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﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ ︵ う つ く し く あ お き ド ナ ウ 、 ド イ ツ 語 : A n d e r s c h ö n e n , b l a u e n D o n a u ︶ 作 品 3 1 4 は 、 ヨ ハ ン ・ シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 が 1 8 6 7 年 に 作 曲 し た 合 唱 用 の ウ ィ ン ナ ・ ワ ル ツ 。
﹃ ウ ィ ー ン の 森 の 物 語 ﹄ と ﹃ 皇 帝 円 舞 曲 ﹄ と と も に シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 の ﹁ 三 大 ワ ル ツ ﹂ に 数 え ら れ [ 1 ] 、 そ の 中 で も 最 も 人 気 が 高 い [ 注 釈 1 ] 。 作 曲 者 お よ び ウ ィ ン ナ ・ ワ ル ツ の 代 名 詞 と も い わ れ る 作 品 で あ る 。 オ ー ス ト リ ア に お い て は 、 正 式 な も の で は な い が 帝 政 時 代 か ら 現 在 に 至 る ま で ﹁ 第 二 の 国 歌 ﹂ と 呼 ば れ て い る [ 2 ] 。
﹃ 美 し き 青 き ド ナ ウ ﹄ と も 表 記 さ れ 、 ま た ﹁ 青 ﹂ で は な く ﹁ 碧 ﹂ と い う 漢 字 を 用 い る こ と が あ る 。 当 記 事 で は ﹃ ヨ ハ ン ・ シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 作 品 目 録 ﹄ ︵ 日 本 ヨ ハ ン ・ シ ュ ト ラ ウ ス 協 会 、 2 0 0 6 年 ︶ 記 載 の ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ に 従 う 。 オ ー ス ト リ ア で は 単 に ﹃ ド ナ ウ ・ ワ ル ツ ﹄ ︵ D o n a u w a l z e r [ 3 ] 、 D o n a u - W a l z e r [ 4 ] [ 注 釈 2 ] ︶ と 呼 ば れ る こ と も 多 い [ 7 ] 。
ち な み に 、 ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ と い う 邦 題 は 、 原 題 ﹁ A n d e r s c h ö n e n , b l a u e n D o n a u ﹂ の う ち の ﹁ An ︵ 英 語 の by に 相 当 ︶ ﹂ を 無 視 し た も の で 、 正 確 に 訳 す と ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ の ほ と り に [ 8 ] [ 9 ] ﹄ と い っ た 題 に な る 。 原 題 と 異 な る 邦 題 が 定 着 し て い る の は 日 本 だ け で は な く 、 た と え ば 英 語 圏 で は ﹃ T h e B l u e D a n u b e ︵ 青 き ド ナ ウ ︶ ﹄ と な っ て い る 。
作 曲 の 経 緯 [ 編 集 ]
1 8 6 5 年 初 頭 、 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は 、 ウ ィ ー ン 男 声 合 唱 協 会 ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ か ら 協 会 の た め に 特 別 に 合 唱 曲 を 作 っ て く れ と 依 頼 さ れ た 。 こ の 時 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は 断 っ た が 、 次 の よ う に 約 束 し た 。
「
今はできないことの埋め合わせを、まだ生きていればの話ですが、来年にはしたいと、ここでお約束します。尊敬すべき協会のためなら、特製の新曲を提供することなど、おやすい御用です[10] 。
」
約 束 の 1 8 6 6 年 、 新 曲 の 提 供 は さ れ な か っ た が 、 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は 合 唱 用 の ワ ル ツ の た め の 主 題 の い く つ か を ス ケ ッ チ し 始 め た [ 1 0 ] 。 1 8 6 7 年 、 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 に と っ て 初 め て の 合 唱 用 の ワ ル ツ が 、 未 完 成 で は あ っ た が 協 会 に よ う や く 提 供 さ れ た 。 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は ま ず 無 伴 奏 の 四 部 合 唱 を 渡 し て お い た が 、 そ の 後 、 急 い で 書 い た ピ ア ノ 伴 奏 部 を 次 の お 詫 び の 言 葉 と と も に さ ら に 送 っ た [ 1 0 ] 。
「
汚い走り書きで恐れ入ります。二、三分で書き終えないといけなかったものですから。ヨハン・シュトラウス[10] 。
」
シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 か ら ピ ア ノ 伴 奏 部 が 協 会 に 送 付 さ れ て き た と き 、 こ の 曲 に は 四 つ の 小 ワ ル ツ が ワ ン セ ッ ト に な っ て い て 、 そ れ に 序 奏 と 短 い コ ー ダ が 付 い て い た [ 1 0 ] 。 こ の 四 つ の 小 ワ ル ツ と コ ー ダ に 歌 詞 を 付 け た の は 、 ア マ チ ュ ア の 詩 人 で あ る ヨ ー ゼ フ ・ ヴ ァ イ ル ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ と い う 協 会 関 係 者 で あ っ た [ 1 1 ] 。 歌 詞 を 付 け る 作 業 は 一 筋 縄 で は い か な か っ た 。 ヴ ァ イ ル が 四 つ の 小 ワ ル ツ に す で に 歌 詞 を 乗 せ た 後 で 、 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 が さ ら に 五 番 目 の 小 ワ ル ツ を 作 っ た か ら で あ る 。 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は ヴ ァ イ ル に 四 番 目 の 歌 詞 の 付 け 替 え と 、 五 番 目 の 小 ワ ル ツ の 歌 詞 、 コ ー ダ の 歌 詞 の 改 訂 を 要 求 し た [ 1 0 ] 。
普 墺 戦 争 の 勝 敗 を 決 し た ケ ー ニ ヒ グ レ ー ツ の 戦 い 。 こ こ で オ ー ス ト リ ア ・ ザ ク セ ン 連 合 軍 は プ ロ イ セ ン 軍 に 致 命 的 な 大 敗 北 を 喫 し た ︵ 1 8 6 6 年 7 月 3 日 ︶
普 段 の ヴ ァ イ ル は 警 察 官 と し て 働 く 人 物 で あ り 、 彼 の 詩 は 猥 雑 で 愉 快 な も の と し て 知 ら れ て い た [ 1 1 ] 。 前 年 の 1 8 6 6 年 に 普 墺 戦 争 が あ り 、 わ ず か 7 週 間 で プ ロ イ セ ン 王 国 と の 戦 い に 敗 れ た こ と に よ っ て 、 当 時 オ ー ス ト リ ア 帝 国 の 人 々 は み な 意 気 消 沈 し て い た 。 ヴ ァ イ ル は こ う し た 世 相 に お い て 、 プ ロ イ セ ン に 敗 北 し た こ と は も う 忘 れ よ う と 明 る く 呼 び か け る 内 容 の 愉 快 な 歌 詞 を 付 け た [ 1 2 ] [ 1 3 ] 。
(ドイツ語歌詞)B : Wiener, seid froh …T : Oho, wieso? B: No-so bli-ickt nur um - T: I bitt, warum? B: Ein Schimmer des Lichts … T: Wir seh'n noch nichts! B: Ei, Fasching ist da! T: Ach so, na ja! B: Drum trotzet der Zeit … T: (kläglich): O Gott, die Zeit … B: Der Trübseligkeit. T: Ah! Das wär' g'scheit! Was nutzt das Bedauern, das Trauern, Drum froh und lustig seid!
(日本語訳[12] [13] [14] ) ウィーンっ子よ、陽気にやろうぜ! おう、どうして? 見回してみろよ! だから、どうして? ほら、ほのかな光だ そんなもの、見えないぜ! ほら、謝肉祭 さ! ああ、そうだった! ご時世なんて気にするな… こんな、時世なんざ! 悲しんだって、どうしようもないさ そうだな、その通りよ! 苦しんだって、悩んだって、 何の役にも立ちゃしない だから、楽しく愉快にいこうぜ!
曲名決定 [ 編集 ]
カール・イシドール・ベック (ドイツ語版 )
オーストリア=ハンガリー帝国 時代のドナウ川 (1890年 から1905年 の間に撮影)
協 会 の 記 録 や 議 事 録 、 パ ー ト 譜 の セ ッ ト や 1 8 6 7 年 2 月 15 日 以 前 の 新 聞 に は 、 ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ と い う 曲 名 は 一 切 出 て お ら ず [ 1 5 ] 、 初 演 の 直 前 に な っ て 曲 名 が 決 め ら れ た よ う で あ る [ 1 0 ] 。 最 終 的 に ハ ン ガ リ ー の 詩 人 カ ー ル ・ イ シ ド ー ル ・ ベ ッ ク ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ の 作 品 ﹃ A n d e r D o n a u ﹄ の 一 節 を 曲 名 と し て 拝 借 す る こ と に な っ た が 、 誰 が こ の 曲 名 に 決 め た の か は 明 ら か で な い [ 1 5 ] 。
『An der Donau 』Und ich sah Dich reich an Schmerzen Und ich sah Dich jung und hold Wo die Treue wächst im Herzen Wie im Schacht das edle Gold, An der Donau,An der schönen, blauen Donau .
︵ 日 本 語 訳 [ 1 6 ] [ 1 7 ] [ 9 ] [ 1 8 ] ︶
憂 い に 満 ち た 君 が 見 え る 。
若 く 美 し い 君 が 見 え る 。
