花井蘭子
はない らんこ 花井 蘭子 | |
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![]() 『サンケイグラフ』1955年5月8日号 | |
本名 |
清水 よし子 しみず よしこ |
生年月日 | 1918年7月15日 |
没年月日 | 1961年5月21日(42歳没) |
出生地 |
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職業 | 女優 |
ジャンル | 映画、テレビドラマ、舞台 |
活動期間 | 1928年 - 1961年 |
主な作品 | |
映画 『姿三四郎』(1943年 黒澤明) 『細雪』(1950年 阿部豊) 『めし』(1951年 成瀬巳喜男) 『煙突の見える場所』(1953年 五所平之助) 『女の一生』(1953年 新藤兼人) |
花井 蘭子︵はない らんこ、1918年7月15日 - 1961年5月21日︶は、日本の女優。本名は清水 よし子[1]。父は新派俳優の清水林之輔。 身長 164 cm。
経歴[編集]
1923年6月に子役として初舞台を踏む。 1928年6月、松竹下加茂撮影所に入社。芸名を清水玲子とし[1]、男の子の役も演じる。実演で林長二郎と共演。1930年末に退社。 1931年2月、日活太秦撮影所に入社。芸名を花井蘭子と改め[1]、現代劇部に所属し主役の田中春男の妹役などを担当した。1932年より時代劇の娘役が多くなり、千恵蔵プロの片岡千恵蔵らの相手役を務め、1年先輩の山田五十鈴と並び称される若手女優の双璧となる。 1937年6月、大河内伝次郎と共に新興のJ.O.スタヂオへ入社。1938年8月、J.O.スタヂオは東宝に吸収され、東宝京都撮影所となる。 1946年11月、東宝争議の中、大河内らと十人の旗の会を結成し、1947年3月、新東宝に参加。大映に請われての出演も多く主演女優としての活躍を続けた。 1952年からは脇に回るようになり、1956年には東宝と契約。脳腫瘍の手術等で休養することが多くなる。 1961年、脳内出血のため自宅で死去、42歳没。出演歴[編集]
映画[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f7/The_Million_Ryo_Pot_1935_-_Ranko_Hanai_2.jpg/200px-The_Million_Ryo_Pot_1935_-_Ranko_Hanai_2.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/Sasameyuki_1950.jpg/200px-Sasameyuki_1950.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cf/Ranko_Hanai_and_Kinuyo_Tanaka.jpg/200px-Ranko_Hanai_and_Kinuyo_Tanaka.jpg)
テレビドラマ[編集]
●ある町のある出来事︵1959年、NHK︶ ※映像が現存する関連項目[編集]
●松竹キネマ ●松竹京都撮影所 ●日活 ●日活撮影所 ●J.O.スタヂオ ●東宝映画配給 ●東宝映画 ●東宝スタジオ ●東宝 ●新東宝脚注[編集]
(一)^ abc20世紀日本人名事典﹃花井 蘭子﹄ - コトバンク 2016年3月14日閲覧。
(二)^ 忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇 - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(三)^ 快盗白頭巾 前篇 - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(四)^ 大菩薩峠 甲源一刀流の卷 - 国立映画アーカイブ、2023年6月1日閲覧
(五)^ 快盗白頭巾 後篇 - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(六)^ 権三と助十(1937) - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(七)^ 唐人お吉 黒船情話 - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(八)^ 沼津兵学校 - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(九)^ なつかしの顔 - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(十)^ 母の地図 - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(11)^ 熱風(1943) - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(12)^ 勝利の日まで - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(13)^ 新馬鹿時代 - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(14)^ 私刑 - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(15)^ 次郎物語(1955) - KINENOTE、2023年6月1日閲覧
(16)^ 妻の心 - KINENOTE、2023年6月1日閲覧