017年よりFYH株式会社の名誉会長を歴任[4][6]。2022年3月27日に死去[3][4]。93歳没。 趣味は読書、旅行[2]。馬主活動[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/74/Manabu-Sakai20111223.jpg/260px-Manabu-Sakai20111223.jpg)
来歴[編集]
●1963年 - 中央競馬での馬主資格取得[1]。 ●1968年 - 京都記念・秋をニホンピローホマレが制し、重賞初制覇。 ●1985年 - マイルチャンピオンシップをニホンピロウイナーが制し、GI級競走初制覇。主な所有馬[編集]
GI級競走優勝馬[編集]
●ニホンピロウイナー︵1982年デイリー杯3歳ステークス、阪神3歳ステークス2着、1983年きさらぎ賞、CBC賞、1984年朝日チャレンジカップ、スワンステークス、マイルチャンピオンシップ、1985年マイラーズカップ、京王杯スプリングカップ、安田記念、マイルチャンピオンシップ、天皇賞・秋3着︶ ●ニホンピロジュピタ︵1999年エルムステークス、マイルチャンピオンシップ南部杯︶ ●ニホンピロアワーズ︵2011年名古屋グランプリ、2012年名古屋大賞典、白山大賞典、ジャパンカップダート、2013年平安ステークス、帝王賞2着、東京大賞典3着、2014年東海ステークス、ダイオライト記念︶ ●ニホンピロバロン︵2016年京都ハイジャンプ、阪神ジャンプステークス、2018年中山大障害、中山グランドジャンプ3着︶重賞競走優勝馬[編集]
●ニホンピローホマレ︵1968年京都記念・春︶ ●ニホンピロビッキー︵1984年ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス︶ ●ニホンピロブレイブ︵1989年京阪杯、エプソムカップ︶ ●ニホンピロエイブル︵1990年京都4歳特別︶ ●ニホンピロラック︵1994年東京障害特別・秋︶ ●ニホンピロプリンス︵1994年CBC賞、1996年マイラーズカップ︶ ●ニホンピロスワン︵2000年ローズステークス︶ ●ニホンピロサート︵2003年ガーネットステークス、2004年プロキオンステークス、サマーチャンピオン、2005年さきたま杯、兵庫ゴールドトロフィー︶ ●ニホンピロレガーロ︵2010年小倉記念︶その他の所有馬[編集]
●ニホンピロスタディ︵1994年函館3歳ステークス2着、1995年白樺賞、マリーンステークス、オパールステークス、シリウスステークス[注 2]、札幌スプリントステークス2着︶兄・保の所有馬[編集]
勝負服の柄は紫、黄玉霰、緑袖。八大競走優勝馬[編集]
●ニホンピローエース︵1965年阪神3歳ステークス、1966年皐月賞、1967年阪急杯︶ ●ニホンピロムーテー︵1971年毎日杯、神戸杯、京都新聞杯、菊花賞、1972年中日新聞杯、1973年サンケイ大阪杯︶重賞競走優勝馬[編集]
●ミスニホンピロー︵1966年CBC賞︶ ●ニホンピロファイト︵1974年京都大障害・春︶ ●ニホンピロポリシー︵1978年デイリー杯3歳ステークス︶脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ abcdefghij﹃週刊競馬ブック﹄ 2000年8月13日号 210-211頁
(二)^ abcde﹃産経日本紳士年鑑﹄第9版 上 か行 294頁
(三)^ abcde“﹁ニホンピロ﹂小林百太郎オーナーが死去”. サンスポZBAT. サンケイスポーツ (2022年4月10日). 2023年2月5日閲覧。
(四)^ abc“冠名“ニホンピロ”の小林百太郎オーナー死去、93歳 G1・3勝ニホンピロウイナーなど所有”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2022年4月10日). 2023年2月5日閲覧。
(五)^ ab“沿革”. FYH株式会社. 2023年2月18日閲覧。
(六)^ “︻JCダート︼アワーズ小林オーナー、酒井での勝利に笑顔絶えず”. スポニチアネックス. スポーツニッポン. 2012年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月5日閲覧。
(七)^ “ご挨拶”. ニホンピロ・オフィシャル・ウェブサイト. ニホンピロ・レーシング. 2008年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月5日閲覧。
参考文献[編集]
- 『産経日本紳士年鑑 第9版 上』(産経新聞年鑑局、1970年)
- 『週刊競馬ブック』2000年8月13日号
- 芦谷有香「芦谷有香の特別インタビュー vol.114 21世紀に向けての改革を語る 小林百太郎氏」
外部リンク[編集]
- FYH株式会社
- ニホンピロ・オフィシャル・ウェブサイト - ウェイバックマシン(2001年9月22日アーカイブ分)