変 わ ら ぬ 思 い が 心 の 中 で 大 き く な っ て い く 、
高 貴 な る 黄 金 の ご と く 。
ド ナ ウ 川 の ほ と り で 、
美 し く 青 き ド ナ ウ の ほ と り で 。
ウ ィ ー ン か ら 眺 め る ド ナ ウ 川 の 色 は 、 濁 っ た 茶 色 か せ い ぜ い 深 緑 色 と い っ た と こ ろ で あ り 、 ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ と い う 曲 名 の イ メ ー ジ に は 程 遠 い [ 1 7 ] 。 ド ナ ウ 川 が 美 し い 青 色 に 見 え る の は ハ ン ガ リ ー 平 原 に 入 っ て か ら と い わ れ [ 1 7 ] 、 ベ ッ ク が ハ ン ガ リ ー 人 で あ る こ と か ら も 推 測 で き る が 、 こ の 詩 は そ も そ も ハ ン ガ リ ー ︵ お そ ら く 国 土 の 南 部 [ 1 8 ] ︶ を 流 れ る ド ナ ウ 川 の ほ と り を 舞 台 に し た 恋 の 詩 だ と 考 え ら れ て い る [ 1 7 ] [ 9 ] [ 注 釈 3 ] 。 ︵ も と も と は ウ ィ ー ン か ら 見 て も 綺 麗 な 川 だ っ た が 、 皇 帝 フ ラ ン ツ ・ ヨ ー ゼ フ 1 世 の 治 世 下 で 治 水 工 事 が 行 わ れ た 結 果 、 景 観 が す っ か り 変 わ っ て し ま っ た と す る 説 も あ る [ 1 9 ] ︶
シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 の 父 ヨ ハ ン ・ シ ュ ト ラ ウ ス 1 世 の ワ ル ツ ﹃ ド ナ ウ 川 の 歌 ﹄ ︵ 作 品 1 2 7 ︶ の 旋 律 が 、 こ の ワ ル ツ に 似 て ﹁ ソ ・ ド ・ ミ ・ ソ ・ ソ ﹂ で 始 ま る こ と も 、 ド ナ ウ 川 に 関 す る 曲 名 に 決 ま っ た 理 由 の 一 つ だ と 指 摘 さ れ る [ 2 0 ] 。 お そ ら く 、 ﹃ ド ナ ウ 川 の 歌 ﹄ の お か げ で ま ず ド ナ ウ の 題 名 と す る こ と が 決 ま り 、 そ し て ベ ッ ク の 詩 の 一 節 か ら ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ に 決 ま っ た の で あ ろ う 。 い ず れ に せ よ 、 歌 詞 が 先 行 し て 付 け ら れ 、 最 後 の 土 壇 場 で 歌 詞 と は ま っ た く 無 関 係 な 曲 名 が 付 け ら れ た と い う こ と は 疑 い よ う が な い 。 な ぜ な ら ば 、 初 演 の 直 前 ま で ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ と い う 曲 名 が 出 て こ な い の に 加 え て 、 ヴ ァ イ ル の 歌 詞 に は ﹁ ド ナ ウ ﹂ と い う 文 字 が 一 度 た り と も 出 て こ な い [ 1 5 ] [ 1 7 ] [ 1 4 ] か ら で あ る 。
初 演 時 の プ ロ グ ラ ム 。 ﹁ 宮 廷 舞 踏 会 音 楽 監 督 ヨ ハ ン ・ シ ュ ト ラ ウ ス に よ る 合 唱 と オ ー ケ ス ト ラ の た め の ワ ル ツ 。 ウ ィ ー ン 男 声 合 唱 協 会 ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ に 献 呈 ︵ 新 曲 ︶ [ 1 5 ] ﹂
初 演 の 直 前 、 曲 に オ ー ケ ス ト ラ 伴 奏 を 付 け る こ と が 決 ま り 、 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は 急 ピ ッ チ で 作 曲 の 筆 を 進 め た [ 1 0 ] 。 ド ナ ウ 川 を イ メ ー ジ し た と 伝 え ら れ る 序 奏 部 分 も 、 初 演 の 直 前 に 急 い で 書 き 足 さ れ た も の で あ る [ 1 7 ] 。
そ し て 1 8 6 7 年 2 月 15 日 、 ウ ィ ー ン の ﹁ デ ィ ア ナ ザ ー ル ﹂ で 初 演 さ れ た 。 当 日 夜 、 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 と シ ュ ト ラ ウ ス 楽 団 は 宮 廷 で 演 奏 し て い た た め 、 合 唱 指 揮 者 ル ド ル フ ・ ワ イ ン ヴ ル ム ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ の 指 揮 の も と 、 当 時 ウ ィ ー ン に 暫 定 的 に 駐 留 し て い た ハ ノ ー フ ァ ー 王 歩 兵 連 隊 管 弦 楽 団 の 演 奏 で 初 演 さ れ た [ 1 5 ] [ 注 釈 4 ] 。 こ の 日 の 合 唱 に は 、 当 時 11 歳 だ っ た ヨ ー ゼ フ ・ ヘ ル メ ス ベ ル ガ ー 2 世 も 参 加 し て い る 。
初 演 は 不 評 に 終 わ っ た と 言 わ れ る こ と が 多 い が 、 実 際 の と こ ろ 当 時 の ウ ィ ー ン の 新 聞 の 多 く は こ の 初 演 の 成 功 を 報 じ て い る 。
