岩手県立盛岡工業高等学校
岩手県立盛岡工業高等学校 | |
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北緯39度39分7.2秒 東経141度6分14.4秒 / 北緯39.652000度 東経141.104000度座標: 北緯39度39分7.2秒 東経141度6分14.4秒 / 北緯39.652000度 東経141.104000度 | |
過去の名称 |
岩手県実業学校 岩手県立工業学校 岩手県立盛岡工業学校 岩手県立高松高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岩手県 |
学区 | 全県学区 |
校訓 | 質実剛健 |
設立年月日 | 1898年(明治31年)5月9日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 7学科 定時制課程 1学科 |
設置学科 |
全日制課程
定時制課程
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学校コード | D103210000110 |
高校コード | 03108K |
所在地 | 〒020-0841 |
岩手県盛岡市羽場18地割11番地1 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岩手県立盛岡工業高等学校︵いわてけんりつもりおかこうぎょうこうとうがっこう, 英: Iwate Prefectural Morioka Technical High School︶は、岩手県盛岡市に所在する県立工業高等学校。﹁盛工﹂︵もりこう︶の通称で呼ばれている。
概要[編集]
歴史 1898年︵明治31年︶に﹁岩手県実業学校﹂として開校。2013年︵平成25年︶に創立115周年を迎える。 工部省赤羽工作分局より機械工場とともに引き継がれた﹁菊花御紋章付平削盤﹂は、日本機械学会﹁日本の工作機械100選﹂に認定され、国の重要文化財として愛知県犬山市の博物館明治村に寄託・展示されている。 アクセス 岩手県交通が運行している。以下の路線バスに乗車。 ●﹁盛岡工業高校前﹂下車。※は終点の路線 ●盛岡駅(東口13番のりば)・盛岡バスセンターより﹁501﹂ ●飯岡駅西口より※﹁盛岡工業高校行﹂ ●盛岡駅東口13番のりばより、﹁上湯沢﹂下車。徒歩5分[1]。○は14番のりばからの路線 ●﹁504・505・○510﹂ 盛岡南ICより車で約10分。 校訓 ﹁質実剛健﹂ 教育目標 ●科学性と創造性の陶冶 ●勤労精神と責任感の高揚 ●敬愛と互助精神の涵養 校章 桐紋の上に、﹁高﹂の文字を置いている。 由来︰たくましく成長する南部桐のように、寒風にも負けず、雄々しく活躍し、学業や技術の修得に弛まぬ精進を続ける本校生徒の意欲と刻苦、研鑽を象徴するもの。 校歌 ●1928年︵昭和3年︶に制定。作詞は土井晩翠、作曲は山田耕筰による。歌詞は3番まである。また校歌とは別に第一から第七までの応援歌、および盛工応援団節がある。 ︻岩手県立盛岡工業高等学校 校歌︼ 1.大空に岩手聳えて 大原を北上走る 東北の郷のもなか 工業の教への庭に 集まれる子弟幾百 ああ健児勉めざらめや 2.厚生と利用のみちに 目にふるゝ文化の器 目に見えぬ理想をおはん 高くして遠き未来の あこがれも嬉し青春 ああ健児勉めざらめや 3.紅の頬の光の さめぬ間に業にいそしみ 身をたてゝ家を治めて 國に世につくさん願ひ 向上の一路辿りて ああ健児勉めざらめや沿革[編集]
旧制・工業学校 ●1897年︵明治30年︶3月29日 - ﹁岩手県実業学校﹂の設立が文部大臣に認可され、教室・木工場と付属建物が盛岡市内丸に完成。 ●1898年︵明治31年︶ ●3月19日 - 徒弟学校規程に基づき校則を制定。金工科と木工科の生徒を募集。 ●5月9日 - 授業を開始。 ●12月10日 - 開校記念式典を挙行。 ●1901年︵明治34年︶ ●2月 - 工業学校規程に基づき、﹁岩手県工業学校﹂と改称。本科、乙科、別科のそれぞれに金工科、木工科を設置。 ●6月 - ﹁岩手県立工業学校﹂と改称︵県の後に﹁立﹂を加える︶。 ●1904年︵明治37年︶2月16日 - 校則の改正により、乙科を廃止し、本科と別科のみとする。本科の金工科と木工科を機械科と建築科に改称。別科に漆工科を増設。 ●1908年︵明治41年︶ ●4月 - 別科漆工科を廃止。 ●12月10日 - 教職員・生徒の拠出金により校旗を作製。 ●1915年︵大正4年︶10月 - 建築工場と建築材料庫を増築。 ●1923年︵大正12年︶1月 - 別科を廃止し、新たに土木科を増設。 ●1928年︵昭和3年︶8月 - 校歌を制定。 ●1935年︵昭和10年︶4月1日 - 別科を復活させ、金工科と木工科を増設する。 ●1937年︵昭和12年︶ ●4月4日 - 機械建築工場以外のすべてが上田新校舎に移転。応用化学科を増設。 ●10月1日 - 臨時工業技術養成の目的とした第二部機械科を新設。 ●1938年︵昭和13年︶4月 - 別科を専修科に改称。 ●1939年︵昭和14年︶4月1日 - 県立工業学校の新設に伴い、﹁岩手県立盛岡工業学校﹂と改称。 ●1940年︵昭和15年︶3月 - 新たに5年制を併設。機械科卒業生の寄贈により建築製図室と普通教室を増築。 ●1941年︵昭和16年︶3月31日 - 第二部機械科と専修科を廃止。 ●1943年︵昭和18年︶4月1日 - 応用化学科を工業化学科に改称。 ●1946年︵昭和21年︶3月27日 - 3年制度を廃止し5年制度のみとする。 ●1947年︵昭和22年︶4月1日 - 学制改革︵六・三制の実施︶ ●工業学校の生徒募集を停止。 ●新制中学校を併設︵名称‥岩手県立盛岡工業学校併設中学校、以下‥併設中学校︶し、工業学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。 ●併設中学校はあくまで暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。 ●工業学校3・4年修了者は、そのまま工業学校4・5年生として在籍。 新制・工業高等学校 ●1948年︵昭和23年︶4月1日 - 学制改革︵六・三・三制の実施︶により、工業学校は廃止され、新制高等学校﹁岩手県立盛岡工業高等学校﹂が発足。 ●工業学校卒業生を新制高校3年生として、工業学校4年修了者を新制高校2年生として編入。 ●併設中学校卒業生を新制高校1年生として収容。 ●併設中学校は継承され︵名称‥岩手県立盛岡工業高等学校併設中学校︶、その在校生は1946年︵昭和21年︶に工業学校へ入学した3年生のみとなる。 ●1949年︵昭和24年︶ ●3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。 ●4月1日 - 高校三原則に基づく公立高等学校の再編により、総合制高等学校﹁岩手県立高松高等学校﹂と改称。普通科を増設し、男女共学を開始。校章を改定。 ●1953年︵昭和28年︶4月1日 - ﹁岩手県立盛岡工業高等学校﹂︵現校名︶に復称。普通科は存続。 ●1955年︵昭和30年︶4月1日 - 定時制課程機械科を設置。 ●1958年︵昭和33年︶ ●4月1日 - 岩手県美術工芸高等学校の廃止に伴い、工芸科を新設し、美工分校舎で授業を開始。 ●10月10日 - 創立60周年を記念し、グラウンドを拡張。 ●1959年︵昭和34年︶ ●4月7日 - 電力科と電気通信科を設置し、美工分校舎で授業を開始。 ●5月 - 上田神庭山に寄宿舎を新設し、入舎を開始。 ●8月19日 - 火災により、講堂と家庭科教室を消失。 ●1960年︵昭和35年︶12月25日 - 工芸科の校舎が完成し、美工分校舎からの移転を完了。 ●1961年︵昭和36年︶3月 - 体育館が完成。 ●1962年︵昭和37年︶10月 - ラグビー部、第17回国民体育大会︵岡山県︶で優勝。 ●1963年︵昭和38年︶4月1日 - 学科改編 ●機械科と工業化学科の編成を各2学級とする。 ●電力科を電気科に、電気通信科を電子科と改称。 ●定時制課程に電気科を新設。 ●1964年︵昭和39年︶5月25日 - 建築科と工業化学科に実習棟を増築。 ●1966年︵昭和41年︶ ●1月 - ラグビー部、第45回全国高等学校ラグビーフットボール大会で優勝。 ●3月31日 - 普通科を廃止。 ●1968年︵昭和43年︶4月1日 - 工芸科を募集停止し、デザイン科を新設。 ●1970年︵昭和45年︶ ●4月 - 紫波郡都南村大字羽場字松崎に新校舎が完成し移転。 ●10月 - ラグビー部、第25回国民体育大会︵岩手県︶で優勝。 ●1971年︵昭和46年︶1月 - ラグビー部、第50回全国高等学校ラグビーフットボール大会で優勝。 ●1973年︵昭和48年︶ ●3月31日 - 校地の東端に寄宿舎を新築し、入舎を開始。 ●4月 - 工業化学科を1学級減じ、情報技術科を新設。 ●8月13日 - プールが完成。 ●1981年︵昭和56年︶ ●4月 - 定時制課程機械科に技能連携制度を新設。 ●8月 - 野球部が岩手県代表として第63回全国高等学校野球選手権大会︵夏の甲子園大会︶に初出場。 ●1982年︵昭和57年︶ ●3月 - 庭球コート用地に第二体育館が完成。 ●8月 - 野球部が第64回全国高等学校野球選手権大会︵夏の甲子園大会︶に2年連続で出場。 ●1989年︵平成元年︶ ●3月21日 - 校地の東端に合宿所﹁桐工会館﹂が完成。 ●4月1日 - 機械科を1学級減じ、電子機械科を新設。 ●1992年︵平成4年︶4月1日 - 盛岡市と都南村の合併により、学校所在地の表記が盛岡市羽場第18地割11番地1に変更となる。 ●1994年︵平成6年︶ ●3月 - 家庭科実習棟が完成。 ●4月1日 - 学科改編により、定時制課程の機械科と電気科の生徒募集を停止し、定時制課程工業科を新設。 ●11月 - 校舎大規模改造工事を開始。 ●1997年︵平成9年︶ ●3月31日 - 定時制課程機械科と電気科を廃止。 ●8月 - 機械科実習棟を改築。 ●1999年︵平成11年︶ ●2月 - ウェイトリフティング場が完成。全天候に対応できるテニスコートを整備。 ●3月 - 情報技術科実習棟と工業化学科実習棟、プールを改築。 ●2000年︵平成12年︶ ●3月21日 - 創立100周年を記念し﹁盛工百年館﹂が完成。 ●3月27日 - 建築科・土木科・デザイン科実習棟を改修。 ●3月31日 - 太陽光発電装置を設置。 ●2001年︵平成13年︶6月22日 - 所蔵の菊花御紋章付門形平削盤︵明治12年、工部省赤羽工作分局製︶が国の重要文化財の指定を受ける。 ●2003年︵平成15年︶4月1日 - 電子科と情報技術科の生徒募集を停止し、電子情報科を新設。 ●2005年︵平成17年︶3月31日 - 電子科と情報技術科を廃止。 ●2008年︵平成20年︶4月1日 - 建築科とデザイン科の生徒募集を停止し、建築・デザイン科を新設。 ●2009年︵平成21年︶4月-ウエイトリフティング場に隣接した室外トイレ完成。 ●2010年︵平成22年︶3月31日 - 建築科とデザイン科を廃止。部活動[編集]
部活動が盛んであり、ラグビー・アマチュアレスリング・ウエイトリフティング・スケートなど全国大会でも活躍している。特に盛岡工業高等学校ラグビー部は、現在までに35回の全国高等学校ラグビーフットボール大会への出場と2度の全国制覇を果たしている強豪校である。 運動部 ●陸上競技部 ●硬式野球部 ●バスケットボール部 ●バレーボール部 ●ラグビー部 ●柔道部 ●水泳部 ●登山部 ●スキー部 ●スケート部 ●硬式テニス部 ●ソフトテニス部 ●レスリング部 ●アーチェリー部 ●卓球部 ●ウエイトリフティング部 文化部 ●吹奏楽部 ●茶華道部 ●化学部 ●写真部 ●アマチュア無線部 ●美術部 ●演劇部 ●文学部 ●天文部 ●マイコン部 ●自動車部 ●囲碁将棋部 ●ギター同好会著名な出身者[編集]
●佐藤良一 - 元プロ野球選手 ●田鎖博美 - 元プロ野球選手 ●小田英明 - 元プロ野球選手 ●高橋幸二 - 元プロ野球選手 ●加賀元 - 元プロ野球選手 ●TAKAみちのく - プロレスラー ●Hi69 - プロレスラー ●佐々木大地 - プロレスラー ●中村圭吾 - プロレスラー ●佐々木功 - 陸上選手 ●小野寺政人 - ラグビー選手 ●笹田学 - 元ラグビー日本代表選手 ●小原義巧 - ラグビー選手 ●川崎清純 - ラグビー選手 ●川崎龍清 - ラグビー選手 ●七戸昌宏 - ラグビー選手 ●高城良太 - ラグビー選手 ●瀧澤陽兵 - ラグビー選手 ●佐々木和樹 - ラグビー選手 ●高城佑太 - ラグビー選手 ●楢山直幸 - ラグビー選手 ●藤原誠 - ラグビー選手 ●細川諭 - ラグビー選手 ●田村正彦 - 八幡平市長 ●柳村純一 - 元滝沢村長 ●横澤高徳 - 参議院議員、チェアスキー選手 ●中嶋英夫- 元衆議院議員︵旧制︶脚注[編集]
- ^ 盛岡工業高校への交通手段岩手県立盛岡工業高等学校 中学生体験入学の開催について 2023年12月4日閲覧
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト
- 岩手県立盛岡工業高等学校同窓会 - ウェイバックマシン(2002年12月31日アーカイブ分)
- 盛工ラガーOB会
- 地図 - Google マップ
部活動実績 |
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