駒込 (豊島区)
駒込 | |
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駒込駅北口 | |
北緯35度44分11.36秒 東経139度44分48.75秒 / 北緯35.7364889度 東経139.7468750度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 豊島区 |
地域 | 巣鴨地域 |
人口 | |
• 合計 | 17,537人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
170-0003[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
※座標はJR駒込駅付近 |
駒込︵こまごめ︶は、東京都豊島区の町名。現行行政地名は駒込一丁目から駒込七丁目。郵便番号は170-0003[2]。
地理[編集]
豊島区東端・本郷台地に位置する。北で北区西ケ原、東で北区中里・田端、南で文京区本駒込、西で巣鴨と接する。 暗渠であるが、染井霊園から台東区上野の不忍池へ向かって谷田川︵藍染川︶が流れている。﹁霜降橋﹂などの地名は、かつて橋が架けられていた名残である。歴史[編集]
詳細は「駒込 (東京都)」を参照
かつての豊島郡駒込村は現在の文京区の本駒込・千駄木・向丘・西片などを含む広い地域であった。のち、上駒込村・下駒込村に分かれ、前者は豊島区駒込となった。
地名の由来[編集]
遺跡[編集]
豊島区駒込一丁目と文京区本駒込五丁目との境で発見された駒込一丁目遺跡付近からは、弥生後期の遺跡が発見されている。これまで20棟を超える竪穴建物跡が発掘されている。現在の市街地が形成された江戸時代・明治時代から遡ってみると、市街地形成以前にも駒込の名は多く記録に残されている。また駒込は日本武尊が命名者との説がある。付近の西ケ原でも旧石器時代の出土品や縄文時代の集落跡が見つかっている。植木・ソメイヨシノ・ツツジ[編集]
駒込染井村には伊勢津藩藤堂家が下屋敷・抱屋敷︵約8万坪‥26万m2︶を構えていた。染井村には植木職人が多く住み、村全体が花園だった。ソメイヨシノもこの地の植木職人が作り出したとされている。現在は六義園染井門や染井霊園に当時の地名を見ることができる。また、この辺りでは霧島ツツジの栽培も盛んだった。JR駒込駅の土手に春になるとツツジが多いのはその名残。また木戸孝允別邸跡があり、明治天皇行幸の石碑が建てられている。この近隣には木戸坂という坂がある。世帯数と人口[編集]
2017年︵平成29年︶12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。丁目 | 世帯数 | 人口 |
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駒込一丁目 | 2,590世帯 | 4,129人 |
駒込二丁目 | 1,184世帯 | 1,828人 |
駒込三丁目 | 1,484世帯 | 2,465人 |
駒込四丁目 | 1,710世帯 | 3,587人 |
駒込五丁目 | 219世帯 | 663人 |
駒込六丁目 | 1,813世帯 | 3,381人 |
駒込七丁目 | 829世帯 | 1,484人 |
計 | 9,829世帯 | 17,537人 |
小・中学校の学区[編集]
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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駒込一丁目 | 全域 | 豊島区立駒込小学校 | 豊島区立駒込中学校 |
駒込二丁目 | 全域 | ||
駒込三丁目 | 全域 | ||
駒込四丁目 | 1〜8番 | ||
9〜15番 | 豊島区立仰高小学校 | ||
駒込五丁目 | 全域 | ||
駒込六丁目 | 全域 | 豊島区立駒込小学校 | |
駒込七丁目 | 全域 |
交通[編集]
鉄道[編集]
●駒込駅︵JR山手線、東京メトロ南北線︶道路[編集]
●東京都道455号本郷赤羽線︵本郷通り︶施設[編集]
出身・ゆかりのある人物[編集]
●川原五郎︵横浜高等工業学校教授、日本鋼管顧問︶脚注[編集]
外部リンク[編集]
北区西ケ原 | 北区中里 | |||
巣鴨 | 北区田端 | |||
駒込 | ||||
文京区本駒込 |