覚 え や す い リ ズ ム を 持 っ た か わ い い ワ ル ツ は 、 多 作 の 舞 曲 作 曲 家 の 作 品 の な か で も 一 番 人 気 の 高 い も の に じ き に な る に 違 い な い [ 1 5 ] 。 — ﹃ デ ィ ー ・ プ レ ッ セ ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ ﹄ 紙 、 1 8 6 7 年 2 月 17 日 付
宮 廷 舞 踏 会 音 楽 監 督 シ ュ ト ラ ウ ス は 彼 の ワ ル ツ ﹃ 美 し き 青 き ド ナ ウ ︵ マ マ ︶ ﹄ で 価 値 あ る 勝 利 を 収 め た [ 1 5 ] 。 — ﹃ デ ィ ー ・ デ バ ッ デ ・ ウ ン ト ・ ロ イ ト ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ ﹄ 紙 、 1 8 6 7 年 2 月 17 日 付
ワ ル ツ は ほ ん と に す ば ら し か っ た 。 ︵ 中 略 ︶ こ の 曲 は 大 喝 采 を 受 け 、 嵐 の よ う な ア ン コ ー ル 要 求 の た め 、 も う 一 度 演 奏 し な け れ ば な ら な か っ た [ 1 5 ] 。 — ﹃ フ レ ム デ ン ブ ラ ッ ト ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ ﹄ 紙 、 1 8 6 7 年 2 月 17 日 付
け っ し て 不 評 と い う わ け で は な か っ た が 、 し か し ア ン コ ー ル が わ ず か 1 回 だ け だ っ た こ と は 作 曲 者 に と っ て 期 待 外 れ だ っ た 。 イ グ ナ ー ツ ・ シ ュ ニ ッ ツ ァ ー ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ [ 注 釈 5 ] に 宛 て て シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は こ う 書 い て い る 。
「
ワルツは迫力不十分だったかもしれない。しかし合唱曲を作ろうとして、その声楽パートを考えるとき、ダンスのことばかり念頭に置くわけにもいかない。聴衆が私からなにか違ったものを期待していたとしたら、このワルツはそうそう客を満足させてやれないよ[22] 。
」
男 声 合 唱 協 会 が こ の ワ ル ツ を 歌 っ た の は 、 そ の 後 の 23 年 間 で わ ず か 7 回 だ け で あ っ た [ 2 3 ] 。 敗 戦 を 受 け て 付 け ら れ た 風 刺 的 な 歌 詞 は 、 時 が 経 っ て ウ ィ ー ン 市 民 が 敗 戦 の シ ョ ッ ク か ら 立 ち 直 る に つ れ て 時 代 に 合 わ な く な っ た の で あ る [ 2 3 ] 。 2 月 15 日 の 初 演 は 失 敗 で は な か っ た も の の 、 大 成 功 を 収 め た と は 到 底 い え な か っ た 。 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は と り あ え ず 合 唱 版 か ら 長 い コ ー ダ を 省 き 、 3 月 10 日 に フ ォ ル ク ス ガ ル テ ン ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ で オ ー ケ ス ト ラ の み の 版 を 初 演 し た [ 2 2 ] 。
﹁ 第 二 の 国 歌 ﹂ へ [ 編 集 ]
ヨ ハ ン ・ シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 ︵ 1 8 6 7 年 、 パ リ に お い て 撮 影 ︶
1 8 6 7 年 4 月 、 パ リ 万 博 が 開 催 さ れ る と 、 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は 弟 の ヨ ー ゼ フ と エ ド ゥ ア ル ト に ウ ィ ー ン を 任 せ て 単 身 パ リ に 向 か っ た 。 そ し て 万 博 会 場 に お い て し ば ら く 遠 ざ か っ て い た ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ を 演 奏 す る と 、 今 度 は 期 待 以 上 に 高 い 評 価 を 受 け た [ 2 5 ] 。 5 月 28 日 、 パ リ の オ ー ス ト リ ア 大 使 館 で の イ ベ ン ト で は 、 臨 席 し た フ ラ ン ス 皇 帝 ナ ポ レ オ ン 3 世 か ら も 賞 賛 を 受 け た と い う 。 ジ ュ ー ル ・ バ ル ビ エ ︵ フ ラ ン ス 語 版 ︶ に よ っ て フ ラ ン ス 語 の 新 し い 歌 詞 が 贈 ら れ 、 や が て 人 々 は こ の 歌 詞 を 口 ず さ む ほ ど に な っ た [ 2 5 ] 。 こ の パ リ で の 大 成 功 の 後 、 8 月 上 旬 に シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は ロ ン ド ン に 渡 っ た が 、 こ ち ら で も パ リ と 同 様 に 絶 賛 さ れ た 。 ま た 、 こ う し た 評 判 が ウ ィ ー ン に も 届 く と ウ ィ ー ン で も 演 奏 さ れ る よ う に な り 、 た ち ま ち 世 界 各 地 で 演 奏 さ れ る よ う に な っ た 。
