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砂防堰堤

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砂防ダムから転送)
砂防堰堤(新潟県妙高市長野県信濃町にまたがる関川1号砂防えん堤)

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水通し[編集]

水通し部分の断面は上底が下底より長い台形型とすることが一般的で、まれに長方形とするものがあるほか、特に流量の多い場所では階段状にすることがある。貯水するダムに見られるゲートなどの洪水調節機能は原則としてない(まれに灌漑用水などの取水のために工夫を施したダムもみられる)。水通しの断面積は最大洪水量を通過させることができるように決定される。前述のように最大洪水量を超えた場合でもある程度は耐えられるように袖部などに工夫を持たしている。

水通しとは別に堤体には大きな水抜き穴も設けられるのが一般的である。これは施工時や浚渫等のメンテナンス時に活用される。

材質[編集]


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流木対策[編集]





配置[編集]

荒廃の激しい渓流は数年から数十年にわたって複数のダムを入れて階段のようにすることが多い。この場合、下流に作られたダムの堆砂敷によって上流のダムを洗堀から守る働きもある。

砂防堰堤建設までの流れ[編集]



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測量・設計[編集]

概要を提示したうえで、詳細な設計はコンサルタントに外注する方式が一般的である。本来は測量設計は都道府県や国といった事業主体がすべきこととされているので、業務委託契約(委任契約)という形で業者と契約することが多い。一般に数か月、ダムを多数配置する場合、地すべり対策が絡む場合は地下水位の長期的な挙動の観測が必要になり、年単位になることもある。設計と並行して学識者を招いてのダム建設予定地周辺での動植物の状況を調べる環境アセスメントも行われる。

工事[編集]


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1.5m-2m1.5m-2m 10m-15m

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破損とメンテナンス[編集]


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1873年(明治6年)には、お雇い外国人であるヨハニス・デ・レーケが来日。現在の砂防堰堤の基礎となる思想や工事の体系を構築した。その後、フランスからの技術導入(階段工など)や留学を終えた日本人技術者達により現在の砂防事業の体系が確立された。1897年(明治30年)には砂防法が成立し、現代に至る近代砂防事業の始祖となる。


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日本における代表的な砂防堰堤[編集]

白岩堰堤(富山県富山市立山町
釜ヶ渕堰堤(長野県松本市
  • 本宮砂防堰堤(国の指定重要文化財[1]):常願寺川上流の有峰(現・富山地方鉄道立山線の有峰口駅近く)に1937年(昭和12年)完成。長さ107m、高さ22m、貯砂量500万立方メートルの堰堤で、日本一の貯砂量を誇る。
  • 白岩堰堤(国の指定重要文化財):1939年(昭和14年)、常願寺川上流湯川谷に10年の歳月をかけ完成。7基の副ダムの複合体としての砂防堰堤。高さ63m、落差108mの規模は、ともに日本一の高さを誇っている。2009年6月30日には、本堰堤、副堰堤、床固(第二副堰堤)および方格枠が「白岩堰堤砂防施設」として、国の重要文化財に指定された。砂防施設では初の重文指定となる。
立山カルデラの砂防事業だけでこの2つの日本一の砂防堰堤を有している。

関連項目[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]