石狩金沢駅
石狩金沢駅 | |
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駅舎(2017年7月) | |
いしかりかなざわ Ishikari-Kanazawa | |
◄G14 北海道医療大学 (2.2 km) (4.5 km) 本中小屋► | |
所在地 |
北海道石狩郡当別町字金沢 北緯43度14分43.66秒 東経141度34分8.97秒 / 北緯43.2454611度 東経141.5691583度 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 札沼線(学園都市線) |
キロ程 | 31.1 km(桑園起点) |
電報略号 | リカ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1935年(昭和10年)10月3日 |
廃止年月日 | 2020年(令和2年)5月7日[報道 1] |
備考 |
無人駅 路線廃止に伴う廃駅 |
石狩金沢駅︵いしかりかなざわえき︶は、北海道石狩郡当別町字金沢にあった北海道旅客鉄道︵JR北海道︶札沼線︵学園都市線︶の駅︵廃駅︶である。事務管理コードは▲130206[1]。
1976年の石狩金沢駅と周囲約500m範囲。左下が札幌方面。国土 交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
●1935年︵昭和10年︶10月3日‥国有鉄道札沼線石狩当別駅︵現・当別駅︶ - 浦臼駅間の開通[報道 2]に伴い、同線の駅として開業[2]。一般駅[3]。
●1944年︵昭和19年︶7月21日‥第二次世界大戦の激化に伴い、札沼線の石狩当別駅 - 石狩月形駅間が不要不急線に指定されたため、営業休止[3][4]。
●1946年︵昭和21年︶12月10日‥札沼線 石狩当別駅 - 浦臼駅間の営業再開に伴い、営業再開[3][5]。
●1949年︵昭和24年︶6月1日‥日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道︵国鉄︶に継承。
●1979年︵昭和54年︶2月1日‥貨物・荷物扱い廃止[6]。駅員無配置駅となり[7]、簡易委託化。
●1987年︵昭和62年︶4月1日‥国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道︵JR北海道︶に継承[8]。
●1991年︵平成3年︶3月16日‥札沼線に﹁学園都市線﹂の愛称を設定[報道 2][報道 3][9]。
●1996年︵平成8年︶3月16日‥札沼線︵学園都市線︶のうち、当駅を含む石狩当別駅 - 新十津川駅間でワンマン運転開始[9]。
●2000年︵平成12年︶‥札沼線︵学園都市線︶のうち、当駅を含む桑園駅 - 石狩月形駅間に自動進路制御装置 (PRC) を導入[10]。
●2020年︵令和2年︶
●4月17日‥新型コロナウイルス感染症︵COVID-19︶に関する緊急事態宣言により、4月18日から5月6日まで全列車運休措置。実質的な最終営業日となる[報道 4]。
●5月7日‥北海道医療大学駅 - 新十津川駅間の廃止と共に廃駅となる[報道 1][新聞 1][新聞 2][新聞 3]。
歴史[編集]
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名﹁金沢﹂に、北陸本線金沢駅と区別のため旧国名﹁石狩﹂を冠する。地名の由来は以下の諸説があるが、いずれも石川県金沢市に由来する。 ●1890年︵明治23年︶に金沢出身の松村鉄之助らが入植し、1902年︵明治35年︶に松村が命名[11]。 ●1886年︵明治19年︶に金沢出身の松村市三郎が入植したことによる[11]。町史ではこれを採る[11]。 ●樺戸集治監の看守長を務めていたある人物が、この地の道路を囚人を使い開鑿した際、地名がなかった同地を、同氏の出身地である﹁金沢﹂と称したことより[3][11][12]。鉄道省札幌鉄道局による﹃駅名の起源﹄︵1939年版︶[12]、およびその新版として1973年︵昭和48年︶に国鉄北海道総局が発行した﹃北海道 駅名の起源﹄ではこの説を採る[3]。駅構造[編集]