各 国 ご と に 大 量 の 楽 譜 が 印 刷 さ れ 、 そ の い ず れ も が 好 調 な 売 り 上 げ を 記 録 し た [ 2 6 ] 。 当 時 シ ュ ト ラ ウ ス 一 家 の 楽 譜 出 版 を 一 手 に 担 っ て い た C . A . シ ュ ピ ー ナ 社 は 、 一 万 部 印 刷 可 能 な 銅 板 を ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ の た め に 1 0 0 枚 も 必 要 と し た と い う [ 2 7 ] 。 こ れ は ラ ジ オ 誕 生 以 前 の 楽 譜 の 売 れ 行 き と し て は 最 高 の 数 字 で あ っ た [ 2 7 ] 。 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 は 演 奏 旅 行 の 際 に は 必 ず こ の 曲 を 披 露 す る よ う に な っ た [ 2 6 ] 。 1 8 7 2 年 6 月 17 日 に シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 を 招 い て ア メ リ カ 合 衆 国 ボ ス ト ン で 催 さ れ た ﹁ 世 界 平 和 記 念 国 際 音 楽 祭 ︵ 英 語 版 ︶ ﹂ で は 、 2 万 人 も の 歌 手 、 1 0 0 0 人 の オ ー ケ ス ト ラ 、 さ ら に 1 0 0 0 人 の 軍 楽 隊 に よ っ て 、 10 万 人 の 聴 衆 の 前 で こ の ワ ル ツ も 演 奏 さ れ た [ 2 8 ] 。
日 増 し に 高 ま る 名 声 を 受 け て 、 初 演 か ら 7 年 後 ︵ 1 8 7 4 年 か ︶ 、 エ ド ゥ ア ル ト ・ ハ ン ス リ ッ ク は こ う 論 評 し て い る 。
「
皇帝と王室を祝ったパパ・ハイドンの国歌 と並んで、わが国土と国民を歌ったもう一つの国歌、シュトラウスの『美しき青きドナウ(ママ)』ができたわけだ[22] 。
」
新版のピアノ譜表紙絵。右側にフランツ・フォン・ゲルネルト (ドイツ語版 ) の名前があるため、1890年 以後の出版である
こ の ハ ン ス リ ッ ク の 論 評 は 、 歌 詞 の 内 容 を ま っ た く 考 慮 し て い な い 、 曲 名 と メ ロ デ ィ ー だ け を 評 価 し た も の で あ っ た が 、 や が て ﹁ 国 歌 ﹂ に ふ さ わ し い 歌 詞 が 伴 う よ う に な る 。 1 8 9 0 年 、 フ ラ ン ツ ・ フ ォ ン ・ ゲ ル ネ ル ト ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ に よ る 現 行 の 歌 詞 に 改 訂 さ れ た の で あ る [ 2 2 ] [ 2 9 ] 。 ゲ ル ネ ル ト も や は り ヴ ァ イ ル と 同 様 に ウ ィ ー ン 男 声 合 唱 協 会 の 会 員 で 、 彼 は 作 曲 や 詩 作 を た し な む 裁 判 所 の 判 事 で あ っ た [ 1 8 ] 。 新 た に 付 け ら れ た 歌 詞 は 、 か つ て ヴ ァ イ ル が 付 け た も の と は ま っ た く 異 な る 荘 厳 な 抒 情 詩 で あ っ た [ 3 0 ] 。
(ドイツ語)Donau so blau, so schön und blau durch Tal und Au wogst ruhig du hin, dich grüßt unser Wien, dein silbernes Band knüpft Land an Land, und fröhliche Herzen schlagen an deinem schönen Strand.
︵ 日 本 語 訳 [ 3 0 ] [ 2 9 ] [ 7 ] ︶
い と も 青 き ド ナ ウ よ 、
な ん と 美 し く 青 い こ と か
谷 や 野 を つ ら ぬ き 、
お だ や か に 流 れ ゆ き 、
わ れ ら が ウ ィ ー ン に 挨 拶 を 送 る 、
汝 が 銀 色 の 帯 は 、
国 と 国 と を 結 び つ け 、
わ が 胸 は 歓 喜 に 高 鳴 り て 、
汝 が 美 し き 岸 辺 に た た ず む 。
改 訂 新 版 が 初 め て 歌 わ れ た の は 1 8 9 0 年 7 月 2 日 で [ 1 8 ] 、 こ の 後 広 く ﹁ ハ プ ス ブ ル ク 帝 国 第 二 の 国 歌 ﹂ と 呼 ば れ る よ う に な っ た [ 2 6 ] 。 ウ ィ ー ン を 流 れ る ド ナ ウ 川 を ヨ ー ロ ッ パ の 国 々 に 繋 が る 一 本 の 帯 に 見 立 て た 、 国 土 を 謳 う 立 派 な 歌 詞 が 付 け ら れ た こ と で 、 こ の ワ ル ツ は ハ プ ス ブ ル ク 帝 国 お よ び そ の 帝 都 ウ ィ ー ン を 象 徴 す る 曲 に 生 ま れ 変 わ っ た の で あ る 。 合 唱 団 は い ず れ も こ の 新 し い 歌 詞 の ほ う を 好 み 、 ヴ ァ イ ル に よ る 歌 詞 は 歌 わ れ な く な っ た [ 2 6 ] [ 7 ] 。 現 行 の 歌 詞 は 、 ウ ィ ー ン 少 年 合 唱 団 に よ る 歌 唱 で も 有 名 で あ る 。
