申酉事件
申酉事件︵しんゆうじけん︶は、1908年︵明治41年︶から翌1909年にかけて起こった、東京高等商業学校︵一橋大学の前身︶と文部省との間の紛争事件・学校騒動である。この項目では﹁第2の申酉事件﹂とされる1931年の﹁籠城事件﹂についても併せて記述する。
高商生の総退学︵﹃東京朝日新聞﹄ 1909年5月12日付4面︶
1887年、従来の東京商業学校を改編し官立﹁高等商業学校﹂として設立された東京高等商業学校︵東京高商︶は卒業生を対象とする専攻部を設置、大学への昇格をめざした。これに対し文部省は、東京帝国大学法科大学︵現在の東京大学法学部︶に経済・商業2学科を新設、さらに東京高商専攻部を廃止しこの2学科に事実上吸収する方針を決定、同校の大学昇格を真っ向から否定した。東京高商側はこの決定に激しく反発、学生も総退学の意思を表明したため事態は紛糾した。
結局、財界の大立者であり東京高商の商議員でもあった渋沢栄一が調停に乗り出し、文部省も折れて東京高商専攻部は存続が決定されたため東京高商側はほぼ勝利し、これによりその後の東京高商の旧制東京商科大学への昇格への道が開かれることとなった。またこの事件後、東京商大・一橋大の後援・同窓組織として現在も存続する如水会が発足した。
以上、1908年から09年にかけての一連の事態を両年の干支である戊申および己酉をつないで﹁申酉事件﹂と称する︵しばしば﹁辛酉事件﹂と誤記される︶。
関一 / 東京高商教授として同校の大学昇格運動の中心となった。
渋沢栄一 / 事件に際して調停、専攻部存続に尽力した。
初代如水会館︵1919年︶