廃止時点で単式ホーム1面1線を有する地上駅だった。石狩当別駅が管理していた無人駅でヨ3500形のヨ4436改造の駅舎を有していた。 1976年の時点では、駅表側に島式、駅裏側に単式の複合ホーム2面3線を有する交換可能駅で、駅舎と島式ホームの間には駅舎横の新十津川方にある貨物ホームへの貨物積卸線があり、島式ホームの駅舎側は使用されておらず、旅客用としては実質的には相対式ホーム2面2線だった。貨物取扱廃止と無人化に伴い、貨物線は札幌側が寸断されて保線用引込み線となり、駅裏側ホームとレールが撤去されて単式ホーム1面1線となった。その後、引込み線も撤去されて完全に棒線化された。 2020年5月7日の北海道医療大学駅 - 新十津川駅間の廃止にあたって、同日未明にホームに設置されていた駅名標が撤去された[新聞 4]。-
駅全景(2004年6月)
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ホーム(2017年7月)
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設置されていた駅名標(2017年7月)
利用状況[編集]
●1950年︵昭和25年︶の1日平均乗車人員は105人[13]。 ●1955年︵昭和30年︶の1日平均乗車人員は122人[13]。 ●1960年︵昭和35年︶の1日平均乗車人員は192人[13]。 ●1965年︵昭和40年︶の1日平均乗車人員は223人[13]。 ●1969年︵昭和44年︶の1日平均乗車人員は133人[13]。 ●2011 - 2015年︵平成23 - 27年︶の乗降人員調査︵11月の調査日︶平均は﹁10名以下﹂[報道 5]。 ●2012 - 2016年︵平成24 - 28年︶の乗車人員︵特定の平日の調査日︶平均は2.8人[報道 6]。 ●2013 - 2017年︵平成25 - 29年︶の乗車人員︵特定の平日の調査日︶平均は3.2人[報道 7]。 ●2014 - 2018年︵平成26 - 30年︶の乗車人員︵特定の平日の調査日︶平均は2.8人[報道 8]、乗降人員調査︵11月の調査日︶平均は﹁3名以下﹂[報道 9]。 ●2015 - 2019年︵平成27 - 令和元年︶の乗車人員︵特定の平日の調査日︶平均は2.6人[報道 10]。駅周辺[編集]
駅前に旧町立金沢小学校の跡地︵校門は現存している︶を分譲した民家が数軒と肥料の工場がある。新篠津村との境界が付近にある。駅から300mほど離れた位置にキャンプ・温泉リゾート施設﹁北海道ふくろう乃湯リゾート﹂が、コロナ禍により閉鎖していた温泉施設﹁開拓ふくろふ乃湯﹂の跡地に開業した[14]。 ●国道275号 当駅廃止に伴う代替バス︵月形当別線︶の最寄停留所は﹁金沢会館前﹂となる[15]。隣の駅[編集]
北海道旅客鉄道︵JR北海道︶ 札沼線︵学園都市線︶ 北海道医療大学駅 (G14) - 石狩金沢駅 - 本中小屋駅脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ 日本国有鉄道営業局総務課 編﹃停車場一覧 昭和41年3月現在﹄日本国有鉄道、1966年、220頁。doi:10.11501/1873236。2022年12月10日閲覧。 (二)^ ﹃官報﹄1935年9月26日 鉄道省告示第405号︵国立国会図書館デジタルコレクション︶ (三)^ abcde﹃北海道 駅名の起源﹄︵第1版︶日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、52頁。ASIN B000J9RBUY。 (四)^ ﹁運輸通信省告示第353号﹂﹃官報﹄1944年7月20日︵国立国会図書館デジタルコレクション︶ (五)^ ﹁運輸省告示第313号﹂﹃官報﹄1946年12月10日︵国立国会図書館デジタルコレクション︶ (六)^ “日本国有鉄道公示第210号”. 官報. (1980年1月31日) (七)^ “﹁通報﹂●札沼線石狩金沢駅ほか5駅の駅員無配置について︵旅客局︶”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 3. (1980年1月31日) (八)^ 石野哲︵編︶﹃停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ﹄JTB、1998年、832頁。ISBN 978-4-533-02980-6。 (九)^ ab杉山茂﹁電化目前の学園都市線と専用気動車のこと﹂﹃鉄道ファン﹄第615号、交友社、2012年7月、27頁。 (十)^ ﹃JRガゼット﹄2009年10月号、交通新聞社 (11)^ abcd本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 116. ISBN 4893637606. OCLC 40491505 2018年10月16日閲覧。 (12)^ ab札幌鉄道局編 編﹃駅名の起源﹄北彊民族研究会、1939年、31頁。NDLJP:1029473。 (13)^ abcde当別町史 昭和47年5月発行 880頁。 (14)^ “北海道アグリ&リゾート株式会社 会社概要”. 2023年6月7日閲覧。 (15)^ “月形当別線 とべ~る号時刻表”. 当別町. 2023年1月9日閲覧。報道発表資料[編集]
(一)^ ab﹃札沼線︵北海道医療大学・新十津川間︶の鉄道事業廃止届の提出について﹄︵PDF︶︵プレスリリース︶北海道旅客鉄道、2018年12月21日。 オリジナルの2018年12月24日時点におけるアーカイブ。2018年12月24日閲覧。 (二)^ ab﹃札沼線︵学園都市線︶の電化について﹄︵PDF︶︵プレスリリース︶北海道旅客鉄道、2009年9月9日。2009年9月14日閲覧。 (三)^ ﹃札沼線︵学園都市線︶の電化開業時期について﹄︵PDF︶︵プレスリリース︶北海道旅客鉄道、2011年10月13日。2011年10月17日閲覧。 (四)^ ﹃札沼線︵北海道医療大学・新十津川間︶最終運行について﹄︵PDF︶︵プレスリリース︶北海道旅客鉄道、2020年4月16日。 オリジナルの2020年4月16日時点におけるアーカイブ。2020年4月16日閲覧。 (五)^ “極端にご利用の少ない駅︵3月26日現在︶” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年12月10日閲覧。 (六)^ ﹁札沼線(北海道医療大学・新十津川間︶﹂︵PDF︶﹃線区データ︵当社単独では維持することが困難な線区︶﹄、北海道旅客鉄道株式会社、2017年12月8日。2017年12月10日閲覧。 (七)^ ﹁札沼線(北海道医療大学・新十津川間︶﹂︵PDF︶﹃線区データ︵当社単独では維持することが困難な線区︶︵地域交通を持続的に維持するために︶﹄、北海道旅客鉄道株式会社、2018年7月2日。 オリジナルの2017年12月31日時点におけるアーカイブ。2018年7月4日閲覧。 (八)^ “札沼線︵北海道医療大学・新十津川間︶” (PDF). 線区データ︵当社単独では維持することが困難な線区︶(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。 (九)^ “駅別乗車人員” (PDF). 全線区のご利用状況︵地域交通を持続的に維持するために︶. 北海道旅客鉄道. 2020年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月20日閲覧。 (十)^ “札沼線︵北海道医療大学・新十津川間︶” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人未満の線区︵﹁赤色﹂﹁茶色﹂5線区︶. 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。新聞記事[編集]
(一)^ “札沼線・北海道医療大学―新十津川 20年5月7日に廃止”. 北海道新聞. (2018年12月8日). オリジナルの2018年12月17日時点におけるアーカイブ。 2018年12月8日閲覧。 (二)^ “札沼線廃止、21日にも届け出 JR、沿線4町と覚書調印”. 北海道新聞. (2018年12月21日). オリジナルの2018年12月23日時点におけるアーカイブ。 2018年12月23日閲覧。 (三)^ “JR札沼線、北海道医療大学-新十津川間が廃止へ 2020年5月、地元と合意”. 毎日新聞. (2018年12月20日). オリジナルの2018年12月23日時点におけるアーカイブ。 2018年12月23日閲覧。 (四)^ “札沼線静かに廃止 新十津川-道医療大 駅名標を撤去”. 北海道新聞. (2020年5月7日). オリジナルの2020年5月14日時点におけるアーカイブ。 2020年5月14日閲覧。関連項目[編集]
外部リンク[編集]