オ ー ス ト リ ア で は 帝 政 が 廃 止 さ れ た 後 、 ハ イ ド ン に よ る 皇 帝 讃 歌 ﹃ 神 よ 、 皇 帝 フ ラ ン ツ を 守 り 給 え ﹄ か ら 別 の 国 歌 に 変 更 さ れ 、 さ ら に 紆 余 曲 折 を 経 て 1 9 4 6 年 に は ︵ か な り 疑 わ し い が ︶ モ ー ツ ァ ル ト の 作 品 と さ れ る ﹃ 山 岳 の 国 、 大 河 の 国 ﹄ に 変 更 さ れ た 。 そ の 一 方 で ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ は 、 オ ー ス ト リ ア = ハ ン ガ リ ー 帝 国 時 代 と 変 わ ら ず ﹁ 第 二 の 国 歌 ﹂ と し て の 立 ち 位 置 を 維 持 し た 。 1 9 4 5 年 4 月 に オ ー ス ト リ ア は ナ チ ス ・ ド イ ツ 支 配 か ら 解 放 さ れ た が 、 独 立 後 の 国 歌 が 未 定 だ っ た こ と か ら 、 オ ー ス ト リ ア 議 会 は と り あ え ず 正 式 な 国 歌 が 決 ま る ま で の 代 わ り と し て ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ を 推 奨 し た 。
戦 後 20 年 ほ ど が 経 過 し た 1 9 6 4 年 、 ウ ィ ー ン ・ フ ィ ル ハ ー モ ニ ー 管 弦 楽 団 と と も に テ ア ト ロ ・ コ ロ ン へ 客 演 旅 行 に 出 た カ ー ル ・ ベ ー ム は 、 最 後 の 演 奏 会 で ﹁ こ こ で 我 々 は 感 謝 の た め に さ ら に オ ー ス ト リ ア 国 歌 を 演 奏 い た し ま す ﹂ と 述 べ て 、 国 歌 と 聞 い て 反 射 的 に 起 立 し た 聴 衆 の 前 で ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ を 演 奏 し た [ 3 1 ] 。 ベ ー ム は こ の 曲 の こ と を の ち に 出 版 し た 回 想 録 の な か で も ﹁ 三 拍 子 の オ ー ス ト リ ア 国 歌 ﹂ と 表 現 し て い る 。 現 在 の オ ー ス ト リ ア で も 、 こ の ワ ル ツ は 依 然 と し て ﹁ 第 二 の 国 歌 ﹂ と 呼 ば れ 続 け て い る 。
シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 と ブ ラ ー ム ス ︵ 1 8 9 4 年 撮 影 ︶
シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 の 親 友 で あ っ た ブ ラ ー ム ス は 、 こ の ワ ル ツ の 讃 美 者 だ っ た こ と で 知 ら れ る 。 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 の 継 娘 ア リ ー チ ェ [ 注 釈 6 ] か ら 彼 女 の 扇 子 に サ イ ン を 求 め ら れ た 際 、 ブ ラ ー ム ス は こ の ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ の 冒 頭 の 数 小 節 を 書 き [ 3 2 ] [ 3 3 ] 、 そ の 下 に こ う 書 き 添 え た 。
上 の ブ ラ ー ム ス の 言 葉 は 非 常 に 有 名 な も の で あ る が 、 そ の 他 に も こ の ワ ル ツ を 讃 え る ブ ラ ー ム ス の 言 動 が い く つ か 伝 わ っ て い る 。 ブ ラ ー ム ス は シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 夫 人 ア デ ー レ に 写 真 を 贈 っ た 際 、 写 真 の 裏 に 自 分 の ﹃ 交 響 曲 第 4 番 ﹄ の 最 初 の 数 小 節 を 書 き 、 さ ら に 対 位 法 で ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ の 冒 頭 を 組 み 合 わ せ て 書 き 、 自 分 と シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 の 芸 術 の 結 び つ き を 示 し た と い う 逸 話 が あ る [ 3 2 ] 。
1 8 9 2 年 、 プ ラ ー タ ー 公 園 に お い て ﹁ ウ ィ ー ン 国 際 音 楽 演 劇 博 覧 会 ﹂ が 開 催 さ れ る こ と と な り 、 ブ ラ ー ム ス は 開 催 委 員 会 か ら 祝 祭 カ ン タ ー タ の 作 曲 を 持 ち か け ら れ た 。 こ の と き 彼 は ﹁ イ ベ ン ト 関 係 に は 関 わ り た く な い ﹂ と い う 理 由 で 、 自 分 で は な く ブ ル ッ ク ナ ー を 推 薦 し た [ 3 4 ] [ 注 釈 7 ] 。 ブ ル ッ ク ナ ー を 推 薦 し た 一 方 で 、 ブ ラ ー ム ス は こ の 祝 祭 カ ン タ ー タ に つ い て 大 真 面 目 に こ う 提 案 し た と い う 。
「
≪美しく青きドナウ≫に美しい文学的な詩をつけて混声合唱 用に編曲する。どうだ良いだろう[34] 。
」
「
ワルツは、あらゆる作曲家を誘惑する形式だ。だが成功したのはほんの一握りの作曲家だけだ。モーツァルトはレントラー を作曲したが、これはもうウィーン風のワルツ。ベートーヴェン が作曲したのはドイツ舞曲だ。そしてもちろんシューベルト 、シューマン 、ブラームス、シャブリエ 、ドビュッシー も作曲した。だがほんとうに成功したのはだれだろう。それはヨハン・シュトラウスただひとりだ。彼は奇跡的に、みなが書きたいと思ったワルツを作曲し得たのだ。≪美しく青きドナウ≫だよ[36] 。
