デジタル大辞泉 「事」の意味・読み・例文・類語
こと【事】
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〈こと〉は〈もの〉と対立する優れて日本的な存在概念である。英語のevent,matter,ドイツ語のSache,Sachverhalt,フランス語のchose,faitなどを時によっては〈事〉と訳す場合もあるが,元来の発想はそれらとは異質である。グラーツ学派のマイノングが,高次対象論において学術的概念として導入した〈objektiv〉をはじめ,後期新カント学派,初期現象学派,論理分析学派などの学術的概念のなかには〈こと〉に類するものがないわけではないが,それらとて〈こと〉とはかなりのへだたりがある。なお,漢字〈事〉の原義は〈記録係〉の意味であり,漢訳仏典における〈事〉は〈理〉の対概念であって,中国人の日常的観念における事や仏教哲学における事は,日本人の日常的意識における〈こと〉とはやはり異質のものである。本居宣長は,〈事〉は〈言〉と不可分の関係にあったといったが,〈こと〉は,さしあたり,言語的に言い表される事態であるとみなせよう。そこで,〈言語的に言い表される事態〉の何たるかを認識論的・存在論的に規定することが当座の問題となる。いわゆる名詞類で指称される対象は,有形的であれ無形的であれ,具体的であれ抽象的であれ,〈もの〉であって,それ自身は〈こと〉ではない。また,日常的には,事実,事象,事況などをも〈こと〉と呼ぶ場合があるが,一定の場所や時刻を指定されるごとき事実,事象,事況はむしろ〈もの〉であって,純然たる〈こと〉ではない。〈こと〉はいわゆる文章態(ないしその省略形)で言い表される。そして〈コレハ犬デアルこと〉〈魚ハ泳グこと〉〈雪ハ白イこと〉等々,これらの〈こと〉は事物ではなく,またそれ自身は,泳いだりもしなければ,白かったりもしない。〈こと〉は単なる心理的現象ではなく,厳然として存立しはするが,それ自体では物理的存在ではない。〈こと〉は,それ自身では精神的存在でも物質的存在でもなく,〈精神的〉か〈物質的〉かという近代西洋哲学流の二元的分類には納まりきれない。さりとて,〈こと〉が形而上学的存在でないことは,これまた言うまでもない。〈こと〉は特異な存在性格を呈する一種独特の存立態なのである。
〈こと〉の存在論的特異性について,日本の哲学者たちは,出隆や和辻哲郎このかた留目してきたが,昨今では精神病理学者の木村敏など,〈こと〉の根源性に立脚して学問の新地平をひらく企図を見せる科学者も出るようになった。伝統的な〈物的世界像〉のもとでは〈犬〉〈泳ぎ〉〈白さ〉といった〈もの〉があってはじめて前掲の〈こと〉も成立すると考えられてきたが,〈メタ文法的主辞賓辞論〉の見地に立つ現代認識論においては〈犬デアルこと〉〈泳グこと〉〈白イこと〉の間主観的妥当性をまって〈犬トイウもの〉〈泳ギトイウもの〉〈白サトイウもの〉も成立するのだと考え,〈もの〉に対する〈こと〉の第一次性,根源性を主張する。
→物
執筆者:廣松 渉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…江戸時代中期に興り,しだいに思想界に勢力を得て幕末に至り,その影響力は明治初期にまで及んだ。はじめは文献学的方法と古代社会の理想化とを特色とする学問潮流として始発したが,やがて古代に民族精神の源泉を求める思想体系の性格を帯び,幕末には日本の歴史的個体性を尊王論と結びつけることでいちじるしくイデオロギー化する。江戸時代には,漢学に対抗して古学・和学・皇朝学・本教学などと呼ばれた。…
…まず,景山のもとで契沖の著作に接し,生涯わすれえない学問上の開眼を経験する。朱子学に反対し古文辞学をとなえた荻生徂徠や太宰春台らの著作から多くのことを学びとったのも,景山を介してである。朱子学派ながら景山は徂徠とも交わりがあり,また国典にも関心をよせていた。…
※「事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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