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田中隆吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 隆吉
生誕 1893年7月9日
日本の旗 日本 島根県安来市
死没 (1972-06-05) 1972年6月5日(78歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1943年
最終階級 少将
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1947年(昭和22年)の暮れ、木戸幸一担当の弁護士が、東條に対して「木戸に天皇のご意思にそむくような行いがあったかどうか」と質問をしたところ、東條は「いやしくも日本人たるもの、一人といえども陛下のご意思に反して行動するがごとき、不忠の臣はおりません。いわんや文官においてをや」と大見得を切ってしまった。これを受けて、アメリカの新聞は「東条、天皇の戦争責任を証言」と書きたてた。これを受けてさらに、ソ連の検事が正式に天皇追起訴を提言してキーナン主席検事に迫った。キーナンと田中は、天皇は開戦の意図を持っていなかった、天皇には責任はないということを、いかにして東條に再度言明させるかを深夜まで協議をした。東條の秘書へ接触することで、東條への工作は成功した。1948年(昭和23年)16日の午後の法廷において、東條に「23日前にこの法廷で日本臣民たる者は何人たりとも天皇の命令に従わない者はないと述べたことは、単に個人的な国民感情を述べたにすぎず、天皇の責任とは別の問題であり、大東亜戦争(太平洋戦争)に関しては、統帥部その他自分をふくめて責任者の進言によって、しぶしぶご同意になったのが実情である」と発言させることに成功したのだった。これにより、この危機は救われた。

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田中隆吉を演じた人物[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]



(一)^ 125 

(二)^  調380 

(三)^    ISBN 978-400600193320-23p

(四)^ abc 調()19941118384 

(五)^ abc ()1971203-206 

(六)^ (15). 2011112

(七)^  19991210210 

(八)^ 511 . 2021111

(九)^ 2. . (19471114) 

(十)^   p.204... | .  . 2021113

(11)^ 114 

(12)^ ab2016711 

(13)^ ab. . (2017327). https://web.archive.org/web/20170314005041/http://www.yomiuri.co.jp/stream/?id=06011 

(14)^ 203 

(15)^  

(16)^ abc  ()19531130273-276 

(17)^     ISBN 4122015359204p

(18)^ 193 

(19)^ 1995ISBN 4167198037 

(20)^  ( 1986).  . : 356. 

(21)^  102017327

著作[編集]

  • 『敗因を衝く ―軍閥専横の実相―』
(山水社、1946年)
中公文庫、1988年、2006年) ISBN 4-12-204720-X
終戦直後に出版された本で、戦争末期においても上層部で政治闘争が続いていたことを明らかにした。ただし、この本を書いたことによってGHQから呼び出しを受けることとなる(後書きを参照)。
  • 『日本軍閥暗闘史』
(静和堂書店、1947年)
(中公文庫、1988年、2005年) ISBN 4-12-204563-0
  • 『裁かれる歴史 ―敗戦秘話―』
(新風社、1948年)
(長崎出版、1985年) ISBN 4-930695-59-7

参考文献[編集]

  • 粟屋憲太郎 編 『東京裁判資料・田中隆吉尋問調書』(岡田良之助 訳、大月書店、1994年) ISBN 4-272-52028-8
  • 田中稔「東京裁判と父田中隆吉」、文庫あとがき
    • 田中隆吉『敗因を衝く 軍閥専横の実相』(中公文庫、新版2006年) p188 - p209
  • 伊藤隆 、文庫解説
    • 田中隆吉『日本軍閥暗闘史』(中公文庫、新版2005年) p175 - p186
  • 保阪正康『戦後の肖像 その栄光と挫折』(中公文庫、2005年) ISBN 4-12-204557-6
    • 「裏切りの軍人という烙印……田中隆吉」 p325 - p351〔初出は「日本のユダ 田中隆吉の虚実」、『諸君!』1983年8月号〕