」
後 年 に は ﹁ シ ュ ト ラ ウ ス ﹂ と い え ば ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ と い う ほ ど に ワ ル ツ 王 の 代 表 作 と し て 定 着 し て い た 。 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 が 死 去 し た 1 8 9 9 年 6 月 3 日 の 午 後 、 ウ ィ ー ン の フ ォ ル ク ス ガ ル テ ン に お い て 野 外 コ ン サ ー ト が 催 さ れ て い た [ 3 7 ] 。 シ ュ ト ラ ウ ス 2 世 の 訃 報 が 届 く と 、 指 揮 者 エ ド ゥ ア ル ト ・ ク レ ム ザ ー ︵ ド イ ツ 語 版 ︶ は 、 大 勢 の 聴 衆 に こ の こ と を 手 短 に 報 告 し た 後 、 静 か に こ の ワ ル ツ を 演 奏 し 始 め た [ 3 7 ] 。 ま た 、 交 響 詩 ﹃ ツ ァ ラ ト ゥ ス ト ラ は か く 語 り き ﹄ な ど で 知 ら れ る 同 姓 の 作 曲 家 リ ヒ ャ ル ト ・ シ ュ ト ラ ウ ス は 、 最 晩 年 に ロ ン ド ン 公 演 の た め に イ ギ リ ス を 訪 れ た 際 に ﹁ あ な た が あ の ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ の 作 曲 者 で す か ? ﹂ と 何 度 も 尋 ね ら れ た と い う 。
楽 曲 構 成 [ 編 集 ]
序 奏 部 分 の ピ ア ノ 譜
ア ン ダ ン テ ィ ー ノ 、 イ 長 調 、 8 分 の 6 拍 子
ト レ モ ロ に 乗 せ て 、 の ち に 登 場 す る ﹁ ド ・ ミ ・ ソ ・ ソ ﹂ と い う ワ ル ツ の 主 旋 律 が ゆ る や か に 示 さ れ る [ 1 6 ] 。 ニ 長 調 、 4 分 の 3 拍 子 の ﹁ テ ン ポ ・ デ ィ ・ ヴ ァ ル ス ﹂ に 移 り 、 ﹁ ワ ル ツ ﹂ 部 分 が 準 備 さ れ る [ 1 6 ] 。 ド ナ ウ 川 の 穏 や か な 流 れ を 思 わ せ る こ の 序 奏 の メ ロ デ ィ ー は 特 に 有 名 な 部 分 で あ り 、 オ ー ス ト リ ア の 人 々 の 挨 拶 ︵ グ リ ュ ー ス ゴ ッ ト [ 注 釈 8 ] ︶ の 代 わ り に も な っ た ほ ど で あ る [ 3 8 ] [ 1 9 ] 。
第 1 ワ ル ツ [ 編 集 ]
序 奏 の 続 き と 第 1 ワ ル ツ
第 1 ワ ル ツ の 最 初 の 数 小 節 ︵ 作 曲 者 の 自 筆 ・ 署 名 入 り ︶
ニ 長 調 、 二 部 形 式 ︵ A ・ A ’ | | : B : | | ︶
A の 中 心 と な る の は 次 の 楽 譜 の 部 分 で あ る 。 ﹁ ド ・ ミ ・ ソ ・ ソ ﹂ と い う メ ロ デ ィ ー か ら 始 ま る こ の 第 1 ワ ル ツ は 、 曲 全 体 の な か で も 特 に よ く 知 ら れ る 部 分 で あ る 。
Aパート
続くBではイ長調に移り、次の部分が中心となる。
Bパート
第2ワルツ [ 編集 ]
第1ワルツの続きと第2ワルツ
ニ 長 調 、 三 部 形 式 ︵ | | : A : | | B ・ A | | ︶
A は 歯 切 れ の よ い 次 の 楽 譜 に 始 ま る 。
Aパート
Bはいきなり三度の転調をおこなって変ロ長調 に移行し、流れるようなメロディーが奏でられる[39] 。
Bパート
第3ワルツ [ 編集 ]
第3ワルツ
ト 長 調 、 二 部 形 式 ︵ | | : A : | | : B : | | ︶
A は 次 の 楽 譜 に 始 ま る 。
Aパート
Bは転調することなく、速度をヴィヴァーチェ に速める[39] 。
Bパート
第4ワルツ [ 編集 ]
第4ワルツ
ヘ 長 調 、 二 部 形 式 ︵ | | : A : | | : B : | | A ︶
転 調 の た め に 4 小 節 か ら な る 経 過 句 が 挟 ま れ 、 そ れ に 続 い て A の 主 旋 律 が 奏 で ら れ る [ 3 9 ] 。
経過句、Aパート
Bはフルート を用いて演奏される[39] 。次の楽譜が中心となっている。
Bパート
第5ワルツ [ 編集 ]
第5ワルツ
イ長調 、二部形式(A||:B・B’:||)
経過部
ヘ長調から経過部を通って、イ長調に移行し、Aに入る[39] 。
Aパート
Bは次の楽譜を中心とした、活発な部分である。
Bパート
一 般 的 に は 、 ﹁ 第 3 ワ ル ツ ﹂ の A の 音 型 に 導 か れ て ﹁ 第 2 ワ ル ツ ﹂ の A が ニ 長 調 で 示 さ れ 、 続 い て ﹁ 第 4 ワ ル ツ ﹂ の A が ヘ 長 調 で 奏 で ら れ 、 最 後 に ﹁ 第 1 ワ ル ツ ﹂ の 主 旋 律 が ニ 長 調 で 現 れ て 、 変 化 が 激 し い 結 び の 句 に 移 っ て 力 強 く 終 わ る [ 3 9 ] 。
合 唱 版 で は 、 ﹁ 第 5 ワ ル ツ ﹂ の B か ら い き な り 力 強 い 結 び に 入 り 、 す ぐ に 終 わ る [ 3 9 ] 。
ニューイヤーコンサート [ 編集 ]
ニューイヤーコンサート2012の『美しく青きドナウ』バレエ(画像はリハーサル時のもの)
大 晦 日 か ら 新 年 に 代 わ る と き 、 公 共 放 送 局 で あ る オ ー ス ト リ ア 放 送 協 会 は 、 シ ュ テ フ ァ ン 大 聖 堂 の 鐘 の 音 に 続 い て こ の ワ ル ツ を 放 映 す る の が 慣 例 と な っ て い る [ 2 ] 。 そ れ に 続 い て 元 日 正 午 か ら 始 ま る ウ ィ ー ン ・ フ ィ ル ハ ー モ ニ ー 管 弦 楽 団 の ニ ュ ー イ ヤ ー コ ン サ ー ト で は 、 3 つ の ア ン コ ー ル 枠 の う ち の 2 番 目 と し て こ の ワ ル ツ を 演 奏 す る の が 通 例 で あ る [ 2 ] [ 注 釈 9 ] 。 つ ま り オ ー ス ト リ ア で は 毎 年 元 日 に 少 な く と も 2 回 は ﹃ 美 し く 青 き ド ナ ウ ﹄ が 公 共 放 送 か ら 流 れ て く る の を 聴 く こ と が で き る 。 ニ ュ ー イ ヤ ー コ ン サ ー ト で は 、 序 奏 部 を 少 し だ け 演 奏 し た 後 、 聴 衆 の 拍 手 に よ っ て 一 旦 打 ち 切 り 、 指 揮 者 や 団 員 の 新 年 の 挨 拶 が 続 く と い う 習 慣 と な っ て い る [ 2 ] 。
父 シ ュ ト ラ ウ ス 1 世 の ﹃ ラ デ ツ キ ー 行 進 曲 ﹄ も 同 コ ン サ ー ト を 締 め く く る 定 番 の 曲 で あ る が 、 こ ち ら も 国 家 的 な 行 事 や 式 典 で た び た び 演 奏 さ れ る 曲 で あ る 。 こ れ ら 二 つ の 曲 が 同 コ ン サ ー ト に き ま っ て 取 り 上 げ ら れ る の は 、 た だ 人 気 が 高 い か ら と い う だ け の 理 由 で は な く 、 オ ー ス ト リ ア を 象 徴 す る 曲 だ と い う こ と も 大 き な 理 由 な の で あ る 。 ち な み に 、 カ ラ ヤ ン と ケ ン ペ は ス テ レ オ 初 期 に ウ ィ ー ン ・ フ ィ ル を 指 揮 し て 録 音 し た ﹁ シ ュ ト ラ ウ ス ・ ア ル バ ム ﹂ に 、 こ の 曲 を 含 め て い な い 。
日 本 に お い て は 、 京 都 市 交 響 楽 団 な ど が ニ ュ ー イ ヤ ー コ ン サ ー ト で 演 奏 す る 事 も 多 い 。 近 年 は 特 に 京 都 市 少 年 合 唱 団 と の 共 演 で 行 な っ て い る 事 も 少 な く な い 。
(一) ^ 管 弦 楽 法 に つ い て は 後 期 作 品 ほ ど の 巧 緻 さ は な く 、 日 本 で も 吉 田 秀 和 や 宇 野 功 芳 ら が そ の 単 純 さ を 指 摘 す る 一 文 を 書 い て い る が 、 こ の 曲 は そ も そ も が 合 唱 曲 だ っ た の で あ る 。 ま た 、 録 音 を 残 さ な か っ た フ ル ト ヴ ェ ン グ ラ ー の ほ か 、 ク レ ン ペ ラ ー 、 シ ュ ー リ ヒ ト 、 ク ナ ッ パ ー ツ ブ ッ シ ュ が こ の 曲 を 外 し た ウ イ ン ナ ワ ル ツ 集 を 録 音 し て お り 、 カ ラ ヤ ン も 一 度 ウ ィ ー ン フ ィ ル と 同 様 の 試 み を 行 っ て い る 。
(二) ^ D u d e n の 定 め る 正 書 法 に よ れ ば 、 地 名 を 含 む 合 成 語 で は ハ イ フ ン を 入 れ な い の が 通 則 だ が 、 場 合 に よ っ て は ハ イ フ ン で 繋 い で も よ い [ 5 ] [ 6 ] 。
(三) ^ た だ し 、 ベ ッ ク は ハ ン ガ リ ー で 生 ま れ ウ ィ ー ン で 没 し て い る [ 1 4 ] 。
(四) ^ 普 墺 戦 争 で オ ー ス ト リ ア 側 に つ い た こ と に よ っ て ハ ノ ー フ ァ ー は 1 8 6 6 年 9 月 に プ ロ イ セ ン に 併 合 さ れ 、 ハ ノ ー フ ァ ー 国 王 ゲ オ ル ク 5 世 と そ の 家 族 や 臣 下 は み な オ ー ス ト リ ア に 逃 れ て い た 。
(五) ^ の ち に オ ペ レ ッ タ ﹃ ジ プ シ ー 男 爵 ﹄ の 台 本 を 書 い た 人 物 で あ る 。
(六) ^ ア リ ス と も 。 の ち に 画 家 フ ラ ン ツ ・ フ ォ ン ・ バ イ ロ ス の 妻 と な る 。
(七) ^ ブ ル ッ ク ナ ー は こ の 嘱 託 を 受 け て ﹃ 詩 篇 第 1 5 0 番 ﹄ を 作 曲 し た [ 3 4 ] 。
(八) ^ ﹁ 神 が あ な た に 挨 拶 し ま す よ う に ﹂ の 意 。 カ ト リ ッ ク 教 会 へ の 信 仰 が 根 強 い オ ー ス ト リ ア や バ イ エ ル ン な ど の 南 ド イ ツ 地 方 で は 、 ﹁ こ ん に ち は ﹂ の こ と を ﹁ グ ー テ ン タ ー ク ﹂ で は な く こ う 言 う 。
(九) ^ 始 ま っ た ば か り の 頃 に は 演 奏 さ れ な い 年 も あ っ た 。 具 体 的 に は 、 1 9 3 9 年 、 1 9 4 1 年 、 1 9 4 2 年 、 1 9 4 3 年 、 1 9 4 4 年 、 1 9 4 7 年 、 1 9 5 6 年 の 7 回 。 1 9 5 7 年 か ら は 毎 年 欠 か さ ず 演 奏 さ れ て い る 。 ︵ 2 0 1 6 年 現 在 ︶
参考文献 [ 編集 ]